#17 洗脳の魔法
皇宮に向かう途中行き会った騎士たちから、イスマーアルアッド達が学院にいることを聞き出した。
ニールニーマニーズたちが護衛として連れてきた騎士とは違って竜との攻防を経た騎士たちだ。まだなにがあるかわからない皇宮側にマリストアやニールニーマニーズを近づけたくないのは当然のことであるが、そんな彼らの思いは当の二人にとって知る由もない。
アイシャたちと合流して事が収まるまで避難してくれとほとんど冀うような勢いの騎士たちであったが、マリストアが説得に成功した。僕は知らない、何も見ていない。見目が良いというのはそれだけで十分な武器となるのだなあとニールニーマニーズは苦虫を噛み潰したような面持ちでそんなことを思った。
「咳払いくらい隠した方が良いんじゃないかな」
「男なんてちょっと色目使えば騙されるんだからいいのだわ別に。なによ文句ある?」
「いいやなんにも。本当見た目だけは良いよね、見た目だけは」
「喧嘩売ってんの? 買うわよ?」
滅相もない。
手を払う仕草を数回。
「とりあえず学院を目指そう。イスマーアルアッドと合流する」
★
『よ――前ら、村の人――これで全員――?』
「またこちらを見ているのよ」「目が合ったのだわ、私たちのことが見えているの?」
『いいか、お前ら――から俺――隷だ』
「ねえ、これって私たちの夢なのよね?」「そのはずなのだわ。そのはずなの……だけれど」
『クク――ハ、待って――塵ども! お――は「在るべき――界」に到――贄だ!』
★
学院に到着した。
破壊の爪痕は建物のすぐ傍までを抉っていて、近付くとやはり皇宮は余さず瓦礫と化している。皇宮跡地が近づくにつれて言葉少なになっていったニールニーマニーズもマリストアも、皇宮の崩壊についてついに口を開くことはなかった。同伴した騎士が「これは酷い……」と思わず漏らしたのみである。
風に飛ばされた紙片が右足に引っかかった。ニールニーマニーズがそれを手に取ると、焼け焦げた本の一頁である。
瓦礫の山であった。
あちこちから黒煙があがり、ところどころを赤や橙が舐める。何十人かの騎士が消火活動に当たっているようだった。
図書館がない。自分の居城もない。当然庭園や召使たちの暮らす屋敷などもすべて崩壊している。
惨憺たる有様だった。遠目に見るよりもよりまざまざと惨状を見せつけられる。地下道から出て初めに見たときに覚悟はしているくらいのつもりであったが、いざ自分の家を焼け出されてみればそのような覚悟がいかに矮小だったことか。
どちらからともなくなんとなく無言になり、気が付けば学院のすぐそばまでやって来ていた。学院への損傷は辛うじて見受けられないのだが、通学する際に利用していた石畳は抉れて捲り返り、場所によっては溶解しているようにも見える。
「とりあえず学院に入るわよ」
マリストアが言った。腕組み地蔵になった弟の背中を叩く。普段は年下なクセに態度が尊大だから気にならないが、黙りこくると身長相応に小さく見える。
何か文句でも言いたげな表情のニールニーマニーズには一瞥くれてやって、勝手知ったる学院の扉を開ける。
開く。
学院は無事だ。
中央塔一階、講堂である。
吹き抜けの天井、広く開けられた採光用の窓。深赤の絨毯が十字に敷かれ、今マリストアが開け放った以外の扉は他の研究棟や実験施設に繋がっている。
椅子や机は壁際に寄せられている。最大限空間を確保できるように整列されているが、ところどころずれがあるところに急拵えであることが見て取れた。
中央に人がいる。
騎士が数名とイスマーアルアッドだ。
「ごきげんよう、イス」
「マリストア! ニールニーマニーズも。どうして戻って来たんだ、城の方は危ないって――」
「ごめんイスマーアルアッド、僕はどうしても知りたかったんだ。今何が起こっているのか」
「……まあ来てしまったものは仕方ないか。とりあえず中に入りなさい、二人とも」
★
疲労困憊も甚だしかったし、今すぐ横になりたかったが、固い石畳を寝台にできるほどアイシャの体は頑丈ではなかった。仕方がないのでアルファとイルフィの隣に座り、時折二人の様子を伺っている。魘されているようなので、たまたま城から避難するときに手に持っていた香を焚いておいた。室外だが多少の効果は見込めるだろう。安眠効果のある薬草を数種配合した手作りの香である。ちょっと調合を間違えると痺れ薬になるので注意が必要ですぅ。
普段はどれだけ重くとも書籍を数冊程度しか持たないので、当然瓦礫の撤去などにも参加しなかった。役に立てないどころかむしろ邪魔をする可能性の方が高いからである。適材適所だ。己の適所はおまじないが必要になる場所である。
弟と妹が数人の騎士を連れて出発してから小一時間ほどで地下道を塞いでいた瓦礫は除かれ、なんとか人一人くらいが通れる程度の道にはなった。当面は崩落の心配もなさそうだったので、今は次々と地下道から残りの召使や騎士たちほか、城にいた者たちが脱出してきているところである。
自分はおまじないのこと以外に関して疎いと思う。
召使たちや騎士たちは現状をどうにかするために天手古舞だが、アイシャは自分が何をすべきかがわからない。背中を預けている壁がひんやりして気持ち良い。空を見上げると黒煙が幾つも尾を引いている。
指示を飛ばす声や互いを労う声などが飛び交うが、右から左に聞き流す。
自分に付き従ってくれていた騎士や召使たちも、降って湧いた仕事に追われてどこかへ行ってしまっていた。
「お城、失くなっちゃいましたねぇ」
一旦落ち着くと駄目だ。
考える暇を得てしまうと、今更ながらに実感が頬を伝う。それを誰にも見られないように拭うと、アイシャは立ち上がり、ちょうど通りがかった召使に何かできることはないか聞いた。
「えっ!? あ、えーっと……お、応援しといてください」
事実上の戦力外通告を受けたので涙の意味が変わりましたよぅ?
★
突如としたイスカガン皇宮の連続崩壊は、特に東側での被害を大とした。
運良く生き残った者たちはイスカガンの外へと逃げ出し、喫緊の課題としての避難先を近隣諸国に求めているところだった。キョウをはじめいくつかの小国や、それらを構成する村などがイスカガン東に広がる大草原には点在している。
キョウを目指した避難者たちは、見た。
大禍時の紫紺を塗り込めたかのような構造物が、異形の生物たちにより驚異的な速度で組み上がっていく様を。
イスカガンでは竜の目撃証言が圧倒的多数、寄せられている。自分も竜を見たという者も決して少なくない。だとしたら、眼前組み上げられていく建築物は竜の巣か――全貌はまだ見えないが、既にそうであると納得させうる雰囲気を放っている。
彼らが慌てふためき進路を変えたその先、たった今組み上がりつつある闇色の中では、横たわる女の傍らに立つ一人の男がいた。
着実に城が出来上がっていく。
巣作りで一番大変なのはとっかかりの作成である。数人に洗脳魔法を掛けさえすれば、あとは次々にその輪を広げていける。
たちまちのうちにキョウの村民すべてに洗脳を施し、禍々しい――如何にもといった形状の城を形成していく。
今作成しているのは舞台装置なのだ。それっぽければそれっぽいほど良い。
魔王が暮らす、あまりにも禍々しい凶城――見る者に、目視だけで畏怖を抱かせる。そんな城でなければならない。
囚われのお姫様はいまだ目を覚まさないが、右腕が生え始めている。怪我もほとんど塞がりつつあり、目を覚ますのも時間の問題かと思われた。
以前広場でメイフォンと接触した際にも洗脳魔法をかけようと試みた。しかしその時はのらりくらりとあしらわれてしまい、多少の計画変更を余儀なくされる。結局こうして手中に落ちるまで秒読みなので計画の変更は必要なかったわけだが。
それにしても、
「魔法ってのは気持ち悪いモンだよなァ……」
自身の意のままに他人を操ったり、死にかけの状態から五体満足まで復活させたり、目にした神秘は他にも幾つかある。ほんの少しとはいえ魔法を得たのはごく最近の話である――描かれた平和の世界の産物はどこもかしこも気持ち悪いが、「彼」にとっては自分が魔法を所持しているということ自体が一番気持ち悪いことであった。
本来持ちえぬ力である。
発動方法と発動する効果のみしか知らない。どういった法則で何が消費されて魔法が実現されるのか、それは全くわからぬ。そこがまた言いようのない嫌悪感のようなものを増幅させていた。
しかし実際問題、魔法という手段は己の感じる不快を度外視しても余りあるほど自身の目的完遂にとって魅力的な手段である。
例えば竜などという途方もない大戦力の確保、およびそれを意のままに操る術などおよそ人間のあらゆる叡智を注ぎ込もうが実現しえなかったろう。しかし魔法を使えば実現してしまった。
畏怖の対象としての大魔王に押し上げるだけの舞台装置を短時間で完成させることなど、それこそ以ての外である。洗脳したキョウの村民――否、元村民と言った方が正しいかもしれない――が着々と組み上げる大魔城は、既に在りし日のイスカガン皇宮を凌駕しつつある。
キョウの村民が生身の人間であれば不可能な話であった。
今やこの村――かつて村であった場所には人間は残っていない。異形の者が闊歩し、土塊や木材を駆使して一心不乱に城を天空へと積み上げている。
これらもすべて、魔法が見せる地獄絵図である。
「ケッ、在るべき真世界のためにはやっぱり魔法はなくさねェとな」
男の呟きを唯一聞くことができた者はまだ目を覚まさなかった。
★
イスマーアルアッドについて講堂内に入ると、人間のようなものが床に打ち付けられているのを見つけた。
「生きているの?」マリストアが眉を顰めながら口にする。「いったい何を?」
皇帝代理が近くにあった椅子に座った。弟もそれに倣ったので、マリストアも傍の椅子に腰かける。首、手、足につけられた枷から伸びる鎖が長い杭によって床に縫い付けられているようであった。頭には袋が被せられており、この様子では身動ぎ一つすら不可能であるだろうということが容易に想像できる。
実際は音や光の感知、声を発することもできなくされているのだが、上から袋が被せられているのでマリストアは気付かなかったし、気付けば非人道的だと言い出しかねなかったのでこれはイスマーアルアッドにとって幸運であると言えた。
実のところ、マリストアの学院での研究題材は人権である。正直一人間に対してこれほどまでに過剰な拘束を施すことに対して強い憤りのようなものを感じていた。しかしこの憤りは、皇帝代理の次の言葉で撤回される。
「この男が状況証拠的に見て大皇帝アレクサンダグラスを殺めたことはほとんど間違いない。そのうえ、なんらかの竜になる、あるいは竜を呼び出す能力を有していると思われるためこうして過剰ともいえる拘束を施している」イスマーアルアッドは腕を組んだ。手に持つ紙が擦れて音を立てる。「非現実的なことだと思うかもしれないが、皇宮崩壊を引き起こした張本人は竜なんだよ。これは紛れもない事実だ」
「竜が現れた――という話を耳にしたんだけれど、これがまぎれもない事実だってこと?」
「そうだニールニーマニーズ。しばらくの戦闘の後、突如竜は崩壊して、竜がいた中空からこの男が現れた。他の騎士も目撃者だよ」
周囲の騎士に目をやると、頷きが返ってくる。今度はニールニーマニーズが眉を顰める番だった。
マリストアが口を開く。
「この男――が、例の東洋商人なのかしら?」
兄が頷いた。
廊下での出来事を思い出す。足場のない高所の窓の外からこちらを覗いていた、尋常ならざる姿。竜なぞ架空の存在であると、常識的に考えるとそのように思う――思うが、あの時廊下で見た姿と、崩壊した皇宮の有様、多数の竜の目撃談が、荒唐無稽なイスマーアルアッドの話の信憑性を高めているように思われた。
「ところで、それは?」
皇帝代理が手にする紙切れを見つつ、弟が口を開いた。
講堂にたどり着いた時からずっと手にしていたので気になっていたのだ。この商人が持っていた、アレクサンダグラスの遺書だろうか。
イスマーアルアッドがこちらに向かって手招きしたので、紙を覗き込むように近付く。
と。
その時であった。
兄がやや傾けた紙を覗くように背伸びしたニールニーマニーズの足元――床に縫い付けられていたはずの商人が爆発した。衝撃。耳を劈く音が通り抜けたとき、講堂の中には蜷局を巻く青緑がいた。
いまだかつてそういったものを見たことはなかったが、これを形容する言葉をマリストアは知っている。
「……竜」
鱗が鈍く光る。
高い天井を突き破らんばかりに巨大な姿はまさしく竜であった。
――などと考えているうちに、マリストアは竜の短い腕に攫われ、次の瞬間には空を飛んでいた。悲鳴が棚引く。眼下、もはや遠くの学院が崩壊しているのがうっすらと見えた時には視界が真っ暗になった。
「張本人」って中国人の名前っぽいですよね(?)