君の名は?
「えっ、なんて?」
俺は思わず聞き返していた。
だって、なんだかとても不穏な単語が聞こえた気がしたからだ。
彼女はこれに、一瞬考え込んだ。
多分、俺がどこから聞いてなかったのかを考えたんだと思う。
そして出した答え。
「私は、闇の女神教団の司祭ドゥリエル。ここで会ったのも間違いなくキータスのお導きでしょう」
さっき聞いたのと寸分違わない言葉を放ってきた。
「いや、君の名前を聞いたわけじゃなくてさ。その闇の女神って一体……?」
そう言えば、光の神ユービキスが、闇の神キータスの話をしていた記憶がある。
闇とはまた物騒な響きだけど、邪神と比べれば真っ当な神様なのかもしれない。
ドゥリエルは俺の質問に、うんうん、と頷いた。
一見すると、漆黒の髪と瞳に真っ白な肌。繊細な容姿をした彼女だけど、見た目どおりの人物ではないことくらいは、俺にも分かる。
彼女は目を輝かせながら俺に詰め寄る。
「よくぞ聞いてくれました……!! キータス様こそは、我ら魔族全てを統べる全能の……あいや、割と権能のある女神様なのです!」
「ちょっと言い直した?」
「大げさ過ぎると、キータス様はとても嫌な顔をなさるので」
まるで闇の女神本人と知り合いみたいな物言いだ。
とにかく話が長くなりそうだったので、俺は彼女を宿に誘った。
宿の一階は、カウンターとラウンジの他に朝食を取れるビュッフェがあるのだ。
高級な宿だけあって、料理が所狭しと並べられたテーブルから、希望の食べ物を選んで食べる。
一応食事には、宿泊チケットを見せる必要があるけれど、別に料金を払えば宿泊していない人でも食事はできる。
「な、なんとぉー!!」
俺に連れてこられた彼女は、目の前に広がる料理の山に目を丸くしていた。
「ま、まさかこれは、焼いただけの料理だったり、ごった煮にしただけの料理だったりしない、ちゃんと調理されている料理……!? はわわわわ、魔王の支配から解き放たれて六年、まさかこんな素晴らしい美食する機会に恵まれるなんて……! キータス様ごめんなさい! ドゥリエルは御身よりも早く美味しいお料理をいただいちゃいます! イヤッホーウ!」
「待って待って! ステイステイ! まずは服装! その真っ黒なローブは怪しいからね? 金は俺が出してやるから、ローブを脱いできちんとした格好になる」
「……ローブは闇の女神教団の正装ですのに」
「ええと……、ほら、その場に相応しい服装ってあるだろ? 教団ならローブが正装だけど、ビュッフェではみっともなくない程度の、普通の服装が正装なんだ」
「な、なるほどぉー」
やたらと感心したみたいに、ドゥリエルは何度も何度も頷いた。
そして、ローブを勢いよく脱ぎ捨てる。
その下には、思ったよりも質素な麻のワンピース。
村娘って感じだ。
俺はローブをカウンターに預けると、彼女を伴ってビュッフェに入った。
ドゥリエルは、山盛りの野菜を皿に盛ってきて、これでもかとドレッシングを掛けてからむしゃむしゃと頬張り始める。
「肉じゃないんだ?」
「海の上では新鮮な野菜は手に入りませんでしたから! もうお漬物は懲り懲りですよう! ひええ、この葉野菜のシャキシャキしていること……!」
このビュッフェには、ドゥリエルの話を聞くためにやって来たのだけれど。
彼女が満足するまで、話を聞くことはできなさそうだ。
さて、それじゃあ俺も、飲み物を何か持ってきて……と思った時だ。
すぐ隣に、ドカッと肉やパイ、野菜炒めなどが山盛りになった皿が幾つも置かれた。
そして、俺の前にはジョッキいっぱいのレモン水。
「まさか……」
「クリス君もご飯食べに来てたんじゃない。水臭いなあ。私も呼んでよー」
当たり前みたいな顔をして隣に腰掛けたのは、メリッサだった。
彼女の目が、サラダの山と格闘するドゥリエルに注がれる。
闇の女神教団司祭もまた、視線に気付き、顔を上げた。
口の周り中にドレッシングがついている。
メリッサはおもむろに、ドゥリエルに向けて身を乗り出した……!
や、やめろメリッサ、闇の女神の信者だが、彼女に罪は……!
「口の周りベトベトじゃないー。でも分かるなあ。船で旅してくると、お野菜恋しくなるんだよねえ」
メリッサが、手にしたナプキンでドゥリエルの口周りをごしごしと拭いた。
ドゥリエルはされるがままだったが、すぐにメリッサを見て眼を輝かせる。
「分かりますー!? っていうか、そう言う貴女はもしや、英雄メリッサ様では!? きゃーっ! キータス様のマブダチにして勇者一行でただ一人の女性! 憧れてましたー!」
なんだなんだ!?
ドゥリエルがメリッサの手を取って、きゃっきゃとはしゃぎ始めた。
「メリッサ、知り合い……?」
「うん、直接彼女を知ってるわけじゃないけど、闇の女神とは友達なの。あと、一応勇者のパーティには私以外に二人女性がいたんだけどな。まあ、マリエルさんは人魚だし、あの人は女性を越えた何か別の何かだし」
なるほど。
これを聞いて、俺はちょっと安心した。
メリッサが友達だというくらいなら、闇の女神はその名前の響きほど物騒な存在ではないのだろう。
「だけど、クリス君も隅におけないなあ。私をペスに任せてる間に、外で女の子を引っ掛けてくるなんてねえ……」
「やっ、断じてそんなことないぞ! えっと、俺はそういうつもりでドゥリエルを連れてきたわけじゃなくてだな。外で彼女が兵士に追いかけられてたから」
「はい。この方はクリスさんと仰るのですね? クリスさんに手を引っ張っていただいて、私は助けられたのです! これはもう、運命の出会い……!」
「ほうほうほうほう!」
「待て待て待て待てー!? 手を引っ張って逃げたのはドゥリエルの方だろー!?」
いかん、彼女、ナチュラルに俺をはめに来る。
俺はここで、話題を転換することにした。
「そう言えばメリッサ、ペスは……」
「ふっふっふ、あっという間に追いついて、喉の下を撫でて無力化してやったわ」
「小型化してるとはいえ、キメラを猫扱いとは……」
メリッサ、味方ながら恐ろしい女性だ。
ともかく、俺はメリッサに補足説明してもらいながら、ドゥリエルの話を聞いた。
闇の女神教団の教義は案外まともで、人間が人間らしい暮らしをすること、その上で無理をせず、ほどほどで満足することを主としていること。
それから、相互の助け合いみたいなものを勧めていて、邪神教団の平等信仰をもっと現実的でソフトにしたものだった。
「邪神バラドンナに関しては、キータス様が一度仰ったことがありますね。“キャラ被りの法則”とかで、それが嫌なのでバラドンナを封印したとか。いえ、それだけじゃないとは思うんですけど」
ただ、現時点で闇の女神教団は、邪神教団によく似てしまっていることは確かだ。
バブイルでは結構警戒されてしまうかもなあ。
「メリッサ、どうする?」
「うーん、正直、闇の女神教団の教徒はみんないい人だし、私は協力してあげていいと思うな。ちょっと見た目が怪しいことだけが玉に瑕ね」
ちょっとどころじゃなく怪しいからな。
ドゥリエルは、額に角が生えているのに隠す気配すら全くないし。
「だって、生まれながらに持った個性ですから! 個性を恥じて隠すのは不幸なことだとキータス様は教えておられます」
うん、それを聞くと、闇の女神は良い神様なのだと分かる。
「ただねえ」
メリッサが難しい顔をした。
彼女の前にあった、料理山盛りの皿はいつの間にか空っぽ。
いつ食べた……!?
「もうすぐね、国王選挙が始まりそうなのよ。今の王様、病気で長く臥せっていらっしゃるんだけど、いよいよ容態が良くないんだって。ドゥリエルさんたち、他の選王侯家から手出しがありそうで気になるなあ」
「王様が変わるのか……!」
国王選挙。
数十年に一度行われる、バブイル選王国最大のイベント。
目の前に居る闇の女神教団の少女は、間違いなくこの選挙に大きく関わってきそうだと、俺も思うのだった。




