クリス、大空中戦!
夕食は野菜と鳥肉のシチューだった。
依頼主は、とにかくたくさんの食用鳥を飼っているようで、俺たちのために何羽か絞めてくれたのだ。
羽をむしったり、解体したりは初体験で、手間はかかったがとても楽しい。
ジョージのところを辞めてから、何もかもが楽しいことだらけだ。
「すげえ脂! 指がべとべとだ!」
「うふふ……これがシチューになれば、まろやかなコクと旨味が……!」
「おーい、メリッサ、帰ってこーい」
まだ見ぬ鳥肉シチューを夢想して、メリッサがトリップしてしまった。
彼女の目の前で手を振るが、視点が合っていない。
だというのに、その手は的確に鳥を捌いていくのだから、大したものだ。
ぶつ切りにした肉と野菜を、一気に鍋に放り込み、水を入れ、塩を入れて煮込む。
いい感じに肉と野菜が煮えてきたところで、ルーを放り込む。
小麦粉と脂なんかを煮固めた、いわゆるスープの素だ。
スープがトロトロになり、いい匂いが漂ってくる。
俺のお腹が鳴った。
メリッサのお腹も鳴った。
オストリカのお腹も鳴った。
夕ご飯だ。
木製の器に、具材を山盛りにしたシチュー。
二人と一匹で並んでもりもりと食べていると、辺りは徐々に暗くなっていく。
空を見上げると、そこは一面の星空だった。
本当の星なんて、俺は一階層の港側からしか見たことはない。
だから、今見上げているこれも、第二階層の天井で第三階層の底なのだ。
だというのに、どうして明るさがどんどん変わっていき、まるで空のように美しい星空を映し出すのだろう。
「あれね。バブイルの空にある光景を、魔法の力で天井に反映させているんだって。だから、本物じゃないかもだけど、限りなく本物に近い星空だよ。どうやるのか、お日様の光までそのままそれぞれの階層に降り注がせているんだって。第一階層はそれよりも、重層大陸を支える魔法が強すぎて、空を映す魔法はあまり強くないとか」
「そうだったのか……」
語るメリッサの器は、既にからっぽだった。
口の周りにシチューがついている。
彼女の横では、オストリカがむしゃむしゃと、冷ましたシチューを食べている。
こいつも猫じゃなくてモンスターだから、人間と同じものが食べられるんだな。
「メリッサ、詳しいんだなあ」
「私ね、世界中を旅して回ってるの。その国その国で、全然違った顔があって、変だなって思うところでもちゃんと理由があったりするの。楽しいよ?」
そう言うと、彼女は立ち上がった。
「おかわり。もらってくる!」
「まだ食うのか……!」
メリッサは一人で、実にシチューの三割を平らげた。
俺より少し背の低い、あの小さな体のどこにあれだけ入るんだろう……。
ちなみに実体化したペスは、肉を取った後の鳥を与えられて、その皮やら内臓、骨なんかをバリバリと食べていた。
さっさと食べ終わり、また弾丸に戻ってしまった。
久方ぶりに満腹になるまで食った俺は、その夜、見た夢も思い出せないくらいぐっすりと眠った。
翌朝早々に仕事だという緊張もなく。
△▲△
「フャン」
ぺち。
「うーん……」
「フャンフャン」
ぺちぺち。ぺぺぺぺぺぺぺち。
「うわわわ」
額を連続でぺちぺち叩かれて、俺は慌てて飛び起きた。
「フャーン」
俺の上に乗っていたらしいオストリカが、ころころと転がっていく。
途中でメリッサが彼をキャッチした。
「おはよう、クリス君。さあ、さっさと顔を洗ってくる。もうすぐ夜明けだよ」
メリッサが桶を持ってきていた。
水がたっぷりと入っている。
仲間たちはもう起き出して、仕事の支度をしている。
矢を数えて、弓の張り具合を確認し。
第二階層の天井は、ゆっくりとその色を、夜から朝へと変えていくところだった。
バブイル大陸を貫く尖塔山の方から、太陽の輝きが徐々に昇ってくる。
それと同時だ。
ギャアギャアと何かが大勢で鳴く声がした。
「来た……!」
モンスターだ。
空を飛ぶモンスターたちが、大群でこちらにやって来る。
「かなり高いわね……。あいつらがこっちまで降りてくるところを狙うしか無いかも。もっとも、ここまで来るとは限らないんだけど」
パーティリーダーのダリアが渋い顔をした。
周囲の畑が、次々にあのモンスターたちに襲われているのだそうだ。
ここの畑は無事だから、次はここが狙われる可能性が高いと。
「ハーピーだ。女に似た上半身をしたモンスターで、悪知恵が働く」
魔法使いのハンスがぼそぼそと呟く。
彼の手には、筒が握られている。
それを通してみると、遠くのものが見えるようだ。
「来るぞ」
ハンスが筒を外し、懐にしまおうとした。
それを、メリッサが物欲しそうに見ている。
「む」
「貸して?」
「む、むむ」
じいっと見つめてくるメリッサの圧力に負けて、ハンスは筒を手渡す。
「高価なものだ。割らないように」
「はーい。どれどれ……おっ、見える見えるー! 確かに女の人っぽく見えるねえ。でもあれは違うよ。遠目で見たら、偶然そう見えるだけ。ちゃーんと魔物だねえ」
モンスターの群れは、俺たちを目指して一直線に飛んでくる。
間違いなく、俺たちの周囲にある畑を目的地に定めている。
「よっしゃ、やるかあ!」
ヨハンが気勢をあげたところで、我がパーティの攻撃が始まった。
俺の魔銃は射程距離が弓ほど長くないので、この距離ではまだ届かない。
「クリス君。見っけ」
筒を覗いていたメリッサが言う。
見つけたって、何をだろう。
「一羽だけいる。一番最後の方に、一人ぼっちで飛んでるの。青いよ」
「青……!」
赤い光を帯びたモンスターは、契約できない。
青い光を帯びたモンスターは、召喚の契約を結ぶことができる。
俺がメリッサから教わったことだ。
つまり、迫ってくるハーピーの中に、一羽だけ契約できるやつがいるってことだ。
「私とクリス君にしか、見分けられないから。撃ち落とされたり、群れに紛れて逃げちゃわない内に……!」
「わかった!」
俺は魔銃を構えると、ポケットからキメラの弾丸を取り出して装填した。
「ペス」
名前を呼ぶと、シリンダーが輝きだして回る。
「出てこい、ペス!」
『ガオーンッ!!』
咆哮と共に、キメラが俺の目の前に出現する。
「ペスに翼を!」
魔獣に魔力を込めて、弾丸を生成する。
そして、ペスに向かって射撃。
俺の魔力によって編まれた翼が彼の背に生まれ、キメラの巨体をふわりと舞い上がらせる。
『ガオ!』
「え、どうした?」
『ガオガオン!』
「う、うわー!?」
ペスの尻尾がするすると伸びると、俺の胴を絡め取った。
そして、彼の大きな背中の上にヒョイッと乗せてしまう。
「お……俺も空を!?」
『ガオーン!』
「確かに! クリス君が直接行ったほうが話が早いもんね! じゃあ、いってらっしゃ~い」
メリッサがのんきに手を振った。
俺は、蛇で体を固定されたまま、空に持ち上げられていく。
自由になるのは、胸から上と両手。
魔銃を使うには不自由はないし、落っこちる心配もなさそうだ。
「クリスが空に!?」
「あんな事もできるのか、召喚士ってやつは! すげえな!」
「無理をしないでねー!」
仲間たちの声援を受けながら、近づいてくるモンスターの群れに飛び込んでいく。
『ギャアギャアッ』
『ギャアアッ』
耳障りな叫び声をあげて、ハーピー達が襲いかかってくる。
大きさは、大人の女の人くらい。
上半身は遠目では裸の女性に見えたけれど、近くで見るとやっぱり鳥だ。
人間っぽく見えるよう、歪になった鳥。
ちょっと気持ちが悪い。
それが、鉤爪や、そこだけ嘴ではない口から牙をむき出しにして、ペスに突き立てようとするのだ。
『ガオオオーンッ!!』
キメラが咆哮をあげながら、巨体でハーピーたちを跳ね飛ばす。
まとわりつくハーピーを、前足で叩き落とす。
こちらに近付こうとする群れには、ドラゴンの頭が炎を吐きかけ、牽制する。
山羊頭は冷静に周囲を伺っているようだ。
後方の警戒をするはずの蛇が、俺を固定する方に回っているから、山羊が後ろを担当しているのかも知れない。
『メェッ』
山羊頭が鳴いた。
なにか来る。
そう聞こえる。
俺は山羊頭が見つめる方向に身を捩ると、魔銃を向けた。
「やらせねえよ!!」
そっちからは、違った姿のハーピーが近づいてくるところだった。
こいつは、頭だけが人間みたいになっていて、他は大きな鳥の姿だ。
でも、鳥に近い形だけに猛烈に速い!
キメラの脇腹を突こうと突っ込んできたのだ。
そこへ、俺の魔銃が火を吹いた。
ばら撒かれた弾丸が、飛び込んでくるハーピー達に突き刺さる。
モンスターはギャアギャアと叫びながら、撃ち落とされていった。
数は多いが、やれないことはない。
「クリス君! 避けて避けて!」
メリッサの声がかすかに聞こえた。
俺はギョッとする。
声が判別できる地上付近まで、ハーピーの群れごと俺たちは近づいていたのだ。
ダリアとヨハンの矢が、ハンスの魔法がこちらまで届く距離だ。
「ペス!」
『ガオーッ!』
キメラの翼が強く羽ばたき、群がるハーピーを押しのけながら無理やり上昇した。
その後に、地上から放たれた矢や魔法が飛んでくる。
ペスの足元で、矢じりを受けたハーピーが落下し、炎の魔法が炸裂する。
「危ねえ……!!」
どうやら、ここからは仲間たちとハーピーの勝負のようだ。
敵は数こそ多いけれど、一羽一羽はそこまで強くない。
ただ、自在に空を飛ぶから、死角からの攻撃には注意だ。
そう思っている間に、地上から筒を使って俺を見るメリッサの背後に、ハーピーが迫る……!
「メリッ……!」
彼女の名前を呼ぼうと思った。
次の瞬間には、振り返ったメリッサが、筒でハーピーを殴り倒していた。
筒がちょっと曲がっている。
強い。
だけど、きっとハンスは泣く。
『ガオガオ』
「ああ、分かってる。今は下を気にしてる場合じゃないよな」
俺は空を仰ぐ。
そこには、一羽だけはぐれたハーピーが、じっと見下ろしてきているのだ。
真っ青な光を纏って見える、美しい黒の羽色をしたハーピー。
俺の手の中で、魔銃が熱を持って光り始めていた。