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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈下〉
49/78

#24 西行の旅路

 ★


 風が強い。

 ほとんど遮蔽物の無い平面がどこまでも広がっているからだ。剥き出しの岩肌が続く上を蒼穹が覆い、背の低い緑が点在している。

 東から西に掛けてを一直線に貫く大街道は、アレクサンダグラスが整備させたものだ。イスカガンから伸びる八本、そのうちの一本である。

 時折、青の上を鳥が、赤茶の上を獣が横切った。

 車輪と蹄鉄が石畳の上を踏む音が砂礫に染み入って消える。それ以外では茫々と吹きすさぶ風の声が聞こえるのみだ。

 石畳の整備はかなり正確で、車輪から伝わる振動は心地良い揺れとなってこちらの瞼を下ろそうとする。少しばかり風はうるさいが、軽量素材で作った壁と屋根のついた馬車であるため砂粒が舞い込む心配はない。

 馬車は五台、縦に列をなしていた。

 欠伸を噛み殺しつつ、窓の外を見るでもなく眺める。かれこれ二日間はずっと同じ景色が続いていた。イスカガンとノーヴァノーマニーズの中間に広がる荒地地帯を最短距離で横断しているというのに、まだ明日の昼前くらいまでこの景色は変わらないという。余談だが、縦――すなわち最長距離を取った場合、休憩補給なしかつ地形の上下を無視して一定の速度で進み続けたと仮定しても、およそ十日掛かるとのことである。

 人が住むには適さず、集落すら存在しない痩せた土地が延々と続く。


「昔私が初陣に出た時、この辺りはまだ緑に覆われていた。むしろ、どちらかというと大森林地帯だった」


 というメイフォンの言葉に、セラムは思わず己の耳を疑った。


「地衣類のことか? あるいは、大陸東にあるという大草原みたいに、背の低い下草か。どちらにしろ大森林だなんて、誇張にも程が――」

「いや。いやまあ、信じられないのも無理はない。私も自分の記憶が間違っているようにしか思えんが、大戦後期までは、この辺りは確かに大森林地帯だったんだ」

「嘘吐け。完全に荒地じゃないか」


 緩慢な一次遷移の途中といった様子である。

 仮にこの地帯が十数年前まで森だったとして、一体何をどうしたら、一面赤茶が広がる荒れ果てた土地へと変わるというのか。

 否。

 そもそもここがメイフォンの言う通りの大森林地帯であった場合、二次遷移が進んでいるべきなのだ。ほんの少し土壌が取り残された場所に低木が生えているのみで、あとは荒地。完全に、完膚なきまでに、土地は一度死んだということである――なぜか。

 森林を焼き払った程度ではこうはならない。それこそ土壌ごと焼却するであるとか、土壌ごと消滅させるであるとかしたとしても、ここまでの広範囲がこんなことになるものだろうか。少なくとも大森林が広がっていた地帯がこうまでなるというのは、並大抵のことではない。

 

「メイフォン様、そろそろ止まりますよ」


 前方――セラムが背にしている壁の方から、御者の声が届いた。

 日はどちらかというとまだ高い位置にあるが、荒原を抜けるまでは野営するほかないのである。完全に日が暮れるまでにしておかねばならぬ準備が幾つかあった。それに、長時間座りっぱなしというのも体によろしくない。

 セラムは一旦荒地についての考察を打ち切り、隣で薄布に包まって眠っている兄を叩いて起床を促した。


「あと二秒……」

「好きにしてくれ」


 馬車が停止したことを確認すると、セラムとメイフォンは馬車から降りた。

 全体への情報共有、連絡事項の確認など、することがいくつかある。

 ……兄は知らん。私は一度起こした。


 ★


 馬車は五台ある。

 イスマーアルアッドとアルファ、イルフィが乗る馬車。

 メイフォンとセラム、そしてノーヴァノーマニーズの使者が乗る馬車。

 マリストアとその傍付きの下女たちが乗る馬車。

 それら三台の小型馬車に続いて、大型の物が二台。召使や護衛騎士たちが乗る馬車と、食料など備品が満載した馬車だ。

 

「この分だと、ノーヴァノーマニーズまではあと二、三日くらいですかね」


 とノーヴァノーマニーズの使者が言ったのをマリストアは聞くでもなしに聞いていた。そういえば名前は何と言ったろうか。この前食堂であった時に挨拶してもらったはずなのだが、今更聞くのもなんだか失礼な気がする――


「ねえ、このスープ、少し薄味すぎないかしら」

「携行用だしこんなもんだと思うよ」


 兄がそう言うのでそういうものだろうか、と再びスープを口に含み、やはり首を傾げる。普段皇宮での食事に慣れているせいか、味がしない。糧食とはいえこうまで味を感じないとは。他の者がさほど気にしている様子はないので、こちらの舌が麻痺しているのだろうか。

 ねえ、と、自分から見てイスマーアルアッドとは反対側隣に座っているアイシャに聞いてみるも、この女葉っぱしか口にしていない。向かい側のメイフォンはすぐ隣のセラムに――私の酒が飲めないというのか――酒を注いでいる。酒なぞ備品車に積んでいなかったと思うが、自分で持ち込んだのだろうか。恐ろしいことに二人とも、顔を赤くすらしないでどんどん酒を呑み下していく。セラムの隣に座ったノーヴァノーマニーズの使者が心配しているが聞く耳持たずだ。

 アルファとイルフィは馬車の中で食事をとっている。これまでの旅程で一度も姿を見ないが、イスマーアルアッドがいるというのでついて来てはいるのだろう。少し意外だった。

 意外といえば――


「勇者様が来なかったのは少し意外でしたねぇ」


 ほんの少しの野菜を食べ終わり、薄口のスープが入った器を両手で抱えているアイシャがそう言った。気温は日に日に上がっていく季節であるものの、遮蔽物の一切ない荒地とあれば、日中はいくら暑くとも、日が沈むと少し冷える。

 一路、西へ。

 小旅行ともいえるこの行軍は、確実にノーヴァノーマニーズ大王から次期皇帝についての意見を伺うことが目的だった。当然勇者とイスマーアルアッドの両方が行くものだと皆が思っていたが、当の勇者は用事があるのでと西行きを固辞したのだ。


「もしかしたら後から追い付けるかも、とは言っていたけれどね」

「ニールニーマニーズもそっちに行っちゃいましたし、いったいどういう用事なんでしょうねぇ。お姉ちゃん少し気になります。断られちゃったんですけどねぇ」

「まあ男同士なにかあるんじゃないですか? ほら、あの二人なんだか仲が良いようでしたし」


 セラム(あに)がメイフォンとセラムから酒を取り上げながら言った。

 弟が勇者についての強いあこがれのようなものを持っているのは事実だ。もしかすると、勇者の方もその熱意に負けて、今頃は弟と何やらやっているのかもしれない。

 マリストアは少しだけ胸のざわつきを感じたが、それがどういう類の物なのかわからなかったし、少し黙り込んでいるうちに会話が進んでいたので、思考の隅に追いやった。


「うちの大王(じょうし)は、こう言っては何なんですけど、次の皇帝とかあんまり興味ないと思いますよ」

「だったら、余計に来た方が良かったんじゃないかとは思いますけれどねぇ。興味ないってことは、取り入りやすいってことだと思うんですよぅ」

「まあ打ち明けた話、私としては、どちらが皇帝になろうがあんまり構わないんだけれどね。民のために尽くす。やるべきことは皇帝でもその補佐でも一緒だよ」

「イスマーアルアッド様は、皇帝になりたいとか思わないんですか?」

「皇帝という肩書を持っているから偉い、というわけじゃあないと私は思う。まあ皇帝が要らないとまで言うつもりはないけれど、父のように何でも一人で、っていうのは今の時代にはそぐわない」


 イスマーアルアッドがちら、と視線を送った方をつられて見ると、酔い潰れたメイフォンとセラムが互いにもたれかかって眠っている。暢気なものだ。

 セラム兄が一言断ってから、少し離れたところで順番に食事をとっている召使たちのところへ水をもらいに歩いて行った。

 声を潜めて、続ける。


「世襲制は何代も続くと必ず腐敗するんだ。アレクサンダグラスと同等以上の能力を有する者が、ただ血が繋がっているというだけで生まれ続けるわけではないからね。であれば血縁関係というだけで簡単に決めてしまわず、より優秀な人物が皇帝になるべきだ」

「禅譲ですかぁ」

「そうなるね」

「でも、勇者様が皇帝に適任というわけではないでしょう?」

「それは――」


 その時、セラム兄が両手に水の入った器を持って帰って来て、


「何の話です?」

「――ああ、いや。次の皇帝を決めるのは事実上ノーヴァノーマニーズの大王だと、そういう話を少し」

「今のところ三対三ですもんね。僕はやっぱり、アレクサンダグラス様の嫡子であるイスマーアルアッド様がなった方が良いように思いますけれど」

「もちろん私が皇帝になっても、この国の永遠の繁栄と安寧を約束しよう」


 ★


 イスカガン王イスマーアルアッドを除いて、イスカガンへ集っていた八王たちはまだイスカガンにいる。

 皇族の兄弟姉妹、そのほとんどは西へ旅立ったが、大王から次期皇帝への意見を聞いたらすぐに帰ってくることになっている。それゆえ、八王は未だ首都に滞在しているというわけだった。彼らが帰ってきた後、イスカガンにて、八王を立会人にして皇帝継承の試験が行われるからである。

 アレクサンダグラスが仮に自分が死んだ場合にと書き上げた手引書。今後二百年以内に起こり得る可能性のある、ありとあらゆる事象についての対策、取るべき行動が事細かに書き記された膨大な書だ。その中に皇帝候補が複数選出された場合にこうするべしという案が幾つかあり、それに倣う形になる。

 ノーヴァノーマニーズの大王との面識はない。少なくとも勇者の記憶にある限りではないので、ないはずだ。

 聞くところによると相当気分屋な王であるらしいので、本来であればイスマーアルアッドらと一緒に己も同道するべきなのだ。ここに至っては効いたり効かなかったりと少し疑わしい《洗脳》魔法に頼らずとも、気に入られたらそれだけで票を得ることのできる可能性が非常に高い。

 しかしそこまで承知の上でありながら勇者がイスカガン残留を決めたのは、ひとえにヤコヒメの為であった。

 ……あの女ァ、どうも俺の周りを嗅ぎまわってやがる。

 恐らく勇者が西行きを決めれば、ヤコヒメも同道しようとしただろう。そうなると困る。少なくともイスマーアルアッド、メイフォンはヤコヒメを取り除くのに大きな障害過ぎる。虎の子であるマリストアを奪われた今、純粋に戦闘力で劣るあの二人には勝ち目がないからだ。

 そもそも。

 勇者は、戦闘が不得手である。


「やはりか」


 眼前でウー王が言った。

 細長い手足。その皮膚の下には、信じられない密度の筋肉が詰め込まれており、黒鉄色を透かしている。


「最初は実力を隠しているのかと思っておった。歩き方が完全に素人のそれだ。ああいや、素人に毛が生えた程度、か」

「……いやあその、対人戦闘とかは苦手でして。勇者は自分よりはるかに大きな魔王を倒すことが得意ですが、人を切るのは苦手なものなんですよ」


 目的が見えない。

 少なくとも、己の洗脳の影響下にはない。すでに試している。目を凝らすと背後にヤコヒメの車椅子が見えた。

 そういうことか。

 

「どれ、せっかくだから稽古をつけてやろう」


 結構です、とは言い出せそうにない雰囲気だった。

 瞬きする間に、眼前、うなりを上げて黒鉄の拳が迫る。動体視力的には辛うじて。来た、と思った時点で体が動いていない。すでに間に合わない。何の工夫もない、ただの正拳突きが顔面に直撃する。

 こちらの頭が破裂した、と思った。反射的に目を瞑る、という行為自体がすでに拳の到達に遅れている。

 鼻先に何か硬い物が当たる感触。

 想像していたような衝撃はなかった。拳圧とも呼ぶべき風がこちらの髪を強く背後に吹き靡かせる。

 寸止め――否、皮一枚。

 紙一重で触れている。


「アイヤ失敬、失敬――」


 受け身を取ったり回避をしたりなどの行動を何一つ起こせずにいると、眼前の拳が引き戻された。

 そのまま誰が見ても単純明快な、全身を引き絞って拳を繰り出す前動作。ごく緩慢な動きだが、教科書のように正確に、最適な順番で、必要な箇所に力が込められていく。

 最大まで引き絞られた時、今度こそ、己の体はこの世から消滅する。鉄拳一つで。


「――勇者は不可思議な力を駆使すると聞いた。存分に使え、殺す気で来ないと――」


 形振り構ってはいられなかった。《隠蔽》魔法を発動し、死に物狂いで横に飛ぶ。

 それと同時。


「――今度は死ぬぞ」


 一瞬前まで顔面があった場所に右拳が出現した。そのあまりの速度に、振り抜かれたでも突き込まれたでもなく、突然出現したようにしか見えなかったのだ。拳の発射地点から、到達地点。その隙間の移動が完全に欠けている。

 掠ってすらいないどころか、それなりに隙間はあったはずなのに、脇腹当たりの服が千々に裂け、かなり前衛的な意匠の衣装になってしまった。


「ほう、姿を消すのか。――この辺りか?」


 今度も間一髪だった。

 ヤコヒメの意図はこの時点でもいくつか思いつくし、きっとその中の一つあるいはいくつか、あるいはすべてが正解だ。腹立たしいことには変わりがないが、そういったことを考えるためにも、邪魔者がいない間にヤコヒメを亡き者にするためにも、まずはこの場を切り抜けねばならない。

 すなわちスーチェン王は、勇者を殺すために送り込まれた第一の刺客だということらしかった。

 舌打ちをする間もなく、迅速に距離を取る。

 勇者は腰に佩いていた剣を抜き、正眼に構えた。


 互いに、互いを獲りに来た。相手(ヤコヒメ)の方が先んじた。そういうことだった。




 西遊記全巻セットが売ってるうちに買えばよかったなあって。

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