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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈下〉
54/78

#29 木檻の蜘蛛

 ★


 何度目になるかもわからない血飛沫が舞った。

 幾度剣を振るっても刃は糸に防がれ、段々と毀れていく。


「もう秘策は尽きましたかぁ」


 血以外の要因で頬を赤く染めたツチグモヤソメ――ヤコヒメ。

 蜘蛛は珈琲で酔うという研究論文を読んだことがある、そう言ってニールニーマニーズが珈琲豆を粉にして敵に振りかけたのだ。効果は覿面で、すぐに蜘蛛女は泥酔した。

 泥酔したが――


「珈琲は良かったと思うんれすよねぇ。ほらわたくし少し酔っちゃったみたいれ、ろうれす、二人で抜け()しませんかぁ?」


 呂律が回っていない。

 ただ、それだけだ。

 だが、それだけだった。

 高速移動は結局見切れないままだ。仕掛けはわかったが、単純に身体能力にものを言わせて速く動いているだけだ、などという事実、得たところでどうしようもない。

 動く間もなかった。残像を引いて眼前に出現したヤコヒメが、柔らかな指先でこちらの頬を触る。


「――ッ!」


 剣を振るうも、もはや当たってくれすらしない。衝突の瞬間だけ姿が掻き消え、剣が通り過ぎた後にまた元の位置に現出する。


「あらあら血がこぉんなにたくさん。いっぱい()たねぇ」


 勇者の頬に付着する血を指に取り、ヤコヒメは己の唇に引く。血色の口紅。

 ニールニーマニーズによる木々の刺突とこちらの剣を高速移動で避けているため、その姿はブレ続けている。完全に遊ばれているのだ。

 彼我の実力差がありすぎる――

 勇者は《隠蔽》魔法を再び発動し、距離を取った。遠距離に限っては、ヤコヒメに《隠蔽》は効くのである。ウー王のように、誰でも彼でも気配なり第六感なりで居場所を看破できるということもない。いやそもそも、あの男がどう考えてもおかしい。姿も見えないし音も聞こえない相手の居場所を気配で探らないでほしい。


「隠れても無()れすよぉ」


 その点ヤコヒメは、攻撃やこちらの体が一定距離内にない限りはこちらを感知できない。距離に制限があるとはいえ、それでも見えず聞こえぬ己を感知しているのはもはや《隠蔽》魔法を根本から問うべき事態であるが、少なくとも一度距離を取ってしまえば、向こうはこちらを補足できないのである。

 ニールニーマニーズの生やした木から分泌される蜜は、強烈な鎮痛作用と疲労軽減、治癒促進効果を帯びている。《隠蔽》魔法で安全な距離を取っては補給を繰り返し、なんとか継戦し続けてすでに丸一日が経過しようとしていた。

 完全に消耗戦、泥仕合が展開され続けている。こちらは勇者もニールニーマニーズもかなり傷を負いはするが、蜜のお陰で致命傷がない。反対に向こう、酔わせるという作戦は確かに成功したが、恐らくそのせいで完全に遊び始めている。

 負けこそしないが、こちらも今のままでは有効打を持たない。

 奇策を弄して勝てるような相手は、元々彼我の実力差がそれほど離れていない相手だけであると勇者は思う。これほどまでに戦力に差があるのに未だこちらが死んでいないのは、単に相手にこちらを殺す気がないからに他ならぬ。それも、今はまだ、という但し書き付きでだ。


 手はある。

 できれば使いたくない、というより、使うべきではない手だ。

 上手くいけばどうということもないが、下手を打てば今後一切の計画遂行に致命的な支障をきたす、そんな手だ。

 使うべきではない――否、使ってはならない。

 束の間の膠着状態で、勇者は迷っていた。これしか手がないのであれば、使うしかない。ここで死ねばそれですべてが終わりだが、最悪下手な事態に陥ったとしても現状を打開できさえすれば巻き返しの機会は得られるかもしれない。それに、何事もなく済んでしまうという可能性も低くはない。 

 

 と。

 突如何の前触れもブレもなく、ヤコヒメの足の二本が勇者の胴体を肩口から腰に掛けて貫いていた。


「蜘蛛がどぉやって獲物捕まえるか、知っとりますかぁ? 酔いも冷めて来たし、遊びはお終いにしましょうねぇ」


 圧迫された肺から押し出された空気が、驚愕の形で口から出るよりも早く、追加で二本。今度は串刺しが左右から来た。

 縦に貫かれている体は当然避ける術を持たない。

 動かなくなった勇者を足で突き差したまま、両腕で頭を掴む。ヤコヒメの耳まで裂けた口が大きく開かれた。真っ赤な肉がてらてらと怪しいぬめりを帯びている。

 行った。

 何の躊躇もなく、頭から。世にも悍ましい音――すなわち、人間の頭を骨ごと噛み砕くときに鳴るであろう音が奏でられる。


「ッ!」


 その時、何かに気付いたヤコヒメがその場から飛び退ろうとした。

 地面から、これまでの比にはならぬほど大量の木々――枝というよりも、もはや幹そのものとも言える太さだ――が突き出し、周囲の空間を一気に埋めた。八本の足をいくら高速駆動させようとも、次から次へと木は生え続け、自由に身動きできる空間がどんどん狭まっていく。


 そして。

 勇者はその様を、《隠蔽》魔法で距離を取って眺めていた。


「人間がどうやって虫を捕まえるか知ってっか? 餌を用意して、その周りに罠を設置するんだよ」


 ぎ、から始まりあ、と長く続く、化け物の咆哮が圧となって身を震わせる。


「ニールニーマニーズ! 全力でやれ!」


 もはや返事はないが、木々の成長速度がさらに上がり、何百もの幹が絡まり捻じれ合って一本の木を作っていく。樹木が成長するめきめきという音とは異なるものが、かすかに聞こえてくる。硬い物が無理矢理圧搾される音だ。もはや原形も留めていないことだろう。

 勇者は剣を慎重に構えながら、なおも成長を続ける巨大樹の元へと近づいていく。幾か所も刃毀れし、欠け、いつ折れてもおかしくはない。

 樹木の根元に、青白い球根のようなものが埋まっている。ニールニーマニーズだ。完全に返した結果、人の姿を保てなくなったものであるが、勇者が近くまで行くと、やがて球根から直接血のような色の萼が伸び、蕾が形成されて、花開くと人型の上半身が出現した。


「やあ勇者。ここまでやればさすがに生存は無理だと思うよ」


 真珠色の上半身――造形はごくニールニーマニーズに似ている。しかし、似て非なる存在だ。本当は皇族八人全員を手中に堕とすまで絶対に使わないつもりだったが、もはやこの手しか思いつかなかったのだ。

 実力差があまりにもかけ離れた相手を打ち負かすために取るべき戦術は、実際のところ奇策などではない。相手の戦力を自分よりも落とすか、自分の戦力を相手よりも上げるか。このどちらかができないのであれば、そもそも勝負など成立しない。一方的な虐殺、甚振りのみが存在する。

 何の感情も浮かんでいない表情。顔はこちらを向いているが、焦点は勇者で結ばれていない。己を通してどこか遠くを見ている――勇者は、己が見透かされているような気分になった。


 何が起きたか?

 話は簡単だ。

 かつて勇者が、魔王と化した商人に施したのと同じことをやった。今までは商人にやったことの百分の一程度でニールニーマニーズを魔物化させていたのを、ヤコヒメにはどうしても勝てぬと思い、一気に百倍に引き上げたのだ。


「疲れたろう、しばらく休み給え。なに、君が目覚めるまでにすべての傷を治しておいてあげるし、ヤコヒメのことも片付けておくよ。約束する。何も不安に思うことはないよ。なにせ僕が言うんだからね間違いない。八王如きじゃ文字通り、格が違う。格が違って核が違う。特に意味はないよ」


 あくまで軽い口調であるのに、なんとも有無を言わさぬ迫力。勇者は、真珠色の右手がこちらへ伸ばされるのを見ていることしかできない。あくまで緩慢な動きであり、避けようと思えば容易いはずなのにである。

 やはり素体が違う。かつてイスカガンを襲った魔王などとは遥かに格上の、そして新たな魔王だ。言われるがままに意識を手放して大丈夫なものかと眠気に抗ったが、花のような甘い香りが、勇者の瞼を全力で下ろしに掛かる。


 だが、

 

「カッ!」


 気合の発声。

 勇者は少しの躊躇もなく、持っていた直剣を己の腹に突き差した。朱色が激しく噴出する。


「……目覚ましには腹切りが一番だワ、やっぱ」


 絞り出すように言って、一息。突き差した剣を今度は引き抜いた。腹に空いた大穴から内臓が零れ落ちるも、ニールニーマニーズの蜜の効果で端から徐々に修復され始める。


「いいかニールニーマニーズ、俺に命令するな」咳き込み、血の塊を吐き出す。「お前いつから俺に命令できるくらいエラクなったんだぁ? あ? おい」

「くだらないね。実に下らない。一体全体どうして、僕が君より偉くないんだい? ――ああそうか、痛みで正常な判断が下せなくなっているんだね。いいよ、僕は寛大だから。そんな口の利き方くらい許してあげよう。虫けらの(・・・・)文句に耳(・・・・)を貸す大樹(・・・・・)なんていな(・・・・・)いからね(・・・・)げらげら」

「……………………」


 勇者は己の血に塗れた直剣を構えると、ニールニーマニーズの言は無視してヤコヒメの首筋へ向けて振り下ろす。

 大樹に完全に身動きを制限され、かつ意識も失った体から首を失わせることぐらい、たとえ剣の初心者であっても容易いことである。命を奪うのは道具ではなく殺意――殺意さえあればそれでいい。


「用心深いんだね。いやわかる、わかるよその気持ち。大事な仕事ほど他人任せにできなくて、全部自分でやりたくなるってさ。八王が一角の首なんて、なかなか切り落とせるもんじゃない。もしかして有史以来初めてなんじゃないかな? ヒュー、凄いぞ勇者! ちなみに今どんな気持ち?」

「……うるせェな、とっとと処理してくれ」

「わかってる、わかってるよ。君が今何を言いたいのかもすべてね。いいよ、片手間にやってあげるよ他ならぬ勇者の頼みだ、蔑ろにする気はもちろんない。ただ僕は知りたいんだ、知りたいんだ僕は。命を奪うってどんな気持ちなのか。試してみようかな、今ちょうど目の前に手頃な人間がいるし」

「なんだお前、黙る機能とかついてねェのか?」

「何を言ってるんだい人間、もとい勇者。言葉はすごいんだよ。言葉が届く距離は無限なんだ。なんなら時をも超える。ああいや、もちろん未来から現在、現在から過去には無理だよ? でも逆はできる。だったら言葉にしなきゃ。会話をしなければ我々はわかりあえないんだから」

「…………そうか」


 樹木が地下に潜り切るまで、何の益もない会話は続いた。もはやこちらは相槌を打つことすらやめたが、それでもお構いなくニールニーマニーズはぺらぺらと言葉を吐き出し続けた。

 魔物化の割合を薄めることも何度も考えたが、今この体力が底を尽きているような状況ではとてもではないがこちらの体が持たない。死にかけ状態から死んだ状態に変わってしまうことは明白だ。

 ヤコヒメの首切り死体ごと樹が地面へと姿を消し、ついに勇者は意識を保っていられなくなった。傷が治り次第起こせ、とニールニーマニーズに命令して、受け身も取れず倒れ伏す。

 かなりの勢いで地面に倒れこんだはずだが、もはや痛みを感じる余裕もなかった。

 

 ★


 兄は城に帰って来るなり自分の研究室へ駆け足で行ってしまった。

 分不相応にも――と自分では思う――大王城であてがってもらった客室で簡単に水を浴び、自宅のそれより百倍くらい柔らかい寝台に身を投げ出した。

 半ばメイフォンに拉致連行される形で連れて来られたが、本気で断ればあの女も無理矢理連れてこようとはしなかっただろう。しないよな? いやどうだろうか、あの女だからな……拒否権なぞ許してくれぬ可能性もある。

 無駄かもしれないがそれでも一応抵抗しなかったのは、行き帰りの足を確保した上で里帰りできると思ったからだった。金には困っていないので、帰ろうと思えばいくらでも帰る方法はあるが、まあこのような機会でもなければずるずるといつまでも帰郷しない可能性が高い。

 自分がかなりいい加減なのは一人暮らしを始めてから分かったし、そのあたり折り合いもつけた。適当でも適当なりになんとか生きてはいけると、その辺わかってきたところである。


 仰向けのまま首を逸らすと、逆さになった視界の中で窓から青空が覗いていた。数分ほどぼんやり雲が流れているのを見つめていたが、ふと思い立って体を起こす。一応窓際なので、裸体に布を巻いて外の景色を眺めてみた。

 海辺だ。王城から波打ち際まで驚くほど狭い砂浜が広がっており、あとは見渡す限りの青だった。はるか遠く水平線で、海と空が混じり合っている。

 昔この街で暮らしていたころは、王城の向こう側にはなにがあるのかとずっと気になっていた。いつかこの目で確かめようとは思っていたが、活動範囲が新区街道側だったというのもあって今まですっかり忘れていた。十年ぶりに幼少期の目標を達成したのだ、と妙な感慨を覚える。


「ん?」その時、窓に反射する自分に違和感を覚えた。「なんだこれ」


 光の加減だろうか。別に自慢でも何でもない、十五年にも渡って苦楽を共にしてきた白の金髪が、太陽の光を緑色に透かしている。

 髪を手で持ち上げてみた。短い髪だが、一応一房持ち上げて視界に納めることができるくらいの長さはある。間違いなかった。窓から差し込む日光が、こちらの髪を通るころには淡く緑色に変色しているのである。

 においを嗅いでみたが特に異常はない。


「ふむ」


 そもそも、元から髪が緑色の色素を持っていただけなのかもしれない。髪型を整えるのが面倒だからといった理由で髪を短く揃えるようになってから長い。そのような理由で服を見る以外に姿見を見ないものだから、今まで気付かなかったのかもしれぬ。


 とその時。

 扉が叩かれる音で、思索の海から現実世界へと急激に帰ってきた。ハッとなって思わずどうぞと言ってしまってから、ようやく自分の格好を思い出す。

 辛うじて巻いて居た布も解けかかっており、ほとんど一糸まとわぬ姿である。


「あー駄目駄目駄目、待て! 落ち着け! 私は今全裸だ! やめろ、後悔するぞ! それ以上入ってきたら窓から飛び降りる!」


 私が一番落ち着け。


「も、申し訳ございません!」半開きの扉の向こう、女の声だ。「えーっと、その! い、一緒に来られましたお客様たちは皆大浴場の方へ行かれましたのですが――如何でしょうか!?」

「い、行くから一旦閉めてくれ! 本気で今全裸だから!」


 急いで服を着て部屋を出てから気付いたが、適当に理由をつけて部屋にいることにするなど、別に行かなくても良かったような気もする。見知らぬ召使なので、ノーヴァノーマニーズ城で務めている者だろうか。しきりにこちらに謝罪してくるが、こちらはメイフォン達のおまけのおまけとして同道しただけの一般市民であるのでそこまで畏まられても困る。むしろお構いなく――と、互いに頭を下げ合うことになった。

 あの、と女が言う。なんだ、と問うと、


「メイフォン様の愛人だという噂を聞いたのですが――ど、どこまで進んでいるのですか!?」

「噂の出所はどこだ!?」

「あ、すみませんすみません、セラム様のお兄様が先程すれ違う者皆に妹が今度結婚することになったから祝ってくれと言って回っておりまして――」


 行先変更だ馬鹿者。


 皇室男性陣の身長はイスマーアルアッドとトォルが同じくらいで、そこから大きく離れてニールニーマニーズです。

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