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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈下〉
53/78

#28 西国の秘湯

 ★


 峡谷を抜ける瞬間は、いきなり訪れた。

 馬車に乗っているのにも飽きて先頭の一台と並走していたメイフォンが、真っ先にそのことに気付いた。


 左右に曲がりくねってはいるものの、高さ的な上下がほとんど存在しない舗装路なので随分と走るのに面白くない。しかし窓もない馬車に押し込められているよりはマシだ。走ったほうが速いし。興味本位で鼠返しを駆け上がってみたが、さすがに頂上までは上り切れなかったのでそのうち再挑戦しに来ることを決めた。

 長く緩やかな右曲がり、ごくごくわずかだけ傾斜しており、長い距離を経て街道はどんどん低地へと落ち込んでいく。

 左側の壁が途切れて、突然空間が広がった。

 鼠返しの切れ目がその感覚を急激に広げ、できた空間だ。ほとんど壁とか崖とか形容したほうが差し支えないような鼠返しを山脈だと言い張るのであれば、ここは盆地であると言えるのだろうか。

 ここからでは見えないが、海があるという

 イスカガンを八つに区切った一区画分の広さ。

 背の高い建物――皇宮よりも明らかに背の高い、灰色をした建物群が林立している。また、縦だけでなく横にも空中通路が張り巡らされ、それこそ蜘蛛の巣蟻の巣様の街が形成されていた。

 アレクサンダグラス謹製の街道は、定規で測ったが如き直線をこれまでの蛇行を忘れたかのように取り戻し、町の中心を貫いている。

 馬車は関所で簡単な手続きを済ませてノーヴァノーマニーズの領地に入っていく。同時にイスマーアルアッドが来たことを知らせる為に、役人が一人、こちらの召使を連れて王宮へと先んじて行った。


「これは走りがいがありそうだな」


 見上げ、思ったことを口にする。

 街の目抜き通りでも例外なく、左右の建物群を繋ぐ空中通路は張り巡らされ、ほとんど空を覆い隠していた。

 この街に暮らす者たちにとって、馬車で来るものはほぼすべてが隊商であり、通路を行き来する者たちは今度はどこの者が、何の荷を牽いてやって来たのかと身を乗り出した。目が合った者がいたので手を振っておく。

 生憎とこちらは商売目的でここを訪れたわけではないが、かといって本来の目的をわざわざ喧伝して歩く必要もあるまい。一応事前の八王会議が終わった直後には使者を出しており、こちらの来訪については大王は了解しているはずである。歓待などないのは恐らく大王が国民に周知などしていないからだろうが、こちらとしては大王の適当加減がむしろ有難い。

 マリストアは目立ちたがりであるから困らないだろうが、イスマーアルアッドや自分などは過剰な歓待などされてしまうと心苦しく感じる質だ。イスカガン城下町ではそのことを国民も承知していて、そのように振舞ってくれるが、それが当たり前だと思ってはならない。要はあまり畏まられても逆に気を使うと、そういうことである。イスカガン市民は逆にもっと気を使っても良いような気がするが。アイシャも多分自分たちと同じ側だとは思うのだが、割と図太いところがあるのでわからぬ。

 メイフォンは歩行の動きの延長として一歩を強く踏むと、体を宙へ跳ね上げた。音もなく馬車の天井へ着地し、胡坐を掻く。

 そのころにはちょうど、背の高い建物群が唐突に途切れ、まるっきり同じ規格の建物が並ぶ一帯に差し掛かろうとしているころだった。


 ★


「ところで」


 突然大王が言ったのをトォルは背中で聞いた。

 《拡大》魔法について基礎、理論をあらかた理解し終えてそろそろ応用仮説を試行し始めると、そういう段階だった。


「客人が来る予定であるので、今日はこの辺りで、『楽しい魔法授業~大王といっしょ~』は切り上げるつもりである」

「えーっと……名前はともかく、僕たちのことは放っておいて上に行ってくださっても良いんですよ? 別に」

「吾輩は自分の関与しないところで自分の研究が進むのが嫌いなのである」


 子供かよ、とトォルは内心で思った。口に出さなかったのは、そろそろ命に関わる魔法もちらほら実践段階で理論化できてきたので、ツッコミ一つとっても慎重にならざるを得ないからである。

 トォルは《拡大》魔法で元の大きさから二倍ほどになった林檎を大王に手渡し、手短に進捗を報告する。


「やっぱり拡大すると密度が薄くなるみたいですね。単純に二倍にすると二分の一です。いやまあなんというか、質量据え置きで大きさだけ変わるというかそんな感じで」

「やはりそうであるよな。無制限で大きさが二倍になれば、かなり有用な魔法であると思うのであるが……」

「その辺は今後も研究の進展が必要ですね。ああいや、仮説は幾つもあるんですけど、ちょうど今から試そうかと思っていたんですが」


 それは明日に延期であるな、と大王が言う。そうしてこちらのことを待ちもせずに階段を登り始めた。

 ミョルニの方へ視線を送ると、壁にもたれかかって眠りに落ちている。起こしてしまわないように慎重に、軽い体を背負って白衣を追った。

 白衣の裾で林檎を拭いてから齧り、大王が小さな歯型を付ける。


「うわ、味うっすいであるな!」

「いやだから、密度半分になってるんでスカスカなんですってば」


 追い付いたので歩調を緩め、ミョルニを背負い直す。

 そういえば――


「客人って、誰が来るんです? 大王がわざわざ実験を切り上げてまで約束を守るなんて、一体どれほどの大人物が来るんですか?」

「貴様は吾輩のことを何だと思っているのであるかね一体」

「実験の邪魔する奴は殺す系狂った学者というかそんな感じですかね」

「貴様たまに吾輩が八王であることを忘れてないかね」

「いやそんなまさか、僕の大王に対する尊敬は海よりも高く山よりも深い――」

「一週間食事の肉抜きだ」


 実を言うと、放浪生活を好むトォルとミョルニがノーヴァノーマニーズ領に長期滞在しているのはかなり珍しいことである。たとえ一週間でも、二人にとっては長期の範疇なのだ。

 一週間肉なし(でていけ)と言われるのであれば、またしばらく大陸中を放浪して帰ってくるのも別に不本意ではない。追い出されようがどうしようが、今回魔王の残骸である黒砂を持参したように、なにか大王の興味を引く物品を手土産にすればいつでも入れてくれることはわかりきっている。

 もちろん大王が本気で言っているわけではないことも理解しているが、そういえば次の目的地を全く考えもせずに一所に滞在し続けていたのは珍しい、と思った次第であった。


「いやあ、ちょっと魔法の研究が楽しいんで、もう少し居させてもらっても良いですかね」

「もう貴様うちの子になれば?」

「ヘイズトーポリママー! ……いやなんでちょっと満更でもなさそうなんですか引きますよ」

「貴様……!」


 なんとなく呼んではみたものの、ヘイズトーポリ――名前が長いので、今後も引き続き大王と呼んでいくつもりである。

 内心でそのような決意を固めていると、階段の終わりが見えてきた。


「ああ、来客であるがな」


 地下からだと内開きになる扉に手をかけ大王が振り返る。


「貴様の兄妹たちである――おい逃げるな」


 扉を抑えられているので逃走経路がなかった。

 とりあえず「諮ったな!」とだけ叫んでおいたが何か違う気がする。


 ★


 研究所としての用途が充実しすぎているので忘れられがちだが、ノーヴァノーマニーズ城も当然城と名乗る以上は最低限の設備を兼ね備えてあって、来客用の部屋も当然用意されている。

 ノーヴァノーマニーズ大王との謁見は夕餉の席で、ということになった。長旅で疲れているだろうからしばらくゆっくりしろ、という大王の計らいによるものらしい。

 これは余談だが、すぐに大王が出て来れないところの真意として、非ノーヴァノーマニーズ人の秘書からの説教を聞き流しつつ、同時にトォルの脱走を牽制しながら来客歓待の準備を始めている大王の姿を想像できた者は居るはずもなかった。実験を切り上げるのが遅すぎたのもあるが、メイフォンが引っ張る形で予定より一、二時間程早く到着したというのもある。馬車での道行きであるため正確な到着時刻など出せようはずもなく、それは仕方のないことではあったが。

 とにかく二、三時間の空き時間ができた。

 となれば行く場所は一つである。一人一室あてがわれた客室にも備え付けの浴場があるが、ノーヴァノーマニーズ王城には大浴場が設置されているのだ。

 大陸東、スーチェンやヤハンにも整備された温泉は多数あり、特にヤハンなどは温泉目当ての観光事業が一大産業になっているほどではあるが、実は隠れた名湯所在地としてノーヴァノーマニーズの名も上がる。ここが有名でないのは、ひとえに大王に金儲けするつもりがないからに他ならなかった。国内で海に面する部分の八割は王城が占有し、残りの二割も小研究所が立ち並んでいるため、民間の手が入る余地もない。

 大研究所、すなわち城にいる者のみが使える幻の秘湯がこの大浴場なのであるが、そもそもノーヴァノーマニーズの学者共に湯浴みに汚れを落とす以上の価値を感じる者がいなさすぎるため、普段から使用者がいない。


「もったいないですねぇ」


 濛々と立ち込める湯気に声が吸い込まれた。そのような事情で使用者がいないので、湯の温度は適宜調節してくださいとは言われている。少し熱いかもしれませんねぇ。


「え、そう? 私はこんなもんだと思ったわよ。貴女が熱がりなだけよ、アイシャ」

「そうだぞアイシャ、東の方に、心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉がある――」

「ねえメイフォン、それ熱いって言ってないかしら。……聞いちゃいないわね」


 ノーヴァノーマニーズ城は相当面積が余っているらしく、男湯と女湯の二つ、同じくらいの規模の大浴場が設置されている。

 一体何人が湯船に浸かることを想定しているのだろうか。中央にある一番大きな浴槽では、平均的に身長の高いアイシャ、メイフォン、マリストアの三人が限界まで足を伸ばしたとしても、まだまだ余裕がある広さ。靴を脱ぐとメイフォンの目の高さが自分より低いのは違和感があるが、それはさておき。


「いったい何人浸かれるのよこれ。二十人くらい?」


 隣、こちらの目の高さにある乳が自分と同じ疑問を得たようでそう言った。

 いつまでも突っ立っていても仕方がないので、アイシャとマリストアは片隅に設けられている洗い場へ移動する。

 脱衣場から続く入り口から見て、最も大きな浴槽が中央。その右側に木材で組まれた少し規模の小さな湯船があり、傍に洗い場がある。左、自分たちから見て反対側には踝くらいの深さのお湯が溜まっており、二本の滝が高所から流れ落ちていた。メイフォンは脱衣場から浴場に入るなり、吸い込まれるように滝のところへと行って頭から打たれている。胸の前で両手を合わせているが、

 ……アレ修行してますよねぇ。

 修行ごっこというかなんというか。本気で心頭滅却しに行かれてもこちらとしては困る。もしかしてさっさと湯を薄めろという遠回しな主張なのだろうか。


「アルファとイルフィも来れば良かったのに」


 一応布を濡らして拭くくらいのことはしていたが、やはりうら若き女性としては身綺麗にしておきたいものだ。最もそのことについて苦言を呈し続けていたマリストアが、泡立てた石鹸で体中の汚れを落としながら言う。


「あの子たちは逆に、どうしてついてきたんでしょうねぇ……」

「え? いやだから来てないじゃないって…………ああ、ノーヴァノーマニーズにってこと? 言われてみればそうね。心変わりでもあったんじゃない?」


 湯桶で湯を掬って泡を流す。皇宮にいる時は下女たちが一から十まですべて面倒を見ようとしてくれるのだが、連れて来れる人員に限りがあったため、今彼女たちは別の仕事をしていた。落ち着き次第こちらにも回るとのことだったが、それを待っていればいつまでも湯船に浸かれないし、別に自分で体を洗えぬわけもない。


「ねえアイシャ、頭ってどうしたらいいの?」

「お前、普段はどうしてるんですかぁ」

「全部下女が――いや違うのよ、そんな目で見ないでくれる? ……いつだったか自分でやるから、って言ったことがあるのだけれど、なんか泣かれちゃってね? それからこう、断れなくなっちゃって、自立の機会が……」


 どうも彼女の傍付きたちは随分と過保護なようである、とアイシャは思う。マリストアがもたもたしている間に自分の分はあらかた終えてしまっているので彼女の背後に回り、

 

「目瞑っててくださいねぇ」

「えっ急に!? ちょ、待って待って、泡が思い切り目に、目に入ってるから――」

「眼帯付けてるから大丈夫ですよねぇ」

「両目に眼帯付けてる奴がいるか――!」


 びっくりするくらい指通りの良い髪だ。根元から毛先に掛けて、黄金から黒に変わる。本人は気に入らずに一時期ばっさり切っていたものだが、アイシャからすると複雑な色彩で綺麗だとは思う。手入れや補修などの細かい部分は、イスカガンに帰った後に彼女専属の下女たちがすべてやるだろう。大方汚れを落としてしまい、湯をかけて泡を流す。

 ついでに湯船に髪が浸からないようにまとめてやってから、自分の髪も同様にした。同性の、かつ半分は血が繋がっている自分の目からしても艶っぽい体だ、と思う。見下ろすこちらの視線からは、真っ白いうなじ、肩、前に大きく張り出した胸にかけてのなめらかな曲線がよく見える。羨ましくありませんよぅ……?


「はい、これでよしですよぅ」

「ありがとう。その、えっと、助かったわ」言いつつ、立ち上がって振り返る。

「あのすみません、真正面から向かい合うのやめてもらっても良いですかぁ」


 彼我の身長差が生む結果として、妹の両胸が完全に眼前にある。壁際で妹には余分な面積がなく、自分が少し避けてやらねば空間がない――そのため事故ともいえる位置関係なのだが、それでも気に入らぬものは気に入らぬ。自分より年下の癖に見せつけるように……! と僻んでも仕方ないので年上の余裕を見せアイシャは眼前の桃色を両指で強めに弾いた。終盤年上の余裕が行方不明になったが知りませんねぇ。 


「きゃ!? なっ、なななに、なにすんのよ!」


 ……浴室だからかよく響きますねぇ。

 扉の開け閉めがあったからか、少し湯煙も薄くなっている。

 これ以上妹の乳なぞ眺めていても自分と比べて憂鬱になるだけなので、アイシャは踵を返して湯船に向かった。


 丁度その時、扉が開いて珍しい客が来た。


「背に腹は代えられないわ」「ごきげんようお姉様方」

 

 脱衣場を背にして仁王立つ小さな二つの人影を見て、アイシャは、要介護児童が増えましたねぇと思った。


 イスカガン皇室女性陣の背の順では、マリストアが頭一つ抜けてトップで、その次がアイシャ、僅差でメイフォン(三、四センチ差)、それから大きく開いて双子です。メイフォンは普段踵の厚い靴と高く結った髪で相当背が高く見えがちなイメージ。

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