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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第三章:TANSTAAFL(仮)
75/78

#9 zhengfu

 ★


 直前でスーチェン王位の変更があったものの、即位式は恙無く進行した。

 皇宮に不信感を覚えていた者もあったが、イスマーアルアッドがいざ即位してみるとその風潮は急速に下火になった。

 大陸統一の父──大皇帝アレクサンダグラスからその嫡子イスマーアルアッドへと代替わりすれど、八王の幾つかがその頭を挿げ替えることになれど、大陸は変わらない。

 一ヶ月が過ぎる頃には、新皇帝を祝する雰囲気もすっかり薄れてしまい、ただ日常が、生活の連続が、民衆を忙殺した。


 ヤハン前王ヤコヒメに頭首を倒されたスーチェン、ペラスコ、フィンの三国家は、ヤハン新王トォルの謝罪──と多額の賠償金──を受け入れ、表向きには代替わりした国家同士、今まで以上の結束を深めてより良い大陸の平和を目指すという形で合意した。

 スーチェン前王イョンが出したヤハンに対する宣戦布告の声明は、その日のうちに勇者王イョンが前々王の弟に打ち倒されたことで撤回された。

 大陸には再び、安穏が訪れていたのだ。

 いっそ不気味なほどに。


 そして歴史の書物を紐解くにあたり、得てして凪の状態は多く嵐の前の静けさであり、水面下では──


 ★


 フィンの併呑は容易だった。

 彼らの国はあまりにも明け透けすぎる。それはある点においては美徳かもしれないが、自分のような悪意を持して近づく輩にとっては都合が良かった。

 王という立場は非常に使い勝手が良い。当初はそのような計画なぞなかったが、一瞬とはいえスーチェン王位に収まったことは非常に大きな利益をもたらしてくれた。


 税収である。

 

 国民が出し、自らの生活を少しでも良きものとする為に王の元へと集まる、言うなれば国の運営費。国家事業や外交、公務員への支払いなどは、ここから支出される。

 金が、王の元へ支払われるのだ。

 スーチェンの掌握は、あまりにも早すぎる完了を迎えた。ゆえに王位を適当な誰かに譲り、勇者王イョンではなくなったただの勇者は、進路を北回りで西へ取った。

 姿を変え、フィンへ。


 遊び人の風体を装えば、比較的高い地位の者に近づくのは難しい話ではなかった。

 こちらとしては許したつもりはないが、なんのつもりか同道を申し出た東洋の女チャーリーを引き連れて、到着早々娼館へ行く。

 娼館への直行は、赤面したチャーリーを一時的に別行動させるという副次的な効果もあったが、主目的はあくまでフィンの掌握だ。

 適当に目に付いた店で適当な娼妓を選び、《洗脳》。

 支配人を呼ばせて《洗脳》。

 系列店の中で最も高級な店の、最も人気の娼妓を《洗脳》。

 それくらいになると、常連客に国の上役が増えたので呼び出させて《洗脳》。

 あとは簡単だった。トントン拍子でフィンの王城へ潜り込み、騎士団長の地位が用意された。

 俸禄は(・・・)王から(・・・)支給される(・・・・・)


 知らぬ間に傍に居たチャーリーが、感心したような声を漏らして言った。


「ここまで手際が良いとなんか気持ち悪いわね……」

「お前も俺に買わ(・・)れてみないか」

「やぁよ、首輪なんて似合わないでしょあたし」


 この女を飼い(・・)慣らすのは難しそうだ。

 七千九百二十四回。

 この数字は、スーチェンで出会ってからフィンを掌握するまでの間に、こちらが仕掛けた不意打ちの数だった。

 否。

 正確には、ここまでは数えていた、という数字だ。実数はその倍を下らない。

 どれだけ不意をついても、どれほど巧妙な策を練っても、チャーリーは猫のように身を躱し、目を細めた笑みを浮かべる。笑って言う。


「人間如きにあたしを殺せるわけないじゃない」

「化け物は巣に帰れ」


 その度に中指を立てることになる。

 二人は──というより、勇者は──、そこから進路を南南西にとった。大荒原を縦断し、砂漠の国ペラスコを目指す旅路である。


 ★


 皇宮の暮らしも一部を除いてはほとんど変わることがなかった。

 新皇帝イスマーアルアッドは元より政治に参加していたし、単に座る席が変わった程度の話である。

 そもそも、アレクサンダグラスの政は大成功だったと言って過言どころか足りぬくらいである。大陸を平定し、戦火を奪い、無理のない税を設定し、産業商業を保護し、雇用がなければ創出し、餓える者、焼け出される者、住む場所がない者を、その手の届く範囲で救済した。

 現状維持が、大陸に住まうおよそほぼ全ての者にとって都合が良いと言えた。

 ゆえにイスマーアルアッドに求められることは少なくとも現状維持で、今より悪くならなければそれでいいと、そういうことなのである。すなわち、新しいことはするな──今よりどこかが良くなると、他にしわ寄せが来る。限界なのだ。

 幸福の総和は決まっている。

 もっとも多くの者が幸福を甘受するのに、もっとも適した体制。少なくとも市井の民は今の生活がより良くなることよりも、これより下回らなければそれで良いという風には思っていた。

 いくら不敗とは言えど、戦時の暮らしとは比べ物にならないほど今は豊かだ。物資もある。家もある。余暇を潰す娯楽に興じる時間も施設もある。

 大戦が終わってから十年──もう数ヶ月で十一年を数える──、戦争の記憶を持たない者達が、より良い、もっと豊かな暮らしを望むにはまだ二、三十年は必要だ。時代が変わるには、代替わりの時間が要る。

 新皇帝イスマーアルアッドは、当面の政策を現状維持に決め、未来、民から戦争の記憶が薄れ始める時を見据えて動き始めていた。


 ★


 トォルがヤハンで王になったと聞いた時は、それはまたいきなりな、と、流石に驚きを隠せなかった。

 唾棄すべき弟のご尊顔が脳裏に浮かぶ。

 弟が王になった。数ヶ月違いの、腹違いの弟。

 数ヶ月だが、腹違いだが、自分は姉だ。

 いつだかの借りもある。

 このまま負けて引き下がらいでか、己はイスカガンを飛び出した。

 武者修行だ。いずれトォルに参ったと言わせるために、自分は東へ行く。


「おい待て、私は『ちょっと付き合え』って言われたから、ちょっとそこまでのつもりで来たんだぞ」

「セラム、私はお前のそういうところが大好きだ」


 ★


 ペラスコ。

 大陸西部に大きく広がる大荒原の南西、白けた茶色を踏んで行くと突然緑が現れる。

 憎きアレクサンダグラスが整備した街道を通ればわざわざ悪路を進む必要もないが、今回は敢えてこの道を選んだ。


「うえぇー、なんであんた平気なわけ……」

「お前の嫌がる顔が見られんなら、俺は何でも頑張れる気がするわ」

「暑すぎて言い返す気力もないわー」

「そいつァ重畳」


 頬を伝う汗を拭い、勇者は歩を速めた。チャーリーがおよそ思いつく限りのといった分量の文句を投げつけてくるが、まだ元気じゃねえか。望まざる同行人を気遣う必要なぞない。殺すこと叶わぬとあれば、追い払えるのなら、撒けるのなら、是非ともそうしたい。

 今はまだ殺せない。自分では敵わない。これは認める。一旦諦めた。だが、やがては殺す。必ず殺す。化け物は一匹残らずこの手に掛ける。勇者は決意を新たに、砂山を駆け下りた。背中をチャーリーの罵詈雑言が追いかけてくる。


 そう言った事情で、日の出から日没までの砂漠強行軍は、目的地であるペラスコまで到達するには十分すぎる移動量を稼ぎ出していた。


「カー! 美味い! やっぱ汗掻いた後はこれよね! ビール!」


 木の机にジョッキを叩きつけ、チャーリーが言った。

 おかしい、と机に突っ伏した勇者は思う。

 最初こそ、チャーリーをやや遅らせることには成功した。これはいける、と確信し、どんどん進行速度を速めていったのだ。いくら砂漠に障害物がなかったとて、幾らかの高低差は常にあり続けている。距離を突き放し続ければいずれ視界から外れ、撒けるのは、


「自明の理だったはずなのに……」

「ねえ勇者、あんたも飲みなさいよ。あんたは人間の分際でよく頑張ったわ。だからまあ、お会計くらい全部出してあげる。あたしお金持ちだから。……あ、すみませーん、ビール追加で!」


 無尽蔵。

 チャーリーは疲れを知らない。最後の方は、自分自身に《洗脳》魔法をかけて、自身の疲労を感じないようにしてまでこちらは砂漠を駆け抜けたというのに、この女は最初から最後まで勇者とつかず離れずの距離を保ち続け、最終的にペラスコへ辿り着いた時点では追いつかれてしまっていた。

 やけに愛想の良い店員がジョッキを二つ運んできた。


 自分自身への《洗脳》──いわば強烈な自己暗示。やれば意外とできたが、蓄積する疲労がなくなる訳では無い。《洗脳》で疲労を誤魔化していた代償が一気に全身へのしかかっている勇者が、机に頭を乗せたまま手探りでジョッキを探す。

 ……あれ。

 右手がいつまで経ってもジョッキを掴まない。

 顔を上げるとジョッキを二つとも持ったチャーリーが、にやにやといやらしい笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

 吠える。


「てめェコノヤロウ!」体を起こす。「馬鹿にすんのもいい加減にしろよ!」

「え、だって、出してあげるとは言ったけど。あたし、あんたから奢ってくださいって言葉聞いてないから」

「誰が言うか!」


 まともに相手にするだけ無駄だ。疲れで脳が回っていなかった。勇者は体を起こしたついでに通りがかった店員にビールと料理を何品か注文する。そもそも奢ってもらわずとも、金には困っていない。


「おいわかってんな、俺が注文した料理には手を出すなよ」

「あ」サラダを取り皿二つに移していたチャーリーが顔を上げた。「ごめんもう取り分けちゃった。追加で頼む?」

「いや、もういい……」


 ちなみにサラダは二皿ともチャーリーが食べた。なんで取り分けたんだよ。

 勇者は黙って席を立つと、ふらつく体を気力で動かして河岸を変えた。


 ★


 学院の再建にはしばらくかかる。

 図書館や皇宮よりも後回しにされたからだ。その間学院は休校措置を取っており、もしも望む者があれば、他の地域の学院への編転入が許されていた。イスカガンの学院が再建されれば戻って来ても良いし、受け入れ先の学院で卒業まで学んでも良いという形での編転入である。もちろん勉強をさほど好ましいと思わない者は、休校を理由に羽を伸ばしても良い。

 一応臨時の学舎はイスカガンの郊外に設置されたものの、教師陣も同じく先の魔王の被害に遭った者たちであり、授業が休みになることが非常に多く、そのため登校は自由ということになっていた。

 

 皇宮の学生たちは、学院へ通いながらもその研究のほとんどを自室や図書館で行っていた者たちであり、学院が無くなった不便は気楽に学者と意見交流ができない点くらいしかなかった。

 文献史料に基づいた研究の多いアイシャやニールニーマニーズと違い、比較的思想研究的な側面の強いマリストアは所属する研究室にいた学者たちの自宅へ足繁く通っている。


「やっぱり──」皇宮へ帰ってきたマリストアが言った。「すぐの再建は難しいのね」

「年内いっぱいはかかりそうだ、と聞きましたけどねぇ。お姉ちゃんはそんなに不便はありませんけどぉ」

「アイシャは今は何してるのよ。蒐集物ほとんど駄目になっちゃったんでしょ?」

「ん、まあ新しく必要なものを買い集めている段階ですかねぇ。あ、そうそう、面白いものが届いたのでちょっと見てくださいよぅ」


 何、と言葉にするかしないかくらいの瞬間、マリストアはなにか粉っぽいものを嗅がされたのに気付き、激しく咳き込んだ。


「ちょ、あにするのよ! 思いっきり吸い込んじゃったじゃない!」


 アイシャは胸元から取り出した紙包みを畳むと、再び胸の薄布に挟み仕舞った。

 まあまあ、と両手を立て、


「死にはしないので大丈夫ですよぅ」

「一体何を嗅がせたわけ!?」

「すごくよく効く媚薬ですよぅ。感度三千倍になりますぅ」

「は、はあ!? ちょっと、効き目は何時間!? なんか体が熱くなって来たんだけど!?」

「えっちな気分になりましたかぁ」

「な、ななななるわけないじゃない! 何言ってるの、そんなわけ」

「衣服が擦れるだけでも辛いはずですよぅ。ああ、汗がすごいですねぇ、大丈夫ですかぁ?」

「あ、貴女のせいじゃない! いい!? これは薬のせいなんであって、私が元からえ、ええええっちだったとか、そういうんじゃ……ないんだから」


 そうですねぇ、と返事して、アイシャは先程の紙包みをもう一度取り出した。実はですねぇ、と前置きして、


「ニールニーマニーズから手紙が届いたんですよぅ」

「え、それってさっきの媚薬なんじゃ……」


 嘘だ。マリストアは単に封筒に付着していた埃を吸い込んで噎せただけである。ニールニーマニーズから届いた手紙をマリストアにも見せようと思っただけなのだが、と言うとマリストアは赤面した顔を両手で覆って俯いた。


「性欲はその……三大欲求の一つでもありますし、恥ずかしいものじゃないとお姉ちゃん思いますよぅ」

「ああっ! 優しい言葉すら今の私には責め苦を与えてくるわ……!」


 すっかり朝晩寒くなりましたね

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