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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈下〉
58/78

#33 参戦の二人

 ★


 ノーヴァノーマニーズの伝統的な建築様式では、採光がかなり重要視されている。

 新区街道側は外から来た者たちによる建設のためその限りではないが、旧区海側に整然と立ち並ぶ研究所は、皆一様に巨大な天窓を持っていた。

 壁が異様に高く、一階建ての研究所が通常の二階層分程度の高さを持っているのはそのためだ。すなわち、背の高い大王城から覗かれてしまわないためであり、新区が開発され始めてからは、そちらに対する目隠しのためにもなった。

 外からの光を多く取り入れる設計――当然大王城もその例に漏れず、採光用の大窓、天窓が数多く配置されている。壁は城外の研究所ほど高くはないものの、それでも天井はかなり上の方だ。壁の上端が緩く傾斜し、半円の形で天井を形成している。


 今、その廊下を歩く人影が、大窓を次々に横切っていった。

 ノーヴァノーマニーズ伝統の衣装に身を包み、高いところで髪を結わえた東洋の女。慣れないスーツの調子を確かめつつ、時折立ち止まっては肩や腰の布を摘まんでいる。白のシャツに巻き布状の黒スカート。浅く入ったスリットからは健康的な腿が覗く。

 先程これを持って来た召使の言によると、この衣装がノーヴァノーマニーズ伝統のものであるというのはあくまで自称で、実際は伝統的でもなんでもなく、ただ流行っているだけとのことだった。外来の服屋が考案した試作が偶然ノーヴァノーマニーズ国内で広まり、改良されて大流行。実質国民全員が来ているのだから伝統の衣服だと、そういうことらしい。大陸にはまだそれほど広まっていないので、伝統でなくとも固有の文化であるのは間違いないだろう。


 ……慣れんな。

 肩や腰回りなど、やや窮屈で調子が出ない。

 メイフォンとしては国から持参したいつもの服を着るつもりだったのだが、大王の計らいにより用意されたとあっては袖を通すしかなかった。妹たちがいた手前もある。アイシャもマリストアも、今頃同型のスーツを着ているはずだった。

 男女関係なくスーツを着るらしい。好みで襟飾りや襞装飾、ネクタイなどあったが、メイフォンは遠慮した。ただでさえ窮屈な衣装をこれ以上窮屈な意匠にしたくない。

 今こうしてメイフォンが廊下を一人行く所以は、それらを着付けているアイシャとマリストアを置いて、先に出ることにしたからであった。スーツを常とする友人、セラムを探して大王城を進んでいく。

 セラムは一般人だが、故郷がノーヴァノーマニーズとのことで同伴を打診したのだ。

 メイフォンは、自分が会議などの場が苦手であることを重々承知している。そのため、これからの夕餉の場のように、なにか政治的な話がある場ではできるだけ逃げ出すことを信条としていた。セラムには、その時酒に付き合ってもらうつもりでついて来てもらったのだ。

 しかし、

 ……まさか先に行ってしまうとはな。

 足早に、城の玄関へ歩を進めつつ、思う。

 セラムに割り当てられた客室へ行ったとき、すでに彼女は街へ繰り出した後だった。近くにいた使用人を捕まえて話を聞くと、街へ繰り出してしまったという。そういえば、一緒に行こうという約束などしていなかったと今更ながらに思い至る。


 廊下の壁に、かなり大胆に取り付けられた大窓から差し込む西日が影を橙に照らす。

 そして。

 ようやく玄関が近づいてきたとき、メイフォンは、身の毛もよだつような悍ましい気配を感じて、思わず首を竦めた。

 反射的とはいえ、大きな隙を作る動きを取らされてしまったことに驚きつつ周囲の状況を探る。

 気配は、突然現れた。

 上方。城のかなり高いところに、何者かすさまじいまでの力をばらまいている者がいる。殺気、などという曖昧な物言いをメイフォンは好まないが、これまで戦場にて幾多もその片鱗を味わって来たのだということに、ようやく気付く。冷たい刃物が背筋を下り、指先が痺れを覚える。

 かつてイスカガンを襲った魔王から、似たような気を感じた。しかし当時のそれは、戦闘に臨む自分に心地の良い緊張感を与えただけだった。

 行きかう使用人たちが怪訝な表情を浮かべてこちらに近づいてくるが、今は構っている暇はない。近くの階段を探し、最上階を目指して駆け上がる。建て増しが繰り返し行われたと聞くが、その影響か道のりは行き来や上下を繰り返すものとなった。


「……うっ」


 ようやく最上階に近づいた時、メイフォンは、思わず顔を顰めた。

 実在しない血の匂い(・・)を拾う。殺気は、血の匂いによく似ている。

 イスカガンの魔王――蛇竜に感じたそれとは比べ物にならぬほど強い鉄錆びた空気が、廊下の奥から漂ってきていた。玄関を背にしたことで体の前後が入れ替わり、右手側から差す西日が鮮烈な朱を投影している。

 先程の様子では、使用人たちなど、一般人には気付けぬものだろう。

 しかし斯様な殺気、放っておくにはあまりに危険だ。実害がなかったとしても、正体を確認しておくのは大事だろう。

 何より――強敵だ。

 蛇竜なんぞより、遥かにずっと。なかなか手合わせに乗ってこない勇者を相手に溜まりに溜まった鬱憤を晴らす良い機会だ。

 スカートを手で破り、その切込みをさらに深いものとする。胸元の釦も一つ外した。いつもと違い、底の低い靴を履いていることによる視界の違いは、駆け出して数歩で調整する。

 一歩を踏んで二歩目で身を飛ばし、三歩目で瞬発した。

 加速する。


 ★


 一定以上の距離を取ってしまうと、体中の血管が炸裂する。

 あの日、己の右腕だったと思しき白髪の幼女を引き取ってからすぐに判明したことだった。

 初めは単なる偶然だったが、その後は限界の距離を知っておくためにと、幾度か距離を取る実験も行っている。数日間の昏倒覚悟で条件を変えて距離を取り、限界距離を計測した。わかったこととしては、あまり自発的な行動をとらない本人が、距離を取ることには強い拒否反応を示すこと、強く厳命すればありとあらゆる要望に沿うこと、そして通常時の限界は部屋の壁から反対側の壁くらいの距離だが、トォルが極限まで集中していれば、イスカガン居城から図書館くらいまでの距離はなんとか持つらしいということだった。

 また、ミョルニは動物の肉しか消化することができないが、恐らく動物由来であれば血液も好むらしいということもわかっていた。特にトォル自身の血液に対して強い執着を見せ、トォルが出血した場合は、他にどのような命令がなされていたとしてもそれを廃棄し、すぐさま血を啜りにやって来る。その執着具合と言えば凄まじく、床や地面に垂れた血液、血を吸った布であっても、形振り構わずその小さな舌を這わせるくらいだ。このトォルの血に対する()血衝動は、血液が乾燥するまでありとあらゆる命令を上回り、唯一トォルの厳命を無視できる例外らしい。なお、トォルの血液以外には、食肉に対するそれ以上の反応は見せていない。

 なぜミョルニがこれほどまでに血液に執着するのか――唯一理由を知る本人は、いまだ黙して語らないが、トォルはなんとなく、その理由を感じていた。自分とミョルニの関係が何とは言い切れないが、恐らくミョルニは自分が死んでは困る存在なのだろう、と思う。

 一心不乱にこちらの体に舌を這わせ、噴き出す血液を舐めとるミョルニの頭に左手を乗せると、視線がこちらに向いた。

 ……せっかくのきれいな肌が、赤く染まって勿体ない。

 見つめていると、ミョルニは再び血を舐めとる作業に戻った。

 顔中を真っ赤に染めて、小さな両手はトォルの両脇腹当たりを掴んでいる。舌が通過すると、血液はそのほとんどが彼女の口の中に消えた。

 実験を繰り返すうちにわかったことがもう一つ、彼女の唾液には炸裂した血管を正常に戻す作用があるらしい。そしてそれはトォルに対してのみ有効で、他人の傷口に対してはなんらの効果ももたない。また、理屈はわからないが、例えば唾液のみを瓶などに詰めて、それを傷口に掛けると言った使い方もできないようだった。

 ミョルニと距離を取ると体中から血が噴出するという理由は結局判明しなかったが、彼女が一心不乱にこちらの血を舐めとる理由はなんとなく察しがついていた。

 ……僕のことが心配なんだよね。多分だけど。

 可愛い奴め、とトォルは再びミョルニの頭を撫でようとしたが、その前に彼女に腕を捕まえられ、舌が指先から順に這った。


 そうして瞬く間に全身の血が舐めとられた後、ようやくトォルの意識は覚醒した。確認したことはないが、恐らく脳の血管も例外なく破裂しているのだろう。

 ようやく正常に思考できるようになり、そこではじめて自分が直前まで何をしていたかに思い至る。そうだ妹たち、と廊下の奥に視線を送るが、意外なことに二人はすぐそばで気を失っているようだった。駆け寄って様子を見るが、特に怪我もしていなければ具合の悪そうな素振りもない。この分だと、しばらく安静にしていれば問題なく目を覚ますだろう。

 大王も同様で、うっすらと残る記憶の限りではミョルニが自分に飛び掛かって来た時に突き飛ばされ、その衝撃で気を失ったようだった。こちらも大事はなさそうで、呼吸の有無を確認している際に目を覚ました。


「大丈夫ですか?」

「……気を失っていたのであるか」

「えっと、はい、一瞬だけ。どこか具合の悪いところとか、あります?」


 アルファとイルフィを回復体位に動かしつつ、問う。双子のこれは、大事を取っての処置だった。気を失っていても繋いだ手は離れないようで、鏡合わせの回復体位が完成する。


「すみませんでした、大王」


 ひとまず妹たちは大丈夫だと判断して、大王に向き直る。

 すると、片眉を上げた表情を見せたのち、大王が言った。


「ああ、条件付きで許してやるのである」


 返答に、う、という音が漏れた。もしかして初めからこのつもりだったのかと一瞬思ったが、軽くとはいえ怪我をさせてしまった手前、強くは出れぬ。

 わかりました、と答えるしかない。

 答えると、大王が、ふいと視線を横に向けた。つられ見ると、すっかりトォルの血を舐めとってしまったミョルニが、己の口周りについた血液を一心不乱に舐めとっているところだ。


「条件は二つである」

「一つじゃないの!?」

「誰も一つとは言っていないのである。まあ聞き給え。ミョルニと貴様について、徹底的に調べさせることと、それから――」


 大王の提示した条件。それを聞いてトォルは、冗談で済ませてくれるつもりなのか、と、大王の寛大さに感謝した。まあミョルニとトォルのことについて調べさせろと言い出すであろうことは火を見るよりも明らかであったし、むしろ大陸中で最も知能の高いと言われる大王の協力の下で自分たちのことについて調査できるというのであれば、願ったりかなったりであるとさえ言えるだろう。

 トォルは首肯した。


「とりあえず、医者を呼んできます。妹たちを見ておいてくれませんか?」

「逃げるつもりは――なさそうであるな」


 もはやどうあがいても逃げること能わぬ。であれば、これから兄弟姉妹と遭遇することを前提として、どうミョルニを隠すかが問題となって来るだろう。怪しまれた時点で負けとなる。勝利条件はこちらの背景について一切、匂わせすらしないこと。

 トォルはミョルニの手を引くと、抱き寄せた。血を舐めるのに夢中になっているミョルニが万が一ついてこないとも限らない。そのようなことになったらまた面倒である。大王も新しい(トォルと)実験動物(ミョルニ)の確保に成功して目を輝かせているし、


「行こうか、ミョルニ」

「はい、承服いたしました」


 喋った。


 ★


 出現したときと同様に、悍ましい気配は唐突に消えた。

 有事とはいえ一応八王が一角の城であるので、廊下に穴が開かないくらいの限界速度で駆け抜けていく道程。気付かれたか、と思って急停止。床を蹴って壁、天井と走り、直進の運動を円で消費しきる。

 動きを完全に止め、逃しきれなかった勢いが髪を広げた。結った黒髪が壁を擦る。周囲、偶然通りかかった使用人が「どうかしましたか」と声を掛けてきたが、人差し指を口元に立てて黙礼するに留めた。

 集中して気配を探る。しかし、それらしきものはやはりない。気配を潜めたというわけでもなく、単にいなくなったと、そういう風に思う。「気配を潜めている気配」がないのだ。単純にこの場を去ったという風に解釈するのが自然である。

 メイフォンは立ち上がると、膝を払った。とりあえず警戒を解くことはしないが、ひとまず脅威は去ってしまった。イスカガン騎士として、遊興にうつつを抜かしているわけにはいかなくなった。ひとまずはアイシャ、マリストアと合流し、アルファとイルフィを探す。危険人物が潜んでいる可能性があり、なおかつ、現状彼の者の意図がわからない。これより、皇族の護衛任務に就く。

 差しあたっては、不本意ながらも大王との会食に参加することになるため、破いてしまったスーツを替えねばならぬとメイフォンは踵を返した。





 推敲してる時に思ったんですけど、幼女の瓶詰め唾液が有効だった場合トォルは万が一の為にそれを携行することになるわけで、心底有効じゃなくて良かったなあと。

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