其の十
みながすなるよやくとうこうといふものを、われもしてみんとてするなり。
休憩を何度かはさんで、一行は今夜の夜営地に天幕を張っていた。珍しく晴れた一日で、ちょうど乾いた地面を見つけることができたので、そこに二つ、眠るための天幕が張られている。遠くからでも分かりやすいよう明るいブルーの色をしたそれから離れて、タロウとモルテルスは近くを探索していた。厄介な魔獣がいれば討伐を行うためである。
「特に異常な魔力は感じられませんな」
「大型魔獣のマーキング跡も、糞もないね。安全だと思うよ」
木の幹や地面、臭いを嗅いでタロウはそう結論付けた。彼らのいるところへ戻ろうとして、モルテルスの呼び掛けにその足を止める。
「タロウ殿。海都での話のことですが…」
「ああ、聞きそびれてたな。どんな話だったんだ?」
タロウだけその話を聞いていなかった。重要ならそのうち教えてくれるだろうと思っていたのだ。
「ええ。姫様にご兄弟達から帰還命令が出ているのです。病が治ったのならば、継承する権利と王族としての義務を果たすべし、と」
身勝手な話だ。しかし、タロウにはそうなるかもしれないと思っていたことがある。
「なあ、モルさん。ミノリと兄弟って、実はそんなに仲が悪い訳じゃないだろう?」
「ええ。どちらかというと、姫がおかしな輩に付いていかないように、とても気を使っておりましたな。何故それを…?」
いくつか理由はあった。まず、前提としてこの世界は魔獣が多く、人類はそれと競うようにして生息域を守っている。そして、海はもっと厳しい環境であるため、もっと死にやすい可能性が高い。そして、ミノリはたった一人の姫である。男兄弟達が過保護になるだろうと予測された。
「ついでに言うと、ミノリが陸に来たがっていたからわざと送り出したんじゃないか?」
陸の環境が忘れられなかったのなら、ミノリが焦がれていたのもわかる気がした。故郷の記憶は、そうそう薄れるものではない。モルテルスはぐっと黙りこみ、それからふうー、と長いため息をついた。
「ええ。おおむねその通りです。姫は治癒魔法もお使いになられるので、嫁がずとも国にいるだけで充分にその職責を果たせるでしょう。しかし、考えたくはありませんが、姫がもしみまかられた場合。多少ならずとも混乱が起きるだろう事は必至。ならば、好きなようにさせてやろうと兄君達は憎まれ役をかって出られた」
少ない命だから。その時まで、自由に。
「ところが、彼女は加護を得て、健康な身体を取り戻した」
「ええ。そうなってしまえば、いっそのこと姫を王位につけてご兄弟が補佐する方が伝統にかなっておるのです。我らの国、カムイ国は代々女王が統治なさってきましたから」
「なるほどねえ。ミノリが帰った方が、安定するのか。ミノリはなんて?」
「それが、姫様は迷っておいでです。少しの間、時間をくれと言って、海都を出てきました」
「そうか。俺としては、両親が健在であられるなら、今すぐ戻る必要はないと思うけどね。こっちでの知り合いを作ってからでも遅くはないと思う。けど、ミノリがやりたいようにやればいいよ」
ミノリの人生である。彼女が決めるべきだろう。そう告げると、モルテルスはそうですな、と静かに同意した。
「やれやれ、あいつもよくやるね」
天幕の近くで警備を行うコウイチは、キリーの孫、スノウとスレートにまとわりつかれているタロウを見てそうこぼす。
「子供は遊んでくれる大人を見分けるのが上手いからな。某は親戚のガキどもには避けられていたでござるよ」
タロウに続いて、モルテルスとミノリも子供達と遊んでいる。劇団の女達が夕食の支度をする間、子供達の相手を頼まれたようだ。子供は劇団に五人。孫と、あとは団員の妹、息子達である。
「子供っつうのは元気だからな。おじさんにはついていけねえよ」
「何を申すか。いまは若い身体であろう?」
その言葉に、コウイチはゆるゆると首を振った。何かを思い出すように、ぽつりと話す。
「精神的には大人だからな。…まあ、あいつは子供っぽいところがかなりあるが」
言わずもがな、タロウのことだ。ゴーシュもそれにうなずき、しかし、と続けた。
「我らは、完全に大人になどなれないような気がしているでござるよ」
その謎かけのような言葉に、コウイチは眉をひそめる。
「なんだ?ピーターパンか?」
「そうではない。そうではなく、なんと申せばよいか…。そもそも、思い描く理想の大人になるのは至難の業でござる」
ちら、とコウイチを見ると、顎をしゃくって先を促された。
「そのうえ、感情をコントロールするのも難しい。総じて、バカなことをいい歳して大人がやったりすることもある。それでも、見栄を張るのでござる。大人だから我慢する、大人だからできる、と」
「まあ、そうだよな」
「だが、そうではない。ほんとうに強いものなどそうそう居るまい。人間は弱く、失敗を繰り返し、いつかは、と思っている。いつかは、自分の理想の大人になるのだ、と」
それは、多分命尽きるその瞬間まで誰もが持っている矜持ではなかろうか。ゴーシュはそう思っている。
「理想だけじゃ、食っていけねえ。だが、捨てたくもねえし、忘れたくもねえ、ってとこか?」
そういったことなのだろうか。ゴーシュはなにかが違う気がして、それでもそれをうまく言葉にできない。近づきたい場所があるのだ。しかし、そこには自分を持っていきたい。自分のままで、そうなりたいのだ。
「戯れ言でござる。気にするな」
「へいへい。思うに、お前は理屈に頼りすぎだと思うね。感じるままに、感情に任せるのもたまにはいいさ。刺激的でよ」
「享楽的すぎやしないか?」
ゴーシュは今でもこの男が教師であったことを疑っている。茨の痣は絞まらなかったが、抜け道があるのではないかと。
「真面目に考えすぎるのも毒だって話だよ」
そう言ったきり、コウイチは黙ってタロウ達の方を向いてしまった。警戒をしておけ、と少しだけ小言を言って、ゴーシュもそちらに顔を向ける。
あちらでは、鬼ごっこが始まったようである。当然、最初にタロウが捕まっていた。次にタロウが子供達を追いかけるが、まるで追い付く気配がない。子供達は遅い鬼を待つよりも、ギリギリまで近づいて逃げる遊びに変更したようだ。
「あーあ、それは悪手だぞー」
コウイチが笑い混じりにそう呟く。待ち構えるのはタロウ得意の戦術だ。当然、フェイントに引っ掛かった子供が次の鬼になった。そして、すぐにタロウが鬼に逆戻りする。
「楽しそうでござるな」
自分がああやって遊んでいたのはいったいいつのことだったろう。それとも、そんな事はしなかったのだろうか?
「混ざってくるか?」
「いや、遠慮しとく」
どこの世界でも、子供達は楽しむ術を知っている。なんの変哲もないことで笑い、喜ぶ。彼らを見習うのならば、真似するのも良いかもしれない。
その微笑ましい光景は、子供達が疲れるまで続けられた。
「さて、それじゃあ見張りは男女で分けて交代制ってことでいいか?」
一応神具を起動しているが、野盗の類いは避けられない。そのため、見張りが必要だった。タロウ達が雇われたのは、そのあたりも関係している。
「いいぜ。けどよ、なんで大街道を使わねえんだ?」
海都からは小国家群までは、神具によって補強された魔獣避けの大街道が敷かれている。そこならば人通りも多いため、そういった危険は避けられることが多い。途中までそちらを使うことも考えられたのだが…。
「それなんだけど。ゴーレムの魔法と、神具か干渉して大変なことになるから使えないんだってさ」
「なるほどねえ。あんだけ規模がでかいとそうなってもおかしくはねえな」
「それに、目立ちますからな。でかい分道もふさいでしまいますし」
巨大ロボならぬ巨大ゴーレムは、運用にも工夫がいる乗り物らしい。
「それでは、さっさと寝てしまおう」
「そうだな。おやすみ」
タロウとゴーシュは、その場でさっさと羽織をひっかけて横になる。子供達と遊びはしたが、それほど疲れていないので眠るのは難しいかもしれない。
「おやすみ。…おい、ミノリ。くっつきすぎだ」
「あ、ごめん先生。私夜目はあんまり利かなくってさ」
するすると衣擦れの音と共に二人の声が聞こえてきた。タロウはますます眠りの手が遠退くのを感じ、気づかれないようにため息をつく。
「先生つやっつやだよね。うらやましいなあ」
「くすぐったいからやめろ」
ぱし、と手を払う音が聞こえ、ミノリがはいと素直に返事をして引き下がる気配がした。
「でも先生ずるいよね。昔だって私たちよりも綺麗な肌してたしさ。歳よりも若く見られること多かったじゃん」
「そのせいで補導されたこともあったけどな…」
うんざり、といった調子でコウイチが返す。ミノリがすかさず、追撃をかけた。
「先生ちっちゃかったもんね」
「うるせえ!オレん家は代々背がちっちゃいんだよ!」
「うるさいのは貴様らだ!いちゃつくのならよそでやれえええええっ!」
際限無く続きそうな二人のやりとりに、意外と短気だったゴーシュの怒声が響いた。




