フローラの話11
オズワルドの婚約者になってからというもの私の家での扱いは劇的に一瞬で変わった。
あの日から折檻を受ける事もメイド達に嫌がらせをされる事も一切無くなったのだ。一番大きく変わったのはまともな食事がきちんと出されるようになった事だった。毎食まともに食べらる食事を部屋付きになった新人のメイドが持ってきてくれる。
新しく雇い入れた私付きのメイドはシェリーという名前でまだ若いが素朴で明るい人だった。大抵の事はあまり気にしない性格のようで私をいじめていたメイド達に嫌がらせをされても気に留めるほどの事ではないというようにいつもきれいに受け流していた。
彼女はいつもよく笑う人でもあった。そんな彼女と毎日接しているうちに荒んでいた心が次第に洗われていくような心地よさを感じた。その証拠にフローラとして目覚めてから今まで生きる事に必死だったが最近では外の景色の美しさや陽ざしの暖かさなど生きていて当たり前に感じられる事を健全に真っすぐ受け止められるようになった。
そんな私の毎日にもう一つ変化があった。婚約が正式に決まってから不意に何の前触れもなくオズワルドがよく訪ねてくるようになったのだ。
今日もオズワルドが不意に訪ねてきては私の目の前で本を読んでいる。私達の間にはいつものように静かな時間が流れている。
最初は会話もなくただ黙って私の目の前で本だけ読んで帰るオズワルドに戸惑ったものの、いつからだろうそれが当たり前の光景になっていって、そのうち今度はそんな彼の姿を見ているとなんだか落ち着く自分がいる事に気が付いた。
毎回難しそうな本を読んでいるが今日は珍しく小説を読んでいる。そんなオズワルドをぼんやり眺めながらふと思った。
私が創った世界で私が創ったキャラクター達が生きている。そのキャラクターの一人の私自身が今生きていて苦難を与えられ、それを私の創ったキャラクタ―によって救われた。
私が創作していない人たちも普通にこの世界に生きていて存在している。彼らは誰が創ったの?
ひょっとしたらこの世界はずっと前から元々存在していたのだろうか。それともやっぱり私が創ったのだろうか…もう訳が分からない。
でも本当は全部無くて元の世界で『りさ』という名前の自分が長い夢を見ているだけなのかもしれない。
このまま月日が流れてゲームが終わったこの世界はどうなっていくのだろう。
私に子供ができたら?その子がまた子を産んでそうやって延々とこの世界に生命が続いていくんだろうか。もう私の創作した世界ではなく一つの確固たる意志を持った世界としてこの先もずっと存在していくのだろうか。そうしたらこの世界はもう私の想像の範疇を超えた未知の領域の世界だ。
創作したキャラクター達は私が描いた生い立ちの元生まれ成長して私が描いた物語通りプログラムされたセリフを言い、振る舞いをして決められた運命を歩むのだろうか。ロレインは悪役令嬢になる気配はなくなったしソフィアはアランと良好な関係を築いている。彼女達のようにゲーム上の設定から道が外れた存在もいる。様々な疑問や思考が浮かんでは消えていってもう頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。
不意にオズワルドに話しかける。
「ねぇ私がこの世界を創ったっていったらどう思う?あなたという人間もあなたの運命も私が創ったの」
いつも無言な訳ではない。お互いが好きな時に好きな事を話す。気を使わない私達の会話はいつも取り留めなく始まる。
「…。頭がおかしくなったのか?俺は俺だし運命だって自分で決める。お前なんかに決められてたまるか」
彼は本から視線を外し私を呆れ顔で見ると少し揶揄うように私にそう言った。そんな彼にもう一つさっきから気になって仕方ない事を質問してみる。
「ねぇ どうして今日は恋愛小説なんか読んでるの?」
「…!! えっ! あっ…。なっなんで分かったんだよ!」
いつも冷静沈着なオズワルドが珍しく取り乱している。
珍しいものがみれて私は思わずにやりとしてしまう。
「私をなんだと思ってるのよ。そんなに分かりやすく恋愛小説だって分かるタイトルが背表紙に書いてあったら誰だって何を読んでるのか分かるわよ」
背表紙には『愛の逃避行~二人の愛は永遠に~』と書いてあった。
「ふん。別にいいじゃないか。よく分からないジャンルの本を読んでみるのも勉強なんだよ」
そう真っ赤な顔をして必死に弁明する彼は明らかに動揺している。面白い面白すぎる。
ゲーム上の強制力がこの世界にあるのなら物語が始まる事は避けられない。彼もいつかヒロインに攻略される未来がやってくるのだろうか。
彼がマリアに本気で恋をして幸せになるのなら私は彼の幸せを願う。たとえ彼が私を捨ててヒロインと生きていく道を選んでも私はそれで本望だ。今安定した毎日を過ごせているのはオズワルドのおかげだしあのまま折檻がエスカレートしていたら私は壊れていたかもしれない。だからそれが私を助けてくれたせめてもの恩返しなのだと思う。
ロレインとソフィアも完全に不幸な運命から逸れた訳ではない。ゲームの強制力があるのなら断罪のイベントは避けられないかもしれない。誰かが代わりにバッドエンドに行かなくてはいけないのなら私がその代わりになろうと思う。
自分はどうなっても構わないから誰も不幸にさせたくない。それがこの世界を創った私の責任のように感じた。
それから月日が流れ私達はゲームの舞台になる王立学園へと入学する事になった。
あれから長い年月を経てヒロインマリアはどうなっているだろう。私は不安な気持ちを押し殺しマリアが編入してくる年を待った。
それまで学園での生活は何事もなく過ぎていく。ロレインやソフィアも互いに想い人と仲睦まじく過ごしている。私はといえばオズワルドとは相変わらずで一緒にいてもやはり空気のような存在で特に会話をしなくても互いに何を考えているのかもうなんとなく分かってしまう。それが愛だ恋だと言われたらよく分からない感情だが大切な人だということはかわらない。それはオズワルドの方も同じなのだろう。
両親とは相変わらず険悪だが家に帰ればシェリーがいつもの調子で元気に出迎えてくれる。毎日私は穏やかに過ごす事が出来た。
ある日何気なく庭を散歩していると庭の隅に畑が出来ていてなにやら野菜が育っているのを見つけた。人参やジャガイモにトマトやきゅうり。この世界には前世にあるような野菜が存在する。ここの庭で自家栽培をしている事に驚きながら見事に実っているトマトをまじまじと見ていた。
「おい!俺の畑に何の用だ。」
声がした方向を見ると10歳くらいでデニム生地のようなオーバーオールを着ている少年が不機嫌そうに立っていた。栗色の髪によく日に焼けた肌をしていて頭には大きめのツバのついた帽子を後ろにして被っている。
「あぁごめんね。見事なトマトだったからつい見入っちゃって」
「お前。俺の作った野菜の良さが分かるのか!どうだ!すごいだろう。毎日心を込めて世話をしているんだ」
少年は得意そうにいう。
「おい!ダリス!その口のきき方はなんだ!?お前この方を誰だと思っている!」
遠くから慌てて走って来る人影が見える。
「やべぇ。じいちゃんだ!おいお前、またいつでも俺の畑を見に来いよ!じゃぁな!」
そういうと少年は速足で逃げていった。
「申し訳ありません。フローラお嬢様。私はここの料理長をしております、パリスと申します。あれは私の孫で最近料理見習いでここの厨房に出入りさせてもらっております。この畑は自分で食材を育てたいといって彼が作った畑です。もちろんご主人様に了解は取っております。孫の失礼な態度誠に申し訳ありませんでした」
そういって深々と頭を下げるパリスに私は慌てて頭を上げてもらおうと話をする。
「いえ、いいんです。頭を上げてください。お孫さんとはいいお友達になれそうで楽しみなんですよ。またここに来させてもらいます」
それから私はその畑に行くと農作業をしている彼と話すようになった。いつもその自慢の畑で実った野菜をその場で捥いで私にくれる。トマトなどは酸味と甘みのバランスが良く、みずみずしくてとても美味しいかった。
「このトマト最高だね!美味しい」
「そうだろう!じゃぁこっちのキュウリもやる!」
ダリスは屈託の無い笑顔を見せると今度はキュウリを捥いでくれる。せっかくなので一緒に井戸水を汲んできて桶でキュウリやトマトを入れて冷やしてみる事にした。
「おい!何をやってるんだ!」
ダリスと一緒に井戸水を汲んでいると徐に後ろで声が聞こえた。オズワルドだった。
「なにって井戸水を汲んでいるところだけど。あの野菜を冷やして食べようと思ったの。見てるだけなら手つだってよ」
「は?なぜ俺がそんな事をしないといけないんだよ」
そういうオズワルドに無理やり桶を渡すとブツブツ文句を言いながらもしぶしぶ桶を運んでくれる。
そんな私達のやり取りを見ていたダリスが口を開く。
「ねぇ。フローラ。この人誰?」
私がオズワルドを紹介しようとするとすかさずオズワルドが口をはさむ。
「俺はこいつの婚約者のオズワルド・レイモンズだ。お前こそ誰だよ。なんでフローラと気やすいんだ」
オズワルドにしては珍しく少しムッとして怒っているように見える。
私が説明しようとすると今度はダリスが囃し立てるように口を開く。
「俺はフローラの友達だ!婚約者だからって偉そうにするなよ」
もう私の存在を無視するかのように二人で勝手に話し出している。
そんな彼らを放っておいて私は予定通り桶に野菜を入れて冷やす事にした。
そのうち良い具合に野菜が冷えたので言い合っていた二人に割って入ってそれを勧める。
「いったん休戦だ!」
そういうとダリスがキュウリにかぶりつく。私も豪快にキュウリにバリっとかぶりつくと、ひんやりとした感触に瑞々しい歯ごたえがたまらなく美味しい。
いつの間にかオズワルドも私の隣に座って野菜を食べている。
「まぁまぁうまいな」
そういって彼はすぐにキュウリを完食していた。
学園で毎日顔を合わせているくせにオズワルドはこうしてたまに休みの日には我が家にきて10歳のダリスといつも賑やかに言い合いをしてる。仲がいいのか悪いのかよく分からない。そんな彼らの姿も次第に見慣れていった。
こうして平和に日々は過ぎていき、ついにマリアが学園にやってくる運命の日を迎える。いよいよゲームが始まるのだ。
どうかこの先誰も不幸にならないでほしい。私の創ったキャラクター達がそれぞれに自分達の幸せをつかんでほしい。私の願いはそれだけだった。