#10 宴席の一幕
★
皇宮は現在再建設中である。
それゆえ、敷地の一番端に仮で組まれた木組みの小屋が並び、その一角に皇族用の小屋が二つ、男女に分かれて並んでいた。
横並びに二つ。玄関は街の方に向いている。建物の正面から街までを道として、その両側には召使やその他が使う施設が無数に並ぶ。
イスマーアルアッドは、皇族用に設えられた小屋のうち、女性用に割り当てられた方の扉の前にいた。扉前に立つ下女に言って扉を開けてもらう。
侍医を伴って中へ。アルファとイルフィを寝台に寝かせる。
「具合はどうだい」
傍にあった椅子を引き寄せ、枕元に座った。
ずいぶん顔色は良くなっている。
「平気よ」「大分良くなったわね」
「それは良かった」
受け答えもしっかりしているので悪いところはなさそうだ。しかし倒れていたのは事実なので、大事を取るに越したことはない。入ってすぐのところで待機していた侍医を呼び、いつも通り診察を任せる。
しばらくアルファとイルフィの様子を観察。手元の紙に何やら記していた彼女が顔を上げ、気疲れから来る発熱でしょう、と言った。続けて、
「環境が変わったのが負荷になってるんでしょうね。……次第に慣れて良くなると思うわ、今はしっかり寝て治しましょ。お薬も一応気休め程度だけど、要るかしら」
半ばからは双子に向けてだ。
侍医が言いつつ鞄の中から白い粉薬を取り出すが、アルファとイルフィが首を横に振る。
「苦味は敵よ」「お砂糖なら飲むのに」
「苦いから効くのよ」
「お薬が苦いうちは飲まないわ」「お口の中に張り付くから嫌いよ」
苦いのが美味しいのに、と言って侍医は薬をしまったが、そういう話だったろうか。イスマーアルアッドは薬についての知識に乏しいのでよくわからないが、薬は決して美味しいものではなかったように思う。
くれぐれも安静に、木登りなんて以ての外よ、と言い残して侍医は部屋を去った。
イスマーアルアッドが肩まで布団を駆けてやり、双子が暑いと言ってそれを蹴りやる。あ、そうだわ、とどちらともなく言い、彼に何かを差し出した。
「これは?」
「私たちもちょっと記憶が曖昧なのよ」「誰かが私たちに渡したのだわ」
受け取り見ると、白い封筒である。封蝋が押してあるが見たことのない紋様だ。
「イスへ渡してって言ってたのだわ」「私たちに似た見た目の下女だったのよ」
裏も見てみるが、特に何も書いていない。封蝋が押してある以上の情報は外側からは得られなかった。封蝋を押してから開封された様子もない。
やはり見覚えのない封蝋だ。赤い蝋の上に幾何学的で複雑精緻な模様。アレクサンダリアには、アレクサンダグラス皇家の印のみならず、各名家それぞれが使う家紋印がある。同様に他国の王家や貴族たちが使う印もあり、恐らくこの印は後者の一種であろう。イスカガン内のものであれば見覚えくらいはあるはずだ。
「私宛に、と言っていたんだね」
「そうよ」「確かに聞いたわ」
開封する。
半分に畳まれた一枚の紙が入っていた。
親愛なるイスカガン王イスマーアルアッド様へ、という書き出しから始まるその文書は、アンクスコ女王の名で締めくくられている。
細く整った筆致で綴られる親書には「次期皇帝にイスカガン王イスマーアルアッド様を推薦します」とだけ書いてあった。
★
ニールニーマニーズが勇者に声を掛けた時、アイシャはむしろよく我慢したほうだと思った。形骸化した風習とはいえ、一応は会食の席である。国と国同士の親睦を深めることを目的とした食事会に、イスマーアルアッドの代理として出席しているのだ。王たちを無視して部外者である勇者に積極的に話し掛けにいくというのは比較的推奨される行為ではない。
まあそもそもの話をすると、八王会談に完全な部外者である勇者が出席していること自体もそもそも理由がわからないのであるが、アイシャやニールニーマニーズの知らぬところで彼を出席させるということに決まったのであろう。であれば従うのみだ。
「勇者様! 宝剣、宝剣持ってるんですよね! 見せてください! 普通の剣とは違うんですよね、聞いた話によると魔王の首を一刀両断したんだとか! 雷を操ったとか、太陽の光を集めたとか、色々ありますけどこれも本当なんですか!?」
「ちょ、ちょっとニールニーマニーズ様、落ち着いてください! 順番、順番に……!」
アイシャはスープを掬って口に運びつつ思う。よくやりました弟、私も興味ありますよぅ。話に参加したいが、自分も勇者に対する質問攻めへ参加してしまうと八王へ応対する者がいなくなってしまう。
「そういえばエウアー様、柘植の櫛を持って来たんですが、よろしければどうですかぁ」
「良いの? 助かるわ。大事に使ってはいるのだけれど、前貰った櫛もそろそろ傷んできてたのよね」
「はぁいお買い上げありがとうございますぅ」
……商売してませんかぁアレ。
エウアーが背後に控える召使に申し付けると、おそらく硬貨の入った袋がヤコヒメの下女に手渡される。ヤコヒメがエウアーに品物を渡した。
「これが宝剣ゴールディオス……! 触って良い? 触って良い!?」
「気を付けてくださいね、手とか切らない様に――ああ駄目ですよ鞘から抜いちゃ!」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! ね!? 変なことはしないからさ!」
なんとなくノーヴァノーマニーズの使者に視線を送ると肩を竦める仕草が返ってきた。彼はどうしてこの場において落ち着き払っていられるのかと思ってたが、目に「諦念」の二文字が浮かんでいて妙に納得した。
エウアーの発した、堅苦しいのは嫌いだから無礼講ね、という言葉に呼応して、一気に騒がしくなったように思う。覇を競って争い合っていた国の頂点同志にはとても見えないのは時代が変わったと、そういうことだろうか。
「アルタシャタ様ぁ、お国に帰られましたらやっぱり乾燥とか気になりませんかぁ。乾燥止めに良いものをお持ちしたんですがどうでしょうかぁ」
「ん、なんじゃこれ。菜種油かの? 菜種ならペラスコの北部でも栽培しておるし、ノーヴァ―ノーマニーズからも輸入しておるの」
「さすが聡明ですぅ。確かに主成分は菜種油ですがぁ、ヤハンで採れる薬草も数種配合しておりまして、ほらわかりますかこの色、これがそうなんですけど、肌荒れあかぎれ、乾燥肌ももちろん蕁麻疹や切り傷擦り傷などにも有効でして、ただいまこれをお一つ買っていただきますともう一つお付けいたしますと、そういう具合になっているのですがどうでしょうかぁ。わたくしとしては心苦しいのですがぁ、今を逃すと同じ内容で提供することは難しいかもしれませんよぅ」
アレ悪質な販売方法じゃありませんかぁ。商売については門外漢なので分からないが、妙に納得した様子のアルタシャタが十個買ったので、案外普通の商法なのかもしれぬ。
下女に命じて金銭と品物のやり取りを任せ、今度はヤコヒメがウーに向き合った。
「ウー様、ここだけの話、とっても儲けられる方法があるのですがぁ……一枚噛みませんかぁ」
「もう貴様の口車には乗らんぞ」
「いいえぇ、今までのとは違うのですよぅ。まずはこの水を見てほしいのですがぁ、これをわたくしから買っていただきたいのですよぅ」
「ほう、何か特別な水なのか」
「ただの水ですよぅ。――ああ待って、待ってくださいましウー様。続きがあるんですよぅ。ウー様はこの水を買いたいという方を何人か見つけてきてほしいのです。そうすると、ウー様はこの水の売り上げの一部を受け取ることができます。そしてウー様から水を買った方がまた別の方へと水を、という風にしていただけますと、その方も同様に売り上げの一部が懐に入り、かつその売り上げからもまたウー様の懐に入り、という構造が無数に続くと、そういう方法を考案したのですがぁ」
「……なるほど、よくわからんが最初に数名捕まえてくれば、我は何もせずとも儲かると――そう言うことであるな」
アイシャは考えることをやめた。
スーチェンの未来を想像してどうにも食欲がなくなったので、召使に命じて紅茶をもらう。
ヤコヒメとウーは具体的な鼠講について一方的に話し込んでいる。
隣はと見ると、いつの間にか勇者とニールニーマニーズの会話にアルタシャタとエウアーが合流していた。
アイシャは席を立つと、ノーヴァノーマニーズの使者の隣に移動する。
「あの、お疲れ様です」
「このような場に無辜の民を巻き込んでしまったこと、深謝いたしますよぅ」
「ああいえ、全然、全然大丈夫ですよ! どうかお気遣いなく!」
「あっそうですかぁ?」
呆気なく懸念事項が取り払われたので、勇者を質問攻めにする会に合流した。
★
そして。
宝剣が折れた。
「……えっ脆くない?」
下手人が半ばから折れた剣の柄を握ったままたっぷり数十秒消費した後ようやく捻りだしたのは、そんな言葉であった。
少しだけ見せてもらうつもりだったが、やや夢中になりすぎた。こちらが持つ剣の鞘を勇者が握った瞬間だった。ゴールディオスが急に折れ、鞘に入った先端のみが勇者の手に渡ったのだ。
「――ご、ごめんなさい」
狼狽。
物語の中に語られる勇者は、大概の場合一振りの剣と共にある。勇者の力の源なのである。
メイフォンに普段散々な目に遭わされる過程で武器の扱いについてはよく見知っているつもりだった。しかしそれは驕りだったのだ。まさか剣というものがこれほど脆いとは。そういえば、あのがさつを全身で体現する姉でも武器の手入れは丁寧にやっていた気がする。
それにしても強度に難があるような気がするが、折ってしまったのは事実だ。狼狽える気持ちも強いが、再び謝罪を口にする。
「――あっ、いや、気にしないでください。古い剣なので、寿命だったんですよ。それに、僕が取り上げようとしたせいで折れたみたいなもんですし、ね? ね?」
「いや、本当ごめん……まさかこんな簡単に折れるとは思わなかったんです」
「ちょっと剣にしては脆いような気がするけれどねぇ」
「わしは剣はからきしだから何ともわからんの」
円卓を挟んで反対に座るウーも口を出す。
「剣ならスーチェンに腕の良い鍛冶職人が何人も居る。紹介しよう」
★
勇者は、やはり剣は安物に限る、と思った。
そもそもこの剣は、キョウの村で誰かが家に飾っていた剣を適当にくすねてきたものである。宝剣ゴールディオスなどと大層な名前を付けてはみたが、別に本来のこの剣の名前でもなければ、そもそもそのような名前の宝剣なぞこの世のどこを探しても存在しない。当然由緒正しき謂れがあるわけでもない。
量産型の、少し古い、手入れも行き届いていない、錆の浮いた鉄剣でしかないのだ。
それゆえ鞘から抜かれるとやや困る。なので、抜かれる前にと鞘に手を掛けた。こちらとしてもこんなに簡単に折れるとは思っていなかったのだが、これは嬉しい誤算である。少し無理にでも折るつもりだったので自然にいったのは非常によろしい。上出来だ。
ニールニーマニーズが謝罪を口にするのが耳に心地良い。しばらく詰ったりしたかったが、渋々我慢して大丈夫ですよ、仕方ないですよと口にする。そもそもただの古い剣なので折れるのは必然だ。碌に手入れもしていない。懐はまるで痛まないどころか、この剣を折ってくれたことで、種々の利益をこれから拾っていける。
内心の歓喜を欠片も出さず、勇者は混乱を隠せないニールニーマニーズの肩に手を置き、慰めの言葉を口にする。気にしていない、元々古いものだったから丁度買い替え時だった、など。
スーチェン王が新しい剣を用意してくれるらしい。これも幸運だろう。
「こう言っちゃなんなんですけど、ニールニーマニーズ様のおかげで新しい剣が手に入ることになりましたし、そんなに気にしないでください」
「ごめんなさい勇者様、スーチェン王もありがとうございます……」
ニールニーマニーズから柄の部分を受け取り、解いた腰紐で多少無理矢理括りつける。
「それに、たかが剣一本折れたくらいで本来の力が出せないっていうなら勇者なんて名乗ってられませんよ」
★
すっかり意気消沈してしまった弟を横目に、アイシャは勇者の持つ剣を見るともなしに見ていた。
たまたま立ち位置が良かったのか悪かったのか、他の者からは死角になっているところで、ニールニーマニーズの持っていた宝剣に触る際に勇者が不自然に手を動かしたような気がしたのだ。
弟が折った、あるいは事故で折れたというよりもむしろ、
……勇者が自分で折ってませんでしたかぁ?
マリストアやアルファ、イルフィが勇者のことを苦手に感じているという。何かある。そもそも勇者という自称からして怪しい人物なのだ。
人柄も良く、短い期間で民の心を掴み、魔王を一刀両断にするほどの実力の持ち主。
何もないわけがないのだ、そもそも。
アイシャが感じた違和感は、懸念すべきなのかもしれないし、あるいはそれほど大事ではないのかもしれなかったが、その判断は彼女にはつけようがなかった。
アルタシャタが購入したのはハンドクリームのようなものです。