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《八重の王》 -The XXXX is Lonely Emperors-  作者: Sadamoto Koki
第一章:プロローグ
1/78

#1 アレクサンダリア皇宮にて

 たとえば皇帝がいるとき、その皇帝が、ありとあらゆる人間から愛されているということがおよそ今までの歴史においてあり得たことはなかったし、おそらく今後もあり得ないだろう。

 そう思われていて然るべきだ。


 まず、音がある。

 街の東部に位置する噴水のせせらぎ。

 そのあとをとりどりの色が追う。

 入り組んだ路地にまで開かれている露店、行き交う人々の賑やかな声たち。

 白や黒、黄色。浅黒かったり日に焼けていたり、酒に焼けて真っ赤な肌もあれば、隙間なく巻き付けられた布で肌の色が見えない者まで。

 一人の商人が、それらを眺めながら街のメインストリートを皇宮に向けて歩んでいく。

 と。

 節のついた声が、弦楽器の音に乗せて聞こえる。広場、噴水の前に椅子を置き、トゥルバドゥールが唄っていた。商人の地元では吟遊詩人の名で知られている。西の方ではトゥルバドゥール、あるいはミンネジンガーなどと言うらしいが、まあ方言みたいなものだろう、と商人は思う。

 歌だ。

 東岸から西岸にかけて、大陸のほとんどを統べる大皇帝アレクサンダグラスの活躍を歌っている。

 商人は懐から銅貨を一枚取り出すと、トゥルバドゥールが置いた帽子の中に投げ入れた。朗々と歌い上げつつの礼に手を振って、商人は王宮へと歩を進める。

 すぐに喧騒にまぎれ、詩人の歌は聞こえなくなった。

 商人は普段投げ銭の類は意地でも払わないということに決めていたが、今日は初めての遠征、皇都イスカガンまで出稼ぎに来たのだからと奮発して銅貨を差し出した。なんとなく良いことがありそうな気分がして、商人は王宮へ歩む足を速くする。

 竜骨や薬草の干したものなど、東洋の神秘と呼ばれ、少量でも高値で取引される薬品類を売りに来ている。うまく気に入ってもらえれば、皇宮と定期的な商売のルートを築くことができるかもしれない。


 そう思っていた矢先、視界の先で、皇宮の一角が爆発した。


 濛々と上がる黒煙、崩れ落ちる白亜の城壁。

 想像の範疇外のできごとに、思わず腰を抜かした商人を迷惑そうに避けて、人々はまるで何事もなかったかのように己の日常を続行する。

 行き交う人々の顔には、こう言いたげな表情が浮かんでいた。


「やれやれ、またか」と。


 また、その中でもこの街での生活が特に長い者たちは言った。


今日は(・・・)爆発か」


 商人がその言葉の意味を知るのは、もう少し後の話となる。


 ★

 

 かつて大英雄アレクサンダグラスは、大陸の東岸から西岸のそのほとんどを征服し、そのことごとくを支配下に置いた。ほとんどの文明、文化が大陸に存在する以上、これは人類史始まって以来初の偉業となる、世界征服、天下統一とも呼べる一大事業である。


 アレクサンダグラスは皇帝を自称して、己が打倒した大国八つの王妃を娶り、自身の皇宮に住まわせた。

 まず各国の王たちは、自分の愛娘が何不自由なく生活を送れるようにと多額すぎる金を大皇帝に贈った。大皇帝は彼らの意を汲み、自分の皇宮に王妃がもともと住んでいたのと寸分違わぬ城を増築させた。

 次に各国の王たちは、自分の愛娘が何不自由なく生活を送れるようにと十分すぎる量の召使、軍隊を大皇帝に贈った。大皇帝は皇宮に林立する城群れと、それらをつなぐ大回廊の隙間を縫うように召使や軍の者たちが生活するに足る部屋、宿舎、倉庫、馬屋、食堂、他ありとあらゆる施設を建造させた。

 最後に各国の王たちは、自国が少しでも他の属国より優位であることを示そうと、自国の英知を結集した書物とそれを研究する碩学たちをすべて大皇帝に贈った。大皇帝はそれらを収める大図書館と司書、研究者たちを住まわせるための施設を建造していき、しまいにはそれらは皇宮のぐるりを一周するまでになってしまった。 


 召使や兵士たち、司書や研究者たち、そしてそれらを支える商人や料理人、農家や猟師や漁師などが倍々に人口を増やしていき、皇宮の周りに実に人口八万の大都市が形成された。

 大皇帝はここを世界の中心イスカガンと称し、大皇国アレクサンダリアの皇都とした。

 大皇帝アレクサンダグラスの大陸征服から十年。二百年続いた戦乱の世は彼によって終止符を打たれ、今大陸には空前絶後の大平和が訪れていた。のちにパックス=アレクサンダリアと歴史書に記されるこの時代は、しかし――――


 ★


 大皇国アレクサンダリア第三皇女マリストアの目覚めはおよそよろしいものであるとは言えなかった。

 その部屋には香が焚かれており、ごくごく細部に至るまで美しい曲線に彩られた豪奢な家具、調度品に囲まれた中央に、一糸纏わぬ姿。豊満な胸と、縊れた腹。

 皇国北西、一万年凍ったままだという湾が有名な極寒の地に生息するユキウサギのように真っ白い肌。そのさらに西にある小国の特産品、樹木の蜜からつくった甘いシロップを空気に流したかのような、見事な黄金の髪を召使三人に梳らせながら、皇国東岸の向こう岸、小国の山奥そのごく一部でしか取れない大粒の翡翠をまるまるはめ込んだかのように美しい双眸を歪ませて小さな欠伸を一つ。

 少女の愛らしさと、大人の妖艶さを併せ持つ姿がそこにはあった。

 しかし今、彼女の御顔に浮かぶのはどちらかというと怒りのニュアンスを強めた表情である。

 それは大音声の爆発音と、それにより崩落する城壁の破砕音によって眠りを妨げられたから――ではなく。目が覚めるとともに用意された茶にいつもより少しだけ早く手を付けたことで舌を火傷したから、であった。

 マリストアにとっての完璧な一日は、自然に目が覚めた瞬間に髪に櫛を通させ、服を着させてもらった後に窓際のお気に入りの椅子に揺られながら茶を飲む朝がなければ始まらない。

 しかし今朝は舌の火傷から一日が始まってしまった。いつも茶を淹れさせる召使が摩擦で絨毯に火でも点けかねない勢いで平身低頭謝罪の意を示しているが、

 ……彼女は東洋の出身だったかしら、あれは確か土下座とか呼ばれるもののはずよね。

 私が先に茶を渡すように命令したのだから、貴女に非はないわと告げ、頭を上げさせる。


「いいこと?」


 マリストアは指を立てて言う。すべての物事にはつながりがあるの、と。


「私は今舌を火傷したでしょう。それは貴女がいつも、私が椅子に座る時に絶妙に丁度良い温度になるように逆算して淹れてくれている茶を、今日はいつもと違って、起きた瞬間に欲しがったからなのよ」


 東洋出身の召使は、マリストアの言葉を受け、再び額を絨毯にこすりつける。


「いえ決して、決して、マリストア様が悪いなんてことはありえません! 私が悪いのです! マリストア様は何も悪くは!」


 マリストアはひょいっと片眉を上げるだけにとどめて、今回は頭を上げるようには言わなかった。


「貴女の言うとおりだわ」

「かくなる上は、私の故郷に伝わる最上級の謝罪方法として、は、腹を切ってお詫びいたします……!」

「そうじゃないわよ。私が貴女の言うとおりだと言ったのは、マリストア様が悪いなんてことはあり得ない、と言ったところだけ。もちろんあなたも悪くなんてない」


 そんな問答を行っている間にも、彼女は左右の二人の召使たちから着々とドレスを着せられていく。そうして、細部まで凝られた意匠の衣装をすっかり身に着け終えたマリストアはすっくと立ち上がり言った。


「私が舌を火傷したのは、貴女が熱い茶を持ってきたせい。貴女が茶を熱いまま私に渡したのは、私が要求したせいよ。では私がいつもと違って起きてすぐにお茶を要求したのはどうしてかしら。それは昨晩の夢見が悪かったからよ。じゃあどうして昨晩夢見が悪かったのかしら?」


 彼女は東洋出身の召使を抱き起す。


「えーっと、どうしてかしら……?」

「誰かが悪いおまじないをかけたから、とかですか……?」

「あっ、なるほど……じゃなくて! そう、えっと、そうなのよ! 誰かが私におまじないをかけたんだわ! そうに違いないのだわ!」


 彼女はドアの元へと歩を進め、


「今から行くわよ、元凶の元へ! 私は頭のてっぺんからつま先、いいえ、地面に落とす影に至るまで完成された美の化身なの。何人であろうとも、それを損なわせることなんてできないのだわ!」


 マリストアがそう言った瞬間、彼女の腹が小さく鳴る。


「………………」

「……お茶、淹れ直しますね」


 東洋出身の召使がそう言うと、マリストアは窓際の椅子に座って言った。


「パンも用意して頂戴」


 ★


 ノックというよりもむしろ叩き壊すかのような勢いでドアがたたかれた音が、本や動物の骨、何かよくわからない粉や液体、その他形容しがたい何かなどが足の踏み場もないほど雑多に並べられた部屋に響く。

 すると、何やら布がうずたかく積まれた山がもそもそと動き、中からか細い声が上がった。


「はぁい、開いて、ますよぉ……?」


 即座。

 ほとんど蹴破る勢いでドアが開き、黄金の塊が部屋に押し入り――


「アイシャ! 今日という今日は許さない――ってうわわ、きゃあああああ! わふ!」


 足元の骨を踏んでバランスを崩し、飛び込んだ勢いのまま跳躍。黄金の塊は、先ほど声がした布の山に突っ込んだ。

 頭から胸あたりまでを布の山にとらえられたマリストアは、しばらくもがいた後脱出に成功し、そして部屋の中の瓶やら書物の山やらがひっくり返るのもお構いなしに布の山から布をはがしては投げ捨てていく。

 布山の掘削作業である。


「あ~、ちょっと、やめてくださいぃ……」


 布山の中から力のない声が聞こえるが、マリストアはその声に対してわずかに気にするそぶりも見せない。

 声の主がすっかり姿を現したとき、元から雑多だった部屋は、マリストアという台風が直撃したひどい有様へと変貌していた。


「貴女でしょ!?」


 マリストアが掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る相手。

 胸と下半身を隠す白い布の上から、向こうが透けて見えるほど薄い͡紫色のヴェールを幾重にも纏った女性。

 自身の蒐集物が壊されていったこと、雑多ではあるものの、彼女の中では合理的に並べられていた品々の場所がてんでばらばらになってしまったこと、それから妹からものすごい剣幕で詰め寄られていることで眼尻に大粒の涙をいっぱいに浮かべる彼女こそ、何を隠そうアレクサンダリア大皇国皇帝アレクサンダグラス第二皇女にしてマリストアの姉、アイシャである。

 艶めく褐色の肌、夜闇のように黒い髪、瞳。マリストアより二つ年上であるにもかかわらず、もっと幼く見えてしまうのは背丈のせいか、態度のせいか。

 マリストアは同じ年齢層の少女たちと比べると頭一つ飛びぬけて背が高い。そのせいで余計に、平均身長よりは高いはずのアイシャにさえより以上の圧迫感を与えていた。


「お姉ちゃんがぁ、何かしましたかぁ……?」

「しらばっくれんじゃないわよ! 私にあんな悪夢を見させたのは貴女でしょう!? 貴女に決まっているわ! 貴女以外にそんなことできっこないもの!」


 怒りか、はたまた別の何かのせいか、震えるマリストアの声。対するアイシャの声はむしろ、落ち着き払って聞こえる。


「悪夢、ですかぁ。お姉ちゃんがですかぁ? どうやって?」

「どうやっても何も……貴女お得意の魔術とか、妖術の類に決まっているわ!」


 言ってマリストアが指さす先は部屋の奥、少し空いたスペースに複雑な文様と古代文字が組み合わさったものが描かれている辺りだ。

 アイシャは便宜上これを魔法陣と呼ぶが、実際の用途は魔法やそれに類するものではなく、あくまで――


「――おまじない用の魔法陣ですよぅ、あれは。怪しいことには使ってませんってば」

「おまじないってのがそもそも胡散臭いのよ! 魔法を使って私にあんないやらしい夢を見させたのだわ!」


 怒髪天を衝くがごとく勢いに任せてまくし立てていたマリストアが失言を悟ったのは、アイシャが一瞬目を光らせたのが目に入ってからである。

 思わず言葉を詰まらせたその一瞬、アイシャが言葉を挟む。


「いやらしい、ですかぁ?」

「そ、そそそそんなこと言ってないわよ! 私が見たのは悪夢! 嫌な夢だったの!」


 どんな夢ですかぁ~。マリストアに両肩を掴まれ揺さぶられるがままのアイシャが気の抜けた声で問うと、ぎくりと動きを止めたマリストアの顔が見る見るうちに赤く染まる。

 彼女は背後のドアが開いていないことと、先ほど部屋に入る前に東洋出身の召使に言い含めておいた通り、自分とアイシャ以外の誰もこの部屋には入って来ていないということを確認すると、声を潜めて問うた。


「あの、アイシャ。子供を作るときは、本当にあんなことをしなきゃいけないの……?」

「あんなこと? あんなことって、どんなことですかぁ?」

「わ、わかってるんでしょ! 貴女が私にあんな夢を見させたのは疑いようのない事実なんだから……!」


 アイシャはそこで考えるような素振りを見せたあと、マリストアの両胸にその手をやった。


「こんな胸を持ってるからピンク脳内淫乱お花畑に育つんですよぅ」


 そのまま何の遠慮もなく妹の胸を揉みしだき、自分の胸を見下ろして溜息を吐く。

 マリストアはと言うと突然胸を触られた驚きと言われた内容に反応が追いついておらず、完全に動きを止めてしまっている。


「お姉ちゃんが昨晩お前に掛けたおまじないはぁ、今一番会いたい人と夢の中で会えるかもしれない、みたいな可愛いおまじないだったんですからぁ」


 言ってマリストアの両胸から手を放してアイシャは立ち上がり、尻と膝についた粉を手で払い落としてそのまま部屋奥、魔法陣の方へと歩いていく。


「だ、誰が淫乱ですってぇ!?」


 思考停止から数秒かけて立ち直ったマリストアがようやくそれだけ言ったとき、すでにアイシャの手によって魔法陣に刻まれたまじないの言葉が改竄された後であったことを当然彼女は知る由もない。

 なお魔法陣にはあらかじめ、今自分が一番興味のある事柄についての夢を見させてくれるというように記されていたことは、

 ……またそのうち、何かの時に使えそうですよぅ。


 ★


「私は何も、初めからマリストアに嫌がらせをするために魔法陣を刻んでいたわけではないんですよぅ」


 マリストア襲撃の音を聞きつけてか、今更居室にやってきた召使にアイシャは開口一番こう言った。


「本来は自分に試すつもりで刻んだんですよぅ? でも、私の想定より陣の効果範囲が広かったせいですぐ隣のマリストア居城にまで効果が及んでしまったみたいなんですぅ」


 だから何にも問題はないし大丈夫ですぅ、朝餉はいただきますのでいつものように食堂に用意してくださぁい、と寝巻で武器を構えている召使たちに告げ、下がらせる。彼女は自分の部屋に召使が入ることをあまり好ましく思わない。

 ……絶対に掃除しろって怒られるに決まっていますからねぇ。

 あの後――魔法陣を改竄した後、その辺に転がっていた痺れ薬を挽いた粉をマリストアに嗅がせて部屋の外で控える召使に解麻痺薬と一緒に受け渡して、アイシャは部屋を出た。

 部屋の片づけはそのうちやる。


「朝餉の前に、私の刻んだ魔法陣の他の被害を調べてきますぅ」


 居室を出て最初に見つけた召使にそう告げる。

 アイシャの朝はいつも遅い。召使たちはそれに合わせて行動しているので、今日のようにどちらかと言うと朝の早いマリストアに起こされると必然的に朝の用意が全く済んでいないということになる。

 これについては己の生活習慣が不規則なのが悪い。あとはマリストアが人の就寝時間を気にせず乗り込んできたこともそう。

 眠気はあるが、もう一度寝直そうという気分にもなれなかったので散歩も兼ねての被害調査である。というか、被害調査もしたということにしておかないと、

 ……あとで大兄様やお姉さまに怒られてしまいますぅ。

 上の兄と姉はアレクサンダグラス家兄弟姉妹の中でもかなりの堅物なので、マリストアとは違って適当にあしらうことができない。適当にあしらうことのできない人間はアイシャの苦手とするタイプの人種である。


 アレクサンダグラスの皇宮を囲むように建設された八つの城群れを繋ぐ上下二つの回廊のうち、高さ的に上にある方を天空回廊、下にある方を中空回廊と呼ぶ。天空回廊は大皇帝アレクサンダグラスとその妃、子供たちか、彼らに特別に許可された者たちでなければ通行することができない豪奢な装飾が施された大廊下で、中空回廊はそれぞれの居城を繋ぐ召使や城に従事する人間たちが使う実用重視の通路である。


 今アイシャは、天空回廊を反時計回りに歩いているところだった。アイシャの居城から見て、すぐ隣のマリストアの居城とは反対側の方面である。

 アイシャの居城は白茶けた石材で建造されているが、ものの数分も歩くと足元が木材のそれに変わる。黒茶色に磨きこまれた木の廊下を、彼女の裸足がひたりひたりと踏んでいく。

 ちなみにマリストアの居城は大理石や石畳などで建造されているのだが、アイシャの居城を挟んで反対側、アレクサンダリア大皇国皇帝アレクサンダグラスが第二皇子トォルの居城では、複雑に組み合わされた木材の柱や梁と、紙と木でできた襖、屏風といったもので構成されている。

 また、トォルの居城では床の代わりに畳と呼ばれる植物を隙間なく編み込んだ板のようなものが敷き詰められており、

 ……よく燃えそうですぅ。

 太い柱たちに支えられたこの階層は、溝の上を移動する襖によって隔てて空間を区切り、用途に応じて部屋の大きさを変える。どうやら現在この部屋の主は不在のようで、数人の召使たちが襖を開け放って部屋の換気を行っているようだった。

 建物の中だというのによく風を通し、ここはほかの兄弟姉妹の居城と比べて非常に涼しく過ごしやすい。しかしそれゆえ、

 ……ここが燃えたら火の粉は大量に飛び散りますねぇ。

 そうなると自分の城もかなり危険である。


「アイシャ様、ごきげんよう! どうかなさいましたか?」


 近くにいた東洋の不思議な、確か着物などと呼ばれる服に身を包んだ金髪の召使がアイシャに声をかける。アイシャは彼女をはじめ数人に、昨晩から今にかけて何か変わったことはなかったか、特に悪夢を見たりしなかったかと問うてみたが、召使たちからはこの城のさらに反時計回りにもう一つ回った、第一皇女メイフォンの居城外壁が爆発した以外の情報を聞き出すことはできなかった。

 兄弟姉妹居城のどこかが崩壊したり爆発したりすることはわりと珍しい話ではなく、かくいうアイシャとても、何晩も夜を徹してまじないの研究をするあまり、薬品の調合や精錬で手元が狂ってボヤ騒ぎを起こすことは半年に一、二回程度ある。

 ……いくら気を付けていても燃えるときは燃えるので仕方ありませんよぅ。

 とにかく、今更居城のどこかが甘崩壊した程度で騒ぐ人は少なくともアレクサンダリア生活が長い者たちの中にはいない。居城の崩壊を見て驚く者はよそ者だなどと言う見分け方が市井の者たちの間で広まるわけですぅ。

 そうして再び、トォル居城に働く召使たちに聞き込みを始め数人に声をかけた後、魔法陣の規模上これ以上に効果が及ぶこともあり得ないし、そもそも調査に飽きたので、アイシャはそのまま自分の居城に帰って寝た。

 余談だが、朝餉の用意を申し付けたことは寝不足の彼女の頭からはすっかり消えていた。


 ★


 やってしまったことは仕方ないだろうと彼女は言った。

 謝罪なんてただのポーズでしかなく、そんなことをするくらいならば己の失敗を取り返すための方策を考えたり、それを実行してしまえと。

 その上で、謝罪はあとからすればいいと。

 ただ悪いことをしたから謝るだなんて、それはただの自己満足にすぎないのだと。

 悪いことをした。だから謝る。これは完全に停滞した考え方で、そんな謝罪に意味などないし、私は必要ないと思うと。

 謝罪なんて言葉でしかない。行動が伴わない謝罪はただの責任逃れであって、むしろ謝罪をすることで、本来被害者である人物に加害者を「許す」ということを押し付ける行為である。受けた被害が補填されるわけでもないのに、「謝る」「許す」という言葉のやり取りだけで事件が終了してしまう。

 被害者の泣き寝入りだ。

 私はそんな不誠実なことはしたくない。言葉だけでの謝罪なんて不必要であると主張する――と。


「それを言えるのは被害者の側だと思うんだよね!」

「なんだ、私に文句があるなら簡潔に言え。許可する」

「だから! 新しい武器を見つけてくるたびに僕を拉致するのをやめろって言ってるんだろ! 今月もう五回目だぞ!」


 壁に大きく開いた穴の方にちらと視線をやり、もう幾度になるかわからないほど繰り返した主張をまた繰り返す。

 案の定、その大穴を開けた犯人は全く悪びれもしないでこう言った。


「貴様が一番拉致しやすいのだ、小さいし」

「アルファとかイルフィがいるだろうが!」


 間髪入れずにそう返すと、眼前で抜いたままの得物の手入れをしていた手を止め、こちらに鋭い眼光を送ってくる。


「貴様、あんなに小さくて可愛らしい童女を捕まえて試し切りの的にしろと言うのか? 鬼畜の所業だぞ」

「僕とほとんど年齢変わらんだろ!」


 まったく、どうしてこんなのが大皇国アレクサンダリアの皇女、それも第一皇女なのだ――と、同じくアレクサンダリア第三皇子ニールニーマニーズは内心で頭を抱える。実際に頭を抱えることができないのは、大の字に壁に貼り付けられているからである。

 第一皇女メイフォン。世界征服を成し遂げたアレクサンダグラスと、一騎当千を体現する東方の大国スーチェンが王の娘との間に、両親の武の才能をすべて受け継ぎ生まれる。

 吟遊詩人は大皇国の話をこぞって唄うが、その中でも彼女について唄ったものはアレクサンダグラスについて唄ったものに次いで多く、曰く、生まれて初めて掴まり立ちをしたときに掴んでいたものが剣であった。初めて発した言葉が「進軍せよ」だった。初陣はアレクサンダグラスにバレない様についていった七歳のころ、ちょうどニールニーマニーズの母の母国との戦争の時だった。ちなみにその戦争では敵国の罠に嵌まった父の窮地に駆け付け救い、その勢いで敵国小隊に壊滅的打撃を加えた。九歳のころにはすでに軍を率いていた。などなど、誇張するにもほどがある内容となっている。

 そしてそれが、すべて嘘偽りの一切ない事実を唄ったものであることを、ニールニーマニーズは知っていた。


「とりあえずもう気は済んだだろ、この鎖を外せよ」

「えっ」


 驚くような姉の声に、ニールニーマニーズの背中を冷たい汗が伝う。


「まだ……あるのか……?」

「喜べ」


 手入れの終わった直剣を鞘にしまって棚にしまうと、メイフォンは新たな武器を手に取った。

 木材の握りから、金属が細長く伸びる。刃物ではない。姉の被害のせいで不本意ながら武器に詳しいニールニーマニーズでも見たことのない武器である。


「なんだそれは、鈍器……?」


 試し切りとは言っても、実際にニールニーマニーズの体に傷がついたことは今まで一度だってない。メイフォンの刃はそれこそ間一髪、彼の皮膚から髪の毛一本分のところを通過する。

 彼女曰く、的がある方が緊張感が増すとのことだが、的にされる身としてはたまったものではない。正確に体すれすれを狙ってくるものだから、逆に反射的な身じろぎで身が危険に晒される。それゆえに鎖でわずかな身じろぎすら封じられているのだが、もはや拉致されてから拘束されることに対して慣れみたいなものが生まれてきて僕は自分で自分の体が嫌だ。今日なんて僕の方から拘束されやすいように腕を差し出していたからな。

 一種諦めの境地でもある。


「これは鉄砲だ。火薬の爆発で金属の弾を飛ばす。初めて触るから少し緊張するな、アハハ」


 ★


 皇宮に来る商人さんかな。他所からやってきたように見えるけれど、爆発くらいで腰を抜かしてたらこの街では笑われちゃうよ、と手を差し出してくれた労働者風の若者にそんなことを言われつつ、商人は助け起こしてもらった。

 若者が白髪の下女を後ろに控えさせていることに気付き、比較的裕福な類の人間なのだろうと商人は推測。なんとなく初対面の相手がどういう人間なのか観察する癖が商人にはついてしまっていた。

 彼に親近感を覚えるのは自分と同じ黄色人種であるからだろうか、そんなことを考えつつ商人は礼を言う。

 若者はよくあることだと言う。三日に一回くらいだが、多い日は一日に何回もあるときだってある。

 その時また、皇宮の方から少年の悲鳴と小さい爆発音のようなものが聞こえ、若者が肩を竦めた。

 平和の証だよ、と彼が言い、商人はそういうものか、と思った。


 ★


「これはいいな! 弾を込めるのに時間がかかるのが難点だが、遠距離から一方的に攻撃できるのは素晴らしい! そうは思わないか!」


 目の前で珍しくはしゃぐ姉に、ニールニーマニーズは辛うじて引きつった笑みを返すのみである。

 さすがと言うべきか、初めて使用する武器にも関わらず、弾はニールニーマニーズの頬すれすれを通過して背後の空に消えていった。


「……ただなあ。折角こんなに良い武器があるのに、使う場がないんだよなあ。私はどうして平和な時代に生まれてしまったんだろう」


 勝手に戦争してろ、とはさすがに言えなかった。

 二発目の弾を込めた鉄砲がこちらに向けられていたので。


 ★


 かつて大英雄アレクサンダグラスは、大陸の東岸から西岸のそのほとんどを征服し、そのことごとくを支配下に置いた。ほとんどの文明、文化が大陸に存在する以上、これは人類史始まって以来初の偉業となる、世界征服、天下統一とも呼べる一大事業である。

 大皇帝アレクサンダグラスの大陸征服から十年。二百年続いた戦乱の世は彼によって終止符を打たれ、今大陸には空前絶後の大平和が訪れていた。のちにパックス=アレクサンダリアと歴史書に記されるこの時代は、しかし――――


 わずか十年で、その終焉を迎えることになる。

 周の封建制みたいにしたかったんですけど、そうすると今回舞台が広すぎて大変になりそうだったからやめました。親戚関係で支配したところに若干名残。


※前書きを本文から前書きのスペースに移動しました(2018/11/3)

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