#30 浴場の娘達
★
アルファとイルフィは、案内してもらった扉を開けた。
かなり広い空間に、大小二つの湯舟と、壁の高い位置から落ちる滝、それから洗い場が備え付けられた大浴場だ。
真っ白い湯気が濛々と溢れ出して来て、慌てて中に入り扉を閉める。
「背に腹は代えられないわ」「ごきげんようお姉様方」
先客の人影が三つ。
二つは中央、少し深い大湯船の中に腰くらいまで浸かっている。黒髪と金髪、アイシャとマリストアだ。
褐色の肌を持つ方の姉がこちらにいち早く気付き、驚きの表情と共に言葉を送ってくる。
「珍しいですねぇ、アルファとイルフィが他に人がいるところに来るなんて」
「イスマーアルアッドと一緒じゃなくても大丈夫なの?」こちらは真っ白の肌を少しだけ赤くさせた姉の言である。「まあ多分、アレ待ってたらいつお風呂に入れるかなんてわかったもんじゃないけれどね」
「私たちも、そろそろ変わりたくなったのだわ」「いつまでも他者と交わらずに生きることはできないのよ」
手桶を拾い、交互にそれぞれの体に掛け合う。
当然道中濡らした布で拭くなど最低限のことはしていたが、久しぶりに湯を浴びるだけでかなりこざっぱりした気分を得た。
「ちなみにあそこにかなり経験値得られそうなものがいますけれど、良かったらどうですかぁ」
アイシャが指差す先を見る。
今まで何となく触れないようにしていたが、
「対人初心者にアレは無理よ」「瞬殺されて終わるわね」
高い位置で結わえた黒髪。無駄な脂肪の削ぎ落された、研ぎ澄まされた刃物のような肢体。マリストアの様を女性らしさとして完成された肉体であるとするなれば、武人として完成された肉体の持ち主だ。
「マリストアを見た後に見ると安心しますねぇ」
「胸の話よ」「胸の話ね」
胸の話だ。
本人はまったく気にしていなさそうどころか、戦うのに都合が良いとか思っていたりしそうなものである。無駄な肉を削ぎ落し、一個の兵器として肉体を鍛え抜いた結果としての薄い胸だ。マリストアのように官能的な魅力はないが、美しさという点ではまた違った観点で十分勝負できる。
アイシャは勝手に下に見ているようではあるが、双子から見ると五十歩百歩である。辛うじてアイシャに軍配が上がるといった具合か。もちろん自分たちは同じ土俵にすら上がっていないが、
「私たちはまだ成長可能性を残しているのよアイシャ」「つまり貴女は私たちの未来乳に負けているというわけね……!」
「可能性の話をするならお姉ちゃんだってまだ大きくなる可能性ありますよぅ」
「そういえば最近また大きくなって肩が凝るのよね……要る?」
捥げるまで揉んでやろうかと思った。
大人なので実行はしないが、と双子は自分たちに言い聞かせつつ洗い場の方まで退散する。そして繋いでいない方の手で互いの髪を洗いながら、話題を変えた。
「他人と一緒の空間にいることで体調を崩すだなんて、いつまでも言っていられないのよ」「だから身内から慣れていこうと思って、その、これからよろしくお願いするわね」
「え? あ、はい、良い心がけだと思いますが、無理はしないでくださいねぇ」
「ちょ、やめ、アイシャ、そんなに激しくしちゃ、だめ……んっ」
「おい貴様ら、子供が見ているのに堂々と乳繰り合うな、教育に悪いだろう」
「あれ、もう修行は良いのですかぁ」
「ああ、その――飽きた。礼儀だと思って十分ほどやったがあんまり楽しくなかったし、のぼせてしまう前に普通に湯を浴びようかと思ってな」
言いつつ、メイフォンが双子のすぐそばに椅子を持ってきて座る。
どれ、と言ってこちらの頭に手を乗せた。片方ずつ、順番だ。
「片手じゃ洗い辛いだろう、私が洗ってやる」
細長く、硬い指だ。意外にも、力加減は適度で心地良い。
順番に洗髪され、泡を流してもらう。
「ところで貴様ら、良い体つきをしているな」
「ちょっと、体は自分で洗うから――」「く、くすぐった、やめ、そんなところ触っちゃだめなのよ」
★
体の各所を触りながら、疲労の度合いや筋肉のつき方などを確かめていく。
……お。
意外に思うのは、武術の素養がありそうなことだ。髪を洗った時はまあ自分のついでというかなんというか、気分でというのがより正解に近い回答になるのであったが、黒色の矮躯に視線を移すと、見ただけでもわかる理想的な筋肉のつき方に思わず触ってみたくなったのだ。
「良い……すごく良いな、触れば触るほど理想的な体をしている!」
「ねえアイシャ、私、実の姉が年下の女の子を次々毒牙に掛けていく姿に戦慄を禁じえないのだけれど」
「お姉ちゃんはお前より何年か長く生きているので忠告しますけれど……そういう世界もあるのですよぅ」
外野が何か言っているが今は知らん。あの二人は私の知らぬ言語を操ることがある。
アルファとイルフィ。何かにつけてすぐに体調を崩し、人前にも出たがらず、軟弱な妹たちであると今まで思っていたところは否定できない。過ちは認める。そして反省し、次に活かす。自分の過ちを素直に認められる私は良い女だ。
メイフォンは双子の腕から肩、背中にかけてを入念になぞりながら、一応主題を忘れていないという言い訳のために泡で線を引いておく。
なんだか楽しくなってきた。
「貴様らさえ良ければ、風呂を上がったらすぐにでも始めないか?」
武道を。
「私の部屋に行こう、貴様らはすごく良い体をしている。少し興奮してきたぞ」
★
双子は、風呂場で体が濡れているにもかかわらず、変な汗が噴き出すのを感じていた。
背後、自分たちの体を洗ってくれている――と言う風に言っている――姉の鼻息が荒い。
風呂を上がったら始める、良い体をしている、という発言。それに加えて、先程から熱心に胸の辺りや腿の辺りを弄られている。
★
木登りが趣味で困っている、と侍医から聞いた覚えがある。武術の心得はないはずだが、それであっても、
……なんと理想的な胸筋! 大腿筋も良い形をしている。この年齢でこれなら、すぐにでも一戦で活躍できるようになるだろうな……!
その場合、まだまだ体が成長途中なので、相手に舐められないようにするなどの部分でも鍛える必要がある。まあ戦争などは今後大陸では起こらないが、武道の手合わせ、試合などの機会はある。双子を鍛えてウー王にけしかけるのも面白いかもしれない。
★
時折「舐められないように」や「かける」などという言葉が漏れ聞こえてくるのだが、一体何をさせられてしまうのかしらね……?
身の危険を感じたので双子は逃げ出そうとしたが、泡と湯で足が滑り、綺麗に後頭部から床に行った。
強く目を瞑り、来る衝撃に備えるが、
「……?」「痛――くはないわね……?」
「水場では走るな、怪我をするぞ」
恐る恐る目を開ける。
浅く眉を立てた姉の顔が上にあった。乳白色の肩から腕にかけてが自分たちの背中に回されており、緩く抱かれている。
一切の衝撃もなく、メイフォンが受け止めてくれたのだ。
「あ、ありがとうなのだわ」「……ごめんなさい」
「いや、すまん、私も君たちの体に少し興奮してしまった」
いくらなんでも経験値がありすぎる。
アルファとイルフィは、やんわりとメイフォンの腕から脱出し、自然な動作で泡を流し、風呂場を出ると、高速で服を身に着けて脱兎のごとくその場を後にした。
現状特に目的地など決めていないが、迷わなければ割り当てられた客室へ戻って、比較的薄味気味な下女辺りで経験を積もうと思う。いきなりの姉共は少し灰汁が強すぎる。拙いのはメイフォンのみならず。他の姉は他の姉で、アイシャが無言無表情でマリーの胸を捏ね続けていたし、マリーはマリーで何故満更でもなさそうなのか、自分たちにとって最も脅威だったメイフォンの背後、あの二人はあの二人で何をしているのだ一体という感だ。
刺激が強いというかなんというか、アレらと同じ集団に数えられたくなかったので逃げ出した。
ともあれ、
「体調は大丈夫だったわね」「何となく不本意だけれど、あの車椅子の人の言う通りだわ」
己らの体の中に何かが入ってくるような感覚が消えたわけではないが、今までのように、体調を崩したとかそういった感覚はない。
むしろ調子が良いくらいだ。変に暴れたからか、命――と他色々――の危険を感じたからか、昂揚した感じがある。
二人はノーヴァノーマニーズ大王城の廊下を走って行った。
★
勇者は、ニールニーマニーズが元の姿に戻っていることに気付いた。
白けた金髪。くすんだ碧眼。色の白い肌。衣服には破れや汚れはおろかほつれ一つなく、勇者の傍らに座っている。
体を起こすと、こちらが目を覚ましたことにも気が付いたようだった。地面から生やした木の幹に腰かけている。
「おはようございます勇者様、お加減如何ですか? 痛いところとかあります?」
「……元に戻ったのか」
「え? ああ。ずっとあの状態で居ると色々消耗が激しいので、元の姿に戻りました。その……先程は失礼しました、ごめんなさい。ちょっと気が大きくなっていたというかなんというか……」
そうか、と呟いて、体の調子を確かめる。
恐ろしいことに、全身どこにも傷は残っていない。至る所にこびりついた血や激しい衣服の破損などがなければ、ヤコヒメとの一昼夜に渡る戦闘が夢や幻であったのかと思うほどである。およそ不調らしき不調が見つからない。
「俺はどれくらい寝てたんだ」
「えーっとまあ、二、三時間くらい……ですかね?」
言われて太陽の傾きから時刻を計算するが、西の空が茜掛かっているところである。記憶の限りでは、おおよそニールニーマニーズの言う数字で間違いないだろう。
勇者は胡坐を掻いて座り直す。
「ヤコヒメもな、《洗脳》魔法を使いやがったんだ」
「はあ、そうなんですか。勇者様と同じですね」
「だから完全に始末するまで、俺は意識をトバすわけにはいかなかった。わかるか? 土壇場でお前の《洗脳》権を奪われるとも限らねェからだ」
彼女の《洗脳》魔法がニールニーマニーズを上書きしないとも限らぬ――かつて《洗脳》を過信しすぎて舐めた苦汁を思い出す。
念には念を入れて。入念に。そういうことだった。
ヤコヒメの首は己の手で落としたし、動かなくなったのも意識を手離す寸前で確認済みだ。今頃はこのあたりの地下で物言わぬ躯と化している。
「ごめんなさい勇者様、次からは気を付けます」
「俺も大人げなかったよ、悪ぃな。ちゃんと説明せずにいた俺も悪い」
勇者は一つ息を吐いた。
長く続いた戦闘が終わったことによる開放感が、ようやくやって来る。この辺り、実感はまだ薄いが、
……ともあれ一つ山場は超えたな。
疲労感、痛みなどそういったものはニールニーマニーズの蜜によって軽減、あるいは取り払われており、苦にならない。
立ち上がる。
記憶が正しければヤコヒメを飲み込んだ木があった場所に、真新しい下草が生え揃っている。わかっていて見れば、周囲の下草と比べて若干の違和感はあるものの、何も知らない者が見れば絶対にわからない仕上がりだ。
「それじゃあ戻るか――アルタシャタとエウアーを殺しに」
「えっ、殺して大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ねェ。……ちなみに、誰にも見つかってねェよな?」
さすがに距離があると無理だろうか、と半ば駄目元で問うてみると、
「ああはい、接近する足音は一つもありませんでした。多分大丈夫だと思いますよ」
そういえば草木を踏み分ける音を頼りに、こんなところまでヤコヒメを追って来たのだった。勇者はよし、と呟くと、体の調子を確かめつつ数歩歩き、問題ないことを確認してからイスカガンへの道を辿り始めた。
ニールニーマニーズがそのあとを追う。
「そういえば、ヤコヒメにはべったりくっついていた従者がいたと思うんですけど」ニールニーマニーズが後を追いつつ言う。「なんでしたっけ、ソウビ? とかいう下女が」
「ああ、なんだ気付いてなかったのか」
勇者は半ばから折れた剣を腰に吊るしつつ、歩を進める。
車椅子に座るヤコヒメの背後に常に控え、行動を共にし続けていた存在。考えるまでもなく、勇者はその正体に気付いていた。
先程まで相手取っていたのだ。
「ヤコヒメ――ツチグモヤソメの蜘蛛足の部分、それがソウビだ」
だが、
「理屈は知らん。普段はヤコヒメの身の回りの世話をする下女に身をやつしているみてェだが、まああの通り、ヤコヒメの足にもなるんだろうよ」
皇宮跡地での対峙の際も、ヤコヒメの足としてソウビが出現している。本当の彼女の姿がどちらなのかは知らないが、この際その点はどうでも良い。自我を持ち、人型としての姿、ヤコヒメの両足として、あるいはツチグモヤソメの蜘蛛足としての姿を使い分ける存在。
それが彼女なのだ。
警戒はしていたが、ヤコヒメの首を刎ねた時にソウビの崩壊も確認済みだ。元からニールニーマニーズの樹木によってほとんど粉々ともいえる状態に折れ砕けていたので、あとは砂礫のように砕け、黒い砂状に分解されたのみだった。すべて地下に埋まっている。
「ヤコヒメの体の一部だった――ってことなんですかね」
「知らん」
勇者は短く答えた。
アルタシャタ、エウアーが磔にされた木を隠す森が見えた。
★
「ところで貴様、義腕の具合はどうであるか」
「え? ああ、調子良いですよ!」「にゃあ」
「定期的に吾輩に見せに来給えと言っているであるな? なぜ来ないのである」
「え? すみません、耳が。ちょっとよく聞こえなあああああああ目がああ!」
「劣化や体格との擦り合わせが必要だから、きちんと点検しなければならぬと何度言ったらわかるのである」
「いやあ、立地条件、ちょっと悪くて」
「そこ危ないであるぞ」
「――あ、すみません。ちょっとまだ見えてなくて。――で、まあその、ぶっちゃけノーヴァノーマニーズってものすごく来辛くないですか? 定期的に寄るにはちょーっとだけ面倒かなあ、なんて思ったり思わなかったり」
「そっちがその気なら、義腕から香辛料が出る機能とかつけるのである」
「あっ、なんか便利そうですね」
「二ヶ月に一度中身の交換が必要――あとはわかるであるな?」
「――! 卑怯だぞ! そんな風に便利機能で僕を誘惑しようったって!」
「……いや、便利であるかこれ……?」
ついに第一話書いた辺りでざっくり決めた完結ライン、三十万文字を超えてしまいました。