#37 根源の衝動
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つまるところそういうことになった。
まったくその存在を知らなかった勇者に票を投じるわけにもいかず、かといって消去法でイスマーアルアッドを選ぶというのも性に合わぬ。何かを自由に選択できるとき、消去法で選択するのは選ばされているようで気に食わないのだ。自分で決めた選択肢を自分で決めて提示したい。それに、どうやら話を聞く限り、二者択一ではない。二者択一なのであればやむを得ずイスマーアルアッドに投票することも考えねばなるまいが、常識的な範囲内で誰を次期皇帝候補に選ぶのかという話であれば、
「であれば吾輩は、よくよく見知る、このトォルをこそ次期皇帝に選出したいと考えるものである」
「あっ、辞退します」
ある程度予想していたことではあったが、即答で返ってきて少し悲しかったのである。
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あれ、と声を上げたのはマリストアだった。
セラムの隣に座る少女。道中知ったのだが、自分と同じ年齢だという。こちらとしてはその大きさで本当に同い年か、と思うが、
……身長の話だ。
ともあれ、
「そうなるとイスマーアルアッドと勇者様で同票になるんだけれど……この場合、どうやって決めるのかしら」
「吾輩としてはそこは心苦しいところであるが、恐らくいの一番に聞きに来たとしても同じように答えたはずだから、まあ観念してくれ給え」
良いかな、と手が上がる。
眼前、イスマーアルアッドが右手を上げ、
「私もその辺り気になったので、事前に調べてきた。そのあたりのことも、父アレクサンダグラスは取り決めてあったとも」
続けて、
「候補者が複数いた場合、かつ八王の意見が完全に同票で対立した時、次期皇帝は、候補者同士の決闘で決めるものとする」
すなわち、
「相対での決着となるわけだね」
当事者同士で話し合って決めろと、つまりそういうことだった。
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せっかく来てもらったのに申し訳ないのである、と大王が幾度か口にするたびに、兄が気にしないでくれと言った類の返答をしていたが、大王のことを良く知る身としては、アレは本心から出た言葉ではないな、というようなことをトォルは考えていた。
仕組みや特性についての整理はまだだが、ひとまずミョルニをどうするかという問題が解決されているので、至って気楽でいる。先程大王が見せた《拡大》魔法についての言及も――特にアイシャから――強くあったが、すべて手品である、種も仕掛けもあるのである、で押し通していたので、懸念すべき材料が何一つない。
「ところで大王、この辺りで運動しても問題のない場所などはないか」
否、一つだけある。
本題が早々に消化されてしまったので、今は再び雑談に興じている時間帯で、話題は当然自分に向いていた。先程から、イスマーアルアッドやアイシャ、マリストアからの質問攻めに、魔法に関連しそうな部分は誤魔化したり端折ったりしつつ受け答えし続けている。
大王も時折こちらの会話に参加するが、今は口数少なだったメイフォンと何かやり取りをしているらしかった。なんとなく嫌な予感がして聞き耳を立てると、どう考えても僕を連れ込める広い場所を探してるでしょアレ。大丈夫か。
大丈夫ではない。
正直、メイフォンとの折り合いはかなり悪い。原因に心当たりはないが、とにかくあの姉はこうだ。同い年の――とはいえ双子ではない――姉とは、幼少期、物心ついた時からすでにああだった。一方的に嫌われている、避けられているというわけではなく、常に敵対しようとしてくる。単純に物理的な戦闘力だけで言えば今や余裕で姉の方が上だろうに、なぜかこちらを越えるべき相手と認定し、勝負を仕掛けてくるのだ。
「運動であるか? ノーヴァノーマニーズは土地が狭いであるからな、一応城にも、場所を取る実験をする用にあると言えばあるのであるが……」
そろそろ用事も思い出したしお暇しようかなどと内心で考えていたら、メイフォンが視線で牽制してきたのでできなかった。愛想笑いを浮かべて両手を挙げてみる。
「姉ちゃん姉ちゃん、乱暴なのは良くないと思う、よ」
「そう硬いことを言うな弟よ。久しぶりに会ったのだ、どれ、姉が手ずから貴様の実力を測ってやろう」
「なんだ、そういうことであるか。しかしメイフォンよ、貴様も相当な実力者であると聞くが、うちのトォルもかなりヤるであるぞ」
余計なこと言うな――! 内心で叫んだつもりだったがもしかしたら口に出ていたかもしれぬ。あと誰がうちの子か。孫が聞いたら悲しむぞ、とそこまで思い、ふと気付いて問うてみた。
「そういえばニールニーマニーズはどうして来てないのさ。あのアルファとイルフィでさえ来はしてるって聞いたけど」
「ああそのことであるが、帰ったら、今度暇ができた時に顔を見せに来給えと伝えておいてほしいのである。噂は聞いているのである、とな」
「ニールニーマニーズなら今は勇者様に付きっ切りですねぇ。一体何をやっているやらわかりませんが、ニールニーマニーズも年相応なところがあるみたいでお姉ちゃんとしては安心ですねぇ」
なるほどそうであるか、と大王が相槌を打つ。
「皇帝候補はともかくとして、吾輩も勇者とやらには会ってみたいものである。……なるほど既に付きっ切りで調査とは、まだ見ぬとはいえさすがは吾輩の孫である、といったところであるな」
思いがけず話題がここに居ない者の話にすり替わった。うちの兄弟は年が若くなればなるほど社交的からほど遠くなる傾向があるので、ニースニーマニーズやアルファ、イルフィなどとは放浪の旅に出る随分前から顔を合わせていない。
……ともあれ。
もっとも顔を突き合わせていたのは、意外なことにメイフォンだ。新しい武器を買ったと言っては追いかけまわし、新しい技を修めたと言っては試そうとし、とにかく四六時中命を狙われていたのである。そのことを思えば、今のように同じ空間でいながら、戦闘に発展せずに小康状態を保てているのはあの姉も少しは成長したのだろうか。
「――四年も待ちわびたぞ。一体何から繰り出してやろうか、どこから狙おうか……」
……空白期間がありすぎて何からするか迷ってるだけだな……!
トォルはこっそり右手を握りこんでいた。かつてない程に好調だった。調子が良すぎるあまり、なんの不調もない左手が不調に思えるほどである。
いつ我慢できなくなったメイフォンが攻撃を繰り出してくるやもわからぬので、いつでも動けるようにはしておく。やや身を開き、いつでも椅子を蹴倒して立ち上がれるように。
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正直に言うと、どうしてこの年の同じ弟がこれほどまでに気に入らないのか、自分でもよくわからない。否、そもそも自分は、トォルのことが気に入らないのだろうか。どれだけ鋭い突きを繰り出そうとも、どれだけ強い得物を持ってこようとも、のらりくらりと立ち回り、すべてかわしてしまう弟のことを、実は気に入っているのではないだろうか。大いにあり得る。
メイフォンは、見えぬところで右拳を握りしめてみた。かつてない程に好調だった。痛みや疲労も全くない、最好調の状態だ。
とかくこの弟は、自分が全力を出しても敵わない相手なのである。
否。
すべてにおいてこちらが圧倒しはする。圧倒はするのだが、いつも最後まで立っているのはこの弟だ。自分は、トォルが血を流しているところを見たことがない。たったの一度もだ。
確かに斬った。なのに傷口がない。
確かに折った。なのに腫れがない。
確かに獲った。なのに、死なない。
自分の全力をぶつけ続けられ、かつ向こうからの危険な攻撃がないと来れば、己の攻撃性能を検証するのにこれほどまでに都合の良い存在もない。
つまるところトォルは、限りなく実力の拮抗した好敵手なのだ、とメイフォンは思う。いつか本気のトォルと戦ってみたい。こちらは限界まで振り絞って戦っているのに、どこか手を抜いたような調子でいる弟に少し腹が立っているという、それだけの話なのだ。
……四年だぞ、四年だトォル。そろそろ良いだろう、貴様の本気を味わわせてくれよ私に!
されど踏み出しの一歩は、横合いから伸びた足のせいで止められた。踏み込む予定だった場所に、先んじて一歩を差し込まれたのだ。
小さな足だった。
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「控えめに言ってなんですかこの女はと、わたくしは嘆息するべきだと判断いたします」
視線の動き、呼気などから、来る、と思った数瞬のうち、眼前にミョルニが着地していた。ふわり、と遅れて下女服が翻る。先程着ていたものとは異なり、従来の意匠だ。少し大きくなった体躯に合わせて細部がほんの少し調整されている。襞装飾の頭飾りが追加されていた。
「ミョルニ」と思わず名前を呼んだ。「どうやって」と。
すると彼女は小さく首を傾げ、
「わたくしはトォル様のしもべにして右腕。いつでも必要なときに現れますよと宣言します」
言って、黒の義腕を恭しく差し出した。そこで自分の右袖の中に中身がないことに気付く。左手で触って確かめてみるが、特に出血などはない。いつぞや右腕がミョルニになった時と同じく、つるっとした肌が布と擦れた。
義腕を受け取ったが、簡単に取り付けられるものでもないのでとりあえず食卓の上へ。
「そこの女、お前そんなにわたくしのトォル様と戦いたいのなら、わたくしを倒してからにいたしませんか」
ミョルニが言った。もはや場は彼女の独擅場だった。周囲は、直近で対峙するミョルニとメイフォンを囲む形になる。こちらから見てメイフォンの背後になるが、アイシャとマリストアが口を開きたくてうずうずしている様子が見えた。
トォルはどう行動するべきか迷い、ミョルニをこちらに抱き寄せる。
「えーっと姉ちゃん、じゃあこうしよう。ノーヴァノーマニーズに来るまでに大荒原があったでしょ、あそこで手合わせでもなんでもしてあげるから、それまで暴れるのはなしにしない?」
提案。やや渋ったが、結局そういうことになった。
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メイフォンは、しばらく黙り込んで何事か考えていたらしかったセラムを連れて部屋を出ることにする。大王に会釈をすると、片手を挙げられた。
……気にするなと、そういうことだろうか。
なおさら頭が下がる。
「おいセラム、河岸を変えるぞ、付き合え」
「え、ああ、何? ちょっと待て、おい、……あの、色々迷惑をかけた。お先に失礼する」
背後でセラムが言って、扉が閉まる音を聞く。
少し頭を冷やす必要があると思ったので、セラムには悪いが付き合ってもらう。強い相手を前にした時に感じる高揚感とは似て非なる物。トォルを前にすると、なぜか言い得も知れぬ感覚に焦りのようなものを覚えてしまう。冷静でいられなくなってしまうのだ。
頭でわかってはいても、どうしても克服できない。それこそ、生物として刻み込まれた本能のような、理性や欲望とは異なるもっと根源的な衝動が首をもたげるのである。
「セラム、ノーヴァノーマニーズの店は何時ごろまで開いてるかわかるか?」
「基本的には……遅くまで開いてたと思う、が」
話の途中だがセラムを横抱きにして、窓を開ける。
「おい、ちょっと待て、一体何するつもりだおい、それは駄目だろ、我々文明人は窓からの出入りは想定されていな――」
いいからいいから、と、メイフォンは夜の街に身を投じた。
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「ねえトォル! なにこの小さいの! 可愛い!」
「トォル様トォル様、助けてください」
メイフォンが出て行った直後、マリストアの両腕がミョルニを捕まえた。
少し大きくなったとはいえ、この妹と比べればまだまだミョルニは小柄だ。
……背丈の話だ。
マリストアの両手に撫でまわされるがままになっている。肌艶はこの上なく良いし、衣服は下ろしたてのようにまっさらだ。表情に乏しいことも相まって、ある意味人形的であるともいえる。そこが琴線に触れたのかどうかはわからないが、マリストアはミョルニのことをいたく気に入ってくれたようだった。
助けを求められたが、まあマリストアが相手なら悪いようにはならないだろうと曖昧な笑みで濁す。
「お兄様お兄様、こちらの……えーっと」
「ミョルニだよ。僕の傍付きの下女だ」
「まだお城に暮らしていた時は居ませんでしたよねぇ、なんだか怪しい感じがしますよぅ」
「ほぉるはまはわたくしの御主人ひゃまです、と牽制いたひまふ」マリストアの頬ずりを受けながらミョルニが言う。
「ただの下女だよ、忠誠心強めのね」
「そうですかぁ、とてもそうは見えませんけれどねぇ」そう言ってアイシャは、ミョルニに視線を向けた。「……貴女にとってのご主人様はどういう存在ですかぁ」
問われたミョルニは、一瞬の沈黙を置いて、こう言った。
「体です」
「まぁ! 進んでいるのね……!」
なんでこの時にこそ頬擦りしてないんだよマリストア……!
この後、誤魔化すのにかなりの時間を費やした。
夜が更けていく。
とりわさにあたりました。