#7 hutatabi
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さすがに室内で暴れるのはどうか、ということでトォル達は草原にいた。
白銀の鱗が美しい飛竜に変身したミョルニの背中に乗って、一飛び。欄干を蹴ってすぐに地上からの距離を取ってしまえば、見上げる者たちも大きな鳥くらいにしか思わない。そもそも飛竜の形態であろうとも、ミョルニは非常識なほど大きくはないのだ。意外と目立たない。
「じゃ、やろっか」
「トォル様がやれとおっしゃるのでしたら、わたくしめは、わたくしめは……」
「……待て待てそうじゃない、脱がない。お外では駄目です」
一歩寄る間に両腕の義手が外れた。
付け根にミョルニが手を伸ばしてくる。
瞬きのうちに彼女の姿が消え、トォルに生身の両腕が生えた。
「これもやっぱり魔法だよね。名付けるなら《同化》? 《合体》? 《変身》かな」
まあ名前はおいおい、と、言いつつ虚空に右拳を放ってみる。返す手首の振り抜きが、灌木の上部を割った。びりびりに破けた葉が数枚、ひらひらと地に落ちる。
生身の両腕。
見下ろすと、振るった右腕の五爪がそれぞ指一本分ほど長さを増していた。闇のように黒く変色している爪を反対、左手の爪で突いてみる。右手の爪は通常の幾倍もの厚さがあり、弾いた左の爪の方が痛みを覚えるほどだった。
念じると、爪が引っ込み何の変哲もない右腕に変わる。再度念じて爪を伸ばし、具に観察する。しゃがみ込み、軽く地表を引っ掻いてみた。バターにナイフを入れるかのように、爪の通った地表は大して力を入れもせねど抉れ、捲れる。爪が引っ掻いた小石が粉々に砕け散った。
妙な感覚があった。
……神経が通っているのかな。
犬などと同じだ。指の腹で擦ってみると、妙に気持ちの悪いくすぐったさが背筋を駆けのぼる。
「両手とも、任意で爪を伸ばしたりしまったりできるのか」
言うと、両腕がそうだと言いたいのか、振動を寄越してきた。
他にもいろいろ試してみたが、現状思いつく限りでできそうなことは、爪の出し入れくらいのようである。特に意味もなく爪を出したり引っ込めたりしながら流れていく雲を見る。
雷雲は、さすがに操れそうにない。
飛竜の状態のミョルニは落雷を操るが、あれだって幾つかの条件を満たしてようやく可能になる芸当なのだ。まず雨雲が発生しているか、発生しやすい状態でなければならない。その上で、周囲に何もない――他に避雷針となりかねない物がない――場所である必要がある。
雷を操る為には、一旦雷を自分に落とすという工程が必須となる。自分に向かってきた雷を操作することこそが、実質的なミョルニの特技なのだ。
雷は当然、滅茶苦茶に速い。他所に落ちる落雷を操ることは技術としては可能だが、現実的に実現は不可能。自分を目掛けて来た雷であれば照準も合わせやすいという理由で、先述の工程が要求されるのだ。結果だけ見れば、自分に落ちてきた雷を任意の場所に受け流す《魔法》だとでも言うのが適当かもしれない。
「ミョルニ」
声を掛けると、それだけで意思が伝わった。
右腕の関節が普通曲がらない方へと曲がる。否、関節以外も曲がった。一瞬、ごくわずかの間――ミョルニが飛竜へと、あるいはトォルの両腕へと変身するのと全く同じ空白――を置いて、両腕が作り替わる。
飛竜。
小さく細かい白銀の鱗がびっしりと張り付いた、飛竜の両腕だ。飛膜はないので空は飛べないが、人間の生身よりは遥かに頑健になっており、そうだというのに軽い。
伸ばした爪を、今度は振り抜かない。手近な灌木の葉っぱの表面を、爪の先が触れるか触れないかの距離でうっすらと動かした。
爪が離れて後しばらく待つと、葉はゆっくりと、中心から外側に向かって真っ二つに裂けていった。先程よりも切れ味は増している。
左手で右手の手首辺りを叩くと、鱗が体内の中に消え、生身に戻った。もういいよミョルニ、と続けて言うと、目の前に白銀の髪に乳色の肌、すっかり少女と呼ぶべき、もはや矮躯とは呼べない背丈に成長したミョルニが足音軽く着地する。
彼女は義手を拾ってくると、恭しく取り付けてくれた。ありがとう、と礼を述べると目を瞑って唇を突き出してきたので額を弱く小突いておく。
「トォル様のいけず」額を両手で押さえたミョルニが言った。「わたくし頑張りましたよね?」
「いやあ、ちょっと他人が見てるところでそういうのは恥ずかしいかなあ、みたいな」
他人? と、ミョルニが怪訝そうな表情を浮かべるのと時をほぼ同じくして。
正面だった。
一面の草原の一部が盛り上がる。地中から激しい噴火かのように土や石が捲れ上がり、撒き散る。
咄嗟にミョルニを抱き寄せ、その後頭部を義手で隠す。トォルの顔面や両腕を土塊が叩いた。
思わず目を瞑る。地表付近の柔らかい土が飛んできたのみで大した威力はないが、目に入るとなんであれ痛い。顔も背ける。
土の嵐が通り過ぎ、爆心地じみた有様となっている正面を見ると、大穴が空いていた。
黒い髪。トォルと同じ肌の色。女だ。
穴は意外と浅いのか、女は穴の縁に手を掛けもしないでこちらを見ていた。見て、居た。
「こんにちは、孫」
片手をあげた挨拶が来る。知り合いにするのと同じ、気軽なものだ。であらば当然、見たことのある顔である。トォルは記憶をひっくり返すと、大戦時の記憶を引っ張り出した。
「えーっと、おばあちゃん、……でいいのかな」
「気軽にお姉さんと読んでくださいよぅ、お姉さまでも可」
「……ご無沙汰でしたが」無視して続ける。「一切変わりませんね、見た目」
少なくとも十年近く前の記憶である。多少の記憶違いはあるかもしれないが、少なくともその時より少しでも老けているといった様子は見られない。若返っているとまではいわないが、当時幼かった小僧が既に青年とでも呼ぶべき年齢に達しているというのに、向こうはこちらとは精々二、三程度しか変わらぬ年の頃に見えた。
……若作りしすぎでしょ。
口が裂けても本人には言えぬ。
よいせ、というやや年季の感じられる掛け声とともに、目の前、彼女は体を揺らした。すると彼女の上半身はぐっと落ち上がる。
地表に開けた穴を跨ぎ出てきた一本の足は、黒。続いて二本目。――そして、三本目から八本目と続いた。蜘蛛の足だった。
上半身が女。下半身が蜘蛛の姿。
「ぜ……前言撤回して良い……?」
見た目が変わったどころの騒ぎではない。
「い、一体何があったのさ」
「女子に体型のことを聞くのは無神経ですよぅ。めっ」
……腑に落ちないな?
トォルは閉口した。半目を向けるがどこ吹く風である。
大戦時幾度か見た、ヤハン女王ヤコヒメの姿とは、似ても似つかぬ姿がそこに居た。少なくとも当時、下半身は人間だった……と思う。自分がまだ幼かったのと、戦時でもっとヤコヒメが荒々しかったのとが相まって口幅ったい言い方になってしまった。
「……なんか死んだって聞いてたんだけど」
「ああはい、死にましたよぅ。社会的にヤハン女王ヤコヒメさんは死にはったんでぇ、今ここにおるのは無所属、化生ツチグモヤソメですぅ」
「……あれ、僕ってもしかして化け物の血を引いてる?」「トォル様、わたくしわたくし」
「ああ。覚えてないんでしたっけぇ」
す、と眼前ヤコヒメの目線が下がった――見上げるようだった巨躯から、同じ高さまで。見事な装飾のあしらわれた着物に身を包んだヤコヒメと、彼女を横抱きにした見知らぬ女が姿を現している。
「えーっと、孫。この子はわたくしの両足、ソウビと言いますぅ。ソウビ、この二人はわたくしの孫ですよぅ」
「あ、ちょっと目元とか面影あるんちゃいます? おひぃ様とよう似てはりますね」
ドウモ、と会釈しておいた。こちらも名乗り、ミョルニを紹介する。戸惑ってはいたが、ミョルニがぺこり、と深く腰を折ってお辞儀した。
ソウビ。下女服を身にまとった女だ。ヤコヒメの両足、と言うからにはミョルニと同じなのだろう。向こうは両足、こちらは両手。薄々感づきつつはあるが、仕組みは同じに違いなかった。本人が知らないし、僕自身でもさっぱりだったからわからなかったけれど、おばあちゃんに聞けばわかるのかな。ミョルニの秘密というか原理というか、あるいは仕組か。
大陸周遊を始めて以降は幾度かヤハンへも渡っているが、どうにも都合がつかず、ヤコヒメと会うことが叶うことはなかった。
……もしかして、ミョルニのことについて聞くなら今? 今だよね?
スーチェン王を倒しただの、勇者に討伐されただのはこの際大事ではない。必要とあらば明かしてもらえるだろう。ついでに聞いても良い。実は自分にはそんなに関係ないので、皇帝に関連する一連の出来事は比較的どうでも良かったりする。
「実は、貴方達だけで人気のないところへ来るのを待っていたんですよぅ」
「ああ」
いつ頃から待っていたかは知らないが、少なくともヤコヒメの討伐宣言が為されて以降は大概誰かが近くにいた気がする。
「それは、ミョルニのことかな」
「まあミョルニのことというか、そうですねぇ」
どこまで話しましょうか、とヤコヒメは一瞬思案げな表情を浮かべて、再び視線をこちらに向けた。怪しい光が宿った両瞳に射竦められ、腕の中でミョルニがこちらを見上げる。
に、と両の口端を釣り上げ、蜘蛛が言う。
「ところで孫、ヤハンに来いひん?」
「えーっと、何、今からの話?」
「実はわたくし、わけあってこの大陸上に居ちゃいけない身なんですよねぇ。まあ死んだことになってますし」
その点ヤハンへ行けば隠れ家もありますしぃ、と両手指の腹を胸の前で併せ、
「良いでしょう、孫。貴方は元々ヤハンの物ですし、実家に帰ると思って来てくださいよぅ」
「ちなみに選択肢ってないんだよね?」
「ああ、――あると思ってるんですかぁ?」
同時、地下から触手じみた勢いと動きで茶色い何かが生え伸び、天へと聳え立っていた。ヤコヒメを抱えたソウビが飛び退り、間一髪で巻き込まれるのを回避していた。
目と鼻の先に聳え立つそれは、見れば見るほど木の幹に見える。ヤコヒメはソウビを生身の両足に変身させて直立した。足の調子を確認もせで、彼女は幹に蹴りを放つ。目にも止まらぬ連撃だ。動きと動きの継ぎ目によく目を凝らすと、トォルが先程していたのと同じ黒い爪が、両足の先から五本ずつ伸びている。
やはり、通常の樹木とはどう考えても勝手が違う。何らかの《魔法》的な操作が為されているのは間違いない。この強化された爪の一閃で表面に傷をつけるのがやっとというのでは、いかな大樹とて、植物としてあまりにも硬すぎる。
「ふぅ。これでよしですねぇ」五爪を引っ込めた素足で草原を踏みしめ、ヤコヒメが言った。「さ、行きましょうかぁ。ヤハンへ」
「……遊びに行くときは、一応家に誰とどこへ、何時までっていう報告をした方が良いと思うんだけど駄目かな」
「ああ、わたくしが連絡しておいたので大丈夫ですよぅ」
ほら、と女怪が木の幹を指さした。
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感覚として、ヤコヒメが地下から脱出したことを知覚した。
実を言うと、地下深くに樹木で囲んだ空間を作り、隔離してあったのだ。不可能だろう事は十分承知の上で捕獲を試みるが、当然のように避けられる。
表面の状態を維持したまま、蜘蛛女の元に送っていた樹木を再出現させる。するとそこには、「ヤハンに向かう。孫の身柄はこちらで預かる。そのうち帰す予定なので気にするな」という文面が、墨痕ならぬ刻痕鮮やかに彫られてあった。
ニールニーマニーズは、ヤコヒメを精巧に模した木像の首を勇者が落とした時のことを思い出していた――
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「さて」
ニールニーマニーズはヤコヒメが落下してきたのを確認すると、口を開いた。
「怪我はありませんか? ヤコヒメ様」
地中だ。膨らんだ木の根の中心部には小部屋ほどの大きさの空洞を用意してある。現在地上に生やした巨大樹の中央部から、直通でここに繋がっている。
戦闘態勢を取ろうとした彼女に対し、こちらは両手を上げて制止とした。
「ちょっと待ってください、いや待って待って、落ち着いてくださいヤコヒメ様」
壁の部分を変形させて、椅子を作る。植物の操作は一定の制限はあるが意のままである。どうぞ、と促したが当然警戒は崩してくれそうにない。
仕方ないので自分で座った。
「ちゃんと説明しますから、僕の質問にも幾つか答えてほしいんですよ」
「怪しいことしたらすぐ殺しますからねぇ……?」
「大丈夫です。僕に勇者の《洗脳》魔法は効いていません」
怪訝な表情を浮かべつつも、ヤコヒメは八本足を畳む。
「ちょっと長くなるかもしれないんですけど、順を追って説明させてもらいますね。あっ、勇者のことなら眠らせてあるんで心配しないでください」
ニールニーマニーズは記憶をひっくり返しつつ、話し始める。
勇者が己に《洗脳》魔法をかけたこと、その上で存在しない《魔法》について己に教示していったこと――そして、勇者が己に見せた幻覚空間の中で《魔法》についての理論を考察し続けるうちに、そもそも自分は幻覚を見せられているということに気付き、そこから逆算的に《洗脳》魔法とも呼べるものの存在を仮定したこと。
少し端折るが、自分に掛けられた《洗脳》魔法の存在に気付いた後は、それを解除するのもごく簡単なことだった。
「一から《魔法》理論を解析したってことですかぁ!?」
「気付くまでは骨の折れる作業でしたよ、いや本当に――」
「ちょっと待ってくださいニールニーマニーズ様、それって――それって、《洗脳》されていながらにして、自身の《洗脳》について思い至ったってことですよぅ!? あり得ません!」
「いや、勇者は多分《魔法》について深く理解してないんだと思いますよ? 無防備にも手掛かりを零しまくったので、まあそれを組み合わせて仮説を立てて、あとはその仮説さえ正しければその結果はどれだけ突飛でも正しい、と」
そうすると気になるのは、救国の英雄である勇者が己にそのようなことをする動機である。
表向き勇者の意のままに動くふりをしつつ、付き従ってきた。
そうすると、色々と見えてきたものがあった――
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「そういえばヤハンのの姿が見えんの!」
「ここは暗いし狭い……我はむしろ、せいせいしているぞ」
ノベルバというサイト? アプリ? で試しに重複投稿を初めてみました。一日一話ずつ、毎日投稿してどれくらい読んでもらえるか計測するつもりです。
こちらではペース保ってコンスタントに投稿し続けるつもりであります。