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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈上〉
30/78

#6 皇帝の意味

 ★

 

 それはあまりにも暴論だ、と勇者は思った。


 ★


 イスマーアルアッドはひとまずの動きとして言葉を切り、参列者たちを見渡した。

 少しの間が生まれる。


「あの」


 恐る恐る、といった様子で挙手したのはノーヴァノーマニーズの使者だ。

 どうぞ、と手で促す。


「ぼ――私は素人なのでよくわからないのですが、皇帝がいるのといないのとでは、何がどう違うのですか」


 ★


「説明しよう!」


 水を得た魚のようですねぇ、とアイシャは思った。

 病人用にとせっかく用意された個室であるはずなのに、いつの間にか溜まり場のようになっている。療養中のマリストアに加え、自分とニールニーマニーズ。稀にメイフォンも顔を出す。

 まるで凝った様子などない妹の肩を揉みながら、アイシャは弟に二の句を促した。


「皇帝がどうして必要か、だよね」


 イスマーアルアッドが各国の王たちと会議している議題について、という話が雑談で出たのだ。十中八九次の皇帝をどうするかだ、という話になり、妹がそもそも皇帝は必要なのか、と問うた。


「そもそも皇帝とはなんだという話なわけだけれど、まず皇帝というのは我らが父、アレクサンダグラスのことだよね。色々省略するけど、イスカガンの王だった彼が大陸で覇を競っていた七国を打ち倒して支配下に置いたわけだ」


 大仰な身振りと共に続け、


「王を支配する王――という風に概念拡大が起こり、アレクサンダグラスは王を統べる王としての皇帝となった。簡単に言うと、王より偉い位ができたわけだね。地方分権による国家の支配だ。さて、ここで皇帝という存在があることによる益と損について考えてみよう」

「最も大きな益は、各国の序列の水平化じゃないかしら」

「マリストアくん、良い答えだ」


 椅子に座ったまま膝から下を振りぬいた蹴りが、ニールニーマニーズの脛を強打し、彼はごく短い苦悶の声を発しながら前のめりに頽れた。弟と妹の仲が良くて何よりだ。

 無言で頭を右に倒したのは、首の左側を揉めと、そういうことだろか。その通りにした。


「大陸の覇を争っていたというのはつまり、どちらが上でどちらが下か、というのを争っていたわけよね。ここに皇帝が現れて、『俺はお前らより上だ』としたわけだから、全員皇帝の下に着く、という前提の下で同じ立場になったと、そういうことよ」

「そ、そうだね」


 ……おお、復活しましたよぅ。


「でも、こうも考えられないかな? 皇帝がいるせいで、自分たちは絶対に一番上になれない。これは野心に燃える王たちにとっては損じゃないかな」

「私は平和が続く方が良いと思うのだけれど。国民は失われないし土地は荒れない。自分の領土の発展を思えば二番手に甘んじる方が正しいんじゃないかしら?」


 ニールニーマニーズが立てた指を左右に振りかけ、マリストアの爪先に視線を送ってやめた。咳払いをいくつか場の整えとして挟み、


「それじゃ王じゃないんだよ。国民に良い生活をしてほしい。実り豊かであってほしい。農地を増やしたい。私腹を肥やしたい。なんだって良いんだけど、王であるならば、もっとだ。『もっと』国民に良い生活をしてほしい。『もっと』実り豊かであってほしい。『もっと』農地を増やしたい。『もっと』私腹を肥やしたい。近隣に幾つも国があったとして、『もっと』が弱い国は食い物にされるだけだよ。況や私欲のない聖人君子が治めるような国をや――だ。」

「……でも別にぃ、皇帝の下につくという形で大陸中に敵対国家がなければ、そもそも侵略される危険はないのではないですかぁ」

「否、甘いよアイシャ! 確かにアレクサンダリアという国を構成する地方としては、つまり立場としては水平になるかもしれないけれど、例えば領地の広さ、資源――これは人的資源も含めてだね、他には立地とか気候とか、これらが完全に均等になるのは不可能だ」

「資源が欲しければ貿易すれば良いんじゃないかしら? 違うの?」

「実際今までもそのようにしてきていますからねぇ。大陸が統一されてから、行商人やなにやの往来は爆発的に増えていますし、交易額は急速に成長中ですよぅ」

「ともあれ、だ。各国の王たちは、それを表に出すか出さないかはともかくとして――確実に、自分の領土の権益を最大とすべく動く、ということは概ね間違いないと見て良いはずだ」 


 ★


 体の調子が良い、というのがここ最近の自己認識だ。

 戦禍の跡が上書きされつつあるイスカガンの城下町を歩きながら、メイフォンは己の体の調子を確かめるように時折体を左右に揺らす。

 右足。左足。踏み込み、振り上げ、ステップ、ホップ、スキップ。靴を脱ぎ、指先で石畳を噛む。

 右手、左手。握り、開き、振り、払い、突き出し、引き戻す。

 駆け出す。人混みの隙間を潜り抜け、果物の陳列棚に爪先を掛け、体を前方やや上に飛ばす。突き出した両腕は屋根に届き、体を持ち上げる。前転、屋根を往く。駆ける。走る。飛ぶ。転がる。

 己の体に加速を入れていく。

 動きとしてはゆるやか。徐々に速度が上がり、街並みが背後のものとなっていった。

 縦横無尽という言葉の通り、空中を飛び、屋根を、道を掛け、障害物や市民を潜って避け、当てもなく、行く。

 調子を確かめるように、段階を踏んでその動きを速めていく。

 「調子が良い」という言葉で一緒くたに片づけてしまうには、あまりに調子が良すぎる、とメイフォンは思う。


「一つもらおうか」

「銅貨二枚だ」


 途中にあった露店で、駆け抜ける動作のまま果物を一つ手に取り、店主に銅貨を渡す。あの店主、なかなかな手練れと見た。こちらを目で追っている。ほほう。

 側転を入れ、壁を蹴って宙で体を半分捻り、左手を地面について動きを止める。


「焼き鳥はどうした」

「これからは果物よ。見てくれほら、大陸中の珍しい果物がたくさん。これとかお前、ある国の王様が、季節外れでもどうしても食べたいってんで金貨五百枚積んだこともある果物なんだぜ。あとオススメは――」

「ところで店主、武術の経験は?」

「勘弁してくれ、天下の武闘姫相手じゃ俺の田舎武術は通用しねぇよ。それよかもっと買ってくれ」

「それじゃあ同じのをもう一つ貰おうか」


 あいよ、と店主が林檎を投げて寄越す。

 空いた方の手で受け取ると、眼前にもう一つ来た。


「そいつはおまけだくれてやる――どうか命だけはお助けをって奴だな」


 言いおる、と、橙の果実を口で受けた。食べ物落とすことなかれ――勿体ないので。

 噛むと、口中に酸味が広がる。遅れて甘みが鼻を抜け、意外な旨味に頰が綻ぶ。

 にや、と笑った髭面の店主に手を振っておく。両手に一つずつ。片手が空くまでは休憩ということにし、街を散歩することにした。

 ……折角調子が良いのに戦う相手がいない。

 否――調子が良いというよりはむしろ、自分の出せる力の上限がかなり伸びているようだ、という風に認識している。これを試したくて居ても立っても居られないと、そういうことなのだ。


 ★


 この街は人間が飛ぶのか、とセラムは思った。

 眼帯の作成に煮詰まったので一息を入れようと、窓際の椅子に腰かけたところだった。猫舌なのですぐに口をつけることはしないが、湯気を立てる器から立ち上る香りが心地良い。珈琲。この辺りには売っていないので、故郷で安売りしていたのを大量に買い込んできた。

 ノーヴァノーマニーズにある学院で初等課程を終え、しばらくの修行の後、自分の店を持つという形でイスカガンへと引っ越してきた。あと少しで店を開いて一年が経つが、様々な人種、文化が入り混じるこの街にはまだまだ慣れそうにない。


 故郷の空は狭い。人間の暮らすことができる土地というものがそもそも狭く、ほとんどの建物は上に上にと伸び、それらを繋ぐ連絡通路や配管などが張り巡らされている。

 セラムは空を見上げるのが好きだった。

 故郷の人間は、皆資料や実験器具に釘付けで、空を見上げることを忘れてしまった者たちばかりである。その空気が息苦しく、こうしてイスカガンまでやって来たわけだが、結論を言うと来たのは正解だった。

 なぜなら、空が見える。

 ノーヴァノーマニーズからの旅路、夜に何もない草原で見上げる満天の星空や、山の山頂で見た雲より上の景色も格別だったが、己の住処から見上げる空というのがまた特別で良い。珈琲の湯気が鼻腔を満たし、椅子の程良い揺れがセラムの瞼を下ろしかけた時、空を飛ぶ影が目に入った。

 大きい。

 ハッとして飛び起き、眠気を払うためにと器を手に取り、口元へ運ぶ。

 ……気のせいか?

 息を吹きかけて冷ます。まだまだ熱くて飲めそうにない。

 体を起こして外に視線を送る。

 

 やっぱり飛んでいた。


 人間だった。

 ……イスカガンは人間が飛ぶのか。

 長い黒髪を高いところで一つ括りにした女が自由自在に体を操って、家屋の壁や屋根の上を駆けている。そういうこともあるだろう。イスカガンだしな、と変な納得を得た。今は失われてしまったが、つい最近までは皇宮の爆発を日常の一部としていたような、そんな街なのだ。

 結局珈琲は湯気が出なくなるまで冷ましてから飲んだ。


 ★


「皇帝は要るわ」


 イスマーアルアッドは、居並ぶ王たちが皆同意を示したのを見た。

 必要よ、とエウアーが言い直し、


「八王――イスカガン王を除いて七王かしら。そうね、少なくともこの場にいる王はみんな同意見のはずよ。――皇帝は要るの」

「その件については同意ですねぇ」


 ノーヴァノーマニーズの使者が片眉を上げる。


「そもそもイスマーアルアッドよ、貴様の父アレクサンダグラスは、八王全員の息子だの」


 アレクサンダグラスは、下した国の王女を嫁にもらうという、血縁関係による支配で大陸を統一した。王女とはすなわち、八王が娘――であれば、アレクサンダグラスはそれぞれ八王の義子である。

 それはつまり、アレクサンダグラスを介して八王すべてが親戚関係にあるということでもあり、乱暴ではあるが、ある意味、この会談は家族会議とも言えてしまう。


「父あるいは母と、その子であれば、立場はどちらの方が上であるか?」


 それは親ですよね、と使者が口を挟む。


「然りだ」

「御大は私たちを支配するという形を取りはしたけれど、その実は八大国の同盟という形でアレクサンダリアは形成されているのよ」


 連邦だ。

 アレクサンダグラスは、支配する国々に対しほとんど最低限の税しか課さず、法による支配を徹底し、徳によって国を治めた。また、短い期間で大陸中余すことなくすべてを手中に収めてしまったため、現在アレクサンダリアに敵らしき敵は居ない――外敵というものの存在しようがないのである。

 故の平和だった。

 領土を広げようにも、そもそも大陸はすべてアレクサンダリアのものであり、功臣に土地を封ずるのであれば、広大な国土の一部を切り拓かせればよい。戦争はもう起きないのだから、未来武勲に対して贈る土地がないという問題も発生しない。

 外敵がいないため、国外から侵攻を受けることもない。

 国の内部でもかなり強大な権力を持つ八王たちが互いに譲り合い、平和を乱そうとしなければ、この平和は恒久的に続くと、そういう仕組みがアレクサンダグラスという一人の男によって為されているのだ。


 アレクサンダリアという一国内での完結。

 戦争から解放された国民たちは、紆余曲折は当然あったものの、多くが産業に従事するようになった。産業従事者が増えるとより効率的な仕事の仕方が洗練され、産業と産業の隙間を埋める新たな仕事が出来、貯蓄の多寡による貧富の差が生まれ、広がる。しかし、これを見越したアレクサンダグラスが労働法を真っ先に整備していたために搾取労働が常態化することもなく、健康で文化的な最低限度の生活は等しく保証された。

 法が徹底的に整備され、犯罪者の取り締まりや更生といったことも行われた。根絶には至らないが、夜道を一人で歩くなど、ほんの十五年も昔だと自殺と等しい行為であったことを思えばかなり数が減っている。


「他にもいろいろ。ずいぶん平和になったものですねぇ」


 当然、富を多く蓄えた者は次に権力を欲する。彼ら向けに、役人登用のための試験も設けた。これはアレクサンダグラスが最初期から行っていたものを丸々流用した形であり、もちろん貴賤関係なく能力さえあれば雇用されることには変わりない。

 賄賂等汚職も一時期横行したが、能力がなければすぐに解雇されるため、国の中枢にかかわる役人登用の面においてはあまり深刻な問題とはならなかった。


「現状維持こそが我らの本懐だの、イスマーアルアッドよ」

「皇帝という存在があることによって、我ら八王は二番手としての均等を得る」

「わたくしたちは『もっと』を求めはしないんですよぅ」

 

 なぜなら、現状が最良の平和だからだ。

 

「良い? イスマーアルアッド。皇帝は象徴(トーテム)よ。大陸に住まうすべての命が手と手を取り合う為に必要な、共通の天子」

「アレクサンダグラスが八王を統べたから皇帝となった――のではなく、八王が欲したから、アレクサンダグラスが皇帝になった、ということか……?」


 面白い見解ね、とエウアーが言う。全くその通りではないのか。ある意味で寓意的な物言いを含むのだろう、とイスマーアルアッドはそう判断した。

 アレクサンダグラスが華々しくも次々と大陸の強国たちを下して支配の手を広げ、ついには大陸を統一したという英雄譚は、あるいは、そのような政治的な事情をも加味して実現した偶然の産物なのかもしれない。

 八王が一角、イスカガンの王は、無意識のうちに生唾を嚥下していた。

 セラムが座っている椅子はロッキングチェアです。どちらかというと足が「乙」の形をしている方。

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