#40 イスカガン新皇宮にて
★
実のところ、イスマーアルアッド以下メイフォン、アイシャ、マリストア、アルファ、イルフィが皆揃いも揃ってノーヴァノーマニーズまで足を運んだのは、先の魔王ナーガにより完全に崩壊してしまった皇宮を再建するための人払いである。
トォルは常より不在。
ニールニーマニーズは勇者と連れ立って行方知れず。
八王は皆いつの間にか発ち、よって、皇宮跡地に仮組されていた丸太小屋はすべて撤去された。
改めて整備され更地となった跡地に、新たな城が建つ。
大陸のほぼ中央に存在する都市、イスカガン。そのさらに中央に位置する皇宮は、中心の一際大きい城と、それを取り囲む形で並ぶ八つの城で形成されている。城のそれぞれ上階を繋ぐ天空回廊と、中階を繋ぐ中空回廊とがそれぞれを繋ぎ、その隙間を縫うように、召使をはじめ城に仕える者たちの居室、仕事場・作業場、倉庫など諸施設が並ぶ。新の皇宮では旧の皇宮とは異なり、それら従者用の施設はすべて徹底的に区画整理整頓されて配置されていた。
瓦礫の下から掘り出された各人の私物は、可能な限り復旧して元の配置に戻してある。新旧の皇宮を比較して異なる点はそれほど多くなく、基本的な構造自体はほとんど同じだ。
城のぐるりを大きく囲む超巨大図書館も無事に復旧しており、蔵書も慎重に瓦礫の下から掘り起こされている。石版の類を主としてそれらは大分傷んでしまっており、復元作業がイスカガンの学者達の手によって進んでいるところだ。
ようやく元の形を取り戻した職場において、今まで以上の仕事にそれぞれ追われることになる従者たちの中で最初にそれに気付いたのは、倉庫の備品を数えつつ、廃棄物を選り分ける作業をしていた者だった。
とりあえず、と雑多に放り込むだけ放り込まれた備品類を、手元の紙束で確認しつつ整理し、廃棄が多くなって来たので一度外へ出した時だ。
赤色の塊が二つあった。
これもごみだろうか、生ごみをその辺りに放っておくなよ、と思いながら近づくと、鼻に鉄錆のようなにおいが来た。
血だ。
血に塗れた襤褸を纏った者が二人、互いを支えるようにしながら倒れている。
慌てて駆け寄り様子を見ると、呼吸はある。しかし弱弱しく、いつ掻き消えてもおかしくない。召使は倉庫内で同じ作業に従事している者に声を掛けてから、怪我人の様子を確かめ適切な処置を施していく。
やがてやって来た医者たちに引き継いだため、この召使が知るのは後になるのだが――この時倒れていた二人こそが、八王たちと同じ日にふらっと姿を消していた勇者とニールニーマニーズ達であった。
後に医師、そして大臣たちは、意識を取り戻した勇者の口から、驚愕の事実を聞かされることになる。
すなわち、
「まずは事実を簡潔に述べます。ヤハン女王ヤコヒメが突如異形の姿に変身して、ウー王、アルタシャタ王、エウアー女王を殺害しました」
三人もの王たちが一瞬で殺されたこと。
「僕はヤコヒメを魔王と認定し、今はこれの討伐に成功しています」
魔王ヤコヒメの降誕、および討伐。
なお、
「ニールニーマニーズ様は、魔王ヤコヒメと接敵した時に偶々僕と一緒に居たせいで巻き込む形になってしまいました」
僕の力が及ばなかったせいでニールニーマニーズ様を、と、勇者は涙を流しながら寝台に拳を振り下ろす。もっと早くヤコヒメの思惑に気付いて居れば、と。
さすがは勇者様だ、と医者たちが口々に言う。彼の怪我はみるみるうちに回復し、一日、二日のうちに全身に巻いた包帯に血が滲まなくなった。ニールニーマニーズが目を覚ましたのはそれから一週間ほど後のことであり、ちょうどイスマーアルアッド達西行きの隊列がイスカガンへ帰ってきた日のことだった。
魔王ヤコヒメの降誕と、それにより八王のうち四王が欠けた事態。大陸の秩序が乱れることを危惧して、イスカガン王兼皇帝代理のイスマーアルアッドが、存命の八王の招集を決定したのは当然のことだった。
シンバの老王、ベルナルド。
ノーヴァノーマニーズの大王、ヘイズトーポリ。
アンクスコの女王、シュリースフェン。
偉大なる大皇帝アレクサンダグラスの死に際しても、イスカガンへと参じなかった面々である。本人達が来るとは誰も思ってはいなかったが、偶然か気まぐれか、ノーヴァノーマニーズ大王ヘイズトーポリはイスカガンへとやって来た。
しかし残りの二人はそうもいかないだろう、というのが大方の見方である。ベルナルドは老身に加えて病がち、もはや立ち上がることすら適わぬという噂すら出ており、来訪は絶望的だと思われた。シュリースフェンに至ってはそもそも誰もその姿を見た者がおらず、今回も不干渉という姿勢は崩さないだろう。
実際、イスカガンへの帰路で既に書簡を出していたというのになんの音沙汰もないまま一週間が過ぎた。
そして、あるいはしかし。来訪者は唐突に表れた。
★
イスマーアルアッドが送ってきた書簡が、沿岸に住む人々の中に紛れて暮らしている上位端末Ⅷ、ホテルの元に届けられた時、シュリースフェンは既にその内容を熟知していた。
単純に距離の話だ。イスマーアルアッドが書簡をしたため、使者を出したのが大陸西部に広がる大荒野。そこからアンクスコまでの間にシンバは位置している。
そのような理由により、シュリースフェンがイスカガン召集の文面に目を通したのは、シンバの老王ベルナルドの元に届けられたものとなった。
「連絡が遅くなって申し訳ない、返事を書いて持たせるよりも、我々が直接赴いた方が早いと思ったのでね」
白衣をたなびかせた老人。想像をはるかに超える老齢であることのみを想像させる皺が全身に刻まれている。背筋はまっすぐに伸び、より以上に身長を高く見せた。彼ははっきりとした口調で、自身のことをこう紹介する――自分こそがシンバ王、ベルナルドであると。
ベルナルドの隣に立つこちら、シュリースフェンと視界を同期している人物にも視線が向かった。
もう一人の来訪者だ。
浅黒い肌。黒い髪。青色の瞳。ずれているわけでもないのに定期的に眼鏡を触る癖の持ち主。年若く、スーツを着崩している少女。彼女こそがベルナルドの秘書であり、アンクスコ女王シュリースフェン全権代理にして上位端末Ⅱだ。
シュリースフェンが人工子宮の中で発した言葉と全く同じ言葉が、その唇から零れ落ちた。
言う。
「はじめまして皆様、わたくしのことはブラボーとお呼びくださいませ」
★
ベルナルドは老齢である。
純粋な人間であるが、特殊な延命措置を自身に施し続け、実質的に寿命を克服している。その代償は多く、寿命と引き換えに免疫を失った。条件付きの不死――これはつまり、専用の設備があるシンバから出られなくなったことを意味する。
そうであるがゆえに、このベルナルドが国から出てきたということは、この八王が欠けたという事態を相当重く見ているということに他ならなかった。生きとし生ける者には皆等しく死は訪れるものであり、当然八王が死ぬということもある程度は想定の上であったが――スーチェン王を倒す者あらば、その者を無条件で次の王とする、など――、一度に半数もの王が欠けることなど誰が想像できようか。大戦において猛威を振るった八王たちの実力は、皆心の底から認めるところである。
「あのアレクサンダグラスでさえ死ぬのですからな、我々も死ぬときは死にますぞ」
今回、死の危険を冒してまでイスカガンまで赴いている。もしかするとこの次の瞬間には血を吐いて転がっている可能性だってあるのだが、この程度の無茶、この星に大陸という概念がなかったころからずっとシンバを治めてきた身であり、散々貫いてきている。重ねた年は伊達ではない。
生存してシンバに帰り着きさえすれば――つまり死にさえしなければ、自分は死なないのである。
★
おい、と低い声。
呼びかけの声だ。己に向けられたそれに、ニールニーマニーズははい、と返す。
行き程急ぎはせず、少しだけゆっくりイスカガンへと戻ってきたのはすべて、八王のうちの四人を葬ったことを隠すための工作の一つだった。
勇者が続ける。魔王ヤコヒメとの凄惨な戦闘を演出するための手法を。
すなわち、
「今からここで暴れろ」
イスカガンから見えるほど近くはなく、かといって赴くのに遠すぎない距離。開けた場所にあり、街道からも適度に離れている。
特別用のある者しか通らず、そしてこのような場所に用のある者はいない。つまりは目撃者の介在しえない、そのような場所がここだった。
大陸東に広がる光景の御多分に漏れず、下草と灌木が一面に広がっている。
「いいか、ウー、アルタシャタ、エウアーはヤコヒメが殺った。俺はその現場に居合わせ、苦闘の末ヤコヒメの討伐に成功した。しかし同時に大怪我を負ってしまった……」
「あっ、わかりました! 死なないように殺し合いするってことですね!」
ニールニーマニーズが手を叩いて言った。勇者がそれを首肯する。
地面に直立するニールニーマニーズの両足が茶色く変色して節くれ立ったかと思うと、見る見る大地を抉って根を張った。髪の緑が強くなり、煌々と灼眼が燃える。ただでさえ白い肌から色が剥離し、真珠じみた色を得た。
勇者が剣を抜く。
「実際のところ力の無駄遣いでしかないわけだけれども、何、力試しに丁度良い。やあ勇者、力無き者。できうる限りの手加減はするけれど、死んでしまったら一からやり直しだ。僕は死んですぐなら蘇生はできると思うけれど、重症の状態で留めるなんて器用な真似はできないからね、頑張ってやられてよ」
地面から目視できない速度で伸びた木の根が勇者の手の甲を叩き、ぼろぼろになっていた直剣が宙を飛んだ。あ、という間もなく勇者の手には木の根が握られており、ニールニーマニーズが振るった二撃目が地面から切り離す。一瞬のうちに黒光りする木刀が出現した。
普通の金属などで魔王の体を傷つけることは能わない。これを使えと、そういうことであった。直剣が地面に跳ね、からん、という音が草原を抜けた。
直後。
地面から突き出した無数の木の根が、勇者の体を幾重にも貫き、勇者は絶命した。
そしてニールニーマニーズが精製した蜜が勇者の傷を塞ぎ、一瞬後に勇者の生命活動が再開する。僅か一拍分心臓の鼓動が止まる間、確かに勇者は死んでいた。しかしそれだけだった。
遅れて肺腑に入り込む、出て行かなかった空気に咳き込む。
あまりにも勇者が弱い。否、人間の中で比べたらかなり強い部類には入るだろうが、あくまで人間の中で順位付けたらの話であり、人外と比べるほど詮無きことはない。
いくら蜜が完全に傷口を塞ぎ、全身の不調を取り去ると言えど、一瞬のうちに全身を穴だらけに貫通・塞がるを経て、脳は激痛を錯覚する。痛みにのた打ち回る勇者を見下ろし、ニールニーマニーズは途方に暮れた。程度としては、思い切り右拳で殴ったくらいの感覚だった。指先で突いたくらいの勢いでも、腕や足くらいなら簡単に飛ぶのではないだろうか。
とりあえずまずは地形だ――異形の怪物と激しい戦闘を行ったことを表現するために、細心の注意を払いながら大草原を抉っていく。その間に勇者が復活して、木刀を片手に殴りかかって来たので、生身の小指で弾いてみた。手加減しすぎてこちらの腕が落とされた。切り落とされた傍から左腕を生やしてしまう失敗をする。
骨の折れる作業になりそうだ、とニールニーマニーズは密かに嘆息した。
よしんば勇者に致命傷寸前の負傷を与えたとしても、うまく自分も同じ状況にできるだろうか。試しに上体を思い切り根で貫いて見たが、大して痛くも痒くもない。生命の維持に重要な箇所であるからか意思に反して傷口は塞がり始める始末で、先は長くなりそうだった。
★
こちらより幾日か遅れて目を覚ましたニールニーマニーズの元へと勇者はやって来ていた。全身包帯に巻かれ、四肢は石膏で固定されている。
寝台の隣に置かれた椅子に座り、勇者は口を開いた。
「よくやってくれた。跡地に例の黒い砂もばらまいてくれたんだな」
ニールニーマニーズが何事か話そうとしたが、口元周りの包帯がそれを邪魔したので、勇者が少し彼の包帯をずらした。
「勇者様、その……それは僕ではありません。いや、結果的に言うと僕がばらまいたので間違いないのですが」
勇者は見た。
「これだけ派手に包帯を巻いてあったら、もう傷を治してしまっても良いんじゃないのか。隠れて見えんだろ」
切り傷、擦り傷。打撲、そして欠けた歯。骨が折れたのであろう形跡も見て取れる。口元周りだけでも、無数の生傷がほんの少し治り始めていると言った具合だった。
本来のニールニーマニーズの魔法的な回復力をもってすれば、造作もなく治してしまえる程度の負傷である。
「あの日、なんとか工夫して勇者様に重傷を負わせた後、実は一人、あそこに来た人がいたんです」
「何?」途端、勇者の表情が険しいものになった。「目撃者がいたのか? 当然始末したんだろうな」
「……いえ」
ニールニーマニーズは力なく首を横に振った。右腕に巻かれた包帯を剥がしながら、彼は二の句を継ぐ。
「白衣を着た、背の高い老人でした。僕をやったのはアイツです」
包帯と石膏が剥がされ露出した右腕は、内側から外に向かって爆発したかのような有様になっており、少しだけ傷口が塞がりつつはあるものの、夜闇のように真っ黒い血液が噴出し、それらは流れ出る端から黒い砂となって寝台の上に降り積もっていく。
勇者は絶句した。
その日の午後、イスマーアルアッド達がイスカガンへ到着した。
それから幾日かを置いて、二人の来客があった。
★
「快適ではあるんですけれど、退屈は紛らわせようがないですねぇ」
「休暇じゃと思ったら丁度良いがの!」
エピローグとは。
※これまで欠かさず四の倍数の日に投稿してきましたが、就活に向けてのストック作成のため、今話以降は毎週土曜日18時投稿に変更します。