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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第一章:魔王降誕編
16/78

#16 発動の条件

 白い角封筒を受け取る。

 封蝋は確かにアレクサンダグラス皇家のものだ。裏返して見るが、特に文字の類は書かれていないようだった。


「お取込み中申し訳ございません! イスマーアルアッド様、これはアレクサンダグラス様の遺書ではないでしょうか!」

「商人が持っていたのかい」光で透かして矯めつ眇めつしつつ、一々聞くまでもないことを聞く。相槌以上の機能はない。「アレクサンダグラスがこの商人に渡した親書かもしれない。遺書と決めつけるのは早計だよ」


 調書によるとこの商人は新しい通商ルートの開拓に来ていたようなので、アレクサンダグラスがそのことについて一筆したためていても何ら不思議ではない。

 アレクサンダグラスの検死もまだ途中であったため、商人が入室してからどの段階で殺されたのかがわかっていないのである。商談がまとまってから凶行に及んだとすればなおさらだ。

 まあそうだとしても封筒の裏表に何も書いていないというのはおかしな話ではあるが、これは親書であろうが遺書であろうが他の何であってもおかしな話なので、開けてみないことにはどうにも判別ができそうにない。


「申し訳ないが、私は父アレクサンダグラスに比べれば未熟だ」封筒に視線を落としながら、その場にいる騎士たち全体に向けて言う。「父のように何でも一人でというわけにはいかないから、君たちにもある程度現場での判断を任せようと思う」  


 アレクサンダグラスであればすべてに答えを出して的確な指示を部下に与えることは可能だったろうが、暫定的な代理とはいえ自分は父のようにはいかない。ある程度は現場の判断で動いてもらう必要がある。

 その場にいる騎士たちは十人と少し程度だ。数秒考えた後、彼は口を開く。

 捜索隊には再び現場検分の任を与え、必要であれば既にイスカガン全域に派遣して被害状況調査書の作成を命じてある騎士たちを使うように伝える。

 国民たちの多くは無事に逃げおおせたようで、被害のあまりなかった地域にはもう帰ってきている者もいるらしい。いつ魔が差すやも知れぬ、派遣した騎士たちにはついでに犯罪の抑止力となってもらう。

 

 捜索隊あらため現場検分隊が再び捜査に向かうのを見送り、視線は再び封筒へ。

 開封せず確認できる情報は四つ。白い角封筒、重さは何の変哲もなく普通、なにか硬貨のようなものが入っていること、それから封蝋だ。

 赤い蝋に施された封蝋は、どう見てもアレクサンダグラス皇家の家紋で間違いない。アレクサンダリアの国璽として使われているものと同じ意匠だ。親書にはアレクサンダグラスが指に嵌めていた指輪の形状をしたものが、公的な外交文書などには少し大きめの金印が用いられる。

 複製を完全に防ぐということはできないが、腕の良い細工師に特注で作らせた限りなく複製の難しい精密かつ複雑な文様であるために、この封蝋がアレクサンダグラスによって押されたことはほぼ間違いないだろう。

 皇宮の崩壊に伴って、安置されていたアレクサンダグラスの亡骸は行方知れずということになっている。しかし印台指輪は検死の段階で回収されており、今はイスマーアルアッドの手元にあった。見比べてみてもやはり同じものである。

 本来であれば持ち主の許諾も得ずに勝手に開封するわけにはいかないが、今回は非常事態なので超法規的措置をとらせてもらう。

 封筒を開け、中を覗く。

 そこに入っていたのは、一枚の紙きれと、


「――硬貨(コイン)?」


 封筒を逆さにすると、硬貨が手のひらに落ちた。


 ★


「すみません、どなたか! どなたかいませんか!」


 声にいち早く気付いたのは、村で一番西側――皇都に近い場所に住んでいる青年であった。

 尋常な様子ではない呼び声に、何事かと慌てて自宅を出ると、男が血塗れの女を抱いている。


「ど、どうしたんだ!? ――って血塗れじゃねえか!」


 中肉中背、ほんの少し日焼けした肌で焦げ茶色の髪、目を持ち、旅人風の服に身を包む男は軽めの甲冑を来た血塗れの女を横抱きにしている。青年は慌てて駆け寄り声を掛けた。

 医術の心得のない青年の素人目でも、女の方は体を強く打って重体である。力なく四肢が揺れる。


 村には医学を修めた者が一人、常駐している。村で医者のようなことをしながら、近隣の草花を研究している変わり者だ。

 青年は脳内で彼らを医者の下に連れていくか、医者をここに連れてくるかのどちらが早いかを計算し、後者を選ぶことにした。


「とりあえず俺ん家に運べ! す、すぐに医者を呼んできてやるから!」


 一体何と衝突すればこのようなことになるのか――全身にもはや固い部分が残っていない。ほとんどの骨は折れ、というより砕けていた。右足は膝から下がなく、右腕に至っては肩から先が辛うじて皮一枚で繋がっているような状態である。

 自宅へ招き入れ、男と二人で慎重に寝台へ寝かせる。

 青年は取るものも取り敢えず家を飛び出すと、村の医者を呼びに走った。


 しばらくして、医者を連れ帰る。

 しかし、


「これは……もう、この村にある設備だけでは手の施しようが――」


 さしもの医者も匙を投げた。この村の設備では――否、大陸で一番進んだ設備がある皇都であってももはや手の施しようはないだろう。余談だが、当のイスカガンが壊滅しているということを彼らはまだ知らない。

 持ってきた診察鞄を開きもしない医者に男は縋り付く。気の毒ではあるが、医者も万能ではないのだ。医者も青年も、救いえぬ命に対して当然心が痛む。


「僕の出来ることならなんでもしますから、なんとかできるだけのことは試してくれませんか……! お願い、お願いします……!」


 平身低頭。男は、額を床に擦り付けんがごとくしながら医者の足元に縋る。

 それを見た青年も、見かねて口を開いた。


「先生、俺からもお願いします……! 最初から諦めるだなんてさすがにあんまりだ」

 

 男の隣に並び、同じく頭を下げる青年に医者は狼狽した。医者だって救える命は救いたいに決まっている。しかし、およそどこから手を付けて良いかもわかったものではない酷い重体なのだ。

 どこから手を付けて良いかもわからぬうえに、そもそもどこから手を付けても意味がないようにしか思えない。

 しかし、


「お願いします! お願い、します……!」


 消え入るようなお願いしますの連呼に耐えかねて、ついに医者は鞄を開いた。起こりうる奇跡はそもそも奇跡でもなんでもなく、可能性の低い出来事を成功させただけに過ぎない。しかし低いながらも可能性があるのであれば、それは十分起こりうる出来事なのである。奇跡でもなんでもない。

 誰が見たって口を揃えて「もう駄目だ」と匙を投げるような患者にはもはや今更何を施したところでである。そもそも可能性がない出来事は成功させようがない。

 一目見ただけで首の骨や背骨なども粉砕していることがわかるような状態で、いったい何をすればその患者は助かるのか、命の灯火が再び灯るのか、医者には思いもつかない。


 どう考えたって可能性は零だ。

 本来起こしえない事情を起こしてこそ、はじめて奇跡と呼べるのである。

 だとしたら、


「奇跡に掛けるしかないですが……私もやれるだけやってみます」


 奇跡を起こすしかない。

 たとえ可能性が零だとしてもだ。


 ★


「ニールニーマニーズ様! マリストア様! よくぞご無事で!」

「お怪我はございませんか」

「アイシャ様やアルファ様、イルフィ様はご一緒ではないのですか?」

「――ええ!? 城の方に向かわれるのですか? まだ危険です、どうかアイシャ様たちと合流なさってしばらく御避難くださいませ」

「――我々ですか? 我々は今、イスマーアルアッド様の指示でイスカガンの被害状況を調査しているところでした」

「丁度良い、アイシャ様方の居る所へと我々もご一緒いたします。ニールニーマニーズ様、マリストア様、どうかお考え直しくださいませ」

「――え? いやいや、ですから、城は全壊いたしまして、ところどころ火も上がっておりますししばらくは近付かない方が――ひ、も、申し訳ございませんマリストア様、決してそのようなつもりは」

「――イスマーアルアッド様ですか? イスマーアルアッド様でしたら、ただいま学院の方に――あっ、お待ちくださいませ! お待ちくださいませー!」


 ★


 奇跡を起こすと意気込みはしたものの、実際問題イスカガン最先端の設備ですら応急処置が限界であるような重体患者である、況や一農村でしかないキョウの設備をや、だ。

 砕けてどうしようもない骨は取り除くしかないだろう。するとほとんど残らない。辛うじて原型をとどめている骨たちは繋いで固定する。魔法のように便利な技術でもない限り完治は不可能だし、そもそも一命をとりとめることすら絶望的だ。

 一瞬怯んでしまったが気を取り直し、まずは女騎士の現状を細かく確認するところから始める。

 右半身の損傷が特に激しい。右足は膝から下、腕は肩から先が辛うじて皮一枚で繋がっているといった状況である。左半身には石や木片などが多量に突き刺さっており、腕と足はついてはいるが骨が完全に粉砕してしまっている。胴体の骨も同様だ。折れていない骨がない。頭蓋骨も然り。

 皮を突き破り露出する白の数夥しく、その尽くが赤に塗れていた。

 右脇腹に空いた穴からは内臓が顔を出している。

 どう考えても死んでいる。およそ生きていられる要素がない。

 だというのに――ごく小さな胸の上下がある。全身の傷口から規則的に血が噴き出すことから、心臓がまだ脈動を保っていることが確認できる。

 まだ死んでいないのだ。

 奇跡的に生きながらえているこの命が、しかし風前の灯火であることはよもや言うまでもないだろう。

 男はどうにか――という風に言った。医者は最善を尽くすとは言ったが、そうは言ってもやはり現実的に治癒の見込みはなく、もはや亡くなりゆく女騎士をせめてできるだけ綺麗な体に繕ってやろうという意味である。そのくらいの奇跡であれば起こしてみせるつもりだ。

 人間の命は儚い――ノーヴァノーマニーズで医学者として研究を始め、イスカガンの学院で医術を治めてより良い薬を作るためにキョウに移住した結果、治すことができる病や怪我の数は増えた。しかし、死という病だけはどうしても克服できないのである。


「死なないでくれ! 頼むから、僕を残して行ってしまわないでくれ……!」


 男が比較的損傷のましな――とは言ってももれなく指の骨は折れている――左手に手を添えて女騎士に訴える。沈痛な面持ち、悲痛な叫び。恋人だろうか、兄妹、あるいは姉弟だろうか。医者は右半身の方に立ち、できうる限りの処置を施していく。この家を住みかとする青年には盥や布を取りに行ってもらった。

 粉砕された骨は摘出し、添え木でどうにかなりそうな部位は固定し包帯を巻く。

 右腕は皮一枚で繋がっているようだと思っていたが、軽鎧の布が繋がっているだけで完全に千切れてしまっていた。

 止血できそうなところはすべて圧迫して止血。骨が折れているせいで難航したが、なんとかすべての傷口の止血に成功する。当然ながら全身包帯巻きである。

 できうるすべての処置が終了したときの男の様子はとてもではないが見ていられなかった。


 ★


 そして奇跡が起きた。

 しかし奇跡は起きた。


「そんな馬鹿な……」


 思わず医者の口からそんな声が漏れる。

 包帯に巻かれ、もはや肌の露出する部分はないほど。


 呼吸が安定した。規則正しく胸が上下している。

 白い包帯に血が滲んでこない。巻いた時点で付着した血液はあるが、それ以上滲みが広がらない。


 さすがに意識の回復まではいかないがどうみても状態は安定しており、いつ目を覚ますのかはあとは本人次第であるといった様子である。

 男の涙は滂沱として止まらない。青年に用意させた盥の水に浸した布を絞って渡してやる。


「私も信じられないんですが……奇跡が、奇跡が起きたのです」

「ということは、彼女は……!」

「ええ、ええ、まだ油断はできませんが――峠を越えたのです。本当に信じられないことで、私も驚いています……!」

「あ、ああ、あ、ありがとう、ありがとうございます……! ありがとう、ありがとう……!」


 男は地面に崩れ落ちた。

 医者も思わず床に座り込む。


「神様もまだ見捨てたもんじゃねえなあ……! 奇跡は起きたんだよ、よかったなあ、兄ちゃん」


 青年が男の肩を叩く。


「本当に、本当にありがとうございます……! ――どうかこれを受け取ってください」


 男が懐から袋を取り出した。机に置いた音、袋の膨らみから、かなりの量の硬貨(コイン)が入っているであろうことがわかる。


「彼女は僕の本当に大切な人なんです、どれだけ感謝しても感謝しつくせません……! 今はこれだけしか持っていないんですけど、どうか受け取ってください!」

「こ、こんなに受け取れませんよ!」

「いいんです!」


 ほとんど押し付けるような勢いで医者に袋を手渡す。医者の手を強く掴み激しい握手をすると、抱き着いた。


「彼女が助かって本当に、本当に良かった……! ――そんなに受け取れないというのであれば、どうかお二人でお分けください。医者の貴方にも、当然医者を呼んできてくださった貴方にも、僕は感謝してもし尽くせないんです……!」


 男は懐からもう一枚袋を取り出すと、青年に手渡した。


「――もらっておいてあげるもんだぜ、先生。感謝は素直に受け取ったほうがいい」

「そうです……こんな形で申し訳ないんですが、これは僕の気持ちです!」

「そ、そうですか」


 でしたら平等に――言って袋の口を開けた医者に、俺は場所代だけもらえればそれでいい、と青年は袋から二、三枚だけ硬貨を摘まんで自分の懐にしまった。

 結局押し切られる形で医者も袋を受け取る。


 そして。


「あー、疲れたワ」


 男が立ち上がると同時に、医者と青年は跪いた。

 首の骨と指関節を鳴らす。ずっと無理な姿勢でいたせいで体が凝った。泣き崩れる演技は疲れるし、二度とやらねぇと胸に刻んでおく。

 発動条件は硬貨を支払って受け取らせる、あるいは支払われた硬貨を受け取ること。硬貨を媒介にして、強い洗脳を施すことができる――


「なぁんで魔法ってこうも面倒なのが多いのかねェ。理解できんわ」


 単なる硬貨の授受であってはならないことが非常に面倒なところである。なにかの報酬という形でなければならぬのだ。魔法を作ったやつは絶対に捻くれているに違いねェ。文字通り「魔の法則」を人間が扱うのだから、ある程度人間向けに適応(ローカライズ)させる必要があるということはわかる。わかるが、それでも腑に落ちないものは腑に落ちない。

 彼は溜息を吐くと、包帯巻きになったメイフォンの横に腰かけた。


 ★


 封筒から出てきた硬貨を受け取る。普通に世の中に出回っているものだ。西方――フィン王国で多く流通する意匠が施されている。

 イスマーアルアッドは硬貨が入っていたことについて訝しみながら、封筒の中に入っていた紙を取り出した。

 短く数行だけ、文字が記されている。

 曰く――


 イスカガン皇宮を買い取らせていただきました。

 お支払い(・・・・)いたします。

 どうかお受け取りください。


 と。


 さりげなくモブの口調も書き分けていたり。

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