ルルドの話
あの日いつものように薬草を探して森を歩いていると遠くの大きな崖の下で何かが倒れているのを発見した。最初は何だか分からなかったが近づくにつれて人だと分かった。
摘んだ薬草が入っている籠を放り投げその場所まで全力で走った。更に近くまで来ると若い女性だと分かる。
こんな危険な崖から落ちたのだろうか。全身傷だらけで頭からは血が流れている。僕は意識があるのか確認しようと慌てて大声で呼ぶが反応がない。極めて危険な状態だった。治療魔法で止血などの応急処置を施した後、僕は彼女を抱えて急いで自分の家まで運んだ。
居間まで運ぶと女性なら余裕で寝られるくらいの大きさがあるソファーに仰向けに寝かせて改めてケガの度合いを見る。重度の打撲、右腕と肋骨、左足まで骨折していた。しかし一番酷かったのは腹部の外傷だった。
応急処置で止血はしているがウエストを締め付けているこのドレスを脱がす必要があった。豪華なドレスの様だが太ももまで破かれていたりどこかに引っ掛けたのか袖は破けていてなにより全体的に泥だらけだった。どうしたものだろう。僕は女性の服など今まで脱がせた事などない。ましてやドレスなんて構造が複雑すぎてお手上げだ。
しかしそんな事で時間を費やしている場合ではない。ドレスをナイフで切り裂くとさらにその下に胸まで繋がったウエストを締め上げている原因の下着があった。脱がす構造が分からない…。ふと背中が後ろ開きに紐で網み上げになっている事に気が付き彼女の体を横に倒しながら一気にその紐をナイフで切るとようやく下着を取る事が出来た。仰向けに体を戻し光魔法を発動させると一気に魔力を患部に流すとようやく危険な状態を脱する事ができて一安心した。他の深い傷もすぐに治療した。
頭の方も心配だったがこちらは軽い脳震盪のようだった。しかし油断は出来ない。経過を慎重に見ていく必要があった。
次に足や腕が泥だらけなのに気がつき今度は体についている泥を丁寧に濡れタオルで拭いて綺麗にする。
先ほどまでの治療で魔力不足に陥ってしまったため骨折している箇所は添え木をして包帯で巻いて固定するとようやく一通りの治療を終えた。治療をする事に今まで必死だったが冷静な精神状態にもどった今、僕は彼女の今の状態を見て絶句した。
ショーツ一枚の彼女の裸体があらわになっている事に気が付きもう頭の中はパニック状態だ。
あまり見ないようにしてすぐに彼女の上にシーツを掛ける。しかしこのままでは風邪を引かせるといけないので彼女に自分の服を着せる事にした。女性の服なんて当然もっていない。着せやすい前開きのシャツを選んで何とか着せる。
女性の体に触った経験もないのでもう色々大変だ。着せ終えると彼女の体には大きかったがこれで我慢してもらおう。
慎重にベッドに運ぶと静かに眠り続ける彼女の姿を見ながら一体どうしてこんな森で一人でいたのだろうとふと疑問に思う。豪華なドレスを着ていたことからどこかの貴族の令嬢なのだろう。この日から彼女がいつ意識を取り戻してもいいように、なるべく近くで他の作業をしながら看病する事にした。
毎日少しでも早く骨がつながるように光魔法を施す。後は彼女の意識が戻るのを待つだけだ。数日後骨は無事につながって完治したが一向に意識が戻らなかった。
ようやく彼女が目を覚ましたのはそれからしばらくたってからだった。毎日額に手を当てて早く回復するように魔力を流し続けていた。その日魔力を流し終えて彼女を見るといつもと違い目を開いてこちらを見ていたので驚いたが同時にようやく意識を取り戻してくれた事が嬉しかった。目を閉じて眠っている顔も相当綺麗な女性だと思ったが目を開いてこちらを見ている顔も相当可愛らしくて僕は思わずドキリとする。
目が覚めて僕を見ると驚いたように辺りを見回していた。僕がここが自分の自宅だと説明すると彼女はすかさず礼を言ってきて起き上がろうとするが急に体を動かすものだから痛みで顔をゆがめてしまった。
僕は慌てて上体を支えてベッドに寝かせる。何日も食べていなくてお腹が空いているだろうと思って僕はキッチンにスープを作りに行くため一度部屋を出た。作り終えて戻ってくると彼女をゆっくりと起こしてスープを飲ませる。
スプーンにスープをすくって口元に運んであげるとなにやら顔を真っ赤にして躊躇している。何故だろう。さっぱり分からない。
食事を終えた彼女は自分が着替えをしている事に気がつき、僕は着替えさせた経緯をしどろもどろになりながら説明した。自分でももう何を言っているのかすっかり分からなくなった頃彼女は僕を見て笑い出した。
そうして笑顔でお礼を言われたので僕は驚いてしまったが嬉しくなって一緒に笑い合った。
翌日僕が一緒にいない時寝室から何かが落ちる音がして慌てて駆けつけるとベッドの下で倒れている彼女を発見した。
衰えた足の筋力のままベッドから移動しようとしてそこから転がり落ちてしまったようだった。寝たきりで衰えた筋力と体力をつけるべくそれから彼女は懸命にリハビリを始めた。
心配だったのでこの日から一緒にリハビリの手助けをする。彼女は相当の努力で毎日懸命にリハビリに励んだ結果数日すると普通に歩けるくらいまで回復した。
ある時薬草を取りに出かけて戻ると彼女がリビングで水差しを手にもって立っていた。空の水差しを見て水が飲みたいのだと思いすぐに容器に水を入れてあげた。
水を待っている間、籠に摘んだ薬草を不思議そうに見つめていたので僕は薬草で薬を作って、光魔法を使わない治療の研究をしている事を話した。マリアが王太子妃になったあの日から精霊達の様子に変化があったのだ。力が不安定になり弱くなっていたのだ。どうしてだか原因はさっぱり分からなかった。
マリアが王太子と結ばれたあの日僕の長い恋は終わった。
王太子と仲睦まじそうに見つめ合っている姿を見てもう僕は彼女に必要ないのだと悟った。
子供の頃からいつも一緒で大人しい性格だがとても優しい性格だった彼女がずっと好きだった。
しかしよくいじめっ子達のターゲットにされていた彼女は目を離すとよくいじめられてたのでいつもとても心配していた。
だが、ある日を境に彼女は突然人が変わったようになってしまった。
他の人間に対して共感能力が欠落してしまったように見えた。それでも僕の彼女に対する気持ちは変わらなかった。このままではきっと将来彼女は辛い思いをするだろうと思い粘り強く説教を続けたが結局彼女は変わらなかった。それでもこれから先僕が彼女を守っていこうと強く思っていた。
マリアと共に学園に編入する事が決まると僕はマリアとは離されて別の建物で魔力持ちの生徒達と学ぶ事になった。早く一人前になってマリアを守りたいと思っていたので毎日懸命に勉学に励んだ。
だからマリアがどういう学園生活を送っているのか全く知らなかった。その内実践で治療もするようになるとますますマリアとの接点がなくなっていったがそれでもいつも彼女を心配をしていた。
卒業と同時にマリアが王太子と婚約した事を知って愕然とした。醒めない夢でも見ているようなそんな気分だった。
そしてあの日民衆の喝采を浴びて幸せそうなマリアをみて僕は身を引くことを決心したのだった。
もう忘れようと王都から遠いこの地に流れついて森の中に入って長年放置されていた古いこの家を偶然見つけてここに住むようになった。しかしそんな事を考えていたら彼女が何故か突然倒れてしまった。
慌ててベッドに運ぶ。まったく予想していなかった事態なのでかなり焦るが原因も分からない。心配でたまらなくてそばで様子を見ていると数時間で彼女が目をさました。僕はひどく安堵した。
そうして彼女は僕にお詫びとお礼を言うと徐に窓際に立ち外の景色を見ていた。その横に僕も立つと柔らかい風がそっと部屋の中に吹いてきた。彼女とこうして過ごしている時間がずっと続けばいいのにと密かに感じていた。
それからみるみるうちに彼女は回復をして今では掃除やその他の家事を手伝ってくれるまでになった。
最初彼女がどこかの貴族の令嬢だと思っていたので家事全般が出来ることに驚いた。記憶がないので彼女もどうしてできるのかよく分からないらしい。
そうして時々キッチンで一緒に料理をしたり食事をしたりして彼女とたわいもない会話を沢山するようになって僕は彼女の人となりを少しずつ知っていった。
ある日彼女が森で彷徨っていた時の事を話してくれた時僕は昏倒しそうになった。一泊した洞穴で巨大な狼に遭遇したこと狼に襲われ間一髪で助かったが助けてくれた人間が人攫いだったため全力で走って逃げて森の奥まで来てしまった事。あの足の傷はその時できたのかと合点がいった。
そしてお腹が空いて木の実を取ろうとしてあの崖から落ちた事。彼女が遭遇したどれも最悪のピンチだったが幸いにも切り抜ける事ができ今ここにいてくれる事に心の底から安堵した。
遭遇した出来事は最悪だが相当に運が良い。あの崖から落ちて重症だったが僕が発見できた事は奇跡だった。
彼女の話をききながら青くなったり驚いたりしている様子がおかしかったのか僕を見て笑う。無邪気に笑う彼女はとても可愛らしい。その笑顔で僕は彼女が今まで無事で生きてこられて本当に良かったと安堵する。
記憶は戻らないが彼女が完全に回復したと判断して僕は村の診療を再開する事にした。前日彼女がララのお世話を丁寧にしてくれたせいかララの機嫌はとても良い。
村に下りると久々の再会に村民のみなさんにとても心配された。事前に重体の患者がいるのでしばらく森から出られないと鳥を飛ばし村長に連絡をしておいたのだ。女性用のワンピースを買い求めた時は相当驚かれた。仲の良い同じ年の村民の友人にかなり冷やかされ今度紹介しろとしつこく迫られたり他の若い女性からは何故が泣かれてしまったりした。
特に心配な患者もいなく無事に診療を終えると帰り際には沢山のお土産をくれた。
家に着く頃にはすっかり日もくれ一人きりにしてしまった事が心配で帰りを急ぐがきっともう寝ているだろうと思いなおした時視界に自分の家が見えてしかも明かりがついていた。僕は嬉しくてなってララを走らせる。
ララを納屋に入れて感謝を告げて撫でると水を汲んでララに飲ませる。
そうして急いで家のドアを開けると笑顔の彼女が僕を出迎えてくれてしかもテーブルには料理が並んでいた。家に帰って誰かが笑顔で待っていてくれるという事にとてもあたたかい気持ちになって同時に嬉しくなった。そして彼女といつまでもこんな生活を続けたいと強く思った。
しかしそれからしばらくして彼女がここを出ていくという話を始めると僕は頭を何かで殴られたような感覚に陥った。彼女を失うのは嫌だ。ただそう思った。そうして彼女の告白からしばらく沈黙が続くと僕は思い切って自分の心のうちを話し始める。
「君の名前もまだ分からないけど今まで一緒に生活してきて君がどんな女性か知っていって、困った事にどうやら僕は君を好きになってしまったようなんだ。たとえこの先記憶が戻らなくても失った記憶の代わりにはならないかもしれないけど僕はずっと君のそばにいたい」
そう正直に彼女に話すと彼女は真っ赤になって僕の気持ちにこたえてくれた。
今まで生きてきてこれほど嬉しい事はあっただろうか。気が付くと僕は彼女の横に座って手を握っていた。
その日から僕はこれからの人生を彼女と歩むと心に決めた。彼女にたとえどんな過去があっても。
ある日庭の花を真剣に見ている彼女を見つけて何を見ているのか視線の先を追った。そこにはとても珍しい赤いカトレアが咲いていた。彼女の髪の色によく似ていたその花はとても綺麗だった。
「その花はカトレアっていうんだ。赤い色のカトレアは希少で花言葉さえまだないんだよ」そういうと僕は花を摘んであげようと思ったが彼女に止められた
「あっ待って!摘まないで。この花が終わってもまた来年ここであなたと一緒にこの花を見たいの」
そういって優しくその花を見つめる。
「ねぇ 君の髪の色と同じその花の名前で君の事をよんでもいい?」
そういうとだまって彼女はうなずく。
「ありがとうカトレア。これからもよろしくね」
そういうと僕は近くに咲いていた赤いゼラニウムの花を渡した。
「ねぇこの花言葉は何?」
「それはねぇ…内緒だよ」
僕は恥ずかしくなってごまかした。
それからしばらくして僕らは村の教会で村の人々に見守られながら質素ではあったが式を挙げて夫婦になった。盛大にお祝いをしてもらいその日一日は大変だったくらいだ。
すぐに子供にも恵まれ穏やかで幸せな日々を送っている。ある日出稼ぎで王都に来ていて泊まった宿屋に併設されている食堂に来た時、主人に尋ねられた質問に耳を疑った。
「すいません。見かけない顔だったので声をかけたのですがどこかで緋色の髪の女性を見た事はありませんか?私の知り合いの男性が大恋愛の末結婚した嫁さんが行方不明になってずっと探しているんです。それはもう懸命に探し続けていて見ていて痛々しいくらいなのですよ」
目の前が真っ暗になる感覚を覚えた。僕は一体どうしたらいいのだろう…。