フローラの話14
私がソフィアの代わりにバッドエンドに落ちると決意したある日、偶然にルルドの姿を見かけた。その日はちょうど治療師の実践と経験を積むために学園の一角で治療師育成コースの治療師の卵達による無料の治癒施設が開放されていた。
簡易テントの中にはベッドやイスがたくさん並べられている。その簡易テントの入り口には沢山の人々が集まっていて長蛇の列を作っている。王都からはもちろん遠くの町村からも遥々来ているのだと学園の生徒が話していた。
治療師の卵達がそんな人々を懸命に治療している姿が遠目に見える。その中にはあのルルドの姿もあって彼はひっきりなしに訪れる人々の治療を懸命に行っていた。丁寧に確実にテキパキと手際よく治療をこなしているルルドの姿は忙しそうにしているが使命感に満ちた充実した表情をしている。
漣君が成長した姿を想像して創ったルルドは初めて会った時の幼い姿からもうすっかり成長していて16歳の青年の姿になっていた。病院の中の世界しか知らないまま幼くして亡くなってしまった漣君の希望を形にして創った彼は私が創った設定通り治療師になるべく今必死に勉強している。私が定めた運命を何にも知らずにただひたすらにその道を歩んでいる。それが創られた運命で、それを創った私の事を彼はどう思うだろう。
全員の好感度がほしいマリアはルルドに関してはまったく接触していないうえに何のイベントも発生させていなかった。魅了の力も使わないのは、すでにルルドの好感度が高いからだろう。
好意を持っているのにヒロインに見向きをされない彼はこの世界で幸せなんだろうか。いや私のエゴを積み重ねるならあのヒロインと結ばれる未来より、自分がやるべきことに懸命に向き合って充実した表情をしている彼の方が幸せなのではないだろうかと勝手な想像をしてしまう。
彼の姿を見る事はこの先きっとないだろう。本当は彼が幸せになる姿をこの目で見届けたかったが私には時間がない。でもどうか、この世界で幸せを見つけてほしい。必死に頑張っているルルドの姿をしばらくの間見つめると私はその場を後にした。
そんな中、最近ソフィアがソワソワとマリアの様子を穿っている。嫌な予感がしてそれから注意深くソフィアを見ているとマリアが一人になった途端、思い詰めた顔をしてマリアに近づいていくのが見えた。私は咄嗟にソフィアを呼び止めて彼女を止めた。
危なかった。あれは断罪へと続くイベントだ。私がソフィアを呼び止めていなかったら今頃は感情のままマリアに詰め寄りきつい批難と文句を彼女にぶつけていただろう。そしてその事が原因でダンスパーティの最中にアランから激しい非難を浴び、バッドエンドのルートに乗ってしまう。
やはり断罪イベントは避けられないようだ。ゲームの強制力が働いて起きるのだろう。そのため私は先手を打つことにした。
後日マリアが一人でいるところを呼び止め、マリアに対してやんわりではあるが文句と注意をした。
案の定マリアはゲームのヒロインの態度と同じように文句を言われた事でショックを受けたようにしおらしく泣き出したのだ。それでいい。私は泣かれた事で気まずそうなった演技をしてその場を後にした。
それから間もなくして、ついにあの断罪のイベントがあるダンスパーティが始まる。
いよいよだ。まだ婚約者の立場の私はオズワルドにエスコートされて会場に入る事になっていた。元々会話の少ない私達だが以前はお互いが一緒にいて違和感がなく互いに身を寄せ合っているような安心を感じられる存在だった。しかし今はオズワルドからピリピリとした拒絶の感情が読み取れる。安易に触れると爆発しそうな苛立ちも感じる。
これがあの悪意というやつか。オズワルドから向けられる感情に心の中がキリキリと痛む。あの時確信した感情はとっくに心の奥に封印した。いつもの私らしく振舞わなくてはいけないのに彼の事を考えれば考えるほど感情が乱れていく。
私は両手でバチンと音を鳴らし思いきり自分の頬を叩くと自分に活を入れる。無表情でそっぽを向いていたオズワルドが目を見開いて驚いているのが分かった。
ダンスパーティが始まる。オズワルドにエスコートされて会場に入ったがその途端、義理は果たしたとでもいうように彼は私の腕を乱暴に放すとそのまま人混みに消えていった。
一人その場に残された私はこれから我が身にふりかかる出来事と対峙するだけの気力を絞り出そうと壁際で一人目を瞑りゆっくりと深呼吸を繰り返す。
再びオズワルドが戻ってくるとすぐに私の手頸を強引に掴み歩き出した。着いた先にはマリアがいて勝ち誇った顔で悠々と私を嫌な顔つきで見下していた。
マリアの横に当然のようにオズワルドが並ぶといよいよ断罪のイベントが始まる。
オズワルドが私の方を見ながら私をひどく攻め立てはじめる。彼の口から聞きたくない言葉をいくつも無下に投げつけられた。覚悟はしていたがその言葉によるダメージは思った以上に酷かった。鋭い針が私の心を次々と刺していく感覚だ。彼の横でマリアが勝ち誇った顔で私を見ていた。テンプレのような婚約破棄のセリフにゲームの強制力を強く感じながらやはりここは乙女ゲームの世界なのだとぼんやりと思ってた。
でもそれでいい。ソフィアを救うという私の目的は達成できる。心はボロボロなのにその事に安堵して一瞬笑みが浮かんだ。
一方的に婚約破棄をされ周囲を騒然とさせた私は警備の人間によってすぐにその場から出されると家から迎えがくるのをまって帰宅の途についた。
婚約破棄の情報はすでに両親の耳に入っていたようでその日からすぐに私は、オズワルドと婚約が決まる前まで使っていた元の部屋に再び戻される事になった。北側の陽があまり入らない薄暗いあの部屋。
あの時とまるで変っていない部屋の様子にあの頃の自分が蘇る。死んだように生きていたあの頃の自分が再びそこにいた。
しかしあの頃と変わった事もあった。私には私を心配してくれる味方がいたことだった。
シェリーが慌てて部屋にやってきた
「お嬢様!大丈夫ですか!?なぜこのようなお部屋に…」
粗末な木の椅子に座っている私の前に立ち膝をしてしゃがむと見上げるよに私をみて今にも泣きそうな顔で私の手を握る。
「シェリー。これからは私にかまわない方がいいわ。貴方までひどい目に合わせたくないの」
「私は大丈夫ですよ。でも突然フローラお嬢様付きのお仕事から外されてしまいました。」
『シェリー!シェリー!どこなの!?早く来なさい!!』
遠くでシェリーを呼びつける他のメイドの不機嫌な声を聞こえる。
「私は大丈夫だから。早く行った方がいいわ」
「でも…心配で離れる事が出来ません!」
「今あの声の主の元に戻らないとあなたに良くない事が起こるようで私はシェリーの事が心配だわ」
「…わかりました。行きます。でも必ず毎日様子を見にきますから」
そう言って部屋を出ていく事をしばらく渋りながらも仕方なく声の主の元に戻っていった。
その日の夜中、2階にある私の部屋の窓に何かがコツコツとぶつかる音がした。
その音に目が覚めて窓を開けると窓の向かいにある木の幹にダリスがいた。声は出すなというように人差し指を口の前で立てる仕草をする。
それからダリスは器用に木の枝に移動すると目を見張るような素晴らし身体能力を発揮して私の部屋に入ってきた。
「おい!大丈夫か!?シェリーに教えてもらったよ。すぐに会いに来たかったけど昼間は他の使用人達の目があってこの部屋に近づけなかった。それよりも屋敷中フローラの噂で持ち切りだよ。あいつ…!最低だよ。沢山の人が見ている前で浮気相手と一緒にフローラを責め立てて婚約破棄を宣言するなんて…。」
そういって彼は悲痛な表情を浮かべると悔しそうに拳を握りしめる。彼の手は怒りで震えていた。
「じいちゃんから聞いたよ。昔のフローラがこの屋敷でどういう扱いを受けていたのか。俺知らなかったよ。ひどい事されてないか?今の俺よりも小さい時からここで必死に生きてきたんだよな…。どうしてこの屋敷の主人は自分の子供なのに助けてやらないんだろう。えらい身分の人間はみんなそうなのか?あいつも含めてどうしてみんなフローラに酷い事をするんだ」
そういって斜め掛けしていたカバンから紙袋を取り出すとそれを私に差し出してきた。
中には飲み物が入っているコルク栓の瓶といくつかの果物、肉が挟まっているパンが入っていた。
「ありがとう」
こんな場所でも私を心配してくれる人がいる事に心が暖かくなる。自然と笑みが浮かんでいた。私がお礼を言うとダリスは顔を真っ赤にして慌てていた。そんな自分の様子を誤魔化すように何気なく部屋を見渡したダリスが驚いた様子で声をだす。
「おい。うそだろう!薄暗くて今までよく分からなかったけど俺の部屋より何もないじゃないか。なんだよ、この部屋!こんな部屋に閉じ込められているのか!?」
「まぁ昔はこの部屋にずっといたから今更なんとも思わないけどね」
私は苦笑いをする。
「やっぱりあいつを一発殴りたいよ。フローラが今こんなひどい目にあってるっていうのにきっと今も浮気相手に夢中なんだよな…」
「ありがとう。私は大丈夫だから」
「大丈夫じゃないだろう!なぁ俺とここから逃げよう。このままここにいたら、またひどい目にあうんじゃないのか?」
「大丈夫。ひどい目にはあわない。もう昔みたく非力じゃないから。それに、もう一つやらないといけない大事な事があるの。それが終わるまでここから逃げない」
「…そうか…。俺の事子供だと思ってるんだろうけど俺、お前を守るって約束した。俺の事、もっと頼ってよ…」
ダリスが珍しく泣きそうな顔でうつむきながらそう言った。
「ありがとう。私これでもちょっとは強いの。でも何かあったらその時は遠慮なく助けてもらうから」
私は彼を少しでも安心させようとダリスに笑顔を向ける。
それからたわいもない話をしてダリスを返すと私は魅了が解けた後の未来のオズワルドに手紙を書く事にした。
魅了が解けるまでどれくらいの時間が掛かるのか分からないけど魅了が解けた後の彼はきっと後悔と罪悪感で壊れてしまうかもしれない。私はオズワルドを恨んではいない。彼がこの手紙を読んでいる頃きっと私はここにはいない。だからしっかり前を向いて生きてほしくて手紙を書いた。
翌日来たダリスに手紙を託した。
「オズワルドにこの手紙を渡してほしいの」
「俺、あいつに会いたくないよ。会ったらたぶん殴りたくなるから」
「今じゃないわ。そのうちオズワルドが私の居場所を聞くためにあなたを訪ねてきたらその時、その手紙を渡してほしいの。まぁ…その時までぶん殴ってやりたかったら何発でも殴っていいわよ…きっとその時の彼はあなたに殴られても怒らないと思うから」
私は苦笑いをする。
「だからお願いするわね」
ダリスは渋々手紙を受け取るとその頼み事を引き受けてくれた。
翌日門番の男がマリアからの手紙を届けにきた。
あぁこの『女神の涙』を奪って私をバッドエンドに送る最後の仕上げをするようだ。その罠にかかってあげる。
私、フローラのバッドエンドは加虐性癖をもつ貴族の男の元に嫁ぐ事。そこで毎日暴力を受け続け最終的には精神が病んで自殺してしまうのだ。
でも絶対に死なない。何としてでもそこから逃げ出して『アレ』が復活したときヒロインの代わりに私が倒さなければいけない。
私がゲームの舞台から消える事でソフィアのバッドエンドは完全に防ぐ事ができるはすだ。だから今はその罠にかかってあげる。