#10 emir
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ペラスコは大陸の南西に位置している。
現在は大荒野になってしまっているが、かつてあの辺りが緑豊かな土地であったころ、ペラスコはその実に半分を占領している超大国だった。それも今は昔。当時実に大陸の六分の一を占めていた国土が、大戦末期に起こった荒漠化により、現在はその九割が失われて大陸南西の沿岸部一帯のみが事実上の領土となっていた。大荒原は営みをおくるにはあまりにも向かず、なおかつ再開発も見込めないのである。
「あ……っついわね」
「うるせえ口を開くな寄るな。俺も暑ィんだ」
ペラスコには税金という概念がない。
ペラスコ市民に対してアレクサンダリア国民税は課されているものの、ペラスコ王家が一括で支払いを代替わりしていた。
金が有り余っている、というのがペラスコにやってきた二人の感想だった。日光を四方八方に反射しまくっている王宮は、なんと総純金製だそうだ。これには、珍しく二人の意見も「暑そう」で一致した。
仮に大陸中の人間が全員遊んで暮らしたとしても三世代程度は賄える以上の金銀財宝を王家が保有している、らしい。滅茶苦茶だ。
「ねぇー飲みに行きましょうよ勇者ぁ、あたし暑いの苦手なのよね」
「一人で行け」
「あー、無理、本当無理になってきた、ねえ本当にあたしがお金出すから。意地悪しないから。それでも駄目?」
「昼間から酒を飲むな」
言うと、チャーリーは崩れた土塀に背を預けて項垂れた。
それを横目に見ながら、勇者は言う。
「お前よォ、俺を手伝う気とかはねェのか」
「あうー」
チ、と舌打ち一つ。
これでも木陰を選んで陣取ってはいるのだ。といっても、日光を遮るためにここを選んだのではなく、身を隠すための場所選びだった。
ペラスコの街並みは、泥を乾燥させた煉瓦によって為っている。一面の白茶けた街並みだ。強い乾燥地帯であるため崩れにくくはあるものの、当然劣化はする。崩れた部分は王家の全面支援によって瞬く間に修築されるが、軽度の崩れ程度であれば放置されていることも多い。
意外なことに樹木はところどころに生えており、それが崩れた土塀に影を投げかけているところが運よくあった。今勇者は上端部がそこを陣取ると土塀の上端から顔を出し、表通りで酒を飲む男を眺めているところだった。太った男だ。樽のような腹を揺らし、同席した市民たちと談笑している。
あの男こそが、ペラスコ前王アルタシャタの弟にして、次期王を孫に持つ者、摂政アミールだ。昼日中から護衛もつけず──見えぬところにはいるのかもしれないが──一般民衆と混じって酒に浸る様は、ペラスコの平和さ、豊かさを象徴している。
「なあ」
「……あによぉ」
視線を落とすと、横倒れになって溶けているチャーリーが見えた。この女、本当に俺より強いのか? 今なら簡単に始末できそうな感じすらある。
溜息一つ。全身から噴き出す汗がいい加減気持ち悪い。
「しばらくここから動きそうにねェし、お前飲み物でも買ってこいよ」
「え? いいの? 本当に? ありがとうあなた良いところもあんのね! 見直した!」
言って店のある通りまで駆け出した彼女の背を見送ってから、勇者は立ち上がった。さて──邪魔者は去った。
と。
勇者がアミールに接触するため塀を超えようと手をついた、その時。
「あの、大丈夫ですか?」
若い女性の声だった。
にこやかな笑顔を意識しながら振り返る。
黒衣の女だった。肌の露出がほとんどなく、唯一露出している顔上部の切れ目からは、紫紺の双眸がこちらを覗いている。先程から陽の当たるところを行き来するペラスコ市民とおよそ違わぬ衣装であった。
「はい──」──大丈夫ですのでお構いなく、と続けようとして遮られる。
「わ、凄い汗じゃないですか! 他所から来た人ですよね? 駄目ですよ、そんな肌を露出した格好で外を出歩いちゃ! 火傷になりますよ!」
いやいやそんな、大丈夫ですよ、と今度こそ申し出を辞退しようとしたが、女は勇者の腕を掴み、有無を言わさぬ勢いでこちらを引っ張って歩き始めた。
「悪いことは言わないですから。ローマに居ればローマに従えですよ。ね?」
「……ローマ?」
「あっ! えっと、その、郷に入っては郷に従え、です。た、旅人さんは知らないですよね、あはは」
……この辺特有の言い回しか?
勇者は連行されつつも背後を振り返ったが、アミールはまだまだその場を動きそうにないし、チャーリーの姿は見えない。服屋にでも連れていかれるのだろう。いくらなんでも暑さにも辟易していたので、それが多少なりとも改善されるのであれば都合が良かった、と思うことにする。
頬を伝う汗を拭うと、勇者は黒衣の背中を追った。どうせ全ペラスコ市民を支配下に入れる為にやって来たのだから、この女も使ってやろう。何かの手掛かりに使えるかもしれない。別に、一度に全部を総取りしなければならぬ理由もないのだ。
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それで、と言ったマリストアを見て、おお、復活しましたねぇ、と思うこちらの眼前に、右手が差し出された。
アイシャは妹の手の上に、ニールニーマニーズからの手紙を乗せる。
中身は至って簡単だ。要約すると、僕は元気にやっているから心配しないでくれというような内容が書かれてある。
マリストアが文字を追う目を上げたのを見計らって、
「分かりましたかぁ?」
「いや、さすがにこれだけじゃ誰が書いたのかなんて分からないわよ。でも、文章を書き慣れている人なのは確かね」
へぇ、とアイシャは素直に感心した。妹の中身についてを通り越した一足飛びの洞察については、自分も似たように感じていたからだ。
送り主は現在ノーヴァノーマニーズに留学しているニールニーマニーズということになりはしているものの、そして、筆跡は完全にニールニーマニーズのそれであるものの、確実にこの手紙はニールニーマニーズが送ったものではありえない。
なぜなら、
「ニールニーマニーズから手紙なんて来るわけないもの」
もしあり得るとしたら、あの弟なら本当に要件だけを書くように思う。無駄な修辞や、こちらを気遣うような文面など弟の手紙ではあり得ぬ。
確かに筆跡は弟が論文を書く時のそれと同じだが、筆跡などいくらでも似せられよう。
「まあでも、心配することはなさそうね。大王が連れて行ったんだもの」
「シンバの王ベルナルド様も一緒に行くとか言ってましたしねぇ」
それは知らなかったわ、と、マリストアは眼帯に隠れている方の眉を上げて続ける。
「アイシャも行けば良かったのに」
「本当ならお姉ちゃんも行きたかったんですよぅ」
だが、
「大兄様が、城を出るなら部屋を片付けてからって言うんですよぅ」
「ああ……」マリストアが納得したように部屋を見渡した。「城に帰るなり呼び出されたのは、もしかしてその為?」
「お、お部屋の片付けを……手伝ってくれませんかぁ」
アイシャはマリストアに泣きついた。
「全部捨てる方向でなら前向きに検討するけど……」
「それが出来ないから困ってるんですよねぇ……」
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「ねぇ大王! 凄い! 何これ! うちの図書館より凄い!」
「お気に召して貰えたなら何よりであるが……少し落ち着き給え」
「これ全部読んでいいの!? 触っていい!? 調べていい!?」
「一応壊れやすい史料は触らないで欲しいであるが……聞いてないであるな……」
「聞いてるよ! 古物取扱いは心得があるから大丈夫さ!」
「なあ、一応学院へ案内するということだったのであるが、そちらの方はどうするのであるか──」
「ニールニーマニーズ君。わしも先にアカデミーへ行こうと思うのだが、一緒に行かんかね」
「そうですよね! 早速行きましょう!」
「あれ、吾輩なんだか蔑ろにされているのである」
「気のせいだよ! ほら、早く案内してくれ」
「貴様やっぱり吾輩に対する畏敬の念が足りぬであるな? 吾輩相手に手紙の代筆を頼んだのは貴様が──」
「わかったわかった、僕が悪かったよ。ごめんね大王、今回のことは僕が悪かった」
「こ、この──! イスカガンの男はこういう奴らばっかりであるか……!?」
「まあまあミス・ヘイズトーポリ、若者の言うことですから大目に見るということでどうですかな」
「吾輩もまだ若いであろうが!」
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勇者は黒衣の女に言われるがままに服屋へ行き、現地人の若者がよく着ているような衣服を見繕ってもらった。礼とともに金を握らせようとしたが、お金には困っていませんので、と断られてしまう。なんなら服屋の店員にも、旅人から金は取らないと支払いを拒否されてしまったので、もしかするとペラスコの人々は相当な難物であるかもしれない。
黒衣の女と別れた後も、アミールのもとへと戻る道すがら何軒か試してみたが、立ち居振る舞いかあるいは言葉遣いか、入った店の半分程度が勇者のことを他所者であると見抜き、またその支払いを受け取らなかった。
何軒目かで聞いたのだが、旅人の支払いは、あとで請求すればペラスコ王宮から補填されるらしかった。そんな面倒なことしなくても、目の前の俺から受け取れば外貨が獲得できて、必然的にペラスコの富をさらに増すことになるのではと思ったが、アルタシャタ王がそれを推奨しなかったのだという。国内に金がありすぎるので、もう増やさないでくれということらしい。いったいどういう理論か、金のある所には金が集まってくるもので、収入源を意図的にかなり減らしている今でも国庫の金は微増し続けているそうだ。
そのようなことを考えながら店から出ると、扉の前にチャーリーが仁王立ちしていた。組んだ腕の先で二本の瓶が揺れている。
「おお、結構似合うじゃない」
「げ」
「はいこれ、あんたにもあげる。おごりよ、暑いのはお互い様だもん」
「……まあ、もらっといてやる」喉が渇いていないといえば嘘になる。「ほら、釣りはいらねえよ」
チャーリーが差し出した瓶を小脇に抱え、財布から金貨を取り出した。
「えー、そんなのいいのに。ありがとー、これであたしも服買ってくるわね」
言葉とは裏腹に、チャーリーは一切の遠慮もなくこちらに手を伸ばす。
そして金貨を通り過ぎた。
「あ、待てお前、そっちは違ェだろ、おい!」
彼女が伸ばした右手は金貨の上を通り過ぎ、むんず、と勇者の財布を掴んだ。有無を言わさぬ握力と腕力で勇者の手中から財布をもぎ取ると、空いた手に空瓶を押し付けてくる。
制止する声もむなしく、チャーリーが服屋へ駆け込んだ。どうせかからないだろうとは思っていたが、やはり《洗脳》魔法は効いていないようだった。発動した感覚はあるので、なんらかの無効化手段を有しているということになる。だが、
……考察は後だ。
またチャーリーに見つかる前に、今度こそアミールへ接触するのだ。
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イスカガン郊外に設置された学院臨時校舎には、臨時ということもあって登校義務はない。しかし一定数真面目な生徒、あるいは学校が好きな生徒というのはいるもので、毎日数十名の子供たちは決まった時間に学院へと足を運んでいた。
教師の数が足りていないため、近しい学年がまとめて授業を行うことになっている。
その中でも低学年の学級のある生徒たちの噂が、臨時校舎中を賑わせていた。
本来の入学は来年だが、本人たちの強い希望と入学試験の突破で、飛び級入学を果たした生徒達がいる。
二学期制の秋学期も半ばなこの時期での入学ではあるが、半年間の空白をものともせずに、最も低学年──一年生の課程に問題なく合流している。この分では、来年の進学の際に問題なく二年生へと上がれそうであった。
常に共にいる双子。登下校や授業中のみならず、お手洗いや着替えなど、比喩ではなく本当に四六時中、その生活を共にする二人。その奇異な生態のみならず、他の生徒達や、比較的魔王襲来の被害が軽い、あるいはなかった教師たちの目を引いたのは、その容姿だった。
白髪はまだ居る方だ。フィンやノーヴァノーマニーズなど、金髪がより明るい者たちの中で、ほとんど白に見える髪の持ち主もいないことはない。
しかし肌の色。ペラスコ出身者たちも黒い肌色をしているが、それとはまた趣の違う色だ。アルファ、イルフィという双子──大陸統一の大英雄アレクサンダグラスを父に持ち、二重三重に謎に包まれた神秘の国アンクスコの王妃を母に持つ二人。その肌の色は、出自をアンクスコに持つことが一目瞭然だった。
神秘の国アンクスコの血を引く──となると、ほかの子供たちから受けるのは羨望の眼差し、いや、尊敬の眼差しだ。
教師たちの中で、子供たちが双子を神様と呼んで祭り上げている、という噂──紛う方なき事実だ──が、共有されている。そもそもこんな状態でも欠かさず登校する子供たちは、素直で良い気性の持ち主ばかりである。さらに最低学年の一年生でさえ、二人に比べると年上である。
ゆえに。
その容姿の愛らしさも相まって、双子は、あっという間に臨時学舎の人気者の階段を駆け上ったのだ。
「聞いて聞いてイス!」「学校って楽しいのよ!」
「そうかい。ちょっと心配だったけれど、その分だと安心だね」
「みんな良くしてくれるの!」
珍しく二人の声が重なった。
弟の安否<汚部屋のお片付け