#15 商人の捕獲
皇宮が壊滅してしまったので、国としての機能は暫定的に学院に移すことにした。
学院は皇宮の西側すぐそばにある。竜による被害の爪痕はすぐ傍まで迫っているが、奇跡的に建物は無事だった。
現在学院にはイスマーアルアッド率いる騎士たちがいるのみだが、皇宮を襲った竜――と思しき人物は確保したので、漸次大臣たち文官にも帰還してもらうことになっている。
皇宮騎士団に準備されている拘束衣の上から鋼でできた輪をいくつも嵌め、猿轡と目隠し、耳栓を施した上からも木材と鉄で作った面を被せてある。足枷、手枷、首枷はごく短い鎖で床に繋ぎ止められており、さながら昆虫標本のようであった。
俯せ、後ろ向きに交差された両腕が手枷に引っ張られ、わずかな身動ぎさえも許さない。
「照会終わりました、間違いありません」
皇宮に残されていた資料を片手に、一人の騎士が言った。数日前、アレクサンダグラスを殺したと思わしき東洋出身の商人と間違いないとのことである。
一時間ほど前、皇宮を襲った竜は襲撃の開始と同じように突然姿を消した。竜が消えると同時に姿を現したのがこの男であり、状況的に見て、なんらかの技術を以て竜に変身していたことは間違いないかのように思えた。
イスマーアルアッドは騎士に命じる。
「猿轡は外せるかな。話がしてみたい」
既に人間相手であれば十分過ぎるほど十分な拘束が施されているが、この男が自由に竜に変身できるのだとすればこの程度の拘束ではまだまだ足りない可能性もある。正直猿轡を外すのも悪手であるように思うが対話してみたいのは事実だ。
竜が唯の野生動物でしかないのであればただ殺してしまえば済む話だ。どうせ意思疎通などできぬ、屠ってから調査すれば良い。しかしどのような手段を使ってかは知らぬがこうして人の姿を取っている以上、可能なのであれば事情聴取はしたい。
御せぬとあらば殺すこともやむなしであるが、今回はわからないことが多すぎる。尋問によって明らかになるかもしれない事実があるのであれば、危険を冒してでも調査する価値ありだ。
イスマーアルアッドは椅子を用意すると男の目の前に置き、腰掛ける。
なぜアレクサンダグラスを殺したか? どうやってアレクサンダグラスを殺したか? 遺書は?
竜の姿はどういうことか?
聞かねばならぬことを思い浮かべたが、ざっとだけでもかなり多い。長丁場になりそうだが、とりあえずこの四つは取り急ぎ聞かねばなるまい。
★
騎士の手によって面を貫いて床に打ち込んであった鋲が抜かれた。続けて猿轡も外されるが、男は為されるがままだ。意識がない。
水の入った盥を用意してある。小さな器でいくらか掬って顔にかけると、わずかな反応があった。
目隠しだけを残し、顔面の拘束をすべて外させる。
「目を覚ましなさい。君には聞きたいことがいくつもある」
「……う、あ」
呻き声。
まだ混濁は見られるが、目は覚ましたようだ。
イスマーアルアッドは騎士に命じると、商人の口に水を含ませた。最初は咳き込んだが、徐々に勢いをつけて水を飲む。コップの水が無くなったのを見計らい、声を掛ける。
「おはよう。意識ははっきりしているかな。言葉はわかる?」
「……はい。あの、今私はどうなっているんですか」
「少し拘束させてもらっている。私はイスマーアルアッド、君は?」
「私は――」
手元の資料にある名前と同じ名前が述べられる。
「あの、私はどうして拘束されているんでしょうか……」
白を切るつもりなのかと思ったが、そのような気配も感じられない。
イスマーアルアッドは腕を組んだ。
少し考えた後、問いを発する。
「君が覚えている最後の記憶はいつのものだい」
「え、えっと、イスマーアルアッド様……ですよね、私が何かしましたでしょうか……? わ、私は今まで、誰にも……迷惑を掛けない、ぜっ、善良な商売を心がけて、えっと、しっしがない商人をしていたつまらない男です……」
商人の混乱も無理からぬことである。
しかし困った、当初想定していたより尋問は骨の折れるものになりそうである。
「君、君、落ち着きなさい――とは言っても君も混乱しているだろうからゆっくりでいい」
「……はい」
「君が覚えている限りでいい、イスカガンにやって来てからのことを順番に教えてくれ」
「私が覚えて――いるのは、イスカガンに……やって来て」
訥々と話す商人の言葉に時折相槌を打つ。
商人は東にある小国からイスカガンまでやってきた。目的はイスカガン皇宮との通商ルート開拓。品目は竜骨。ここまではアレクサンダグラス謁見前に事前に聞き取った内容と一致する。
商人の述懐がアレクサンダグラス謁見の直前までやってきた。
「――そうして私は、扉の左右に立っていた騎士様方に扉を開けてもらって……それで、それで、私は……私は……」
「どうしたんだい」
それまで困惑は含有されていたものの、まともではあった商人の様子が変わる。
全身に痙攣症状が現れたのだ。イスマーアルアッドは視線で騎士に指示を出して水を飲ませる。心なしか青褪めた様にも見えた。
「その……大変、大変申し上げづらいのですが……その、えっと、ここからの記憶が混濁しているようで、アレクサンダグラス様との謁見はしたはずなのですが、え、その、私は、私が」
「覚えていることだけでいいから話してみなさい」
「……イスマーアルアッド様、私は思い出しました。私は、私は! 大変なことをしてしまったのです!」
アレクサンダグラスとの謁見で何があったかほとんど覚えていないこと、気付いたら謁見の間扉の前にいたこと、手元に血塗れの果物ナイフがあったこと。
記憶がないというのが気にはなるが――述懐を聞く限り、この商人がアレクサンダグラスを殺した犯人であることはほとんど間違いないだろう。となると、この男はアレクサンダグラスを殺したばかりか皇宮を壊滅させ、イスカガンの都市機能のほとんどを停止させた大罪人ということになる。
果物ナイフで一突き、というやり方でどうやってアレクサンダグラスを殺せるのだと思っていたが、なるほど竜の仕業であったらばあり得ない話ではない。竜という存在がそもそもありえないのだが、実際にこの目で見てしまった以上、絡繰りはどうであれそういう「力」が存在したことは認めなければならない。
「君は竜に変身する力を持っているんだね」
「それは……どういう意味でしょうか」
イスマーアルアッドは眉を顰めた。
「……君、謁見の間の扉を出た後の記憶は?」
「……はい。……その、血塗れの自分と握っている果物ナイフ、絶命した扉番二人を見て呆然としてしまって――どうやら気を失っていたようなのです。気付けばこの通り、イスマーアルアッド様と騎士の皆様に……捕縛されてしまっておりました」
竜は――確かにこの男になった。眼前でまざまざと見せつけられたのだ、よもや見間違いとは言えまい。周囲の騎士たちも証人である。だとしたら商人の述懐は、己らを謀っているのか、あるいは本当に記憶が欠落しているのか、だ。
皇帝殺し。皇宮全壊。皇都機能停止。空前絶後の大逆大悪人である、譎詐の可能性も当然ながら拭えぬが――どうしてもイスマーアルアッドには、この男が嘘を言っているようには思えなかった。
「だっ、大英雄様を……この手に掛けるなど、私は」
「君の身柄は引き続きこちらで拘束させてもらう――」
まだいくつも聞かなければならぬことがある。
と。
そのときであった。
「イスマーアルアッド様!」
数名の騎士が臨時の城に駆け込んできた。
★
男を確保してすぐ、イスマーアルアッドはその場にいた騎士たちを集め、元々捜索隊だった者たちからメイフォンの訃報を聞いた。
竜と鎬の削り合いを繰り広げ、その場にいた国民を逃すことには成功したが――奮戦むなしく本人はやられてしまった。さすがに即死だったろう――と。
アレクサンダグラスの訃報をどうするかという話もまだ解決していないのに、第一皇女も失ってしまった。商人の捜索隊たちはその場でメイフォンの捜索隊へと変わる。
今後どうするかは一旦未定だが、とりあえず亡骸は回収するように命令を出し、イスマーアルアッドと残りの騎士たちは学院へと場所を移した、のであったが。
イスカガン中心にある――否、あった――皇宮の西側すぐそばに位置する学院は皇宮全体と見比べると小さく見えがちだが、一般の建物と比べるとやはり異常とも形容できるほど巨大である。縦に長く聳える塔が無数に立ち並ぶ様は、見ようによっては生き物が天に触腕を伸ばすようにも見える。
生徒や学生が増えるにつれて学者も増え、それぞれの研究室や研究に必要な施設を建て増ししていくうちにいつの間にか肥大した、イスカガン第二の魔境である。言わずもがな第一の魔境は皇宮中央城であるが、今やこれは失われてしまった。
機能を求めすぎた結果歪に成長した建築――簡潔に言い表すのであれば、学院はまさしくこの通りであった。
現在イスマーアルアッドや騎士たちは、学院建設当初よりあった場所――すなわち中央塔一階、講堂に陣取っていた。
扉を押し開けて、騎士たちが駆込む。捜索隊の面々だ。
「イスマーアルアッド様! 報告します!」
「――まず落ち着きなさい」
「っ、し、失礼いたしました」
商人に再び耳栓を施し、面を装着させた。今度は開口具付きのものだ。これから尋問がどれくらいかかるかはわからない――用心しすぎかもしれないが、その間食事の拒否や舌を噛んで自殺されるわけにはいかないのである。発狂した結果、誤って舌を噛んでしまう――などという可能性もありえはする。
騎士に言いつけて眠り薬を溶かした水を飲ませる。アイシャが調合したものだ、人体に危険はない。
そして騎士たちに商人の身体調査を命じ、イスマーアルアッドは捜索隊に向き直った。
「待たせたね。話しなさい」
「それが――辺り一帯は漏れなく精査したのですが、メイフォン様の御遺体が見当たらないのです」
★
行きがけの駄賃に良いものを拾った。
まるで汚いものでも触るかのように指先だけで首根っこを掴み、彼女の体を持ち上げる。
力なく揺れる手足。彼女の血と――わずかだが竜の血に塗れた全身は一色に染まっている。
彼は近くに落ちていた大刀もついでに担ぐと足早にその場を去った。
★
当然のことながら、学院には牢屋の類は存在しない。
商人は今までもそうなっていたように、講堂の床に磔にしておくことになった。受け答えを聞く限り善良そうに見える商人に対してこの扱いで一瞬心が痛むが、相手は竜に変身するかもしれない弩級の危険人物だ。用心のし過ぎというものは存在しない。
メイフォンの亡骸が見つからない――彼女が場所を移す可能性は二つしか存在しない。
「自分の足で移動したか――」
「何か、あるいは何者かに連れ去られた、ですか」
捜索隊の一人は続けて言う。
メイフォンが叩きつけられた壁の真下に血溜まりがあったので、しばらくの間彼女がここに倒れていたのは間違いないだろう、そしてその血溜まりからは一人分の足跡と、何かを引きずったような跡が残っていた、と。
そうだとしたら、メイフォンが自力で歩いて移動したよりかは誰かに連れ去られてしまったと考えた方が無難だ。
「その足跡は追ったかい」
「いえ、それが――」
数歩で何もなかったかのように消え去ってしまったという。
「数歩で消えた?」
「はい。靴についた血液が歩くにつれて落ちて消えたとかいうわけではなく、突然数歩で途切れているのです」
靴についた血液は歩くに連れて掠れていき、最終的にはなくなる――普通はそういうものであるはずだ。突然途切れるだなんてそのようなことはありえない。
あくまでその靴を履いたまま歩み去った場合はそうだ。靴を脱いでしまえばその限りではない。
「いえ、それが、何かを引きずっていたであろう跡も同じ場所で途切れているのです」
騎士が言った。
靴を脱いで、引きずるように持っていたものを担ぎ直した?
「私たちもそのように考えたのですが、そうは言っても血液が垂れた跡ですら付近に見つけられないということはないはずです。消えた足跡から先には、戦闘時のもの以外に血痕は見つけられませんでした」
イスマーアルアッドは腕を組んだ。
同じような血痕の消え方は謁見の間の前でもあったと聞いている。アレクサンダグラスを殺害した犯人の足跡が数歩で完全に途切れていたのだ。
アレクサンダグラス殺害の犯人は眼前、騎士たちから身体・持ち物検査を受けている男――商人であることは先程の自白からもほぼ間違いないはずである。
謁見の間の血痕がばったり途絶えたのはこの商人が竜に変身して飛んだからだと考えれば説明はできるだろう――当然、この時間に竜の目撃情報はないなどの諸問題はあるため検討の余地は多分に残しているが。
だとしたら、メイフォンを連れ去った者も飛び去ったのではないか?
もはや竜は想像上の生物ではないのだ、一頭いたのに二頭目がいないという理由もない。
最悪に底はない――事態はどんどん悪い方向へと加速して転がっているのだとイスマーアルアッドは眉を顰めた。
「イスマーアルアッド様、これを見てください! アレクサンダグラス皇家の封蝋が押してあります!」
商人の持ち物を精査していた騎士が封筒を片手に声を上げたのは、ちょうどその時だった。
拘束衣は比較的綺麗に残っていた物を皇宮跡地の瓦礫の下から引っ張り出してきました。最近はめっきり使わなかったんですが、大戦中は大活躍していたものです。