#8 皇国の方針
第一容疑者である東方出身の商人を捕まえ、恐らく彼が盗んだと思われるアレクサンダグラスの遺書を確認するまで、皇帝代理という形で一時的に、イスマーアルアッドがこの国の最高権力を握ることには多くの大臣からも承認が出た。
しかし皇帝が殺された、ということをそのままの形で公表するか否かということには、賛成と反対の立場で完全に真っ二つに意見が分かれることとなった。
賛成の立場に立つ者は、国民に嘘を吐くことは不誠実であるし、現状皇帝殺しの犯人は捕まっていない。また、彼を捕まえ口封じするまでは、いつどこから皇帝が殺されたという噂が流れるか分かったものではなく、その場合民からの信頼を失うことになる、と主張した。
それに対し反対派では、皇帝が殺されたなどといえば国民の不安を煽ることになるし、その上同盟という形ではあるものの、事実上支配下にある他の国――特に八大国のうちイスカガンを除いて七大国が利権を狙って介入してくる可能性が非常に高い。民からの信頼を失うのもそうだがそれ以上に他国の介入が一番拙い、即刻犯人を見つけて口を封じるべしと主張した。
アレクサンダリアは地方分権国家であり、すなわち皇都イスカガンを統べたアレクサンダグラス直属の大臣たちは皆旧イスカガン国出身者で構成されている。彼らの中には、イスマーアルアッドをはじめ他の皇子皇女誰でもが次期皇帝、あるいは皇帝代理となることで、彼らの母方の出身国が介入することを恐れる意見もあった。すなわち反対意見の中核を占める意見「他の七大国からの介入」は絶対にあってはならないという意思に基づく意見である。
この他国からの介入を忌避する声自体には非常に多くの賛同の声が上がったものの、実際問題次の君主が空位というのもそれはそれで都合が悪い。最終的にはアレクサンダリアを構成する国々から承認を得る形にはなるだろうが、とはいえどこかの国が有利になるようでは困るのだ。針の穴を通すような繊細な均衡でようやく成り立った戦争なき時代なのである。この均衡が崩れるようなことがあれば何が起こるか――想像通りいかないであろうことはそれこそ想像に難くないし、最悪の場合、また戦乱に明け暮れる災厄の次代が再来する可能性も充分にあり得るだろう。
君主の空位は、それはそれで七大国からの横槍が入る可能性もある。だとしたら、アレクサンダグラス殺しの顛末が確定するまでは今まで通り大皇帝存命ということにして、実務を誰かに担わせるのが最良であるように思われた。
この合意に従って、誰が皇帝代理になっても拙いことには変わりがない以上、皇子皇女で一番年上のイスマーアルアッドが皇帝代理になるという形で一旦決まった。実務的な能力を鑑みて当然の結果ともいえた。次点ではニールニーマニーズの名が挙がったが、いくら何でも年若すぎる。
目下の課題としては、より迅速に、アレクサンダグラス殺しの下手人を捕まえること及び遺書の確保が位置付けられた。この会議が終わり次第騎士団から精鋭を選抜し、捜索隊を組んで容疑者探しと遺書確保に当たらせる。
また、アレクサンダグラスが日中行っていた謁見はしばらく病により休止という形にした。箝口令は城の内部、城内に暮らす人間に例外なく敷かれ、彼らは少なくともことが落ち着くまで皇宮から出ることの禁止が決められた。
そしてアレクサンダグラスの死は、国民にはしばらくひた隠すということで最終決定と相成った。
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『彼らには……その、控えめに言って、人の心というものがないのでしょうか』
『こら、不謹慎だぞ。私しかいないとはいえ、なんてことを申すか』
『しかし、普通肉親を亡くした子供たちがあのように冷静で居続け、その上国の行く末を淡々と話し合うだなどと、おかしいとは――』
『君、君。まあそうは言うな。アレクサンダグラス様は偉大なる大英雄だった。そうだろう』
『はい、それはその通りです。間違いありません! ですが、それが――』
『ああ、だからこそだよ。彼は建国の父、そしてアレクサンダリア全体の父であって、子の父ではなかった。それだけの話だ』
『私からすれば大英雄は上司です。父のような存在ではありましたが、血の繋がりはない。でも、そんな私でも、アレクサンダグラス様が死んだのは悲しいんですよ……!』
ふと気づくと見知らぬ男が二人目の前にいて、このような会話をしていた。
こちらには気付いていないようである。
「何の話をしているの」「お父様が死んでしまったのだわ」
『彼らは強いんだよ。国の未来を考えている。これからのことをしっかりわかっている。表に出さないだけで、きっと悲しんでいるさ』
『それは……そうかもしれませんが』
『いいかね、彼らだって人間だ。血の通わぬ人外であると、そういうわけではない。だから君も、もちろん私も尽力するが、これからのアレクサンダリアのために彼らを支えてやってくれ』
男が二人と、自分たち以外は何もない真っ白な空間であった。
若い方の男が複雑な表情で姿を消し、続いて白髪の男も姿を消す
「お父様って、どんな人かしら?」「知らないわ、ほとんど会ったことないもの」
★
アルファとイルフィが目を覚ますと、窓は黒の色に染まっていた。
昼間、アレクサンダグラスの居室まで行ったのは覚えている。そこには人がたくさんいて、イスマーアルアッドの背後に隠れていたらだんだん気分が悪くなっていって、それで――
「気を失っていたのよ」「不思議な夢を見たわ」
月明かりに照らされた部屋を見渡すと、どうやら自分たちの居室に運び込まれたようだった。
枕元に置いてある紐を引き、召使を呼ぶ。
彼女たちがイスマーアルアッド以外との交流をほとんど持ちたがらないことを弁えていて、召使も必要以上に彼女たちに近づいていくことはない。しかし彼女たちが居室にいるときはつねに扉の前に二人控えていて、いつ呼んでも対応できるようにしていた。
部屋の外から召使が声を掛ける。
「お加減はいかがでしょうか、アルファ様、イルフィ様」
「もう大丈夫よ」「喉が乾いたわ」
「こちらに水差しを用意してございます」
居室の扉の一部が開き、盆に乗った水差しが差し込まれた。
アルファとイルフィは自分たちの体の調子を確かめつつ慎重にベッドから降り、水差しを拾い上げる。
「ありがとう」「もう大丈夫だわ」
「また何か御用がございましたらお申し付けください」
彼女たちは他人と会うことをあまり得意としていない。大体の場合、体調の悪化という形でそれは現れる。そのため、二人が外に出るときは、誰とも出くわさないように居城を出るようにしていた。アルファとイルフィがイスマーアルアッド以外の兄や姉たちから珍獣呼ばわりされているのはそれが由縁だ。
二人は代わる代わるコップに水を注ぎ、喉を潤す。人心地つくと、ベッド横の机に水差しを置き、もう一度眠ることにした。
当然彼女たちの右手と左手は繋がれたままである。
★
ひどく混乱しているようだったので、意識を奪った。
目的の物も手に入ったため長居の理由もなく、商人を担いで退散してきた。
商人をそのままあの場に置いてきても良かったが、一流の王は人材すら無駄にしない。人間を使い捨てにするなんて、それこそ「奴ら」と同じだ。
この人材には、まだ利用価値がある。
対象を一所に集めて一網打尽にするための布石――その中核ともなる役目がまだ。
商人が目覚めていないことを確認。拠点としている場所の柱に括りつけておいて、ついでに猿轡も噛ませた。これで怪しんだ宿の主人が入ってくることもないだろう。
彼はアレクサンダグラスの血が付いた服を新しいものに替える。商人を担いだ時についたものだった。
そして部屋を出ようと扉に向かいかけ、着替えた服のポケットから銅貨を取り出し忘れていたことに気付いて引き返す。
特にこれといった変哲もない、穴開きの銅銭だ。アレクサンダリアで流通している金貨、銀貨、銅貨には同質量で八つの意匠があり、これは東国でよく流通しているものであった。
危ない危ない、と呟き、彼は部屋を後にする。
規則正しい呼吸を繰り返す商人が目を覚ます気配はなかった。
★
マリストアはお気に入りの窓辺で茶の入ったコップを片手に持ちながら、椅子に揺られていた。
もう片方は頬杖をついていて、時折零れる吐息、その悩ましげな表情に召使たちが見惚れているのにも気が付かないその視線は窓の外に向いている。
「マリストア様、お茶を淹れ直しましょうか」
「えっ、あ、いいわよ、気にしないで――冷たっ」
召使に声を掛けられて、反射的に器を口にやった彼女はそこでようやく茶が冷めきってしまっていることを知る。
彼女は朝起きてからかなりの間、こうして窓の外を眺めているのであった。
ただ呆っとしているわけではなく、彼女は長考の海に漕ぎ出していた。昨夜行われた会議の内容について反芻するとともに、これから自分ができることを考えていたのだ。
「決めた!」
マリストアはいきなり立ち上がり、すっかり冷たくなった茶を飲み干すと続けた。
「考えても仕方ないわ! そうよね」
急に話を振られた召使が返答に窮しているうちに、彼女はすでに部屋を出て行ってしまっていた。
……すべての物事が繋がっているとはいえ、いくらなんでも素材がなさすぎるわ。だったら探さないと。
★
イスマーアルアッドが勤勉である由縁は非常時でも礼拝の日課を欠かさない点などにも顕著に表れていた。敬虔な信徒であることは自他ともに認めている。
たとえどのような場合であっても、礼拝欠かすべからず。思考を冴えわたらせ、考えをまとめるための時間でもあった。
と。
その時、教会の扉を蹴破らんばかりの勢いで金色の塊が飛び込んできた。妹、マリストアだ。
「イス! 今暇!?」
イスマーアルアッドには、もはやどこから窘めれば良いのかわからない。
……扉は蹴り開けるものではないことか? いや、淑女が駆けまわるのははしたない……否、そもそも私が今礼拝中であることは彼女とてわざわざ教会を訪ねていることからわかっているはずだろうし、そしてなにより、最近ないがしろにされがちだが礼拝中は決して暇ではない。
暇ではないのだ。
「落ち着きなさい」
「え、ええ、ごめんなさい。……聞いてイスマーアルアッド! いえ、違うわね、聞かせて、かしら」
マリストアは教会の長椅子に腰を下ろすと、靴を脱ぐ。
「……ヒールのある靴で走ると駄目だわ」
当然そんなことを言いに来たわけではないことは自明なので、彼はマリストアに話の続きを促し、
「そんなに急いでどうしたんだい」
同様に長椅子に座る。
「とりあえず私たちはお父様の遺書を見つけなきゃいけないわけでしょう?」
そうだね、と相槌を打つ。
どうやら彼女は、自分にできることはないかと言いたいらしかった。
「マリストア。アレクサンダグラスが殺された。そして十中八九下手人はその時謁見していたことになっている商人だね。これだけわかっていれば、あとは騎士団が彼を探し出して捕らえるのも時間の問題だよ」
「それは……そうかもしれないけれど」
「いいかい、まだ下手人の思惑はわからないんだ。君はどうせ足で事件を解決するとか思っているんだろうけれど、下手に動いて君の身にでも何かがあればどうするつもりだい。下手人の狙いは皇帝を殺すことだけじゃないかもしれない」
「………………」
「というかマリストア、昨晩会議の時に決まったろう。当分君たちは自分の居城から出ないことって」
昨晩の会議で、第一容疑者の商人の姿が見えないことから、遺書如何によっては次代皇帝になりうる皇族の人間はすべて厳重に守りの固められた己の居城から出ないよう決められた。
皇国騎士団の精鋭中の精鋭たちで捜索隊が組まれたため、商人が見つけられるまで数日の辛抱だ。
「でもメイフォンは捜索隊の一人として動いているわ。私も同じように何かできることがあるはずよ」
「メイフォンは例外だよ」
メイフォンは皇族であると同時に、本人の希望で騎士団にも籍を置いている。基本的には騎士団の仕事には従事しないが、有事の際には戦闘に参加する役目を帯びていた。ゆえに今回も、騎士団の中から精鋭を選抜する際名前が挙がったわけであるが、アレクサンダグラスを殺しうる人間を相手にするなどメイフォンの身も危険であるとの声も出た。しかし本人が「私以外に父を殺した人間を相手にするのは無理だろう」という言葉で反対意見を封じたため、捜索隊の一員としてメイフォンも参加している。
……例外は常に存在するからね。十も年上の兄としては情けない話だが、私よりも個人戦闘力で言えば上だ。
彼女の戦闘能力はアレクサンダグラスと比肩する。しかし他の皇族に限って言えば運動すらからっきしな者もいる。末弟と末妹たちがそうだ。余談だがアイシャとマリストアは武術とかそういうのではない、単純に体を動かすことに限って言えば意外と得意としている。
そういうわけで、皇帝代理のイスマーアルアッドとメイフォン以外の皇族は居城軟禁の沙汰を言い渡された。居城に引きこもって建物内を騎士で固めれば、いかに高い戦力を有していても個人ではどうにもならないだろうということである。
ニールニーマニーズはどうせなら図書館に軟禁してほしいと最後まで文句を言っていたが、あまり文句を言うなら私が直接面倒を見ようとメイフォンが申し出た途端に大人しくなった。
そして昨晩から皇族は自身の居城に匿われ、選抜隊以外のすべての騎士たちで各居城を固めている。今はマリストアが居城を出ているので、彼女付きの護衛騎士たちはこの教会の周りを固めていた。
「私も居室に引きこもることに異論はなかったのよ。イスマーアルアッドやメイフォンと違って戦うことなんてできないもの」
続く。
「でも私、事件が勝手に解決するのをじーっと部屋に閉じこもって待ってるなんてできないと思って」
「そうは言ってもね、マリストア。我が儘を言うのはやめなさい。少しの辛抱じゃないか」
★
結局イスマーアルアッドに説得された形で、マリストアは不服ながらもいったん自分の居室に戻ることにした。
……私に何ができるのか、をまず考える必要があるわね。
作戦の練り直しである。
実の父親が殺されているというのに、ただ自分の部屋に閉じこもって事件の解決は他人任せなんて、彼女の性分が許せなかった。
その性分が、彼女に事件解決の糸口を呼び寄せることになる。
すなわち。
「あの、もしかしてマリストア様ではございませンか」
本編に出す気ないので選出理由適当なんですけど、東方出身の商人の名前は「シィー・チンピン」です。