#13 大王の邂逅
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ノーヴァノーマニーズを貫くように、一本の大通りが地面を這う。この国唯一の道らしき道だ。アレクサンダグラスの設置した大街道を延長するように、大王の住まう城までがこの街の目抜き通りである。
街の様相は、旧区海側と新区街道側でおよそ二分される。街道側――大陸中央部側、すなわち鼠返しに近い部分には、鉄筋と混凝土で形成された背の高い建物が林立する。それらの建物は十階から十五階程度の階層を持ち、建物同士を繋ぐ通路が幾重にも空中を走っていた。
「空が見えないね」
配管や通路の作る影が通りに落ちており、外を歩くと常に薄暗い。目抜き通りが一番暗いのはどうかと思うが、これだけ連絡通路が張り巡らされていれば、わざわざ一階を歩く者がほとんどいないのである。
ミョルニがきちんとついて来ているかを確認しつつ、トォルはノーヴァノーマニーズの旧区へ歩を進めていく。
ノーヴァノーマニーズの国土は確かに大陸最大面積であるが、これは崖とも呼ぶべき急峻な山脈、通称鼠返しをも含めた計算である。実際のところ、鼠返しと海に囲まれたごく限定的な地域のみしか居住可能な区域は存在しないのだ。
最初はそれで良かった。硝子を多用する王城が海の間近にあり、その周りに特徴的な大きな天窓の平屋がひしめく。
同じ先祖を持つという意識を根底に抱く氏族集団が三桁人数程度しか暮らしていなかった昔は、それでも十分な広さだった。
彼らは自分の研究にしか興味がないが、その研究は他国にとって非常に有益なものである。大王が買い上げ蒐集し続ける知識は、他国が求めるたびに金に代わった。
学者たちは労働をしない。大王が他国から得た金を均等に分配し、また、それだけの収入でも彼らは十分過ぎるほどだった。なぜなら、書籍、実験器具、史料その他の購入などは、申請さえすれば大王からの援助がもらえるからだ。そうすると分配された金はどんどん蓄えられ、結局のところ、死蔵されることになる。
そこに目を付けたのが、大陸他国出身の商人たちだった。ノーヴァノーマニーズの学者たちは、およそ研究以外の時間の無駄をできる限り省きたいと常々考えているので、手軽に摘まめる軽食の店を開く商人が現れた。それから衣服に関する業者が入り、今度はそれらの商人に対して商売を仕掛ける者が増え、という形で街の人口が急増。彼らは元々あったノーヴァノーマニーズの外周と鼠返しとの間を埋めるように居住地を設けた。
これらを区別して、学者たちが住まう平屋地域を旧区海側、外部から入り込んだ者たちが暮らす高層建築群を新区街道側と称するのである。
旧区に入ると均等な形、大きさをした同じ形の平屋が立ち並ぶのみとなる。寸分違わず同じ形の家屋が並ぶ様は、一見壮観だが歩き始めるとすぐに飽きる。彼らは効率重視であり、家を飾るということを知らない。それゆえ、たまに研究機材や日干しの何かが外へはみ出す建物があると、ミョルニが熱心に覗き込んだ。
これらはすべて、ノーヴァノーマニーズ国民たちの個人研究所兼住居である。
大王の住まう城も多分に漏れず研究所だ。一番大きい研究所であり、実験機材や資料、工具書の類も一番広い範囲おさえてある。
しかし専門に特化した自分の研究所が結局一番都合が良い――特に理系の研究者たちは自分の研究所に籠りがちだ。
また、歴史や地理、文学などの研究に携わる者たちは、そもそも実地調査に出たりイスカガンの大図書館に出張したりして留守にしがち――半数に満たない程の学者たちが大王城の図書館に籠ったり、個人研究所で思索に耽ったりしている。
昨夜爆発した箇所の修理がすでに半分程度終了していることに驚きを覚えつつ、入城する。記憶が確かなら、哲学者たちが話し合うサロンが設置された場所のはずである。
……最近の哲学は進んでるなぁ。
などと考えつつ、城中央に設置された大階段を上って最上階へ。ここは大王の個人研究所であり、一年中のおよそほぼすべての時間、大王が御座すところである。たまに部屋を出ても、少なくともこの階層から降りることはまあ滅多にない。主な施設はすべて最上階に集中しているからだ。時折学者が行き来する。
この国に召使は存在しない。大王含めて誰も必要としないからだ。ただ、民間の小間使いは別で雇っていて、必要に応じて呼び出されるようになっている。当然ノーヴァノーマニーズの者ではない。
トォルは自分で扉を押し開けると、大王の研究所に這入った。
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『――様には特別に、魔法の一端をお見せいたしましょう』
『えっいいの!? 本当に!? 見せて見せて! ……あっ、すみません』
『いえいえ、それくらい食い付いてくれた方が披露し甲斐があるってものです』
アルファとイルフィが目を覚ますと、部屋には誰も居なかった。
隣に並ぶ寝台を見るが、使われた様子はない。メイフォンとマリストアには気を使わせてしまって申し訳ないが、同時に有難い、という気持ちを得る。
「朝ね」「なんだかいつもより調子が良いのだわ」
隣を確認するまでもなく、もう一人の自分もちょうど目を覚ましていた。体を起こし、器用にも手を繋いだまま服を着替える。
非常にご機嫌な目覚めだった。体の調子が悪いところはなく、瞼が開いた瞬間から眠気もなく、ここしばらくの間では確実に最良の朝だ。
どちらからともなく鼻歌が漏れる――別々の曲だったがお互い気にすることもない。手伝い合いながら寝巻を着替え終わると、双子は、扉の前に控えているであろう下女に声を掛ける。
「お腹が空いたわ」「朝餉にしましょう」
珍しく朝から食欲がある。
ほどなくして朝食が部屋に運ばれ、二人は扉横に移動した。食事が配膳される机は部屋に入ってすぐにあるのだ。こうすることで、下女が入室する際に部屋の奥に避難してさえいれば体調を崩すこともない。
ありがとう、と扉の外に声を掛け、いただきますと二つの声が唱和する。
朝食はパンとほぐした肉、それから千切った葉野菜たちだった。
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正方形の一辺から、外側に向かって張り出す半円を取り付けたような形の空間がある。
壁に取り付けられた大きな採光窓から差し込む光は、扉から反対側奥、少し高くなっている辺りに落ちていた。段になっている部分はおよそ真円の形をしており、部屋である正方形の部分に張り出す箇所には、手摺が取り付けられている。両端には、それぞれ五段ほどの階段。
赤い絨毯が敷かれた部屋の中央を境界に、扉から見て右側に書棚、左側に収納棚の林が立つ。見上げるほど高く、見えないほど幅のある書棚には、およそ五から六万冊ほどの書籍の類が並ぶと言われており、一定の高さごとに足場と階段が設置されること、今居る高さを一段目として五段分だ。恐るべくは、これら書棚はノーヴァノーマニーズ王城にある図書館とは全く別の、大王の個人研究に用いられる、大王が個人的に蒐集した書の類であるということだ。
反対側の収納棚には史料や試料、実験器具やその他が並べられているが、こちらもその数膨大で、書棚と同じような高さと幅を持っている。
この城の作りとして、廊下などは採光用に大きな窓が多用されているが、この部屋に限らず実験器具や書籍などが置いてある箇所は、日光による傷みを防ぐために窓が極力減らされ、日中でも薄暗い。
それゆえ、およそ初めての来訪者たちは、扉を開けた時、日光が降り注ぐ位置に陣取る大王がまず真っ先に目に入ることになるだろう。
ノーヴァノーマニーズの王は、代々大王と呼称され続けている。当然のことながら、このような呼称を持つがゆえに山のような巨躯を想像する者が多いのは致し方ないが――実際は、少なくとも今のノーヴァノーマニーズ大王は、決して巨躯に非ず。むしろ矮躯である。
ミョルニと良い勝負だ、とトォルは思う。
まだこちらの来訪に気付いていないのか、手元の石板に視線を落としている。
大王という呼称は、威厳たっぷりな髭面の大男を想像させるが、そういう意味ではおよそ正反対の特徴を持つのがノーヴァノーマニーズの大王だ。
乳白色の肌には髭一つなく、華奢な矮躯を覆い隠すほど長い、くすんだ金髪は日光を反射して緑色を透かす。氷床のような青灰色の瞳が文字列を一心に睨んでいた。
襟飾りのついた縦襟のシャツが特徴的な燕尾服に身を包んでいる。
「朝餉は済ませたのか」
足音をすべて吸収する絨毯を踏んで近づくと、大王は長い睫毛を伏せたまま口を開いた。見た目相応に高い声だ。潔癖なほど静謐すぎるこの空間に良く響く。
トォルは突然かけられた声に驚きすらしないで、もう済ませてきましたと伝えた。大王がこちらに視線を送りすらしないのはいつものことである。恐らく初めて出会った時から今に至るまで、正面からその御尊顔を拝んだことはない。記憶にあるのはどれも文字や試料に目を落としている俯きの顔ばかりである。
「吾輩はまだである」
「……えっと、待ってくれてたり……しました?」
「吾輩は待つのが嫌いだ」
「や、いつも言ってるんですけど、僕たち野菜食べないんですって」
偏食であるのは承知だが、野菜を食べようという気になったことは産まれてこの方一度足りとてない。一言も発さないのでわからないが、ミョルニも同じはずだ。
「野菜も摂取した方が良いな」
そしてノーヴァノーマニーズ国民は極端な菜食主義者が多い。肉や魚を口にすることもあるが、好んでするというよりは、栄養摂取の観点から義務的に食べるという場合がほとんどだ。
「たまに草食動物の内臓も食ってるんで大丈夫です。実質食物繊維です」
「炭水化物も摂り給えよ」
「東に寄った時には鳥の内臓食べるようにしてるんで大丈夫です。実質米です」
「おおミョルニ、近う寄れ、お前も大きくならんであるな。トォルにちゃんと食わせてもらっているのか」
……あの、大王様。ミョルニもちゃんと草食動物食べてるんで大丈夫ですよ。他にも虫とか。
意外と美味い。あれらも草食ってるので実質野菜だ。簡単に手に入るので道中割と重宝する。あと美味い。旅の途中野生動物を狩ることはするが、どうしても手に入らないことだってあるのだ。
「それでは吾輩は今から一人で朝餉を摂るのである。本当に要らんのか」
「ええどうぞすみません、お構いなく」
「ちっ、付き合いの悪い奴であるな。……ところで、要件はなにか」
ふらっと接近したミョルニを撫でまわしながら、大王が言った。
「ちょっと見せたいものがありましたので、持ってきました」
トォルは背嚢から瓶を数本取り出した。
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勇者は困っていた。
「何か食べたい物とかありますか、アイシャ様」
「勇者様のお好きなところでお願いしますぅ。少ししか食べられませんのでぇ」
勇者とアイシャは街に繰り出していた。
とりあえず朝食をと、場所はイスカガン西部である。普及の目途がいまだ立たぬ学院跡地を横目に、朝市を物色する。
アイシャはかなりの小食であるという。彼女との接触はまだまだ先で計算しているため、用事があるだのなんだのと適当にお茶を濁して逃げることも考えたが、なんとなく気が変わった。今はまだその時ではないが、いずれ手中に収める段階へ到達したときの為に、性向を調査する機会になればよろしい。また、気に入られておけば、洗脳するまでの振る舞いも楽になる。
それではどのようにして取り入るのが正解だろうか。第一の課題は、朝食だ。
菜食主義者で小食。一緒に食事しに行きやすい相手ではない。おそらくここで正解を出すのは無理だ。合格点を獲ることを目標にする。
では合格点は何か。露店だ。できるだけ長い時間を掛けたくない。そもそも朝食を抜くという選択肢はないのか。駄目か。
結局果物売りの露店があったのでそれで済ませた。存外に気に入ってくれたので自分に及第点を与えることにした。
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「あの、突然すまん、記憶が飛ぶくらい殴ってもらっても良いか」
「い、いきなりなんだ……! ……私がこんなこと言うのはなんだが、セラム、貴様飲酒はしばらく控えた方が良いんじゃないか……?」
「ああ! 私は今から、隠れる用の穴を掘ることにする!」
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マリストアは食後の茶を楽しんでいた。初心に立ち返り、お気に入りの茗である。わかることはほとんどないと言っているのにも関わらず、姉と弟が居座り続けていたので久しぶりに訪れた一人の時間な気がする。ゆっくり茶の香りを楽しむことができるのは良いことだ。
左目を隠す眼帯が煩わしい。
顎くらいの長さで切りそろえた髪にはそろそろ慣れてきた。自慢の髪が半分以下の長さになってしまったことは初め悲しかったが、慣れるとこれはこれで悪くない。これも可愛いじゃない、と最近鏡や窓を見るたびに思う。
新しい眼帯の完成が待たれるばかりだ。本職では花屋を営み、街では知る人ぞ知るといった腕の良い細工師だそうで、育てた花を材料にするという。眼帯の出来如何によっては、それと揃いの装飾品も頼んでみようかと思いを馳せた。
完成までは長くとも一週間程度は要すると聞いている。満足のいく仕上がりになればできるだけ早く持ってくると約束してくれはしたものの、昨日の今日ではさすがに無理だろう。
「無理よね? ね?」
「え!? ええ、はい、何がですか?」
「い、いえ、何でもないわ」
逸る気持ちを落ち着かせようとマリストアは器に口をつけるが、いつの間にか中身はなくなっていた。
「…………もう一杯いただけるかしら」
イナゴの佃煮なら食べたことありますけど普通に佃煮でした。