闇の女神教団、上陸
バブイルの港に、大きな船が横付けられていた。
いや、これを船と呼んで良いものか。
その大きさは小さな都市ほどもあり、長い船体の上には街がまるごとひとつ載っている。
漕ぎ手らしき者はどこにも見えず、風を受ける帆も無い。
巨大な船体の後方両側には、やはりとんでもなく大きな車輪のようなものが取り付けられており、これがひとりでに回って水面を掻き分けて進む。
船の尻にはやはり大きな煙突があり、そこからはもくもくと煙が上がっていた。
「とうちゃくー。長い船旅も終わりですねえ」
黒髪の少女が、船から降り立って大きく伸びをした。
首からは、美しい女性を象ったペンダントを掛けている。
これは、彼女が奉じる神の姿。
女神キータスを祀る、闇の女神教団、その大司祭こそが彼女、ドゥリエルだった。
よく見ると、彼女の額からは二本の角が生えている。
魔族なのだ。
「さあ皆さん! 素晴らしき闇の女神の教えを、この新しい世界にも広めていくのです」
「おおー!」
『闇の祝福を世界に!!』
降り立った、漆黒のローブを身に着けた一団から一斉に声が上がった。
「うんうん、頑張って来な! 大神官ウェスカーの名前を汚すんじゃないよ、あんたたち!」
見送るのは、すらりとした体躯の女丈夫。
真紅の布で頭を包み、編み込んだ髪を背中に垂らしている。
アナベルという名の、この船の船長だ。
「ええ、もちろんですとも! キータス様の教えは、“無理せず、ほどほどで、仲良く暮らす”もの。あくせく働く人間たちの世界には、一番必要とされているものですからね! ウェスカー大神官様も、きっとお喜びになることでしょう!」
二人は笑顔を交わしあうと、別れることになる。
巨大な船は、大量の交易品を港に下ろし、荷物を詰め込み、翌日にはバブイルを発つことになる。
戻ってくるのは、半年ほど後。
闇の女神教団は、この新天地に残り、信仰を広げていくのである。
△▲△
バブイルの第一階層は、ギスギスとした空気に包まれている。
つい先日起こった、邪神教徒の反乱。
バブイル選王国を揺るがしかけたこの事件は、第一階層から始まったのだ。
第二、第三階層を制圧した暴徒の群れは、バブイルの国民の多くが住む第四階層へとなだれ込んだ。
この時点で多くの犠牲が出ていたが、第四階層から上の民は気付いてはいなかった。
故に、この襲撃は突然としか思えなかっただろう。
暴徒の群れは魔導エレベーターから、次々と運び出されてきた。
暴力と憎悪に満ちた群れは、平等を叫びながら第四階層を舐め尽くしていく。
第四階層の陥落は時間の問題だと思われた。
選王侯家、メルクリーとゴールディの兵士たちが対応したが、敵は多勢に無勢。
武器らしい武器を持たない群衆であるはずの敵に、兵士たちは押し込まれた。
それはそうだ。
敵は、どう見てもただの民衆。
それも、貧しい暮らしをしていた第一階層の民なのだ。
棒きれや石を握りしめて、それでも狂気に満ちた目で襲いかかってくる人々。
倒しても倒しても、後から後から押し寄せる。
一瞬でも戸惑ったり、逡巡すればその地域は暴徒に塗り潰された。
だが、反乱は止められた。
第四階層の街の中で、モンスターを見たものがいる。
それは翼の生えた馬であったり、八本足の巨大な馬であったり。
さらに、異形の魔銃を使う若き魔銃使いがいたという。
暴徒から現れた大神官、それがモンスターに変じ、これを魔獣使いが次々に打ち倒した。
そして最後に現れたのは、邪神そのもの。
これの前に、とびきりのモンスターが現れる。
その名はドラゴン。
バブイルでは伝説の中にしか名を残さぬこのモンスターが、邪神を追い詰め、バブイルの外まで押し出した。
そして空中戦。
邪神は倒され、暴徒は精神的な支柱を失って散り散りになった。
僅か数日で、邪神教徒の反乱は終わったのである。
「……という事で、とても監視の目が厳しくなっているそうです」
教団の信徒が告げた言葉に、司祭ドゥリエルはうんうんと頷いた。
「もっともですね。邪神なんて恐ろしい。確かに邪神が唱える平等は理想ではありますけれど、誰もが同じ地位と価値観を共有しては、社会はままなりませんね。みんな違ってみんないい。違いを許容した上で、各々の立場で幸福を追求できる世界こそがキータス様の理想!」
おおーっ、と歓声が上がる信徒たち。
黒衣の一団が、どよめいているように見えてとっても見た目が悪い。
「キータス様ばんざい!」
『ばんざーい!!』
「闇の祝福を世界に!」
『闇の祝福をゥ、世界にィ!!』
うわあーっと、盛り上がりに盛り上がる、教団の一同。
これが目立たないはずがない。
「お、おいそこ! 怪しげな一団! 何をしてるー!!」
第一階層に配備された見張りの兵士が、慌てて駆けつけてきた。
集団だ。
「やばいですよ!! 皆さん、ここはずらかります!!」
『はいっ!』
一糸乱れぬ動きで、全力疾走し始める闇の女神教団一行。
彼らの布教はまだ始まったばかりだ。




