#2 アレクサンダリア皇宮にて2
風が、丘陵のなだらかな斜面に沿って駆け抜けていった。
巨大な街。
大陸に無数に存在する小国よりもはるかに大きな面積、人口を持ちながら、この地は街でしかない。正確には、かつては国であったものの今は街になった――と言うべきか。
名をイスカガンというこの街の中央には、不思議な形の城がある。
ひときわ大きな城を取り囲むように、八つの小さな――といっても中心の城と比べてという意味で、充分巨大である――城が並ぶ。
さらにその周りを石造りの建物が一周取り囲んでいる。
先程小国を引き合いに出したが、このすぐそばにある小国キョウを例に出すと少なくともこの城の面積だけでキョウの総面積より広いし、城に従事する召使や軍人だけで、キョウの総人口の十何倍に相当する。
これだけでもすでに一国をまかなうだけの規模であるのに、イスカガンの街は城の周りにもまだまだ家屋や建物が立ち並ぶ。皇宮の周りに並ぶ八つの城に対応するように、ほぼ八つに区画分けされるように並ぶ街並みだ。
しかし建物の建築様式などは明確に区分されているが、そこを行き交う人々はさまざまである。肌が白い者や黒い者や黄色い者や、日に焼けた者や酒に焼けた者、はたまた巻き付けた布で肌が見えない者などなど。酔っ払い同士のいざこざは散見されるが、特に大きな諍いもなければ日々が平和に流れ続けている。
それもこれも、大陸統一の偉業あっての光景であった。
大英雄アレクサンダグラスが大陸を統一してからはや十年。
今もなお職人や学者などが各国から集まり、その家族たちや、彼らを相手にする商人たちや、という風に国は大きくなり続けている。
アレクサンダリアを構成する国々の中でも、その中でも特に勢力の大きな国々は、多少の規模の違いと支配下に入った順序の早い遅いはあるが大皇帝アレクサンダグラスの元同じ立場の同志であるとされている。
ただの一騎士でしかなかったアレクサンダグラスを見出した小国、イスカガン。
皇都イスカガンから西にほど近く、大英雄が初めに倒して支配下に置いた国、シンバ。
大陸最東端、英雄を一番苦戦させた、大陸最大武力を誇る国、スーチェン。
スーチェン対岸、東洋の神秘、不思議な文化や独特の伝統を持つ極東の国、ヤハン。
シンバから南西に行くことしばし、砂に閉ざされた神とまじないの国、ペラスコ。
大陸最北端、急峻な山々に囲まれた大陸一過酷な環境にある国、フィン。
大陸最西端にして大陸最大面積、偉大な大王の子孫たちが暮らす思想と哲学の国、ノーヴァノーマニーズ。
大陸最南端、鬱蒼と生い茂る大森林を天然の要塞に持つ謎大き国、アンクスコ。
代表的なこれらの国々と、それぞれの支配下にある何十もの小国たちが大陸国家大皇国アレクサンダリアを構成している。
★
イスカガンから東にほど近く。
キョウは騎馬遊牧民をルーツに持つ、農耕国家である。
規模は大陸中の国の中でも小さいほうの部類に入る小国だ。
農耕国家とは言えど、自給自足で自分達が食べる分だけの穀物と少しの果物、それから家畜を育て、足りないものはほかの周辺国と交換して得る。それ以外何もない国である。少なくともその村の一番イスカガンに近い西端に居を構える青年はそう思っていた。
ゆえに、突然の来訪者には驚きの感を得た。
穏やかで人のよさそうな東洋系の顔立ちに、中肉中背。大きく膨らんだ背嚢。服装は簡素なもので、草原を歩くのに最も適した靴を履いている。性別は男。年は若い。
特にこれといった特徴もない男だったが、彼が連れている下女が青年の目を引いた。
よく櫛が通った真っ白い髪。夕焼け色の双眸。その矮躯は滑らかなミルク色の肌。年齢は十あるかないかといったところだろうか。あどけなさが残る顔つきに浮かぶ表情は冷淡――青年は己が身震いしたことに気付けない。
年端も行かない少女が、彫刻のようなに無機質な美しさを兼ね備えている矛盾。そこには年相応の明るさであるとか、無邪気さであるとか、そういったものは感じられない。
なんの特徴もない穏やかそうな若者と、凄惨な美しさを持つ少女。不思議な二人組だが、旅人か、商人か。どちらにしろ、このような辺鄙な村による理由は無いだろう。
ごく簡単なものでしかないが、キョウの村は周りを柵で囲んである。入口は東西南北に一か所ずつの四か所で、それぞれ入口の一番近くに住む者が――ほとんどいない――来訪者のチェックを行う役割を担っている。
青年はその役目に従って、彼らに声をかけた。
★
「ああ、怪しい者じゃないんです。僕はトォル。彼女はミョルニ。大陸の国々を見て回っています」
開口一番怪しい者であることを否定――自分とミョルニの外見のちぐはぐ感が見る者に不信を与えることぐらい、今更言われるまでもなくわかっている。
自分は怪しくない、などと言う者こそ怪しいのだがこれ以上に自分たちを表す言葉を知らない。
青年も自分の名を名乗った。このあたりでは珍しくもない、よくある名前である。
トォルは言った。
「通りがかった国には絶対に立ち寄ることにしているんです。ここは、キョウで合っていますよね?」
★
問われ、青年は鷹揚に頷く。そして聞いた。
「観光かい? こんな何もない村に?」
と。
トォルと名乗った若者の背後にものも言わず控えていたミョルニが突然動き出し、何か気になるものでも見つけたのだろうか、柵の前に立ち止まるとその一点を微動だにせず凝視し始める。
思わず青年は問うた。
「あの嬢ちゃんは」
「気にしないでください。平気です」
「あ、ああ、そうかい」
間髪入れずのトォルの返答に、青年はそう返すのがやっとである。
会話をしつつも、トォルは地面に降ろした背嚢を何やらごそごそやっていた。そして目当てのものを見つけたのか、背嚢から手を抜いた。
その手に握られていたのは――
「――骨?」
なにやら文字のような記号のようなものが刻まれた、動物の骨らしき塊である。口の開いた背嚢の中に、同じような得体の知れないものがいくつも収納されているのが見えた。
こちらに差し出してきたので、恐る恐る手に取り観察すると、やはりどう見ても骨である。
「これは?」
「竜骨です。東洋の妙薬ですよ。砕いて飲めば病に効きます」
そこで青年は、トォルの正体に行き当たった。
キョウの街からはるか東に行ったところに、竜の骨を薬にする人間たちが暮らしているという話を聞いたことがある。当方からやってくる商人たちは、竜骨や薬草などをよく売りに来るのだ。すなわち――
「――もしかして兄ちゃん、商人かい? 悪いけど、こんな高級品を買うだけの余裕はうちには、というかこの村の住人にはないぜ」
★
商人か否か――青年の読みは外れである。
トォルは、やはりそういう風に見えるだろうなと思った。このあたりで竜骨を持っているのは大体商人だ。実は高級品なので、おいそれと手に入るものではない。それこそイスカガンに売りに来る商人か、あるいは金持ちが旅の携帯薬とするか、ほとんどその二択に絞られる。
トォルは背嚢を取り上げ背負い直すと、青年に右手を差し出す。
すると青年は竜骨をこちらに返そうとしたので、そうじゃなくて、とトォルは彼の右手を取った。
「僕は商人でもなければ、旅人でもありません。弱きを助け強きを挫く――有り体に言えば、正義の味方のようなものをやっています」
「正義の味方?」
青年には通じなかったので、このあとしばらく、青年に正義の味方について教えた。
ミョルニはその間ずっと柵の一点を至近距離から凝視していた。
★
「何もないところかもしれねえけどよ、また寄ってくれよ!」
キョウの街には五日ほど滞在した。宿まで貸してくれた青年に手を振り、トォルは次の街に向けて歩み始める。
「行くよ、ミョルニ」
表情、声、なんの反応もなく、ミョルニが後ろをついてくる。
返事がないのもお構いなしに、トォルは彼女に話し掛け続けた。
「キョウの村はどうだった、ミョルニ」
彼女はトォルの方を見ようともせずに、ただ前だけを見て規則正しく足を前にやっている。
トォルの方も、わざわざ彼女に視線を送ることはしない。
「次はどこに行きたい? 北? 東? 南? それとも西?」
イスカガンから東には、途方もなく広大な大草原が広がっている。
緑はなだらかな上下を繰り返し、ところどころに集落や村を抱えていた。
定期的に訪れる雨期以外はほとんど雨も降らず、それゆえ木もほとんど育たない。時折低木が所在なさげに突っ立っているのみだ。
「僕はなんとなく南に行こうかと思うんだよね。この前は北に行ったし、暖かいところに行きたくない?」
道はない。
正確にはイスカガンからスーチェン、ヤハンを繋ぐ大街道はあるのだが、そこから外れてトォルやミョルニのように草原を行くと、途端に道なき道を行くことになる。ゆえに、道はない。
物言わぬ同行者の返事を聞きもしないで、トォルは進路を南に変えた。
ミョルニが自分の後をついて歩いてきているのは、目視せずともわかり切っている。
そのまま南へ南へ歩を進めて、そこで、アレクサンダリア大皇国第二皇子トォルと、その下女ミョルニの足跡は途絶えている。
彼らは、この平和な世の中でなお正義の味方を名乗って風の吹くまま気の向くままに、辿り着いた街や村、出会った人たちを救って勝手気ままに世直しの旅をと大真面目な顔で嘯いてみせる風来坊である。
彼らの行く先は、彼らしか知らない。
★
皇宮に住まう職人に休みはない。
平均して三日に一度、どこかの壁や窓硝子、酷いときには屋根が吹き飛ぶからである。
それは裏を返せば食いっぱぐれることはないということでもあったが、こうも毎度毎度特注の壁や窓硝子を壊されるというのでは職人の名が廃る。
皇宮の改修工事に従事する職人たちを前に、棟梁は拳を振り上げていた。
「野郎ども! 今日こそ絶対に爆発しない、燃えない、斬れない、最強の壁を作るぞ!」
職人たちの士気は非常に高い。
入念な打ち合わせと会議、試行錯誤を積み重ね、今回は壁の内部に鉄でできた芯を入れ、その上から木材や石材で補強を入れるというやり方を試してみるという方針で話はまとまっている。
補修個所は第一皇女メイフォン居城の壁である。第三皇子ニールニーマニーズ様が壊したとのことだったが、ニールニーマニーズ様はメイフォン様の居城に恨みでもあるのだろうか、メイフォン居城の崩壊の九割九分が彼の仕業である。ちなみに残りは他の皇子皇女の仕業であるが、これはごくごく稀な話だ。
作業は迅速に進む。
一つの壁を補修している間にも、他の居城の壁や屋根、ときに床が崩壊したりする可能性があるからである。もしもそうなったとき、自分たち職人がほかの場所を補修中で手が離せないとあっては、皇子皇女が安心して城で過ごせないではないか。
自分たちは城を治すことで、彼らの精神の安寧を守っているのである。
メイフォン居城補修の作業手順の一として、まずは十字に張り付けられたニールニーマニーズ様の両手両足から鎖をほどき、彼を開放するところから始める。
「さあニールニーマニーズ様、行ってください。メイフォン様には我々がうまくいっておくから大丈夫ですよ。なあに、あっしらもニールニーマニーズ様の年くらいのころはやんちゃしたもんでさぁ」
悪さをしたことでメイフォン様に捕まり折檻されたニールニーマニーズ様のフォローを行うことも忘れない。何せ我々は皇子皇女の精神の安寧を守る存在。床や壁、屋根を補修するのは道具と資材があれば誰にだってできる。我々は皇宮お抱えの職人だ、彼らの心も補修できずになんなんとする。
ニールニーマニーズが毎度信じられないものを見るかのような視線をこちらに送ってくるが、可哀想に、よっぽど普段味方がいないのだろう。我々はわかっていますよ、という意味合いを込めた生暖かい視線を送り返しておく。
続いて作業手順の二。治す。
治した。
「今回こそ、今回こそ、ちっとやそっとじゃ壊れねえ頑健な壁を造ってやったぞ! よくやったおめえら、よくやったな!」
部下の職人たちからも、今度こそ簡単に崩れるなんてことはないはずですよ! という声が上がり、棟梁は達成感に酔い痴れた。我ながら会心の出来である。
そんな会話でおたがいを労いつつ皇宮と皇子皇女の居城の隙間に並べられた職人寮に帰ってきた棟梁は、開口一番言った。
「よっしゃ酒だ、酒を出せ! 一仕事終えた後の酒は誰にも邪魔できねえ崇高なモンだ!」
しかし爆発音が聞こえたので、取り出した酒瓶をすごすごと棚に返却。
「親方! 空から城壁が!」
「野郎ども! もうひと仕事だ行くぞ!」
職人たちの振り絞るような声は、さながら鬨の声のようだった。
★
かつて大英雄アレクサンダグラスは、大陸の東岸から西岸のそのほとんどを征服し、そのことごとくを支配下に置いた。ほとんどの文明、文化が大陸に存在する以上、これは人類史始まって以来初の偉業となる、世界征服、天下統一とも呼べる一大事業である。
大皇帝アレクサンダグラスの大陸征服から十年。二百年続いた戦乱の世は彼によって終止符を打たれ、今大陸には空前絶後の大平和が訪れていた。のちにパックス=アレクサンダリアと歴史書に記されるこの時代は、しかし――――
わずか十年で、その終焉を迎えることになる。
アレクサンダグラスは禅譲で国を継ぎました。