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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈下〉
50/78

#25 苦闘の勇者

 ★


 気配でこちらの居場所を察知するなどとはまた滅茶苦茶な、と勇者は思った。

 こちらの音や姿など、完全に他者から認知されなくなる《隠蔽》魔法は十全に働いているにもかかわらず、向こうの攻撃はいっそ面白いほどこちらを補足してくる。

 今のところはまだ敵もいろいろ確かめなどしつつといった頃合いではあるが、向こうの拳がこちらを捉えるのも時間の問題だろう。

 勇者は中程度の距離を取ると、強く地を蹴り飛び上がる。宙で姿勢を変え、剣を前に突き出して脇を固定。ウー王の真上から飛び込む。


「――上か!」


 今まで常に地に足をつけ、平面的な交錯を幾合繰り返したのであるいは――と思ったが、やはりそううまくはいかなかった。迎える右拳は正確にこちらの剣の切っ先を捉えに来ている。剣の尖端と生身の拳、直撃ではどちらが有利かなどと論じるまでもないことのはずなのだが、居場所を察知された時点で落下の動きを回避運動に移行している。剣の切っ先ごときで、ウー王の拳は砕けない。咄嗟の判断でそのように判断したのだ。

 回る。回す。旋回する。

 突き出された腕を巻き取りでもするかのように体を捻り、地面に転がる。

 受け身を取り損ね、したたか背中を地面に打った。肺腑から空気が逆流し、一瞬遅れて口から漏れ出る。体が跳ねた。滲む視界が追撃の拳を見、反射的に横へ。転がる、形振り構わず転がって距離を取る。

 もはや《隠蔽》魔法なぞなんの役にも立っていなかった。ごくごく序盤こそ多少の目眩ましにはなっていたが、今やほぼ完全に動きを捉えられている。

 気配などというからもしや完全に動きを止め、呼吸も殺せば気付かれないのかと思って試すも無意味。すんでのところで身を飛ばし、剣を手放さないようにするので精いっぱいだ。

 ……懐に潜り込むのは無理だなァコレ。

 近接戦闘ではどう考えても分が悪すぎる。《投擲》魔法を破棄していなければあるいはと思ったが、戦地でたらればの話は時間の無駄以外の何物でもない。それに、《発光》魔法を習得するためには《投擲》を破棄せざるを得なかった。アレは仕方のないことだったのだ。


 勇者は肉弾戦が不得手である。恐らくイスカガン騎士団の一般騎士と同じか少し劣る程度の身体能力しか有していない。それはつまり平均的な騎士の身体能力程度は有しているということに他ならないのだが、如何せん見据える相手が強大すぎる。

 蟻地獄・イスマーアルアッド。

 武闘姫・メイフォン。

 動く鉄・ウー。

 他多数。

 大陸に名立たる勇士を相手取るには些か力不足の観が否めない。それゆえの魔法であり、一度に個数制限があるとはいえ、魔法をほぼ無制限に駆使できるというのは他にはない圧倒的な強みだ。――それでもなお足りぬ。

 実際のところ、《隠蔽》魔法を発動した勇者とまともに張り合うことのできる者など現在の大陸に数えるほどいるだろうかといったところ。

 スーチェン王をはじめ皇族の面々や、部分的とはいえ突出した能力を有するという点においては騎士たちでさえも、勇者にとっては規格外すぎるのである。ウーなぞはそもそも、一対一の対人戦闘が想定されていない化け物なのだ。

 メイフォンが戦闘を好むように、ウーは戦争を好む。メイフォンは一人で何十人でも何百人でも相手にするが、ウーも同じことをする。そのことに対してもっと己の強さを求めたのがメイフォンであり、彼女は自己の持ちうる技術、体力、身体能力を磨いた。しかしウー王は、一方的過ぎるそれをつまらないとし、軍勢を率いて敵との互角の戦いを求めた。自分が一人(・・・・・)で先頭切って(・・・・・・)出撃すれば(・・・・・)瞬く間に戦(・・・・・)争が終わって(・・・・・)しまうから(・・・・・)である。一騎当千などと謳われたのは、()の王のほんの一面でしかなく、彼の王を構成するごくごく小さい部分でしかないのだ。

 

 背後に小さく飛ぶこと数回、距離を取って《隠蔽》魔法を解除。剣は中段に構えたままだ。


「やめませんか? こんなこと」駄目元で言ってみる。「勇者の剣は、悪しか切らないんですよ」

「そうつまらぬことを言うな、勇者よ。どうしても興が乗らぬというならどうだ――」


 一瞬の膠着。

 言葉の途中、ウー王の姿が掻き消えた、と思った時にはすでに体が飛んでいた。すなわち背後からの打撃を受けて、己の体が前方に。

 

「――互いに殺す気で、というのは」

 

 背骨の中心を正確に打ち抜く一撃だった。

 壁にぶつからない様に計算してあったようで、建物や障害物の隙間を抜けて、己の体が吹っ飛んでいく。放物線を描く軌道ですらない。

 まっすぐ、直線的に。

 つまり地面と平行な軌道を得て、強烈な一撃を受けた体が、ぶつかる壁を求めてどこまでも高速移動していくのだ。己の意思とは関係なく。

 確実に内臓系はやられている。

 発勁だ。

 勇者であっても、魔法を吟味して使えば恐らく似たようなことはできるだろう。しかし実に恐ろしきは魔法ではなく、純粋な体術でこれを実現している点にある。

 四肢は痺れてまともに動かない。地面に叩きつけられては跳ねを繰り返し、次第に地面を転がってかなりの距離を移動したあと、ようやく止まる。

 追撃はなかった。

 赤いものが口から零れ落ちるのを拭うことすら叶わぬ。剣は遥か遠くに取り落としていた。巻き込まれて己の腕や足を落とすことを嫌って手放したのであったが、そのようなことをしなくとも、遅かれ早かれ四肢の痺れで手放していたであろうことは明白だった。


「遠慮しておるのか? あのメイフォンを一度は倒したという魔王を討った実力はどうしたというのだ、このままでは本当に殺してしまうぞ」

「…………カッ…………ア」


 先程からどれだけ口を開いても、空気が肺に来ない。入ってこない。これは肺が破裂したか、と奇妙に冷静な脳裏で思う。

 窒息時に見られる、反射的に首元に手をやる動きですら、痺れによって遮断されている。

 あれだけ酷くやられたというのに、外的な被害がないのが凄まじい。

 酸素の供給を立たれ、思考に靄が掛かり始める。


 ウーがこちらに近づいてきた。

 勇者の様子を探りつつ、といった様子である。向こうとしては、言葉通り本当に殺すつもりはなかっただろう。しかしこのままでは確実に己は死ぬ。身体能力は一般の騎士並み、切り札である《洗脳》《隠蔽》の魔法は効果がない。剣に仕込んでおいた保険の第三魔法も、当の剣を取り落としてしまったとあっては使えず。

 万事休す、絶体絶命。

 へへ、という声が漏れたことに気付いてスーチェン王が歩みを止める。怪訝そうな表情を浮かべて、足を止めたのだ。


 風が吹いた。

 下草が揺れる。

 

「……ッ!」


 ウーが飛び退いたが、時すでに遅し。

 少し浮いた足首を、下草が捉えた。急速に伸び、蔦になり、ウーを取り込んで木になった。


「勇者様、御無事ですか!?」


 気合で親指を立てておく。

 切り札が一枚二枚通らなかったのなら、三枚目、四枚目の切り札を切れば良いだけの話である。


 ★


 突然脳内に勇者の声が聞こえたような気がしたのだ。

 これも魔法か、と思い、出るなとは言われていたが隠れ家を飛び出した。

 勇者の居場所は皇宮建設地。小屋が組まれている辺りからは少し離れている。

 倒れている勇者が居た。赤。赤の比率が多い。真っ赤だ。血を吐いている。息も絶え絶え。死線期呼吸という言葉が思い浮かぶ。

 対峙する相手がいた。意図はわからないが、勇者に向かって歩を進めている。状況証拠的に見て、勇者をここまで追い込んでいるのはこの男に違いなかった。

 右手を地面に触れる。

 皮膚が罅割れ、茶色く変色していった。

 地面を掘り進み、敵の足元から一気に掴みかかる。察知されて躱されそうになったが、なんとか捕まえた。

 そのまま手を伸ばし、ある程度まで成長したことを確認。

 小屋を出る時に見つけてそのまま腰に差してあった鉈を抜き、右腕を切り離した。すぐに切断面から枝が伸び、肌色を得て、生身の腕に戻る。

 

「勇者様、御無事ですか!?」


 ★


 くすんだ金色だった髪は大部分が緑に染まっている。

 両の瞳は熟れた果実のような紅。首筋から頬にかけて、特に大きな縦の皹割れが幾本か。露出した両腕にも同様の皹が小さく散見される。皹の周りは皮膚が引き攣れていて、例えるのであれば樹皮のごとしだ。

 彼は己を助け起こすと、枝を咥えさせた。蜜のような甘みが口に広まったかと思ううちに、どんどん分泌量が増え、勇者は咳き込んだ。新鮮な空気が肺腑を押し広げ、連続で幾度も喘ぐ。同時に体中を激痛が襲った。


「大丈夫ですよ、僕に任せてください勇者様」


 緑の髪が枝葉のように広がり、日光を受けて輝いた。

 瞳の紅がどんどん色濃くなっていく。

 勇者の口の中に分泌される蜜が噎せ返るほどの糖度を得て、しかし喉を通りすぎると麻薬のように体中の痛みを沈めた。しばらくされるがままになっていると、体中の痛みが完全に消える。

 助け起こしてもらうと、先程までの痛みが嘘のように消えている。


「ついでに虫歯も治しておきました」

「……カッ! ッは、……あー、あ、あ、んん。助かったぞ、ニールニー(・・・・・)マニーズ(・・・・)


 礼を言うと、「はいっ!」という返事が来た。

 もう少し遅ければ今頃本当に殺されていたかもしれない。危ないところだった。いざというときのために、返しておいて正解だった。

 ニールニーマニーズはすっかり変質しているし、なおかつ自分の《洗脳》魔法は確実に効いている。二の轍三の轍は踏まぬ。周囲を見渡すが、既にヤコヒメは姿を消していた。

 勇者は取り落としてあった直剣を拾うと、突如として生えた巨大樹まで歩いて行く。


 気を失ったウーが磔のような姿勢で木に抱き込まれている。顔と両腕、上半身が露出しており、肩と手首、それから腰から下が木に埋まっていた。

 勇者は直剣を振り被ると、狙いをつけて振り下ろす。


 数瞬空いて、ぼとり、という音がした。


 ちょうど人間の首くらいの大きさの物が落下した程度の音だった。


「殺す気でっつったのはてめェだ。文句はねェだろ、おい」

「どうするんですか勇者様、これ」

「隠しておけ」

「はーい」


 ニールニーマニーズが手を叩くと、大木はするすると地面の中に埋没していった。

 後には何も残らなかった。一片の肉片も、戦闘の痕跡も、血の跡も。死骸(・・)さえも。


 ★


 結果として殺すことになったが、計画に支障はない、と勇者が言った。


「でも勇者様、スーチェンの王位はどうするんですか? これで空位でしょ?」

「ああ、そのことなんだが、お前、スーチェンの国璽はわかるか」


 スーチェンの国璽。

 文献の挿絵で見たことはある。九鼎を頂く龍が記号化された意匠だ。

 右手を変形させて再現し、勇者に見せる。満足気な頷きが返って来たので、一旦腕を叩いて生身に戻す。


「ウー王の親書を偽造する」

「出奔したことにするんですか? それとも遺書?」

「その辺りはスーチェンの風習に倣うつもりだ」


 言いつつ、それらしき筆致と言葉の選出を行い文書を作っていく。

 傍から眺めていたニールニーマニーズは、いつだったかに見たウー王の文字の特徴をほとんど再現している勇者の器用さに舌を巻いた。

 実のところ勇者の特質は、器用さにある。なんでも人並みには熟す。裏を返せば人並み以上には熟せないので、素の身体能力で負けている以上完全にイスマーアルアッドの下位互換ともいえるのだが、そのことについては本人も自覚しているところである。

 勇者は続けて、 


「――武の国スーチェンの王を打ち負かせし勇者こそ、次の王にふさわしい。ゆえに我は隠居することにした。後のことは勇者に任せている」


 そう言って筆を止めた。

 

「なるほど、じゃあ今から――」


 ああ、と勇者が頷いた。


「ヤコヒメ様の居場所なら、多分わかりますよ」


 ニールニーマニーズが勇者の思考を先回りしてそう言った。

 耳が草木の囁きを拾う。植物は雄弁だ。風に揺れる枝葉。そして、車輪が下草を踏む音。ものすごい速度で遠ざかっていくヤコヒメに、足音が二つ合流した。


「向こうも合流したみたいですね。ヤコヒメのほかに、足音が二つ。ああ、大丈夫ですよ、僕に任せてください。八王如き、僕の敵じゃありませんからね」

「……そいつァ頼もしいこった」


 褒められ、ニールニーマニーズは破顔した。

 勇者がしたためた文書を封筒に納めたのを受け取ると、左手から分泌した樹脂で封をし、変形させた右手で封蝋を施した。スーチェンの国璽が寸分違わず刻印される。己の仕事は完璧だ、この状態で見破ることの出来るものはいまい。

 封筒を懐にしまい、勇者が言う。


「ヤコヒメの撃破。アルタシャタ、エウアーもできうる限り排除。ヤコヒメさえ先に殺せれば、あとは《洗脳》魔法で対処できる。優先的にヤコヒメを狙え」


 言い切るなり、先程まで死にかけていたとは思えぬ強い足取りで勇者は皇宮跡地を後にする。


「……ふぅん。やっぱり《洗脳》魔法か」


 ニールニーマニーズはそう独り言ち、早く来い、という勇者の声に「今すぐ!」と返して後を追った。


 はっけい(なぜか変換できない)


※前話サブタイトルのナンバリングが間違っていたので訂正(#23→#24)しました。(2018/7/4)

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