其の十五
翌日、タロウ達はミノリを伴って低位の迷宮へと来ていた。先を行くコウイチとミノリは、楽しそうにしている。
「すごい。先生、すっかり冒険者だね」
「まあな。ずっと魔獣狩りながら暮らしてきたから、これぐらい大したことじゃねえよ」
ミノリに怪物たちが危害を加えないよう、きっちりと守って見せるコウイチ。
「帰りてえ」
「某も同意するでござるよ」
後ろを歩くタロウとゴーシュは、お花畑な雰囲気に砂をはきそうになりながらも仕事だ、と言い聞かせて自分をごまかしていた。
「けどまあ、すっかり持ち直したな」
コウイチは迷宮に対する忌避感が薄れたらしい。自然な様子で探索を行っているし、ひどく上機嫌だ。
「まあ、男というものは単純でござる。格好つけたいのでござろう」
生徒でもあったというし、頼られれば応えたくなってつい張り切りすぎるのも男の習性と言えるだろう。それに相づちをうちながら、タロウは昨晩のことを思い出していた。
ミノリは名残惜しそうにしながらも、モルテルスと自分達の宿に帰っていった。
「で、だ。どうするつもりだ?」
「あ?」
「病気のことでござる。あれは嘘でござろう」
「…どうしてわかった?」
「恋の病とかでシュロが出てくるわけないだろ。どう考えても難病にかかってると思った方が自然だ」
シュロは医者でこそないが知名度も実力もある英雄だ。その彼が気長に、ということは現時点でミノリの病には特効薬がない、もしくは治療法はあるが実効性が低いものであることが考えられた。
「まあな…。お前らに、頼みがある」
逡巡を終えて、コウイチが話し出す。
「あいつの夢、叶えてやってほしいんだ」
「夢、でござるか」
「ああ。前世では世界選手になる夢が叶えられたと言っていたが、もっと生きていたかったはずだ。あいつにはこれからがあって、その先があったはずなんだ」
「それはそうだろうけれど。まさか、地球に戻る術を探すとかいうのか?」
「いいや。流石にそれはねえよ。中身はミノリ本人に間違いねえが、どう考えてもあの世界に人魚がいたらえらいことになるからな」
しかも美人の日本語を話す人魚だ。ろくなことにはならないだろうと予想された。
「では、いったい?」
「本人も言ってたと思うが、陸に憧れてたんだそうだ。やっぱり、前の記憶があるせいか海の中だけだときつかったらしい。だから、この世界を見せてやりたいんだ。一緒に連れていって、いろんな物を見せてやりたい」
「…それだけでござるか?」
「ああ。勝手なのはわかってる、けど、あと十年もないんだ。あいつが生きていられる時間は!」
「賛成できないな。コウイチ、俺等の迷宮探索は遊びじゃない。必要なものを手に入れるためのものだ。観光気分の娘を入れて、厳しい迷宮には入れないし、したくはない」
「な、けどよ!」
タロウの厳しい意見にコウイチが動揺を見せる。だが、なあなあで済ませる気はなかった。
「そうでござるな。途中で寝たきりにでもなられてしまえば、その場で足止めを食らうでござるよ。賛成しかねる」
「お前まで!」
孤立するコウイチは悔しそうに顔を伏せる。反論は難しいはずだ。その条件ならば。
「さて、明日からの迷宮探索の話をしよう。中位に上がったんだ、やれることの幅は広がったしね」
「そうでござるな。まずはどうする?」
その話は終わりだとばかりに未来の予定を詰めていくタロウ。
「わかった。無理言って悪い。他を当たる」
結論が覆ることがないのを理解したのだろう。コウイチが部屋へと戻ろうとするが、ゴーシュがそれをひき止めた。
「どこへ行くのでござるか。某等は欲するもののため、迷宮に潜るのではなかったのでござるか?」
「ほっとけ、ゴーシュ。諦めてるやつになに言っても無駄だ。明日もう一度ギルドに行って、説明を受けよう」
タロウは無視して話を進めるが、コウイチは怒りをあらわにタロウへと近寄ってくる。
「おい、てめえ」
「それから、シュロを捕まえる。特効薬がどの階にあるか聞き出して、無理矢理にでもねじ込ませる」
「そうでござるな。中位もあっさり通過したことでござるし、高位になるのもそれほど難しくはなかろう。メル殿に相談するというのは?」
「は?おい、おまえらなに言って…」
コウイチを置き去りにどんどん話を進めるタロウたちに、まるで理解が及ばないといった顔をする。
「なにって、ミノリを助ける方法を話してんだよ。諦めが早い負け虎はさっさとオウチに帰ってママのおっぱいでも吸ってろ」
「さよう。某等は病気の同郷の者を見捨てるほど薄情でも合理的でもござらん。お主はさっさと死ぬかもしれないのに笑っている少女にでも慰めてもらってくるといいでござるよ」
辛辣なゴーシュの言葉に、コウイチはカッとなる。
「てめえ、言っていいことと悪いことがあんだろうが。なあ?」
「世界を否定してうじうじしている男の言葉ほど、格好悪いものはないでござるな」
ゴーシュは傲然と笑い、火に油を注ぐかのようにコウイチを嘲って見せた。
「そうだな。ここは地球じゃない。迷宮のある水球だ。望むものにはそれが与えられる異世界だ。俺たちには戦うための力があって、それを成し遂げるだけの知恵はここにいる人たちから助けてもらうこともできる。
諦めるにはまだ早い。俺はこれからを生きるのであって、過去に戻るためではなく、囚われるためでもなく、先に進むために迷宮を選んだ。
お前は?コウイチ。お前はこの世界に何を望む。この世界で、何を願って生きていく?
どんな力が働いたのかは知らねえが、前世の記憶があるままで、俺たちはここにいるんだ!それを使わないでどうするんだよ。それで運がなかったといって諦めちまうのか、てめえは!」
諭すつもりが、つい熱がこもる。いまのコウイチを見ているとイライラするのだ。どうして、諦めなくていいことまでを諦めなくてはならない?以前の自分はそれを最後まで後悔し続けた。今度こそ、そんな人生はごめんだ。
「迷宮に、そんなもんがあるかもわからねえ」
「それで?あるかもしれないのなら、やるべきだ」
「俺等の欲しいもんが遠ざかるかも知れねえぞ」
「迷宮は遠ざかったりしないし、そもそも急ぐ旅じゃない」
「けどよ…」
「ごちゃごちゃうるせえ。やりたくねえんならてめえは引っ込んでろ!俺たちでやる」
「然り。足手まといは要らぬでござる。迷宮ごときにびびって、教え子を助けられぬような男は、こちらから願い下げでござるな」
ゴーシュの言葉に、顔を背けるコウイチ。その口から、絞り出すように言葉が発せられた。
「頼む。ミノリ助けんのに、手え貸してくれ」
「最初からそういえ。アホ虎」
「まったくでござる。回りくどい男でござるよ」
「うるせえ」
コウイチがこちらを向くことはなかったが、タロウ達三人は夜が深まるまで真剣に話をした。
「で、なぜか俺たちはミノリを連れて迷宮探索に来ている、と」
「まったく。シュロ殿は何を考えておられるのか」
ギルドに来たタロウ達は、シュロに呼び出された。表向きは異例の早さで昇格したタロウ達と話すためであったが、ミノリの事も含まれていた。
「『恐らく君たちの方が適任だと思います』か。ミノリを迷宮に連れていけってのは驚いたけどな」
「そうでござるな。ついでに忠告もされたでござる」
『高位の資格はとらないことをお奨めする。あれは強制依頼が発生するから』
『ミノリの病は正確には病ではない。成長が阻害されているだけ』
具体的な説明はなかったが、それだけを言うともう答えるべきことはないと追い出されてしまった。
その後のウェンデルからの説明は、最初に受けたものと変わらなかった。付け加えられたのは、中位になったことで、名前を指名した依頼が入る可能性があるとのこと。これは今メルの指名を受けているのと同じようなことなので、それほど心配はいらないだろう。
「強制依頼ということは、やっぱ戦闘能力をあてにしてるってことかな」
「何をバカなことを。都市ごとにはそれぞれ常備兵力が集められており、練度も冒険者とは比較になりませんぞ」
ゴーシュのバッグからひょっこりと顔を出したモルテルスが、そう告げる。活動禁止を言い渡されたこの男は、中に潜んでついてきていた。壺ごと。
「詳しいんですか、モルさん」
「もちろんですとも。百年前には我輩、都市と海族の不可侵協定に末席ながら参加しておりましたからな。そのときに兵力に関する条約も定められました。各都市は防衛を目的とした兵力を持つことを互いに許し、なおかつそれを他の都市の侵略に当ててはならない。ですな」
この条約を結んだのは各都市の責任者である。政治的な意思決定機関であり、鉱都なら評議会、森都なら長老会、といった具合である。
「覚えてるんですか?」
「その時期は黄金期とも呼べる時代でした。各都市の代表はいずれも名の通った名君、賢君ぞろいでしたな。今は亡きリュデス大公もご健勝で、見ているだけで神話の一場面にいるかのようでした」
ナマズ似の髭をふよふよと動かし、懐かしむモルテルス。
「しかし、それが必ずしも守られるとは思えないほどそれまでの種族間対立は激しいものでした。ですから、都市生活の機能である政治機関と、迷宮を管理するギルドとに権限を分けることになったのです。今でもギルドトップにはシュロやフォンドルなど強力な者がその座についておりますな。ですから、強制依頼が発動するとしたら、魔獣の大群・災害復興などの自然災害が主となるでしょうな」
「対人ではなく、対獣でござるか」
「さよう。もし侵略となったときは迷宮からの産出品は都市に流通しませんから、やがて経済と食料に影響が出て、その都市は人が暮らせなくなります」
気にしていなかったが、ギルドと都市の機関は別のものらしい。それでも連携はとっているため、完全に独立しているわけでもなさそうだ。
「ややこしいな」
「そうでござるな。まず都市ごとに治めている者と迷宮を管理しているものが違う。これであっているでござるか?」
ゴーシュがモルテルスに確認する。
「あっております。それから、ギルドは侵略に荷担しない。侵略してくるものの迎撃は兵士が行うが、高位の冒険者は和睦、あるいは市民の安全を確保するのが優先される。といったところでしょうか」
単独戦力を持った大使館、ととらえればいいのだろうか。それもどこの国にも属していない、絶対中立の組織。
「ですが、この百年で関わりも様相を変えてきましたな。完全に独立しているのは神都と砂都ぐらいのものでしょうな」
「やはり、そうなってしまうでござるか」
平和が続くほど経済が優先され、より豊かな物質が求められる。どうしようもなく欲深い人の業がそうさせるのかもしれない。
「バランスというのは、難しいものですな」
しんみりとモルテルスが呟く。ナマズのような顔がもっともらしく喋るのには、ユーモラスさと神妙さがたぐいまれなる同居をしていた。




