#22 雨空の三竜
異形の敵である。
慎重に慎重を期して尚足りぬ。より以上の慎重さが求められる。
士気は高かった。いつだって人間に武器を取らせるのは怒りだ。しかし武器を振り下ろさせるものは各々で異なって、それは復讐心であったり義憤であったりそれぞれである。そして、その動機も理由も充分だった。
先頭はイスマーアルアッドだ。
アレクサンダグラスが暗殺された――ということを黙っていたこと。皇帝代理はまずこれを詫びた。それから弁明した。なにはともあれ沙汰は平和を取り戻してから、差し迫る危機は先に取り除いてからだ。
向かう方向は同じ。
敵は一つ。
すなわち。
「――魔王は必ず討つ! 勝つぞ!」
常備騎士たちが間髪入れずに呼応する。
「我らアレクサンダリア騎士団! 己が身は国が為、己が命は偉大なる父アレクサンダグラスが為捧げた身!」
「我らアレクサンダリア騎士団! 国民はみなアレクサンダグラスが子、騎士団は国民の兄!」
遅れて、非常備の騎士たちが続く。
「我らアレクサンダリア騎士団!」
「我ら!」
「我ら!」
常備非常備に垣根はない。
大陸を席巻したアレクサンダリア騎士団は進軍する。
夜闇の中にあってもより暗い魔城が聳え立つ。
湿った空気が追い風となって彼らの背を押した。
弩弓や補給等の積載された戦車や、騎士たちの馬、歩兵が列をなす。
交戦は間近だ。
★
「ククククク……クハハハハッ!」
腕組み哄笑の弟を見て、アイシャは少し引いた。
騎士団を率いてイスマーアルアッドは行ってしまったが、自分たちは非戦闘員なので同行を許可されなかったのだ。――もっとも、されたからといって同行するかと言えば答えは否なのだが。
「降ってきた! 降って来たぞ! 僕の計算通りだ!」
結論から言うと、雨は降った。
それで弟がはしゃぎまわっているわけだが、これだけ朝から湿度が高ければ雨が降るのは必然だろうにとアイシャは半目を向ける。
彼女の視線に気づかず、弟は雨を浴びた。
「試行回数が少なすぎますよぅ」
「う、うるさいな、わかってるよそのくらい」
「対照実験が足りませんねぇ」
「…………とにかく、後は雷だ! 雷! 雷が落ちれば僕の計算は正しかったということに――」
仕切り直せてませんよねぇ、と思って閉口したこちらに対して捲し立てるのが面倒だったので、無言で痺れ薬を嗅がせておいた。
「コレ、寝かしておいてくれませんかぁ? 疲れちゃったみたいなんですよぅ」
傍にいた召使を捕まえてニールニーマニーズを預けた。
それから視線を前方にやると、ちょうどイスマーアルアッドが弓を引くところだった。
★
敵は几帳面すぎるくらい寸分の乱れもなく整列しており、異形も相まってそれが余計に悍ましさを感じさせたが、
……良い的だ!
射貫く。
番えては撃ち撃っては番え、足を狙う。無力化できれば良い。否、極力殺してはならないので――無力化しなければならない、という言い方の方が適切か。
殺す方がよっぽど簡単だ。
「それにしても奇妙なくらい動きませんね……?」
「構うな! 撃ちなさい!」
好機と思ったら逃してはならぬ。
進軍の勢いそのままに、居並ぶ敵たちを地面に縫い付けていく。
騎馬兵や戦車に乗った騎士たちが次々と弓を射掛け、ついに先頭同士がぶつかった。戦車や馬での轢殺を、器用にも蛇行して避けていく。
「見た目の割には大したことねぇな!」
「いけるぞ! このまま魔王まで討っちまえ!」
あまりにもとんとん拍子に進むので罠かと思うほどだが、敵軍の数が少ないことは割れている。このように徒に兵を減らしてしまって、一体何ができようか。敵は魔王のみである。
意気軒昂ながらも普段は戦いとは無縁の生活を送る非常備騎士。当然のごとく最初は動きもぎこちなく、若干の恐怖を隠しきることはできていなかったが、ここまで調子が良いと当然勢いがつく。イスマーアルアッド率いる騎馬・戦車隊が討ち漏らした敵たちを、正確無比とまではいかないが、できるだけ的確に無力化していく。敵は動かない的だ、難などない。
撃つ。討つ。進む。
「魔王城は目の前だ! このまま進め!」
イスマーアルアッドが声を張り上げた。この前は後れを取ったが、ついには有効と思える手段を編み出したのだ――勝率はあまり高くないが、それでも零に比すれば余りにも高過ぎる確率だ。確率は低くても、不可能じゃない。雷さえ落ちればもっと完璧だけどね、と考案者が言っていた。
確率的に不可能ではないのなら、あとはそれをやるかやらないかだ。物事に絶対はないのだ。だとしたら、「絶対できない」というわけですらない「確率は低い」だけのことなど、ほとんど必然と相違ない。そもそもこれくらい余裕にやってのけなければ、代理であってもアレクサンダリアの皇帝を名乗ること許されぬ。
アレクサンダリアの皇帝は、不可能を可能にする男だった。
喊声が続く。
ついに先頭――イスマーアルアッドの乗る戦車が敵軍を突き抜けた。騎馬隊、歩兵と続き。
そして。
爆発した。
戦車が巻き上げられ、弩弓が転がる。直接巻き込まれた騎士や騎馬、歩兵たちが大きく地面を転がる。直撃を免れた騎士たちにも無傷の者は居ない。
先頭であったがゆえに幸いにも掠り傷で済んだ皇帝代理が立ち上がった時、先程まで物言わぬ案山子だった敵の魔物たちはこちらを見下していた。
すなわち、飛んでいたのである。
今まで持っていなかったはずの翼を広げて、だ。
戦術指南書でこの場面と遭遇できたのであれば、なるほどと舌を巻くだけで済んだというのに、とイスマーアルアッドは頭の片隅でそんなことを思った。
足を撃ったところで――飛べるのであれば大して痛くはない。
……そんな滅茶苦茶な話があるものか。
偵察隊の調査によると、敵は蜥蜴を二足歩行に当て嵌めた形態で、翼は持たず、魔王と同じような飛行能力は有していない――とのことだったはずであったのに。敵の術中にまんまと嵌められたわけだ。
これで魔王と同じ遠距離攻撃でも持って居ようものなら最悪であったし――見下ろす蜥蜴の口腔内にどんどん光が溜まっていくところから見るに最悪は必然だ。
「総員身を守れぇーッ!」
イスマーアルアッドは剣を抜き、地面を蹴った。
数秒後、騎士団がいたところを無数の光線が蹂躙した。
★
地獄。
魔王のそれと比べると月と鼈で、赤子の腕くらいの細さだが威力は十分。
大して正確ではない狙い、直撃を受けた者は全体の半分程度。光線直撃の悪運に見舞われた者たちの中でも、腕や足に当たった分は運の良かった方だ。胴体は場所によっては即死で、頭部はほぼすべてが即死――そして生き永らえた者たちは痛みにのた打ち回る。飛沫が跳ねる。
怒号。悲鳴。
イスマーアルアッドの指示で、無事を得た者たちが直撃を受けた者たちの選別を行う。継戦能力があるものだけを見繕い、一所に集まった。
光線で抉れた地面に赤が染み込み、低木や下草を橙が這う。一気に半分と少しくらいまでに追い込まれた騎士たちは自分たちの背を守り、周囲全景に弓を番える。これでは良い的だ。言葉にこそしないが皆そう思った。
先程とは真逆。狙い撃ちされ放題。
すぐさま撤退するべきで、それが無理でも離散し的になることを防ぐべきだ。しかしそれができない。囲まれている。口腔内に光を溜めて、翼の生えた蜥蜴たちがこちらを見下ろしている。その輪は徐々に狭まってきており、凝集を強要された。
弓を手放さなかった者は少なくないが、戦車や馬の類は全滅だった。最初に地面が爆発したのは足を撃たれ地に伏した魔物たちが放った光線だったのだ。
奴らは足を怪我しているため、地には降りてこれない。対するこちらは空まで手が届かない。見渡しの良い草原だ。一番背の高いものが低木なのだ――市街地であれば、壁を駆け上がる騎士たちが活躍したというのに。
幸いなことに、直撃を避ければ光線は怖くない。魔王と比べて薙ぎ払うほどの出力はないようで、発射する瞬間を見極めて回避すればまず当たらない――最も、常日頃から訓練を怠らない常備騎士たちに限っての話だが。
常備ではない市民騎士たちはその限りではない。細い光線に射貫かれ、一人、また一人と地に伏していく。意趣返しのつもりか、そのほとんどは足に命中していた。
完全なる消耗戦だった。
遊ばれている、とさえ感じる。
こちら側に死人が出たのは最初の一撃だけで、あとはこちらの無力化に尽力しているのだ。
……魔物にするつもりだろう。
どういうわけだか相手は人間を魔物に変える術を持っているらしい。死んでしまっては都合が悪いと、そういうことか。
その時、耐えきれなくなった一人の若者が武器を捨てて逃げ出した。呼び止める声が出るよりも先に、魔物たちが一斉にそちらに視線を向け、
「お、おい、アレ……」
「攻撃しないぞ……?」
また一斉に視線を逸らした。興味が失せたようだった。
光線は炸裂しない。
出撃してすぐに弱いながらも振り出した雨は、いよいよ雨足を強めていく。
★
先程から、戦況は悪化の一途を辿っている。
ニールニーマニーズは何故か倒れてしまったので、召使に命じてとりあえず寝かせたはずだったが、
「……戦況は芳しくないようだね」
まだ体は動かないようだが口は回るようで、そんな感想を漏らす。
最初は調子が良かった。並み居る敵に次々と矢を射掛け、隊列は敵軍を突破した――かに思えたが、その瞬間爆発、突然魔物たちが舞った。
基本は電撃作戦――命名者曰く、落雷と掛けてあるらしい――敵の中央を貫いて進軍し、イスマーアルアッド率いる常備騎士隊がそのまま魔城に進軍、市民兵たちはそのまま魔物たちの足止め、という手はずだった。
翼を持たない魔王が空を飛んだため、魔物たちが空を飛ぶ可能性というのも考慮にないではなかった。だが、偵察の騎士たちが条件を変えて幾つも実験を試してみても飛ぶことだけはしなかったという報告が上がり――ならば飛べはしないだろうと、それが結論となっていたのだ。
「まさか飛ぶとは思いませんでしたねぇ」
「関係ないよ、雷の良い的だ」
道理はわからないが、召使が長椅子を用意したので自分はその端の方に腰かけた。ニールニーマニーズは自分の膝に頭を乗せている。素肌に触れる髪がくすぐったいが、薬を盛ったのは自分なのでそれくらいは甘んじて受け入れ、召使たちが弟を設置するがままに任せた。
時折魔物が吐く細い光線が炸裂し、地面を抉る。どういうわけか騎士たちへの直撃は避けられているらしい。
「あっ」
「一人逃げ出しましたねぇ……」
無理からぬことだが、この場においては敵前逃亡は最も危険が高いのではなかろうか。
騎士団が逃げられないことを良いことに、どういうわけか敵たちは騎士団を甚振るだけで殺すことはしていない。しかし逃げ出したとあっては集中砲火を喰らうのも――
魔物たちが逃げ出した騎士に顔を振り向け、後の光景を想像してアイシャは目を逸らす。
しかし。
「えっ?」
膝の上でニールニーマニーズが声を上げるのを聞き、アイシャが顔を上げると予想された光景は広がっていなかった。騎士に光線は降り注いでいない。見逃された?
それを見た残りの騎士たちも一人、また一人と武器を捨てて逃げ出し、そうして我先にと騎士たちが逃げ出した。装備から見るに、そのほぼすべてが非常備の市民兵たちだ。こちらに向かって一目散に掛けてくるが、魔物たちは彼らに見向きもしない。
アイシャは召使に彼らを収容するように命ずる。治療も必要だろう。
そのとき、一際大きい光が草原を照らした。
一瞬遅れて、劈くような轟音。
ニールニーマニーズが人様の膝上で喝采を上げたので頬を叩いて黙らせる。
轟音は複数。
雷鳴。そして。
「――魔城が割れた!?」
魔城の天辺に大穴が開き、光条と共に中から何かが飛び出す。少し遅れて魔王が姿を現した。
城が割れる音、魔王の咆哮。
轟音はさらにもう一つ。
「竜だー!」
「もう一頭、竜が来たぞ!」
こちらから見て魔城の右、方角にして南の方より、白銀の光を湛えた竜が空を滑るように現れたのだ。腕と胴体の間に膜が張っており、時折羽撃くようにして姿勢を制御するが、あとは滑空。
一瞬のうちに、空に竜が二頭いた。
緑の蛇竜と、白銀の飛竜だ。
魔王に比べて甲高い咆哮が響く。それは雷鳴によく似ており、まるで飛竜が鳴く度に雷が落ちるようだった。
そして。
「まだ誰かいるぞ!」
ニールニーマニーズが叫ぶ。
蛇竜の顔面が、突如巨大な槌で殴られでもしたかのように撓んで吹き飛ばされる。いくら見晴らしの良い平原であるとはいえ、空中を高速で移動する小さな姿を目で追うのは難しかったが――赤と黒で彩られた何者かが蛇竜を蹴り飛ばしたようだった。
いつの間にか懐から望遠鏡を取り出していた弟が忙しなく筒の先端を動かして竜の動きを追っている。
蛇竜が咆哮し、一際太い光線が雲を割って走る。
赤黒の人影がそれを避け、雄叫びと共に竜に突っ込んだ。
飛竜は宙を滑り、甲高い鳴き声を上げる。
魔物たちは騎士を甚振るのをやめ、主の姿に視線を送る。
騎士たちは魔物の視線が切れた隙に弩弓に取り付き、魔物たちを狙う。
雲はいよいよ黒く、雨は痛いほどに強く大粒で、雷が大気を割った。
これが包囲殲滅陣ですか。
※これまでの各話サブタイトルを変更いたしました(2018/3/24)




