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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第二章:皇位継承編〈上〉
27/78

#3 花の細工師

 ★


 セラムは、葉群れが揺れるのを見た。

 こちらが声を掛けた先だ。葉の隙間から黒や銀の色が見えている――そこに誰かがいるのは明白だ。


「怪しい者とは会話しちゃダメって指導されているのよ」「ここには誰も居なかったわ」


 声は高く、幼い。

 二人居る。全く同じ声だ。

 ふむ、とセラムは腕組みをする。


「怪しいというのは間違いだ。私はただ、少し道に迷ってしまっただけの善良な市民だからな」

「そもそも怪しくない人は自分が怪しいことを否定しないのだわ」「いったいどういう用件があればこんなところで迷子になれるというのよ」

「何、簡単な話だ」


 自分は商売人だ。

 皇宮から依頼を受けて来た、それだけの話である。


「マリストア様は眼帯を御所望だそうじゃないか」

「マリーを探しているの?」「だったら護衛がいっぱいいるから教えても大丈夫じゃないかしら」


 もう一押しだろうか、と、手に提げていた籠から花を取り出す。

 黄色い花弁。朝に一度だけ咲き、その日のうちに枯れてしまう、このあたりでは珍しい花だ。


「私は花屋を営んでいる。だから――お近づきのしるしに、御一ついかがか」

「知らない人から物をもらったらダメだってイスが言っていたわ」「そんなものなくともマリーの居場所くらい教えてあげるのよ」


 葉の隙間から腕が二本突き出ているのは寄越せと言うことだろうか。少し背伸びして一本ずつ花を手渡す。葉の陰から小さな感嘆が聞こえてきたので気に入ってもらえたようだ。

 セラムは一歩を後ろに踏み、口を開く。


「枯れないように特別な処理をしてある。花瓶にでも差して飾ってくれ」

「ありがとう! 気に入ったわ!」「貴女、良い人のようね!」


 というあどけない二つの声が、続いて依頼主の居場所を教えてくれた。

 最後まで二人の姿を見ることは叶わなかったが、それも縁だろう。そのうちどこかでひょっこり出くわすかもしれない。

 ……それにしても、しっかりしているように見える割には物で釣れてしまうのは一体大丈夫なのだろうか。


 ★


 美しい。この場合は、人や物に限らずあるものの外見が非常に好ましく理想的であるさまを意味する。

 自分が比較的感情表現に薄いということは十五年と少し生きてきてさすがに理解しているつもりだった。そんな自分であるから、誰かを見て思わず息を呑むであるとか、そういう反応には我ながら戸惑いを覚える。

 言葉の意味として「美しい」という言葉は当然知っている。しかしそれはあくまで意味としての「美しい」だ。他人に対しての興味もとんと薄い自分にとって、人間に対して綺麗だとか美しいとか思ったことは今まで皆無とさえ言えたし、今まで女神教会にあしらわれた女神像や色硝子を見て何となく綺麗だと感じていたのはまやかしであったのだとさえ思える。

 暴力的なまでの「美」がそこに鎮座ましましていた。

 

 絶妙なうねりを帯びた黄金の髪を肩に掛からないくらいの長さで切りそろえ、髪の隙間から覗く右目は見事なまでに大粒の翡翠、熟れた林檎が如き唇は艶めき、肌は大理石のように真っ白い。

 寝台に腰かける彼女の背後には薄着で褐色の肌を持った女が居り、彼女の肩を揉んでいる。

 ドレスの裾から伸びる艶めかしい足は四つん這いになった少年の背中に乗せられていた。

 ちょっと引いた。


 ★


 ニールニーマニーズは、扉が開いたのを見た。

 視線をそちらに送ると、白の長袖の上から灰色のジレを着込み、同色のネクタイとズボンを履いている。ややくすんだ金髪に、青い瞳。西方出身の人間――それも、ノーヴァノーマニーズかその近辺だろう。

 右手に籠を下げており、左手は扉のノブを掴んだままだ。女の背後で護衛の騎士たちが「どうかされましたか」と声を掛けている。

 おそらくマリストアを見て動きを止めたであろう彼女に、ニールニーマニーズは言った。


「何か用かい」

「あ、ああ、すまん。マリストア様のために眼帯を作りに来た」

「あら、早かったのね。どうぞ、入って」


 マリストアに促され、女が部屋に入ってくる。


「私はセラムだ。基本的には花屋を営んでいる」

「ええ、よろしくお願いするわ。私がマリストアよ。あ、アイシャ、そこ、そこちょっと強めで」

「はぁい、こうですかぁ」

「ん、良い感じよ」


 女――セラムは机に籠を乗せ、部屋の隅から椅子を移動させてくると腰かけた。

 年の頃はニールニーマニーズよりも少し上――マリストアと大体同じくらいに見える。


「マリストア、眼帯を作るんだよね? どうして花屋?」

「普通の眼帯って可愛らしくないんだもの」

「……私は花を使った小物、装飾品の類も取り扱っている。眼帯の依頼は初めてだが、必ず満足のいくものを仕上げて見せよう」


 眼帯を必要とし、日常的に使用する者と言えば、そのほとんどは戦士だろう。特に十年ほど前までは大陸中を舞台にした大戦が行われていたのである、眼帯の使用者は決して少なくない。当然日常生活を送る中で事故に遭うなどして必要となる者もいるが、戦士と比べると圧倒的に数少ない。

 そして戦士たちが愛用する眼帯はと言えば、当然装飾の少ない物が多くなる。丈夫であることが求められるため、ある種必然とも言える。

 そのようなわけで、そもそも「可愛らしい眼帯」という概念がアレクサンダリア、少なくともイスカガンには存在していなかった。

 普通の革細工職人にも発注したようだが、可愛らしいをどう履き違えたのか鉄の鋲が幾つも打ち込まれた非常に重厚感ある作りのものが出来上がり、急遽白羽の矢が立ったのが花屋――花細工師セラムなのであった。


「さて。眼帯を作る上で幾つか質問をさせてもらう。――よろしいか?」

 

 セラムが身を乗り出して言うが、その前に。

 ニールニーマニーズはマリストアの両足の下から睨み上げ、


「その前に言葉遣いに気を付けた方が良いよ、君のそれはマリストア様に対して――」

「うるさいわよ足置き台(オットマン)


 背中の上に乗る両足が蹴りつけてきたので黙った。


 ★


 個人の性癖についてとやかく言うのはよろしくない――というのはわかっている。見たところ、マリストアは自分と同じくらいの年齢だろう。年下の少年を相手に嗜虐趣味とは、まったく皇族というのも業が深い。溜まるストレスもあるのだろう、ああ、そういう世界だってあるだろうな。きっともっとすごいことをしているに違いない。

 ……ああ汚らわしい。

 セラムの脳内で鞭に打たれるニールニーマニーズが悦び鳴いたが、いったい誰がされるがまま姉の足置きになっている少年を誉れ高きアレクサンダグラスの血を引いた皇族だと思うだろうか。

 脳裏の耽美な妄想を悟られないように、やや早口で質問を口にする。


「先んだっては色だ、希望の色はあるか?」

「青が良いわ。私の右目と同じ色のものにして頂戴」


 言われ、マリストアの右目をじっと見る。緑がかった青だ。それこそ翡翠のような綺麗な色をしている。だったら、と、すぐ横の机に置いた籠を引き寄せ中を見た。

 籠の中に入っている色はほとんどが青色をしている。

 実際のところマリストアが青が良いと言うであろうことは九割がた予測していたので、思いつく限りの青い花を持ってきたわけだった。残りの一割のために黄色や赤、紫の花も持ってきてはいるが、全体で見ると本当にごくごく一部である。

 花をまるまる眼帯にするのであれば、色味といい形と言い蒼薔薇が一番良いだろう。しかし駄目だ。全然面白くない。防腐処理や簡単に崩れないようにする処理は施すとは言え、ただの花をそのまま装飾品として提供するなど己の美学が許してくれない。

 それに。

 もっと良い色の花がある。


「こんなのはどうだろうか」

「――わあ、綺麗じゃない! 気に入ったわ、良い色ね!」


 ――翡翠葛(ヒスイカズラ)。文字通り、非常に美しい翡翠色をしている。花房は大型だが、一つ一つの花はちょうど手指と同じくらいの大きさ・形をしており、細長い花弁が緩く反った形だ。

 この花弁を綺麗に組み合わせれば、御要望通りの「可愛らしい眼帯」を作ることは叶いそうである。


「気に入ってくれたようで何よりだ。じゃあ、この翡翠葛を主において眼帯を作成させてもらうことにしよう」

「是非そうして! 楽しみだわ」

「よし、それじゃああと二、三ほど――」


 装飾品、小物の作成で生計を立てている、曲がり形にもその道の専門家だ。己に中途半端な仕事は許されない。その日はどういった形が良いかや、紐の装飾や形式などを聞き、一旦工房へ持ち帰ることになった。


 ★


「さてまずはイスマーアルアッド、起きたことをすべて報告しなさいな」


 というエウアーの一声により、イスマーアルアッドは事件の経緯を説明した。

 アレクサンダグラス暗殺、竜の出現、イスカガン及び皇宮の崩壊、キョウの壊滅、勇者による魔王の討伐――


「勇者」

「ああ、えっと、魔王を倒した剣士がそう名乗ったんです」

「出身や名前はわからないのでしょうか?」


 ヤコヒメの双の瞳がこちらを突き差す。イスマーアルアッドは立ち上がると、言った。


「すぐそばに控えておりますので、この場に呼んでも構いませんか?」

「構わん」

「そんな水臭いこと言わんと、最初っから呼んでおけば良かったのにの。褒美も用意してきたんじゃ」


 いえ一応、とアルタシャタに手を振っておいて、傍付きの下女に勇者を呼びに行かせる。

 エウアーが足を組み直し、アルタシャタが椅子の上で胡坐を掻いた。


 ★


 イスマーアルアッド付きの下女が己を呼びに来たので、勇者はその小屋の中に入った。

 狭い部屋だ。中央に置かれた円卓が余計そう思わせる。


「失礼します」


 一礼して中に入る。

 スーチェン王、ヤハン女王、ペラスコ王、フィン女王。見る限り、シンバとノーヴァノーマニーズ、アンクスコの王は来ていないようである。

 円卓の良いところは、どこについても全員が見えるところだ。

 勇者がイスマーアルアッドの隣まで行くと、下女たちが椅子を持ってきてくれたので礼を言い、


「初めまして、僕が勇者です」


 静寂の帳が下りる。

 沈黙が小屋の中を満たす。


「おい勇者。名はなんと申す」

「申し訳ございませんが、名乗る名前を持ち合わせておりません」

「そうか。なら仕方がないな」


 円卓の悪いところは、どこについても全員に見られるところだ。

 自分は椅子に座っていない。なのにどうして、対面のスーチェン王は自分を見下ろしている。

 勇者は己の背筋を冷たい汗が伝うのを感じた。想像以上の圧力に怖気づきそうになるのを必死に抑え、思わず机に片手を突く。


「スーチェンの。あんまり若者を脅すのは良くないの」

「そうは言ってもアルタシャタ様、素性のわからない人間を警戒するのは仕方のないことではありませんか? なにせ――」

「――魔王を倒したんでしょ。本当かどうかは知れないけれど、一刀で切り伏せたとか聞いたわよ」


 警戒されるのは当然だ。


「皆様が警戒されるのも――無理はないと思います。ただ、名乗らないのではなく、名乗れないのです」


 それと言うのも、


「僕は、魔王を倒したことによって名前に呪いを受けてしまったのです」


 続け、


「僕の名は今、穢れている。名乗るだけで災いを撒き散らしてしまうほどに」

「若いのに大変だの! まあなんじゃ、そんな事情があるなら仕方がない、勇者と呼べば良いのかの?」

「お気遣い痛み入ります。勇者と呼んでくだされば助かります、アルタシャタ様」


 なんとか橋は渡ったか――勇者は胸を撫で下ろしかけた。

 が。

 スーチェンが王、ウーの視線は相変わらず鋭いが、彼の王は大陸に名立たる武人、誰に対してもああに違いない。ヤコヒメは一貫して微笑みを絶やしていない――細めた目の奥は笑っていないが、間一髪と言ったところだろうか。

 しかしエウアーだ。


「ねえ勇者、貴方今夜、私の閨に来なさい。命令よ。予定はある?」


 好色で有名なフィンの女王である。

 予定の有無を後で聞くあたり有無を言わさぬといった塩梅だ。勇者が言葉に窮すると、イスマーアルアッドが助け舟を出して寄越す。


「エウアー様、勇者は今夜――」

「ねえイスマーアルアッド、私の呼び出し以上に大事な要件って何かあるの?」

「いいえ、勇者は喜んでエウアー様の元へと参ると言いたかったのです」

「賢い子は好きよ」


 蛇に睨まれた蛙とはこのことか。

 イスマーアルアッドが他国の王たちに対して引け腰気味、特にエウアーが苦手と見た。


「まあエウアーがどんな男と何するかは知ったことじゃないがの、とりあえず今は会議じゃ会議じゃ」


 アルタシャタが手を叩き、不思議と殺伐としていた空気が緩和される。

 エウアーも浅く立てていた眉を元に戻し、胸の下で緩く腕を組んだ。

 実際のところ――勇者が彼女から感じていたのは殺意と呼んで差し支えないようなものである。そしておそらくこの場にいるすべての王が、エウアーと同等以上の警戒心を己に対して抱いていることを承知の上で、勇者は会議に参加することになった。


 ★


 セラムは工房に帰ると、営業用の服を脱ぎ捨てた。ジレとズボンを脱ぎ、ネクタイを外す。大胆にも生足のほとんどが露出するが、自宅に他者の目があるものか。

 そのまま椅子に身を投げ、机に紙を広げると筆を取り出した。マリストアとの対話である程度の意匠は決まっているので、あとは細部をどうするか考えることと、どの程度の材料が必要か計算すること、その二つを考えてしまうだけだ。今日は我ながらよく働いたような気がするし、作業も明日に回してしまって差し支えないだろうが、思いついたアイデアというものは寝かせると変質する。鉄と同じだ、熱いうちに形にしておいた方が後々楽になる。

 疲れを訴える体に鞭打って、今日はあと少し働くことを決めた。

 とりあえず翡翠葛をメインに使うことは決定しているので、一旦立ち上がると店舗兼自宅の至る所に置かれた鉢植えから翡翠葛を摘んでくる。

 防腐処理は片手間でも十全に可能だ。

 おまじな(・・・・)いの技術(・・・・)故郷で行わ(・・・・・)れている研究(・・・・・・)を組み合わせた技術。

 発見はあくまで偶然であり、どういう理屈でそれが起きるのかはまだ検証途中だが、この技術のことを、セラムはこう呼んでいた――


 左手で持った翡翠葛から急速に水分が抜け、色がくすむ。

 その後一瞬の間をおいて、逆再生のように鮮やかな色が滲み出、もともと持っていたよりもくっきりとした鮮やかな色を得た。

 セラムがその花弁を机に置くと、澄んだ硬質な音が鳴る。


 ――すなわち、魔法(・・)と。

 ジレはチョッキとかベストのことですね。

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