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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第一章:魔王降誕編
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#11 蛇竜の強襲

 よく晴れた日の、穏やかな昼下がりのことだった。

 人々はその日が特別な日になるとは微塵も思っていなかった。十年続き、これからも紡がれていく平和の、なんでもない平凡な一日。良いことがあれば笑い、嫌なことがあれば泣き、気に入らなければ怒り、しかし夜になれば眠る。朝日が昇ればまた何でもない一日が始まる。

 それに前触れはなかった。

 ある者は勤勉に働き、ある者はぜひとも自分の店にと通行人に呼び込みをし、ある者は恋人と睦み、ある者は悪さをして親に怒られ、ある者は石を踏んで転び、ある者は本を読み、ある者は学び、ある者は食事をして。

 ある者は皇帝代理として今後の方策を練り、ある者は皇帝殺しの下手人を追い、ある者は眠り、ある者は考え、ある者は知識の蒐集をし、ある者は臥せっていた。

 そして、またある者は空にいた。

 十年続いた平和の崩落は、何の前触れもなく始まった。

 まず初めに、陽が陰り雲でも出たかと空を見上げた一部の者がそれを見た。


「――――――――――!」


 続いて、およそこの世のものとは思えない、おぞましい音の発生源を探して見上げた者がそれを見た。

 最後に、イスカガン中央に聳え立つ皇宮が吹き飛んだのを見た全員がそれを見た。


 それは、竜の形をしていた。


 ★


『いいか、今からお前は竜だ』


 という主の声を聞き、商人は、己の正体が竜であったことを思い出した(・・・・・)

 自分は元々人間に非ず。人間に紛れるために人の姿を取っていたが、そうして生活しているうちに、段々と自分が人間であるかのように錯覚し、そうして自分が竜であることを忘れていたのだ。

 そうだ。主のおかげでようやく目が覚めた。夢でも見ているような気分だ。否――今こそ、夢を見ているのかもしれない。どちらにせよ、夢のような気分だ。

 まず人の姿を捨てた。そうだと念じたら、爪が伸び、胴体が何十倍にも伸び、皮膚が硬化して鱗が生えた。鼻から顎にかけてが前に突き出し、眼球は黄色く染まる。額から角が迫り出し、己は竜になった。


「お前がすることはわかってんな?」


 己の背に乗った主の声が聞こえる。


『当然です。今度こそ必ずや、憎きアレクサンダグラスめを殺して御覧に入れます』


 見下ろす。はるか眼下に世界の中心イスカガンの、そのさらに中心である皇宮が見えた。


「よし。じゃあ、お前は腹一杯暴れて来い。皇族(クソども)を見つけたら皆殺しにしろ。今からお前がイスカガンの大魔王だ」


 精々楽しめ――そう言い残して、己の体の上から主が姿を消したのを知覚。

 彼は表に出たがらない。大恩ある彼がために、自分が手足になるのだ。

 人間という軛、平和という軛から解放された商人は、今、大陸中の誰よりも自由を手にしている実感があった。今の己は竜だ。アレクサンダグラスが大陸で最強の人間であるとしても、人間と竜が殺しあって、竜が負ける道理はない。

 竜は蛇のような体をくねらせ、眼下の皇宮に向かって進む。骨格を無視した大口を開け、喉奥を震わせた。

 一条の光が走る。皇宮中央――アレクサンダグラス居城が劈く大音声とともに全壊した。


 ★


 アレクサンダグラスが精鋭を集めた騎士団の中でもさらに選りすぐりの者たちで構成された商人捜索隊を以てしても、皇宮の損壊に即対応できた者はほとんどいない。

 イスカガン東から街道伝いに聞き込みの足を延ばしていた彼らが北東のあたりまでやって来た時だった。巨大な竜が空に姿を現し、皇宮中央アレクサンダグラス居城を消し飛ばしたのだ。

 皇宮の全貌と比較して遜色のない大きさのそれ。青緑色の鱗に覆われた、一見巨大な蛇のようにも見えるその姿を、古来より人間はこう言い現わしてきた。


「竜――」


 想像上の生き物であるとありとあらゆる書物が否定した怪物の名を、皇宮全壊と同時に踵を返したメイフォンに少し遅れて続いた騎士が口にする。

 竜だ。

 そうとしか形容できない。メイフォンが幼いころ読んだ絵本に出てきた竜――それがそっくりそのまま出てきたかのような偉容。物語の中の存在が、まさしく今、眼前にいる。

 大陸から己より強い者がいなくなって久しい。

 あれを相手にするのは、いささか骨が折れそうだ。

 メイフォンの口端が歪む。すさまじい速度で石畳を踏みつけ竜の元へ急行する彼女の顔を見た者は幸運にも居なかったが、あるいはもしも見ることのできた者がいれば、凄惨な笑みだったと言うことになったろう。

 彼女は今、皇宮を失ったことよりも――強いものと戦えるという喜びに震えていた。

 背負っていた槍を構え、跳躍。非常時だ許せと、瓦がずれ落ちるのも厭わず建物の上を飛ぶように駆け抜けていく。

 もはや彼女に追従する者は居ない。

 

 ★


 吐き出した光線が皇宮を穿った。当然それに付随する衝撃は発生し、顔面が跳ね上げられるような強い勢いを全身の関節を駆使して受け流す。そこに一瞬の隙ができた。

 竜の誤算は、己に歯向かう人間がいるなど想定すらしていなかったことだった。正確には、自分に歯向かい、なおかつ脅威となりえる人間をだ。

 顔面に重い一撃を受けて大きく体勢を崩す。

 横殴りの衝撃だった。人間が扱うにはやけに大ぶりな槍の一閃、己の頑健な鱗が刃を受け止めはしたものの、衝撃は殺しきれなかった。当然想定外のこと、慌てて体を捻り、なんとか体勢を整える。


「おい、貴様! なんだ貴様は、おい!」


 見据える。

 最低限しか守らぬ軽装の鎧を着込んだ女騎士がいた。

 破顔。竜は彼女の顔に興奮と笑みが入り混じった表情が浮かんでいるのを見て、先程恐るるに足らずと断じた人間に対する本能的な警戒を感じる。

 頭のおかしい女が来た。


『どうしてお前は――笑っている。どうして笑える』

「強そうなやつがいる! それだけで幸せだ! 私を楽しませてくれ!」


 先程竜の顔面を振りぬいてから後方にとんぼを切り、長い落下時間を経てようやく着地した彼女が数歩を踏み、身を前――こちらに飛ばす。

 接敵。

 彼女の体ほどもある巨大な槍の穂先が突き込まれてくる。何という速度、なんという膂力。竜は素直に感嘆する。しかし、


『来るとわかっていれば恐るるに足らずだな。私の鱗には傷一つつけることはできん』


 ★


 メイフォンは、己がこれほどまでの血の昂りを感じたのはもう何年昔のことだったかと思う。自分の所有する中でも一番良い槍を使っているが、まるで自分の攻撃が竜に効かない。

 良い当たりだったと思う一撃は幾合もの打ち合いを経て何回もあるものの、さすがは幻想種だ。玉虫色の鱗には傷一つつくことがない。

 

「メイフォン様! 加勢致します!」


 接敵してからやや遅れて、他の騎士たちが姿を見せた。

 そちらの方を見もせず、彼女は叫ぶ。


「今良いところだ! 私の邪魔をするな!」

「しかし、メイフォン様! 先程から――」

「邪魔だと言っている!」


 口腔内に光線を溜め始めた竜の顎を叩き上げ、諸共こちらを消し飛ばそうとした光束の向きを逸らす。たまたま他の騎士たちを助ける形にはなったが、次からはそうはいかないかもしれない。なにより、せっかく自分より強大な敵を見つけたのにこれでは集中して戦えない。これは見世物ではないのだ、下がっていろ――


「ここはメイフォン様に任せて、俺たちは国民の避難誘導だ。急げ!」


 着地。

 天空に光線を発射した竜が体をくねらせこちらに向き直る。


「邪魔が入ってしまったな。謝らんぞ。泣き言はお前を負かしてから初めて聞いてやる」

『ふん、私の鱗に傷一つ付けられずにほざくなよ小娘が。お前にいったい何ができる』

「正直わからん!」


 だが――いやむしろ、だからこそ、


「色々試すつもりだ!」


 なにもまったく考えずに竜と戦っていたわけではない。先程竜の顎を殴りつけた後、とある場所の近くに着地していた。槍を置き、素早く剣に持ち替える。ここは己が居城傍、武器庫兼道場その場所である。

 先程の槍よりもはるかに大きい大刀だ。メイフォンの所有する武器群の中でもとりわけ大きい一群に属し、すなわち今まで使う機会のなかった武器の一つである。

 ……害獣退治や悪人逮捕には棒の一本でもあれば十分事足りるというのに、こんな大層な武器を使うわけにもいかんからな。

 先程まで使っていた槍は、対人仕様では一番良い槍だった。取りまわすのに無駄がない。


 メイフォンの蒐集する武器の中には、対人仕様では明らかに大きすぎるものがいくつかある。これはまさしくその一つで、スーチェンに伝わる由緒正しき武器の一つだった。名を夏刀と言い――その昔、竜を殺した逸話を持つ。

 柄の部分だけで先程の槍と同じくらいあり、刃の部分はさらに長い。並の人間では持ち上げることも不可能なその大刀を軽々と振り上げ、竜に切りかかる。

 思わず身を捻って避けた竜の左の角を割断した。


 ★


 本能的な部分であの刀の一撃を喰らうのは拙いと感じ、反射的に顔面を逸らしていた。結果的に左の角を持っていかれたが、あのまま受けていたら高い確率で首が飛んでいたので安い損失だ。

 たまらず浮上し女騎士との距離を離す。先程頭のおかしい女などと評したのを改め、油断すればあるいは負けると気を引き締める。あの一撃は怖いが、気を引き締めれば足元を掬われるほどではない。

 何より、わざわざ相手の距離で戦うこともないだろう。こちらには光線もある、遠距離での応戦を決める。


 狙いを定め、光条で地表ごと女騎士を薙ぎ払った。手前の地表から皇宮を経て空へとまっすぐ抜けるつもりで発射。皇宮からやや離れた位置ではあったものの、狙い違わず女騎士に命中――しない。

 光線が途中で断たれ散らされている。

 そこにはたった今刀を振り切った形の女騎士がいた。先程の数秒の間に皇宮を囲む図書館を乗り越え、こちらとの距離を詰めてきていたのだ。

 改めて脅威であると竜は思う。

 しかしいかな彼女とて全くの無傷というわけにもいかない。鎧は剥がれて消え、体中いたるところから赤の色を噴き出している。左足に至ってはあらぬ方向に曲がっている。

 しかし、目の光は消えていない。眼前で彼女は、剣を振り被ろうとすらしている。


 ★


 避難はまずまずな迅速だった。 

 竜が現れた――続いて皇宮の中央がその姿を消した。イスカガンにいた住民たちは一瞬恐慌に陥ったが、すぐに表れたアレクサンダリア皇宮付きの騎士たちは有能だった。暴動に発展しかねない民をうまくまとめて誘導し、都心から避難させる。

 アレクサンダグラスが整備した公道が非常に役に立った。

 噂によると竜はメイフォン様が身を削って食い止めてくれているらしく、竜はまだこちらに攻撃してこない。

 しかし。

 イスカガン東で焼き鳥露店を設けていた男は、その時、竜が皇宮からこちらの頭上を飛びこえ眼前に現れたのを見た。突然やって来た竜に驚き惑う他の者たちに押されて転びかけ、一旦足を止める。

 見ると、竜が口腔内に光を溜め込んでいるところだった。それもどうやらこちらに発射しようとしているように見える。

 人々の反応はおよそ二つに分かれ、一気に恐慌に陥る者と、もはや諦観を覚え、逆に落ち着く者とがそこら一帯に生まれた。地獄絵図とはこのことか――と、後者の反応を選んだ焼き鳥屋の男はどこか他人事のようにそんなことを思う。

 わずかな溜めのあと光線を吐き始めた竜を見て彼は瞑目し、来たるべき衝撃に備えたが、何秒経っても来ない。なるほど死んだから痛みも感じなかったのか――と思って目を開けると、竜と己たちとの間に大きな刀を振り切った姿勢の襤褸切れのような女が滞空していて、やがて公道に着地した。

 あの姿はメイフォン様だ。

 傍目にはボロボロだが、刀を構える姿勢からは戦意の喪失であるとかそういったものは一切感じられない。

 どこからか歓声が上がり、それを皮切りに彼女を讃える声も上がる。


 メイフォンが右足で踏んで跳躍し、竜に切りかかった。

 その一瞬後、その場にいた者たちは肉が壁に叩きつけられた音と、少し遅れて大刀が石畳を転がる金属音を聞いた。わずかな静寂のち、竜の彷徨。蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う人々。

 阿鼻叫喚の図であった。

 近場にいた騎士たちが駆け集まり、竜と対峙する。


 ★


 まさか角を一本失うことになるとは思わなかったが、いかに強くとも所詮は人間だ。体は脆い。竜の光線を食らって無事でいることは不可能である。

 満身創痍でなおも戦意を失わずに飛び掛かってきたのには肝を冷やしたが、なんのことはない、腕の一振りで叩きつけてやった。

 さすがにもう立ち上がっては来ないだろう。まだ微妙に蠢いてはいるが、いくらなんでも絶命もすぐだろう。襤褸雑巾のようになった女騎士を見て、一つ息を吐く。彼女こそが話に聞くアレクサンダグラスが娘、武闘姫メイフォンのはずだ。さすがに皇宮ごと吹き飛ばしたアレクサンダグラスが生きているとも思えないので――もはや竜に敵うものはここら一帯にはいない。 

 竜は天に向かって咆哮を上げる。

 あとは消化試合だ。正面を見据えるも、立ちふさがる騎士たちの中に笑みを浮かべて自分と対峙する者がいるわけもなかった。

 一般人が一目散に逃げだすの見えるが、もはや彼らは竜の眼中にない。

 騎士たちが得物を抜いた。




 古代中国伝説上の夏王朝初代の禹は、治水の能力を認められて王になりました。洪水を蛇竜に見立ててそれを治めた逸話を竜殺しとなぞらえるみたいな話、よくありますよね。夏刀はその辺踏まえて名付けてます。ド直球ですね。


 

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