#34 大王の食卓
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場は、晩餐会として設置されていた。
金装飾の美しい、赤い絨毯。蔦紋様のあしらわれた壁。高い天井に設置された天窓からは、夜の暗闇が見えた。ノーヴァノーマニーズ城内。設備の規模の割にはほとんど使われない食堂だ。装飾の粋が凝らされた椅子や机は、普段埃を被らない程度には維持されている。
今、机に着く人影が五つあった。
上座、壁面積のほとんどを占める大窓を背負う影が、見渡して言う。
「まだ遅れてくる者があるが、とりあえず先に始めるのである」
大王の右手に二席と、末席のマリストアの隣に二席、座る者のない椅子が設置されていた。
……アルファとイルフィはまた倒れたって聞いたけれど。
空席を見つつ、やっぱり無茶だったのかしら、とマリストアは思う。人と接することに慣れようという目標設定は良いが、方法が拙かった。相手がメイフォンでは初心者にとってあまりにも不親切すぎる。
大王の合図で、控えていた召使が机に皿を並べ始めた。野菜を使った料理が多く並ぶ。大王もノーヴァノーマニーズ人の例に漏れず、菜食主義者であると聞く。
会食が始まった。
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トォルは、食堂の隣にある空き部屋にいた。会食の場に出るのは出ると決めたが、大王が呼ぶまで隣の部屋で待機しているように言いつけられたのだ。自分がいると、自分に話題が集中する可能性を危惧してのことだろう。ノーヴァノーマニーズの大王は、本題ほど食事中に話すことを嫌う。自分が呼びつけられるのも、かなり後のことになるだろう。いつもの時間配分だとおよそ二時間後くらいだろうか。
妹たちが学院で何の研究をしているかは知らないが、今頃はその内容について盛り上がっているに違いない。意外だったのはニールニーマニーズがノーヴァノーマニーズへ来ていないということで、最も大王と話が合いそうなのに勿体ない。
……大王と二人で盛り上がるだけ盛り上がって、他の人は置いてけぼりだろうなぁ。
自分がイスカガンを発つまでの段階で、既に学院へ入り浸っていたような弟である。噂では現在マリストアより学年が上だと聞くが、この噂からはむしろ、あの妹も無事に後期課程へ進んだという点に、兄としての安心を得ている。
意外といえば、メイフォンが無事に学院初等課程を修了したというのも意外だった。結局なあなあのうちに騎士団に入ったりするものかとばかり思っていたが、留年すること二回、無事に七年で卒業したらしい。
と。
「あと八十秒でこちらのお皿が、あと百十秒でこちらのお皿が、それぞれトォル様のお口に合う温度まで下がるものかと判断いたします」
という声で、トォルは我に返った。実のところ、いざ会うのだと決めたらなんとなく楽しみにしている自分がいることも否定できない。
机に並べられた皿からは、白い湯気が上がっている。
「あー、うーん。ありがとう」
頭を掻きながら、隣に立っているミョルニを見た。姿もそうだが、声も、
……慣れない。
背が少し伸び、かなり流暢に話すようになった。こういうものだとわかってはいたし、聞かされても居たが、成長が一足飛びであるためどうしても違和感が勝り、慣れぬ。ミョルニより三つ四つ年上の姉だ、とでも言う方がしっくりくるくらいである。
「わたくしが息を吹きかけて冷ました場合、三十秒程度の待機時間短縮が見込めますがいかがいたしましょうトォル様」
「いや、遠慮しておこうかな……?」
「そうですか。わたくしは今、残念を感じているという風に判断いたします」
雄弁にはなったが、声音も顔色もまったく平坦なところがミョルニっぽいと言えばミョルニっぽいだろうか。どことなく面影を残しているように感じる。
年の頃は十四、五歳といった姿だった。いつもの服に大きいものの用意がなかったので、今はノーヴァノーマニーズ大王城の召使たちが着用する制服に身を包んでいる。
「そんなことよりさ、ミョルニも一緒に食べようよ。立ってないでさ」
「いえ、わたくしはトォル様の忠実なる下僕でありますので」
「前まで、というかなんなら今朝まで一緒に食べてたでしょ?」
さあ、とトォルの前に並ぶものと全く同じ料理の皿を手で示す。二人のために大王城の召使たちが運んでくれた夕餉の皿だった。主な材料は肉である。
続けてもう一度、今度は隣の椅子を指して「さあ」と促すと、「でしたら」とミョルニが言った。
「トォル様が、あくまで今朝までの未熟なわたくしを引き合いに出して、それと同じように懼れ多くも主人であるトォル様と同席し、更にはお食事までご一緒させていただくことをご命令されるのであれば」
ミョルニがトォルの膝に腰かけ、体重をこちらに預けつつ、続けて、
「今までのわたくしに対するそれと同じように、トォル様のお膝の上で、手ずから食べさせてくださることを所望いたします」
「……ミョルニ、あんまり変わってない気がしてきたな」
「いいえ、そんなことはありません。わたくしは成長いたしました。さあトォル様、わたくしにあーんしてください。そちらのお料理など、ちょうど食べごろかと判断いたします」
左手で箸を取って、肉をミョルニの口に運んだが、これでは彼女が言うような「あーん」などではなく、二人羽織りだよなあ、とトォルは思った。なお、お返しにとミョルニが料理を口に運んでくれたので、少しだけなら成長を認めても良いかもしれない。
どんな形であれ、自分の願望を表現し、能動的に動くようになったというのは、今までのミョルニになかった変化だろう。
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言うか言うまいか迷ったが、結局、黙っておくことにした。
危険な存在がこの城にいた、しかし気配は消えた、など、下手をすれば一国の主に対する難癖だ。万が一への備えは万全の状態で臨んでおり、いつでも動けるようにはしてある。破ってしまって申し訳ない、とスーツを召使に返却し、メイフォンは今、着慣れた服装で会食に臨んでいた。イスマーアルアッドに見咎められたが、一応その時、兄にだけはこの事を報告している。
今、大王城の中に特に怪しい気配はない。気配を消している気配や、明らかな敵意をばらまく気配などは一切感じられない。常在戦場――気付けば身に着けていた、第六感ともいえる危機感知能力が、現在特に危険はないと言っている。
机には酒も用意されたが、メイフォンは手を付けなかった。酔わないことに関しては自信があるが、今は気分ではなかった。安全が確認され次第、結局見つけられなかったセラムを拉致して二次会へ行くことを決める。今頃彼女はどこを歩き回っていることだろう。
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「見つけたぞ兄さん! 貴様、あることないこと言い触らしてなんのつもりだ!」
「ちょっと待ってなんか酔ってる? 酔ってるな!? 落ち着いてセラム、話せばわかる」
「……………………」
「いや、外堀から埋めようかなって――待って待って暴力は駄目、頭はやめて頭は、脳細ボッ」
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大王は、食事の場では雑談することを好む――というより、商談や会談などはしないと決めているらしかった。知識欲の塊みたいな人物であるが、そうであるがゆえに三大欲求は潔癖な程に遵守するというのが彼女の心情であるらしく、たとえば食事の場などでは雑談程度の会話しかしない。
今、メイフォンを挟んで左右、アイシャとマリストア、大王の三人が、マリストアの専門分野である人権関連の問題について議論している。メイフォンにはさっぱりだが、彼女たちにとってはあれが雑談程度の会話なのだろう。大陸を無理矢理まとめ上げたことによって生まれた軋轢が、種族間に問題を生むというところまでは理解できる。
焦点をずらすと、大王の背後、大窓の向こうに夜の海が寄せては引きを繰り返しているのが見えた。太陽はすっかり水平線の向こうに姿を消し、外は星と月明かりのみだが、城の中は煌々と光を湛えている。大王曰くまだ一般に実用化して広めるまではできないが、試作として大王城で使っている新光源とのことだった。火を使用した灯りとは光量が圧倒的に違う。
そうして、あらかたの料理が出尽くし、片付いた後。
大王が「さて」と言うのを、四人は聞いた。
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アルファとイルフィは、客室に居た。
気を失っていた時間は短いものだったようだが、気付いた時には客室に運び込まれていた。イスカガンから連れてきた傍付きの下女が、大丈夫ですか、とこちらを覗き込む。
二人は体を起こし自身の体の具合を確かめる。おおむね異常はなさそうだった。今までのように、鈍い頭痛や倦怠感なども感じない。むしろ調子が良いくらいだ、と述べると、
「でしたら、現在ノーヴァノーマニーズ大王との会食が食堂で行われておりますが、参加いたしますか?」
体調さえ許すのであれば、遅れてでも参加してほしい、とのことだった。正直面倒なので断る。そんなことより、
「やっぱりあれってトォルよね?」「どうしてこんなところにいるのかしら」
少し記憶が混乱している部分もあるが、気絶する直前を思い出せる限り思い出してみる。不審者が出た、と思ったら実兄だった。実兄だと思ったら全身から血が噴き出して倒れた。なるほどわからん、この辺りで自分たちは意識を手離しているが、つまり何が起きたというのか。
食欲の有無を問われたので、あると返す。双子は、給仕を始めた下女に自分たちがどのように倒れていたかを問うた。
「アルファ様とイルフィ様ですか。えっと、私が聞き及んだ範囲ですと、廊下で倒れているところをヘイズトーポリ大王が発見・保護したということでしたが」
「他に誰かいなかったかしら?」「東洋系の男は?」
「いえ、特にそう言った情報は聞いておりません。ただ、アルファ様とイルフィ様が倒れていた、と」
「――そう」「ありがとう」
聞いていないのならば仕方があるまい。
二番目の兄、トォルは数年前にイスカガンを出てから、なぜか一度たりとも帰って来ない。学院卒業後、大陸漫遊に出ているとのことだったが、今は偶然にもノーヴァノーマニーズにいる――そうであるなら、会ってみたかった。最後に見たのは自分たちが六歳の頃だが、意外にわかるものである。
イスカガンの外について、聞いてみたかった。自分たちは生まれてから今までのほとんどを、イスカガン城内のみで過ごしてきた。今回、西行の旅路でいきなり最西端だが、
「もっといろいろなことを知りたいもの」「私たちは城の外のことを知らなさ過ぎたのよ」
そもそも勉強は長く集中できない性質である。最低限の知識として八国や特徴程度は抑えているものの、ヤコヒメの件もある。彼女から口伝えで聞いた数多――本を読むだけでは得られぬ知識が無限にあると気付かされたのだ。
これからは当然書物なども読み進めつつ、自分たちの直接の体験も大事にしていく。また体験など、話を聞く機会があらばそちらも聞きたい。自分たちが今までどれだけ狭い世界に生きていたかに気付かされた双子たちは、手っ取り早く効率的に知見を広める手法として、詳しい者の話を聞く、という方法を選択したわけであった。
メイフォンなぞもわりとイスカガン内外を問わず外出するのだが、あの姉はまだ自分たちにとって難易度が高い。もっと経験値を積んでからだ。
少なくとも城の中にいるらしきことはわかっている。血塗れで倒れたことには気絶するくらい驚いたが、自分たちが発見された時点でその場にいなかったということは、恐らく何ともなかったのだろう。あるいは、然るべき処置を受けているか。どちらにせよ、大事には至っていないということだ。
これからの時代、受け身で居ては淘汰されてしまう。能動的に行け。今までを恥じ、積極的に知見を広めること――ヤコヒメとの接触で痛感した、自分たちへの課題だった。知らないことはいっそ罪ですらある。
しかしその前に、
「まずは腹ごしらえよ」「お腹が減っていては戦もできないものね」
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「では改めて。遠路遥々ようこそノーヴァノーマニーズへ、吾輩がヘイズトーポリである。大王と呼び給え」
大王、という呼び名に似つかわしくない矮躯。緑みの強い髪。
イスマーアルアッドは、居住まいを正して言う。
「では大王、早速だが――」
「ああ、わかっているのである。用件はできるだけ早いうちに解決するのが吾輩の信条であるゆえ、早速吾輩が推薦する次期皇帝候補を発表する」
晩餐会の前にやれば良かったのでは? とこちらが思うほど呆気なく、大王の口から皇帝候補が発表されようとしている。現在の得票は勇者とイスマーアルアッドで三票ずつ――実質、彼女の意見によって皇帝は九割がた決定すると言っても過言ではない。
イスマーアルアッドは生唾を飲み込んだ。
大王が口を開く。
「吾輩が次期皇帝候補に推薦するのはこの者である」手を叩くと、扉が開いた。「入って来給え」
おずおず、といった調子で食堂に入ってくる人影。そちらの方を見もしないで、大王は続けて、
「現在、イスマーアルアッドと勇者とで三票ずつだと聞いているのであるが――吾輩は、そのどちらでもなく、新たな候補を擁立するものである」
その言に意外を感じつつ、イスマーアルアッドが視線を食堂の入り口に向けた。妹たちも同様に、視線をそちらにやっている。
視線が集中する先、片手を額に当て、もう片方をこちらに立てて見せる姿でそこにいたのは――
「ちょっと待ってくれ、今、どういう状況だ?」
「……セラム?」
メイフォンが呟いた。
ノーヴァノーマニーズの食卓、とりわけ大王のそれは、品数が極端に多く、かつ一品あたりの量が少ない。