#4 新王の改心
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イスマーアルアッドは、対面のウーが「さて」と前置くのを聞いた。
「御大の遺書にはなんとあったか」
遺書、という言葉が出た瞬間、室温が数度下がったような錯覚をさえ得る。
この大陸の行く末、アレクサンダリアの今後についてが、アレクサンダグラスの遺書によって左右されるのだ。この場にいる者の態度や言葉にこそ現れていないが、明らかに空気が変わったのを肌で感じる。
正面のヤコヒメが、下女から茶を受け取りつつ、口火を切る。
「跡継ぎとか書いてあるんですよねぇ。嫌だ嫌だ、緊張しますわ」
「おひい様、失礼ですがおひい様が跡継ぎになることはないんちゃうかと思います」
「あらあら、はっきりした物言いは嫌いじゃないですよ」
でもそれくらいはわかっているわ、とヤコヒメは器に口をつける。
アルタシャタが目を細め、「わしにも茶をくれんかの」と要求した。ヤハン女王の召使が同様に茶の入った器を手渡す。
「おお、すまんの。ちょっと飲んでみたかったんじゃ」
「熱いんでお気をつけください」
「大丈夫大丈夫、ペラスコの太陽に比べればこれくらい熱っ!」
イスマーアルアッドは背後の召使に命じて冷水を彼の王の元へ運ばせた。
エウアーが組んだ腕を指で叩いている。表情からは何を考えているか伺い知れないが、恐らく苛立っているであろうことはこの場にいる誰もが感じていた。
「あの、すみません。遺書なんですけど」
勇者が挙手した上、言った。
スーチェン王が前屈みになり、円卓に両肘をつく。
「魔王が大皇帝を暗殺した際に奪われているんです」
つまり、
「失われたんですよ」
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勇者は居心地の悪さを感じていた。イスマーアルアッドを除き、この場にいる全員の視線が全身を刺すようである。
フィン女王が眉を顰めた。
「ねえ、魔王を倒した際には見つからなかったの?」
「私の指揮の下で」イスマーアルアッドが告げる。「騎士団とキョウ跡地――魔城跡地周辺及び魔王を検分したのですが、遺書は見つかりませんでした。それらしきものも見当たらず」
エウアーが椅子に深く身を沈めて瞑目し、一瞬のち再び身を乗り出し、
「絶対に、見つからなかったのね?」
「は、はい。見つけること叶わず申し訳――」
「見つけられそうにない?」
「……私の力が及ばす――」
「御託は良いの。出てこないのね? 遺書。返答ははいで頂戴」
「……はい」
その瞬間、エウアーが椅子を蹴って立ち上がった。
同じくしてウーも立ち上がっており、ヤコヒメの下女が前に出る。
「イスマーアルアッドよ、貴様まだまだ若いの」
アルタシャタが机に立てかけていた杖を握る。
ノーヴァノーマニーズの使者と同じくイスマーアルアッドは四王に追いつかず、円卓は膠着した。
「ねえアルタシャタ、私が年取ってるみたいに聞こえるから今の言葉訂正しなさいな」
「ガハハ! 千年生きとるババアが何を言うんじゃ!」
「――貴方から先に吸うわよ」
「アルタシャタ様、おひい様にも失礼ちゃいますか今の」
「わたくしそんなに年取ってないですよ?」
会話は途切れない。
しかし、言外に全員が全員を牽制しあっていた。勇者は腰に佩いた宝剣をいつでも抜けるように右手を自由にしておきながら、
「……おいイスマーアルアッド、しっかりしろ。お前がどうにかしろよ」
周りに聞こえないよう、イスマーアルアッドにだけ耳打ちする。
あまりに腑抜けているので一喝を入れたつもりだった。
険悪な空気が流れている。下手を打てば、今すぐにでも一戦始まりそうな予感さえ感じさせる、そのような様相だ。
イスカガン代表がこちらを見た。しかしもう言うことはなかったので肩を叩いておく。特に意味はなかったのだが、何かが伝わったようでイスマーアルアッドは頷きを寄越してきた。
「戦争だ、戦争をする。一番強いものが大陸を統べれば良い。単純で分かりやすいだろう」
「大陸のお猿さんはそうやってすぐ戦争戦争って、ずーっとそうですもの。昔から全く進歩して――ああ、進化してないからお猿さんだったのね」
「せいぜい極東同士で潰し合って頂戴。ところでノーヴァノーマニーズの貴方、大王に取り次いでくださらない? フィンの女王エウアーが貴方を欲しがっているわ、って」
「貴様ノーヴァノーマニーズの石頭に色仕掛けする気かの? ガハハ! これは傑作じゃ!」
と。
その時、破裂音がした。
視線が集中する。
イスマーアルアッドが己の両頬を力強く叩いた音だった。
★
大陸全土の地図に、キョウという小さな町が載っていた辺り。そこに、二つの人影があった。
東洋風の顔立ち。吹きおろしの風が黒とも焦げ茶ともつかぬ髪を弄ぶが、本人は気にした風もない。
大きな背嚢を背負った男だった。
「いやあ、やっぱり酷いなぁコレ」
青年が、隣で影のように付き従う少女に声を掛ける。
真っ白の髪に、夕焼けのような色をした双眸。装飾として布襞の多くあしらわれた下女服から伸びる健康的な手足は、ミルクによく似た色をしている。
服装から判断するに、彼女は男に仕える下女だろう。だというのに、主からの言葉に全く何の興味も示さない――反応もない。直立のまま微動だにせず、何の表情も浮かばぬ様を見ればいっそ彫刻にさえ見える。
慣れているのか、男の方はそもそも反応が返ってこないのがわかっていたようで、全く意に介さずと言った様子でしゃがみ込む。足元。一面に広がる紫紺の砂漠。手で掬うと指の隙間から零れ落ちてしまうような、とても粒子の細かい砂だ。
黒曜石に似ている、と判断する。しかし別物だ。似て非なる何か。掌を逆さまにすると、落ちた粒子が風に吹かれて飛散する。
背嚢から密閉できる容器をいくつか取り出すと、複数個所から黒砂を掬って入れておく。地質学やそのあたりの知識に詳しい者が知り合いにいる。
「ミョルニ。次はノーヴァノーマニーズへ行くよ――」
「にゃあ」
ミョルニが鳴いた。
心臓が止まるかと思った。
「っ! え、今、喋、ちょ、ミ、ミョルっ!」
相も変わらず虚空を見つめているミョルニの両肩に手を置くが、先程声を発したことが聞き間違いだったのかと思えるほどに何の反応も示さない。
トォルの両手に揺さぶられるがまま、ミョルニは首を前後に振る。
「聞いた! 確かに聞いたよ、聞き間違いじゃないはず! にゃあって喋って――喋って?」
……あれ、思わず興奮してしまったけどこれ別に喋ってない?
鳴き声は発話に含まれるのか否か。
しかしいくら揺さぶったとて僕からの反応がないことはわかり切ったことだった。いずれまた同じようなことがあるだろう。日々成長しているのだ。ついには言葉を発せるようになったと、そういうことである。
取り乱しても良いことなどない。彼女には彼女のテンポがある。一つ息を吐き、これを以て気持ちの切り替えとした。
一旦の間を置く。
試料の入った容器を背嚢にしまい、ミョルニに命じる。
一瞬のち、その場に人影は残っていなかったが――紫紺の広がる砂漠に、目を凝らしてよく見ないと確認できないような影が落ちていた。
最も、確認できる者がいたとしても、こんなに巨大な鳥は居ないと口を揃えたに決まっていたが。
「とりあえずノーヴァノーマニーズだ。一気に行ける?」
巨大な影の持ち主――白銀の飛竜は、甲高い鳴き声で鳴いた。
滑り、飛んで、行く。
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イスマーアルアッドは立ち上がった。
雰囲気に飲まれていたが、ここはそういう場なのだと、ようやく追いついた。勇者に目線で礼を言う。
息を吸う。張り詰めた空気がむしろ心地良い。
「目が醒めました」
両頬が熱を持っているが知らぬ。今までの自分を恥じた熱か、あるいは両手の掌打による熱か。両方だ。室内の王たちを見渡し、続けて、
「私はイスカガンの代表としてこの場にいますが、アレクサンダグラスの第一皇子でもります。アレクサンダグラスの名の下、八王は平等でなければなりません」
大陸にはかつて、覇権を争う国が大小無数にあった。
その中でも、それぞれ大陸の辺縁部に領地を広げた七大国。その支配を大陸内部へと着々と伸ばし、戦国の七雄と謳われた七つの国に、大陸中央に位置したイスカガンを加えて八つ。
これら八つの国は、大陸が統一されてアレクサンダリアとなった今でも、依然強い国力を有し、その王たちは大陸内において強固な権限を保持していた。
ただの一騎士でしかなかったアレクサンダグラスを見出した小国、イスカガン。
皇都イスカガンから西にほど近く、大英雄が初めに倒して支配下に置いた国、シンバ。
大陸最東端、英雄を一番苦戦させた大陸最大武力を誇る国、スーチェン。
スーチェン対岸、東洋の神秘、不思議な文化や独特な伝統を持つ極東の国、ヤハン。
シンバから南西に行くことしばし、砂に閉ざされた神とまじないの国、ペラスコ。
大陸最北端、急峻な山々に囲まれた大陸一過酷な環境にある国、フィン。
大陸最西端にして大陸最大面積、偉大な大王の子孫たちが暮らす思想と哲学の国、ノーヴァノーマニーズ。
大陸最南端、鬱蒼と生い茂る大森林を天然の要塞に持つ謎大き国、アンクスコ。
居並ぶ面々を見据える。
八王とはすなわち、以上八国の王のことを指す。
イスカガンという国自体は実質アレクサンダリア帝国に拡大改名しているのだが、イスカガン王という枠組みはまだ名のみが残っている。イスカガン国王がアレクサンダリア皇帝となって以来空位であるため、現在は本当に肩書として残るのみだ。だが、
……世襲だ。
騎士アレクサンダグラスがイスカガンの王から禅譲を受けるという形で、アレクサンダリアという超大陸国家は建設された。
そして、アレクサンダグラスと言う例外こそあったものの、イスカガンの王位は代々世襲――すなわち。
前イスカガン王である父も亡き今、イスカガンの王――すなわち八王の一角を担う権利が自分にはあると言えるのだ。すでにイスカガンという国はなくなっているがために空位の、それも国土も国民も伴わない王座だが、今ここに座る資格を持っているのは大陸中でイスマーアルアッドしかいない。
ゆえに、
「現在を以てイスカガン前王故アレクサンダグラスを父に持つ私が、イスカガン王への即位を宣言します」
八王は平等だ。
「ひとまず、そうだ、座りなさい。会議中だろう」
大陸の化け物たちを相手に、食らいついていく。
★
「異論はあるか」
勇者は、イスマーアルアッドが居並ぶ王たちを睥睨して問うのを見た。
背凭れに体を預け、相当不遜な態度である。
「わしらを前にして同じ事をした者が昔おったの! ガハハ! 蛙の子は蛙か!」
自分がどう動くべきか分かりかね、主に視線を送った下女をヤコヒメが下がらせる。
勇者は背後にいた召使に水をもらい、口を湿す。
「さて。それでは改めて、今回の清算をしよう」
イスマーアルアッドが右手を振り上げ宣言する。
とりあえず真っ先にこの場で決めなければならないことはわかりきっている。アレクサンダグラスなきアレクサンダリアをどうするか、だ。
勇者は器を円卓に置き、居住まいを正す。
「ねえイスマーアルアッド、わかってるの? 私たちはこのまま会議の場から降りることもできるのよ?」
口の利き方には気をつけなさいと、そういうことだろうか。
対するイスカガンの新王はどこ吹く風といった様子で、表情一つ変えない。
「ただでさえ遺書を紛失するなんてありえないというのに、そうね、まずは手始めに、そこについての申し開きから聞かせてもらいたいわ」
「ああ、あれは不幸な事故だった」
「なっ、あ、貴方ね、この場がただの井戸端会議だとでも――」
「遺書は少なくともこの場にはない。だからこそ、こういう場を設けさせてもらったつもりだったが」
貴方だけはやっぱり抱きたいとは思えないわ、と独り言ち、エウアーが腰を下ろす。
「私から一つ提案がある。この場における議題を簡単にしよう」
「……聞くだけ聞いてあげましょうかぁ」
「帝国アレクサンダリアの、次の皇帝についてだ。これさえ決めてしまえば、あとは簡便だろう」
なぜなら、
「皇帝は、八王よりも上の権限を持つからだ」
「……ねえ貴方、先程から八王を蔑ろにする発言が多いけれど、もしかして自分が皇帝にでもなるつもり?」
エウアーの言を受け、真っ先に動きを見せたのはしばらく沈黙していたスーチェン王だ。
「戦争だろう。戦争はすべてを解決する。そうだろう」
イスマーアルアッドが両手を広げ、諭すように返す。
「私の予想だが――ここに、再び大戦を繰り広げたいと心の底から願っている者は居ない。違うか?」
アルタシャタが口端を持ち上げ、円弧の形を作ったのを見つつ、続けて、
「我々は大陸の平和を維持するためにこの場に集った。そうだろう」
「あーあ、やりづらいったらないわホント。いきなり弱点ばっかり責めるのは駄目よ、男たるもの、焦らしも覚えなくちゃね」
返答に困ったイスマーアルアッドがエウアーに黙礼したのを勇者は横目に見た。
ご安心下さい、ミョルニの服はちゃんとメイド服ですよ。