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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第一章:魔王降誕編
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#9 罠の仕掛け

 夜明け前に宿に帰り、商人を柱に括りつけている紐を解く。

 そろそろ目を覚ます頃合いだと計算していたが、まだ僅かな差で目を覚ましてはいない。噛ませてあった猿轡を外すと、彼は商人の頬を叩き、覚醒の一助とした。


「う……」

「起きろ。よぉく眠れたか? 仕事だ」

「…………うぅ」

「俺の言うことはわかるな?」

「……う」


 商人が首肯したのを確認。

 彼は懐から紙と筆記具を取り出して何やら書き付けると封筒に入れ、蠟を垂らして指輪を押し付けた。


「いいかぁ、お前の仕事は郵便配達人だ。簡単な仕事だろ」

「……うヴ」

「宛先は誰でもいい、皇室のクソどもだ」

「…………」

「あんだよ。……ああ、差出人? 封蝋を見りゃわかんだろぉよ」


 商人が押し付けられた封筒には――アレクサンダグラス皇宮の家紋が、蠟に封されている。


「もうすぐ日が明ける。そうしたら行って来い」

「…………うぅ」

「なんにも怖いこたねぇよ、お前は俺が築く『在るべき真世界』の礎になるだけだ」


 彼は商人を立ち上がらせると、額に右手を翳す。ちょうど先程封蝋に使った指輪が商人の眉間に触れた。


「少し力を『返して』やる。うまくやれよ」

「……う、あ、仰せの、ままに……!」


 彼がこの宿屋に再び姿を見せることはなかった。


 ★


「あの、もしやマリストア様ではございませンか」


 イスマーアルアッドと別れ、教会から自身の居室に戻る途中のことだった。天空回廊を足早に歩いていると、不意に窓の外からかかる筈のない声がやって来た。

 マリストアは不意の声に思わず硬直。悲鳴を上げることもできず、ただ視線を声の主に向けるだけで精いっぱいだ。


 そこには東洋系の顔立ちの男がいた。明らかに皇宮の召使、あるいは騎士ではない。

 人の良さそうな笑顔が、余計にマリストアの背筋を凍らせる。


「マリストア様? どうかなさいましたか?」


 マリストアが突然立ち止まったことに、彼女の斜め四方を囲む形で固めていた護衛の騎士が怪訝な声を掛ける。

 護衛騎士が彼女の異変に気付いて声を掛けた瞬間には、窓の外にあった不審な男の姿はなくなっていた。

 慌てて窓の傍に駆け寄るも、人影どころか猫の子一つ見えない。それどころかここは天空回廊、はるか下に地上が見えるのみで窓の周りには足場すらないのである。

 ……あの男は、いったいどうやって窓の外に――?

 この頃に至ってようやく迫り上がってきた悲鳴を、マリストアは必死に喉元で殺す。


「マリストア様!?」

「いえ。……いいえ、大丈夫よ。過敏になりすぎていたみたい、窓の外に人がいるなんてそんなおかしなことがあるわけないもの」

「窓の外にですか? おい――」


 護衛の騎士が他の騎士に指示を出して窓の外を調べさせるが、調べた騎士は、やはり足場もなく、こんなところに人間がいるなんてことは絶対にありえないと断言。

 

「ええ、ごめんなさい。私の見間違いだったようだわ」

 

 イスマーアルアッドの教会を出る前までは自分にもできることはあるはずだ、なんなら自分で父を殺した商人をとっ捕まえてやるくらいに息巻いていたマリストアであったが、すっかりその気は失せてしまっていた。

 

 その後は特に何事もなく無事に居城に戻る。ほっと一息ついた彼女がベッドに身を投げ出すと、彼女の部屋付きの召使たちが寄ってきて靴を脱がしたり、服は着替えるか、髪に櫛は通すかなどと甲斐甲斐しくマリストアに尽くし始める。

 その中の一人が問う。


「お茶はどうされますか」

「今日はここに持ってきてちょうだい」

「珍しいですね、窓辺に行かれないのですか」

「…………なんとなく、そんな気分じゃないのよ。そんな時もあるでしょう」


 ★


 とある事件の犯人を追っている――と、商人の特徴を聞いて回ったところ、イスカガン東にある噴水広場でトゥルバドゥールに投げ銭をやっていた、学院傍で見た、という目撃証言を得ることができた。

 まずメイフォン率いる捜索隊が向かったのは、より最近の目撃情報のある学院傍だ。この証言を寄越してくれたのは学院所属のある中年学者で、彼により詳しい話を聞きに行くのである。


「ええ、はい。一週間と少しくらい前にええと……そうですね、マリストア様とニールニーマニーズ様が大食い対決を為された日に、私はちょうどその対決の野次馬の一人でした」


 捜索隊のうちの一人が紙に筆記具を走らせるのを横目に見つつ、メイフォンは話の続きを促した。

 彼女は普段騎士団の仕事に直接関わることはないが、皇族であることを抜きにしても他の騎士たちから一目置かれている。統帥権を持つアレクサンダグラスがそう望んだため、実力が物を言うのである。


「対決が終盤に差し掛かったころ――ええそうです、料理の皿の一枚目を平らげるまでお二人とも秒読みとなったころです。その時、この男が私に声を掛けてきたのです」


 その時この男はどのような様子であったか? メイフォンは問う。


「至って人当たりのよさそうな男でしたよ。なんというか虫も殺さぬ――と言いますか、とにかく優しそうな笑い方が妙に記憶に残っています」

「他には何か無かったか?」

「そうですねぇ……特には。他に会話した内容としても、この街に来て日が短いようでしたので、アイシャ様、マリストア様、ニールニーマニーズ様のことを御紹介させていただいたくらいです」

「そうか。協力感謝する。時間を取らせて済まなかった」


 そう言って撤収しようとした捜索隊たちに、控えめに中年学者は声を掛けた。

 何の気もない、本当にただ気になった疑問を口にしたのである。


「あの、彼が何か事件に巻き込まれでもしたのですか?」

「私の父を殺したのだ」


 自身の発言の過失に気付かず、メイフォンはさっさと踵を返してすでに半分くらい去ってしまっている。あまりに自然な身の熟しに気付くのが一瞬遅れた捜索隊の他の騎士たちが騒然として、


「え!?」

「メイフォン様!? そ、そう、ちち、ちち、えっと乳を、お乳をですね、彼の男がメイフォン様のお乳をこう捏ね繰りまわすというかえっと、そう、ほとんど殺すような勢いで――皇室の名誉に関わることである、他言召されるな」一瞬で抜き放った剣を中年学者の首元に突き付け、若い騎士が言う。

「い、いいいい言いません! 絶対に言いませんとも!」


 何とかなった。


 ★


 続いて向かったのはイスカガン東部にある噴水である。

 移動の傍ら、メイフォンは捜索隊の騎士たちにくれぐれもアレクサンダグラスが死んだことは市井の民に漏らしてくれるなと厳しく言い含められていた。


「いや、ついうっかり」

「うっかりで寿命が縮みましたよ……!」

「まあそう言うな。次から気を付けよう」


 噴水周りには、現在トゥルバドゥールは居ないようである。

 近くに露店を出していた者に話を聞く。


「ここにトゥルバドゥールはよく来るのか。あっ、焼き鳥一串」

「トゥルバドゥールですか? だいたい二日に一回くらいの頻度で噴水の傍に腰かけて唄っているのを見ますよ。あっ、毎度あり、銅貨二枚で結構です」

「今日は来る日か? ……これで」

「昨日は見ていないので、まあ多分来ると思いますよ。もうそろそろですかね。……はい銅貨二枚、確かに。よろしければどうぞ騎士団の皆様も。いつもありがとうございます」

「むっ、そうか。ありがとう」


 言ってメイフォンは露店の店主から焼き鳥の串を人数分受け取り、騎士団制式鎧の隠しに入れていた数枚の銅貨をすべて取り出すと追加で手渡した。


「こんなに受け取れませんよ!」

「情報量も込みだ、取っておけ」


 店主にもう一度礼を言うと、ちょうどその時通りの奥からトゥルバドゥールが歩いてきたのが見えた。派手な羽飾りの帽子と担いだ弦楽器、間違いない。

 メイフォンは足早に彼に近づく。


「少し話を聞かせてくれ。貴様はよくこの噴水で唄っているトゥルバドゥールか?」

「みかじめ料でしたらお支払いいたしますので、どうか暴力だけはおやめください」


 声を掛けた瞬間平伏した詩人の身の熟しを見て、なかなかやるななどと思いつつメイフォンは彼に立ち上がるように言う。


「何も所場代を取り立てに来たわけじゃない。この男の目撃証言を寄越したのは貴様だろう。ちょっと聞かせてほしい話があったから聞きに来ただけだ」

「そ、そうなんですか。これは早とちりをいたしまして、どうもすみませんでした」


 ★


 こんなところでずっと唄ってはいるが、投げ銭を恵んでくれる人はめっきり少なくなった、という風に詩人は口火を切った。


「だから覚えていますよ、ええ、ちょうど二週間くらい前ですかね。明らかに他所からやって来た、あれは商人さんですかね、そのような感じの人の良さそうな男性が、私の帽子に銅貨を入れてくれたんですよ」

「他に何か変わったこととかはあったか?」

「いいえ特には。一瞬だけ立ち止まって投げ銭をくれた後、すぐにどこかに立ち去ってしまいましたからねえ。ほんの数秒くらいしか見ていませんし、言葉を交わしてすらいません」

「そうか。手間を取らせたな」


 大した収穫はなかったが特に落胆した様子も見せず、彼女たち捜索隊が撤収しようとすると、トゥルバドゥールの男は揉み手をしながらメイフォンに言った。


「ところでメイフォン様、私は詩人、歌を歌ったり話をしたりすることで口に糊するしがない男です。どうかお心だけでも――」


 彼女は鎧の隠しに手を入れた後に先程露店ですべて支払ったことを思い出し、逡巡した後手にした焼き鳥串を吟遊詩人の口に突っ込んだ。


「申し訳ないが今手持ちがない。これで口に糊してくれ。……行くぞ」


 ★


 目が覚めてから、己がいつの間にか眠ってしまっていたらしいことを知る。体を起こすと寝巻きに替わっていた。大体脱いで寝るので、このようにたまに着ると変な感じがする。


「喉が渇いたわ」

「かしこまりました」


 マリストアは茶の入ったコップを受け取ると、両手で包む。メイフォンの母方出身国の特産品で、美しい陶器の器はマリストアのお気に入りだ。

 そもそも茶というものがスーチェンの特産品である。彼女は茗を好んで飲んだ。原産地では薬としても飲まれているらしい。頭がすっきりするので物思いにふけるのにちょうど良い。

 熱い茶を少しずつ口にしながら、ふと窓の外に目線を送る。


「私はどれくらい眠っていたの?」

「数十分程度です」


 窓の外はまだまだ明るい。

 少しとはいえ眠ったことで、昼間窓の外に男が見えたことが夢であったような気がする。

 常識的に考えて、あんなところに生身の人間がいるはずもない。マリストアは幽霊の類は信じていなかった。なお、信じていないこととそれを怖がることとはまた別の話であり、アイシャなどには幽霊が怖いからそんな者は居ない、信じていないとマリストアが強固に言い張っていることを見抜かれている。

 

「ねえ貴女たち。幽霊っていると思う?」


 マリストアは少し離れた場所に控えている召使たちに、そんな疑問を投げかけた。気まぐれの生んだ問いである。


 ★


 突然の問いかけに、マリストア付きの召使たちはひそひそと囁きあった。


「マリストア様ったら、アレクサンダグラス様のことをお偲びなさって……」

「もしや幽霊という形ででも会いたいと、そういうことなのではないですか!?」

「いやいやマリストア様に限ってそんな、いやいやあり得ませんって」

「気丈に振舞ってはいますけれど、マリストア様も御父上が亡くなられて本心では寂しいのでしょう……ここは私にお任せください」


 いつもマリストアに茶を淹れる係の、東洋出身の召使が名乗りを上げた。


「マリストア様。アレクサンダグラス様はまだ、マリストア様の心の中で生きていますよ」


 ★


 商人は、マリストア居室の窓の外にいた。外壁のわずかな出っ張りに足と手を引っ掛け、なんとか張り付いている。

 与えられた役目は、アレクサンダグラスの皇子皇女の誰でも良いから書状を渡すこと。

 すでにそれがなぜであるかを考えるほどの思考力を「彼」から取り上げられているのだが、とにかく自分がこうして皇宮にいることが誰かに見られると拙いということだけは理解していた。

 誰でもいい中からマリストアを選んだ理由は一番早く見つけたからでしかなかったが、こうして商人は窓に張り付き、マリストアが傍まで来ることを今か今かと待ちわびていた。

 先程廊下で彼女を見かけたときには手渡すことに失敗してしまったので、建物の外を伝って後を追って来たのだ。


 窓枠の隅から慎重に中を覗いていると、眠りから覚めたマリストアが体を起こしてこちらに目線を送ったところだ。いいぞ、そのまま近づいて来い、と商人は逸る心をなんとか落ち着かせる。

 するとマリストアが窓――すなわちこちらとは反対側に視線を向けて、何事か言った。もしかして気付かれたか、と耳をそばだてて中の音を拾う。

 召使たちが何やら言葉を交わしているが、細かい内容は聞き取ることができない。そのうち一人の召使が小さく挙手するとマリストアに向かって、


『――アレクサンダグラス様はまだ――――――生きています――』


 そう言った。


「――なっ、なン……」


 確かに己の耳はそう聞き取った。思わず声を漏らしてしまい、慌てて口を押さえる。当然城壁を掴む両手でそんなことをしたせいで、身が中空に投げ出される。

 しかし己の身の危機にもかかわらず、商人はこうしてはいられないとむしろ城壁を蹴り、勢いをつけて飛んだ。

 「彼」の居場所は何となく感じることができる――急いで伝えなければならない。

 アレクサンダグラスは、まだ生きている。


 ★


 茶を淹れるのが得意ということで、メイフォン付きの召使から自分付きに替わってもらった東洋出身の召使が言った言葉は、マリストアにとっては完全に話の繋がらない内容であった。


「えっと……あっ、ごめんなさい、どうやら勘違いさせてしまったみたいだわ」


 幽霊を信じるかどうかという話をいきなりしたものだから、アレクサンダグラスを寂しがっているのだと勘違いさせてしまったことに気付く。どう考えても時期が悪い。

 そうじゃなくて、とマリストアは言い、ついでに空になったコップを召使に渡した。


「私は今まで幽霊なんて信じてなかったんだけど、どうも信じてもいいんじゃないかと思えることがつい一時間ほど前にあったのよ」

「失礼ですがマリストア様――寝呆(ねほう)けておられるのではないでしょうか……?」

「本当に失礼ね!」


 マリストアは身振りで二杯目の茶を要求した。

 ……そうよ、幽霊なんているわけないじゃないの馬鹿馬鹿しい。あれは夢だったのよ、夢!

 茗は茶の種類ですね。遅く摘んだ奴です。ぶっちゃけ番茶です。封氏聞見記校巻六「飲茶」を読んでるときにへえそんな言い方するんだって思いまして。早く摘んだ茶葉は「茶」ですけど、遅く摘んだ茶葉は「茗」なんだそうです。


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