老人と少年
老人視点での少年への言葉です。
やぁ、どうしたんだい?
そんな悲しげな顔をして、何があったのかね。
人との別れが辛い?
そうか、では少し聞いておくれ。
人と出会うこと、それは約束された別れとの始まりであるということ。
誰かと出逢えば、それが長く続いたとしても決定的な別れは必ずやってくる。
その時、笑えるのか、泣き崩れて動けなくなるのか、はたまた何事も無かったかのように過ごすのか。
それはその人と過ごした時間や関係によるものだと思う。
濃密な関係であれば、泣き崩れることもあるだろう。
そして、すべてに満足した関係であれば、笑って送り出せるだろう。
無関心の相手ならば、何事もなく過ぎ去るだろう。
人は誰しも違っていて、1人1人がすべて自分の人生を歩いている。
その人生という道が交差したり、合流したり、離れて行ったり、行き止まりであったりすることが出会いや別れなのではないかと。
では、永遠の存在はあるのかだって?
なかなか難しい質問をしてくるのだね。
私は有限の永遠は存在すると考えている。
矛盾した言い方になってすまないね。
人は二度死にゆくという話を聞いたことがあるだろうか?
一つは肉体としての死であり、一つは人の記憶から消えるということ。
人の記憶から消えなければ、永遠はあると思う。
何が言いたいかって?
簡単な話だ。
生きるということを諦めなければ、人は1人ではないということ。
どこかで誰かが必ず、君を見ている。
それは今知ることが出来なくても、必ずいるんだ。
意外と身近にいるかもしれない。
遠く離れた場所にいるかもしれない。
なんだか難しい話になってしまったね。
簡単に言ってしまえば、さよならだけが人生さ。
この言葉では君を癒すことは出来ないだろう。
でも、よく考えてほしい。
そのさよならを、より良いものにするのかどうかは君にかかっているということを。
この先、君にとっての幸いが多くあらんことを願っているよ。
私にもだって?
私はいいのだよ。
君が幸せであるなら、この話を聞かせたかいがあるというものだ。
君は歩みを止めることなく進めばいい。
君はまだ若いのだ。
多くに出会い、多くを感じ、多くを得ることが出来るだろう。
私は見守ることしか出来ないのだからね。
さあ、立ち止まる時間はおしまいだ。
少年よ、おいきなさい。
若輩者が人生を語るなとお叱りを受けそうですが。
別れとは何かを考えていたらこんな感じになりました。