アランの話
今日は珍しく日が高いうちに邸宅に戻ってきた。
門を開けて入り邸宅に近づくにつれて、子供達の賑やかな笑い声が聞こえてくる。
ソフィアの楽しそうな声も聞こえる。近くにいる使用人達はみな柔らかな表情で彼女達を見守っている。 まるでこの場が優しい空気に包まれている、そんな感じがした。この賑やかな声をもうしばらく聞いていたいと思い少しの間彼女達を遠くから眺めていた。
ソフィアは子供達を楽しそうに追いかけて、アルヴィスに狙いを定めると後ろから抱きしめるように捕まえた。捕まったアルヴィスも楽しそうに笑い、それを見ていたユリウスもまた一緒になって笑っていた。
玄関に入ると従者のロディが俺を出迎えるため立っていた。
「アラン様お早いお帰りですね」
持っていた荷物をロディに預ける。
「あぁ珍しく執務が早く片付いたんだ」
そういうと長い廊下をロディと一緒に自分の執務室まで歩きだした。
歩きながら先ほど偶然会った在学中、仲が良かった旧友との会話を思い出していた。
彼は侯爵の身分の俺に物怖じもしないでズバズバ発言する潔い性格であった。裏表がないさっぱりした性格で周囲からの人気も高くそんな奴の性格を俺は嫌いではなかった。
「よぉ、久しぶりだなアラン!元気か?そういえば双子の男児が生まれたんだってなあ!おめでとう!嫁さんのソフィア嬢はすごいよ。母子ともに健康で無事に双子の出産を見事にやり切ったんだろう。社交会でも噂になっているぞ」
そうまくし立てるように話してきた奴を俺は相変わらずだなと思い懐かしい気持ちになっていた。
「あぁカルロス。久しぶりだな。ありがとう」
「しかしお前、まだソフィア殿と不仲だっていう噂じゃないか。原因はやっぱりあのマリア様か?」
「あぁそうだな、どうやらソフィアは在学中、執拗にマリアに嫌がらせをしていたらしいんだ。マリアの大切な物を悪意で隠したり他の令嬢と彼女を取り囲んで罵声を浴びせたり。マリアが泣いて訴えてきて知ったんだよ」
そういうとまたソフィアに対して不快感でいっぱいになる。
「お前それ、まさかマリア様の言い分だけを信用しているのか?」
奴はあきれた顔で俺にそう言ってきた。
「それはたぶん違うぞ?お前、容姿は完璧に良いのに…。そういうところだよ。残念なの。本当に残念だな…」
「どういう事だ?何が違うんだ?」
何が残念なのかはこの際聞き流した。奴が何をいっているのかよく分からなくて思わず聞き返す。
「前に偶然見た事があるんだ。マリア様が入学したての頃、平民で孤児院出身なのに特殊な力がある事で特別待遇を受けている彼女を前からやっかんでいた何人かの令嬢達がマリア様を取り囲んでいるところを。俺は遠くにいたから慌てて止めようと走ったよ。でもそのうち罵声を浴びせるだけでは飽き足らず彼女の髪の毛を掴んで切り刻もうとした令嬢がいて、それを慌てて止めに入ったのがソフィア嬢だった」
「大人しい性格の彼女が必死でマリア様を庇っていたよ。俺はそれを見てなんて完璧な令嬢なんだと思ったよ。控えめで大人しいけど人を守れる優しい性格だって。俺、あの時ほどお前を羨ましく思った事はないよ。なんでお前の婚約者なんだって思ってた。でもそのうちお前、マリア様に入れ込んでソフィア嬢を蔑ろにしていたよな。ほんとあの時は殴ってやりたかったよ。俺なら絶対泣かせたりしないのに」
「あとなマリア様が他の令嬢に嫌がらせで私物を隠された時もソフィア嬢が一緒になって探してあげていたのを何度か見た事があるぞ」
「今でもお前がさっき言った下らない理由でまだソフィア嬢を泣かせていたら今度こそ俺が嫁にもらうからな。あっ、言っておくけどお前が彼女を早く手放さないか他の男達が大勢狙ってるぞ。もし離婚歴がついてもお前のせいだってみんな分かっているし、双子の男児を無事に産んだ健康な体とあの容姿で穏やかな性格、家柄で今でも彼女の人気は高いんだぞ」
そういって奴は去っていった。
俺はしばらく呆然としていた。あいつが嘘をいう性格ではない事をよく知っている。
どういう事だろう…。マリアが俺に嘘をついていた?何故だ?では俺が今までソフィアにしてきた事は…。
己の行ったあまりに許されない暴言と行為の数々にくらくらして立ち眩みがしてきた。
それから何日もかけて仕事の合間を見ては複数の旧友に会いに行き在学時のソフィアの様子を聞いて回った。
やはりみなカルロスと同じ事を言っていた。マリアを令嬢達から助けていたこと、悪意で隠されたマリアの私物を一緒に探してやっていたこと。
俺は目の前が真っ暗になった。俺はソフィアになんてひどい事をしてきたのだろう…。
頭の中を何かに殴られたような衝撃がはしる。そして疑問が沸く。俺はいつからマリアに夢中になっていったのだろう。マリアのどこにそんなに惹かれていたのだろう。会えば何かに憑かれたようにマリアに愛をささやき続け彼女の心を得ようと毎日必死になっていた。マリアを自分のものにしたいという独占欲で毎日心がいっぱいだった。その事でソフィアが泣こうと構いもしないで…。
そんな疑問が次々と頭の中で湧き上がるとマリアに対する気持ちがなんだかもうよく分からなくなっていた。
このままではソフィアを失う。いつかロディに言われた言葉を思い出した。
俺は彼女を失いたくない、堂々と子供達に父だと認めてもらいたい。叶うならあの賑やかな輪に一緒に入って子供達と触れ合いたい。はっきりとそう思った。
子供達が生まれて間もない頃一度だけソフィアに対する謝罪事項の一つの接見禁止を解いてもらって子供達を抱いた事があった。
想像していたよりも遥かに小さいその存在がなんとも愛おしく思えた。今まで感じた事がない不思議な暖かい感情で一杯になって父親になったという事に喜びを感じた。あの時は無情にもロディにすぐに子供達を取り上げられて至福のひと時はあっという間に終わってしまったが…。
あの時から時間が出来ればソフィアに見つからないように毎日そっと子供達の成長を遠くから眺めていた。たまに目が合うアルヴィスがこちらを不思議そうに見ていた。
日に日に大きくなっていく我が子と触れ合いたくて仕方なかった。
ソフィアの出産前に俺が彼女にひどい暴言を吐き彼女の意識を飛ばしてしまった事がある。
その事でのソフィアの実家のアルバンディス家への賠償として次男のユリウスを養子に出す事がソフィアの了解を得て成立していた。
彼女の弟のロイドはマリアの結婚後精神が衰弱してしまい、アルバンディス家はロイドを跡取りから外した。そうして代わりにユリウスを嫡男に決定したようだった。跡目の教育を始める時期もソフィア次第のようだがそう遠い先の未来ではないだろう。その時まで何とか関係を修復できないだろうか。ユリウスが家を出るまで父として何かしてやりたい。
カルロスと会ったあの日から彼女に心から詫びを入れたいと強く思うようになった。それにはどうしたらいいのだろうと毎日考えていた。
なにしろソフィアとマリア以外俺は女性と接した事がほとんどない。だから女性が喜ぶ事がよく分からなかった。女性と関係を持ったことも正直ソフィア以外なかった。マリアとは思いが通じあい、結婚するまでは決して手を出さないと決めていたのでマリアが恋人達と行う行為を俺に望んでも決して何もしなかった。
何か贈り物でもしようかと考える。マリアは高価な宝石やアクセサリーが好きだったがソフィアはあまり物を欲しがらない。社交の場では侯爵夫人としての威厳を保つという理由で装いはしっかりするものの、普段のソフィアはシンプルで慎ましいものしか身に着けない。彼女に何を贈ったらいいのか見当もつかない。幼い頃は道端の花を摘んであげるだけでとても喜んでくれたのだが…。
そんな日々の中、ロディが暇を見つけてはソフィアと子供達と楽しそうに触れ合っている事に気が付く。
あの賑やかで穏やかな輪に何故俺ではなくお前がいるんだ。俺の妻と俺の息子達なのに…。心がささくれていく。ロディに嫉妬している自分にひどくイラ立った。
ある時ソフィアが俺を訪ねて部屋に来た事があった。彼女に対してもうどう接していいの分からなくなっていてついぶぶっきらぼうな返答をしてしまった。
ソフィアの用件は子供達と三人で王宮に勤めにでる許可を取りたいとの事だった。意外な用件に驚いたが姉上の依頼だと聞き、焦った俺は気がつくと即了解の返答をしていた。
そもそも俺が女性を苦手な原因は実は姉上にあった。今でこそ別人のような淑女になった姉上だが昔は本当に恐ろしかった。幼い頃、女性はみな姉上のような性格だと本気で思っていたのだ。だからソフィアと初めて会った時も正直なにをされるのか不安で仕方なかったのだ。そして今でも姉上は少し苦手なままだ。
それから数日たったある日、王宮から辞令書が届けられ中身を確認する。
長い間マリアの近衛兵を外されていたがそこには再び彼女の近衛兵に配属された旨が書かれていた。
これからソフィアや子供達となんとか絆を取り戻そうと決めた矢先の事だった。夕日が落ちる静かな窓辺で俺は一人頭を抱えていた。