ロディの話2
今日も朝から天気が良い。庭からソフィア様とアルヴィス様、ユリウス様の楽しそうな笑い声が聞こえる。
二人が生まれてからこの屋敷の雰囲気は見違えるほど明るくなった。
周りの使用人達の表情が柔らかくなり、皆とても穏やかな気持ちで二人の成長を見守っている。特にソフィア様を幼い頃から知っている使用人達にいたっては孫を見るような眼差しだ。
私は二人が生まれてから少しでも時間が出来ると様子を見に行っている。生まれて間もない頃は夜中の授乳や夜泣きで疲れ切ってフラフラのソフィア様が心配で仕方なかった。少しでも休むように必死にお願いをしたが、彼女は頑としてそうしようとしなかった。しかし子供達が昼寝をしている間などソファーで泥のように眠っている彼女を見つけては起こさない様にベルカとそっと二人を連れ出してはこっそり育児を代わり彼女をゆっくり寝かせていたものだった。
自分のあやし方が不慣れなせいで中々泣き愚図りが収まらない時は困ってしまったが昔母が歌ってくれた子守唄を歌うとたちまち笑顔を見せてくれて嬉しかった。
そうして横抱きであやしているときなど寝てしまうとその寝顔が可愛らしくてこの子達のためならたとえ自分がどんな犠牲を払ってでも守っていこうと思えた。そんなふうに思えるほどもう本当の子供のように感じてしまうので不思議なものだった。
いつかソフィア様がユリウス様に肩車をねだられて困っているのを偶然見つけたことがあった。咄嗟に代わりに肩車をしてあげると彼はとても楽しそうにしていて私も嬉しくなった。それから交互に二人に肩車をしているとソフィア様がとても申し訳なさそうにこちらを見ていた。
私としては二人に楽しんでもらえて嬉しかったのだが彼女にそんな顔をさせてしまい逆に申し訳なく思っていた。
それから二人は私を見つけると肩車をねだるようになり気に入ってもらえた事が嬉しかった。そうして暇を見つけては二人と遊ぶ事が私の楽しみになっていた。なによりお慕いしているソフィア様の優しい笑顔を近くで見る事が出来て私はとても幸せだった。
そんなある日アラン様がまだ日が高いうちに邸に戻ってきた日から何やら考え込む様子が増えどうしたのか心配だった。少しでも早く帰ると出かけていき外出から帰ると決まって顔色が悪かった。
それから毎日日課の剣の鍛錬に極端に没頭したり何やら考えこんだり明らかに様子がおかしくなっていった。
それから数日後ソフィア様がアラン様のお部屋に用事で訪れた時のアラン様の挙動不審ぶりはひどかった。
ソフィア様は王宮へ勤務に出られるようでアラン様に許可を取りに来ただけだったのだが彼女の姿を見て明らかに動揺しているようだった。
その上ソフィア様の口からアラン様の姉上様の名前が出た時などさらに分かりやすく動揺しだし、もう見るに堪えない状態だった。
私がアラン様の従者になった頃、既にロレイン様は王宮で教育を受けていたので私は二人が一緒にいるところを見た事はないがアラン様にとってロレイン様は苦手な相手のようだった。お二人の間でなにがあったのか実はとても興味があった。果たしてなにがあったのだろう。
ソフィア様が勤務を始めて数日たったある日、彼女の忘れ物に気が付いた。二人の様子も見たかったので王宮まで届けに行く事にしたのだった。
門で城に入る手続きを済ませると案内人に案内されソフィア様がいるであろう離宮から少し離れた庭まで行く。その場所に近づくにつれいつもの賑やかな声が聞こえてくる。この声を聞くと私はいつも心が穏やかになる。
私が近づいていくとユリウス様が先に私の姿を見つけてこちらに手を振ってくる。
あぁ今日も元気そうでなによりだと私は安堵する。しかしふと近くにいるソフィア様に目をやると見慣れない護衛の兵と子供達を見守りながらなにやら楽しそうに話しているのが目に入った。その護衛を見る眼差しはアルヴィス様やユリウス様を見ているそれとはまた少し違う、私が一度も見た事がないくらい穏やかな表情だった。
私は心が抉られるようなズキズキとした痛みを感じた。その護衛もソフィア様を見る眼差しはとても優しい。
元々身分がない私はソフィア様とは釣り合わない。私には到底手が届かないその人の幸せを静かに見守る事しかできないと分かっているのにどうしても心が気持ちに追い付かない。私はどうしたらこの苦しい思いを忘れる事ができるのだろう…。
そんな私の気持ちとは裏腹に元気よく私に走り寄ってユリウス様が私の腰に抱き着いてくる。
「ロディ!会えて嬉しい!どうしてここにいるの?」
ユリウス様の後ろからアルヴィス様も駆けてきて同じように抱き着いてくる。
「はい、ソフィア様にお届けものがありましてこちらにうかがいました」
そういうとソフィア様が慌ててこちらに来た。
「すいません!私大事な物を忘れていたんですね。ロディさん、ありがとうございます。お手数かけました」
彼女はとても恐縮した様子でその忘れ物を受け取った。
ふとソフィア様の隣にいたその護衛と目があった。人の良さそうな穏やかな雰囲気だったが私を見る目はどこか厳しい。
そんな事を思っているとソフィア様が慌てて彼を紹介する。
「ロディさん、こちら私達の護衛をしていただいているカインさんです。子供達の相手もしてもらっているのですよ」
そう言って彼を紹介してきた彼女はどこか嬉しそうだった。
「カインさん、こちら私の邸宅で夫の従者をしているロディさんです。小さな頃から知り合いで昔からよく私を助けてくれています」
そういって今度は私を彼に紹介する。
私達はお互い丁寧に挨拶をしてごく当たり障りない会話を少しした。
そうしているうちにユリウス様が私の手を引き後ろで私達の様子をうかがっていたもう一人の少年の所まで私を連れていき紹介してくれた。
「エル、いつも話しているロディだよ。今日は母様の忘れ物を届けに来たんだって」
その様子を見ていたソフィア様が慌ててこちらに駆け寄りその少年を紹介する
「その子はエルトシャンと言います。私は彼のお世話係としてここに来ています」
その少年は私が今まで見たことがないほど綺麗な容姿でどこかロレイン様に似ている気がした。
「あの、ひょっとして彼はその…ロレイン様の御子なのでしょうか」
「はい、そうです」
ソフィア様は短い返答をした
さきほどからもういろいろと私の内心は忙しいくらい感情の揺れ幅が大きくなっていた。きっと彼を紹介されたときソフィア様も私と同じ疑問が頭の中を埋め尽くしたのだろう。
「ねぇ、ロディお願いだよ、少しでいいから僕達と遊ぼうよ」
そう3人に遊ぼうとせがまれているとソフィア様が慌てて止めに入ってきたが少し時間があったのでそれまで彼らと余計な事を忘れるように全力で遊ぶことにした。
余談だが、後日ソフィア様から忘れ物を届けてもらったお礼にと手の込んだイニシャル入りの刺繍が入ったハンカチをもらった。私は以後それをいつも大事に持ち歩くようになった。
時間がきてその場を後にする。しばらく歩くと少し奥の木の陰に一組の男女が睦み合っている姿が目に入った。
こんな昼間によくやるなと思いつつ何気なく目をやるとなんと女性の方はあのマリア様で相手は若く美しい兵士のようだった。私は見てはいけないものをみてしまったと思いその場を速足で通り過ぎる。もう少しで離宮の入り口が見えそうな所まで来るが突然遠くから声を掛けられた。
なんとその相手はさきほど木の陰で見たあの王太子妃でアラン様の想い人のマリア様だった。
何か新しいおもちゃを見つけた時の子供のような目つきで私を見ていた。その様子にどこか嫌な雰囲気を感じ私は早くこの場から去りたいと思った。
「ねぇあなた今まで見た事がないわ。あたらしく雇われた新人?」
何故か彼女と長い時間向き合ってはいけない気がしてどうしたらこの場から立ち去れるのか必死で考えていた。そうして彼女の問に対する答えが中々出ないでいた。
「まぁいいわ。どのみちどうにでもなるし。ねぇあなた、私の従者にならない?」
なんということだろう…。仮にも王太子妃様からの申し出を一介の使用人ごときがどうしたら断れるだろうか。私はまだあの屋敷でアルヴィス様ユリウス様の成長を見守りたい。ソフィア様の近くにいて手助けをしてあげたい。絶望が私に襲い掛かり覆いつくそうとした時後ろからまた声がする。
驚いた事にそこにはロレイン様がいた。ロレイン様は優雅なゆったりした仕草で私に近づくとマリア様に向き合い話を始めた。
「これはこれは王太子妃様。ご機嫌麗しゅうございます。ところでこちらは私の弟のアランの従者をしている者でございます。今日はたまたま私の使いでこちらに呼んでおりました。何か不手際がございましたか?」
そうゆったりした口調で余裕たっぷりにマリア様にそういうと今度は少しお道化た口調でこういった。
「そういえばなにやら自分の従者にと聞こえましたが聞き間違えでしたか?そうですよねマリア様には他にも見目麗しい幾人もの従者がいらっしゃいますものね。」
余裕の微笑みでマリア様を見る。
マリア様はロレイン様を睨むように無言でその場を去っていった。
「ロレイン様ありがとうございます!なんと感謝したらいいのか分かりません」
私は窮地から救ってくれたロレイン様に心から感謝した。両親を失った時以外でこれぼど窮地に立たされた事があっただろうか。心から安堵して情けない事にへたり込みそうになっていた。
「いえ、あれくらい大丈夫ですよ。あなたはあの屋敷になくてはならない人です。今あなたがいなくなればソフィアが悲しみます。アランもきっと手が回らなくなるでしょうから」
そういって微笑むと彼女は静かに去っていった。
こうしてロレイン様に救われて私はまたあの屋敷に帰れる事に安堵していた。しかし、アルフォンス様がいるというのに昼間から他の男性とあのような事をしていたとは正直驚きだ。アラン様はその事を知っているのだろうか。もし自分がマリア様の従者になっていたらどうなっていたのだろうと一瞬嫌な想像をして頭から振り払った。
それからすぐアラン様がしばらく外されていたマリア様の近衛に再び戻る辞令を受けた事を知る。
ようやく最近アラン様がソフィア様と向き合うようになってきた矢先の事で私の心は重くなった。