其の三
野犬の死体を処理しようと穴を掘ろうとすると、ゴーシュから待ったがかかった。
「え?魔術で処理できんの?」
「うむ。某は火魔術師でござる」
「マジかよ。蛇人族だからてっきり水か金だと思ってたぜ」
魔術には様々な属性があるが、よく使われるのが火、水、土、木、金である。五行思想が近いだろうか。その他にもマイナーなものから汎用性の高い魔術まで様々な種類がある。魔術を使うには神様の加護か魔術具が必要で、それに加えていくつか必要なものがあったりする。ただし、精神に影響のある魔術を使えるものは少ない。
「それじゃ、頼むわ」
「任されよ」
そう言って刀をすらりと抜く。その刀身は赤く水晶のように透き通り、金で紋様が描かれている。魔術に使われる媒体である。
「『火の主、偉大なる生命の灯火、その御力によりてこのあわれな者共を死者の国へと送りたまえ』」
ゴーシュの詠唱が完成すると、野犬の死体が炎に包まれる。みるみる内に火勢は増し、燃え尽きたあとには多少の灰と骨が残るのみであった。
「すげえな、ここまで強力な魔術師はなかなかいねえぜ」
「確かに。ここまで精密な魔術はなかなか見ないね」
燃えたのは野犬のみで、周りの草には焦げた様子は見られない。
「これでも狩人の一人でござるよ」
見た目や口調の奇矯さはともかく、魔術師としては一流といってよかった。
野営のために簡単な屋根と布壁のテントを張り、女性陣と交代で見張りにつくことにする。折り畳み式風呂は料理用に水を鍋に確保したあと、テントの裏で女性陣が一番風呂を使う運びとなった。
「覗くんじゃねえぞ」
「誰がてめえみたいなちっちぇえ子供の体なんか見るかよ」
そういって二人が風呂場に向かうと、とたんにそわそわしだすユリトキ。他二人は我関せずといったようすであたりを警戒している。
「ははっ、あんなガキの裸じゃなくて色っぽい女の艶姿がいいっつうの。なあ?」
「ん?ああ、そうだな」
「子供の体では楽しくもなんともないでござるからなあ」
「オレはよ、こうデッカイ女が好きなんだよ」
「メイノみたいな?」
からかってみる。
「ば、ばか野郎!そんなわけあるか!」
毛を逆立てて怒るユリトキ。意外に思ったタロウがさらにつっこむ。
「え?違うのか、なんかメイノをよく見てた気がしたから…」
「そうでござるな。チラチラと事あるごとにメイノどのに目をやっていたでござる」
かまをかけたところ、補足情報が飛び込んでくる。目を泳がせてアーとかウーとか唸っていたユリトキが、声を潜めて爆弾を投下した。
「実はオレ、この狩りが終わったらメイノに結婚を申し込むつもりなんだ」
「おお、それはそれは」
「立派な死亡フラグでござるな」
それには太郎も内心同意する。まあ知人の祝祭の狩りで死人を出すつもりはさらさらないし、こういったタイプのやつは死ににくい。獣人族は前世の人間と比べるとけた違いに頑丈だ。そんなことよりこの蛇男やはり…。
「だからよ、お前ら覗きにいったりしたらぶっ殺すかんな」
鼻面にシワを寄せて唸るユリトキ。
「わかった、覗かないよ。剣の錆びになりたくないしね」
「承知した。上手くいくことを祈っているでござるよ」
「おう、ありがとよ」
しばし雑談にふける男達。太郎も適当に相づちを打ちながら、衝撃の告白をした一人落ち着かない様子のユリトキを生暖かい目でみる。初々しいというか、若いというか。それでも覚悟をもって所帯を持とうとしているあたり、太郎よりよほど大人なのかも知れない。お葉の事が一瞬頭をよぎった。
「そういやよう、ゴーシュ、さっきの網は何であんなにスッパリ犬共を斬れたんだ?魔術の詠唱もなかったよな?」
魔術にはかならず詠唱が必要となるので、どれほど早く発動できたとしても、瞬時にというわけにはいかない。
「ああ、詳しいことはお話しできぬがスキルの力でござる。魔術もきちんと習得しているが、スキルの方が使い勝手がいいのでござるよ」
「なるほどなあ。オレもスキルはあるんだが、それほど使い勝手のいいもんじゃねえからな」
「俺のはそもそも戦闘向きじゃないしな」
スキルやステータスは戦い尽くしのこの世界において生命線でもあるので、むやみに口外しない、聞かないことがマナーである。聞かれても答えなくてもいいが、相手がそれなりの情報を開示したならこちらも差し支えない範囲で返すのも礼儀であった。そうしているうちに女性陣が身支度を終え、交代する。
「タロウ、あのもらった石鹸?アワアワしててすごく使いやすかったよー」
「おう、泥塗る手間が省けて楽だったぜ。ありがとさん」
「そりゃよかった。それじゃ俺らも汗流してくるかね」
男同士で裸など見たくはないので、一人ずつ交代で入ることにする。太郎はさっと汗を流し、メルにもらった石鹸のようなものを湯船に入れる。すると瞬く間に泡を噴き出し、湯を不透明な緑色に変えてしまう。地球で見た入浴剤そのものであった。
「これ、そのまま入ればいいのかね」
恐る恐る足を入れると、再び泡立ち細かい泡が毛皮の中に入り込んでシュワシュワと音をたてる。結構気持ちいい。櫛ですかれているような感じだ。思いきって全身を湯船に沈めると、熱い湯と泡で全身が刺激を受ける。
「気持ちいいな、これ。やるなあエルフ」
この商品は獣人族にバカ売れするだろう。もともとの泥に混ぜ混む薬草もエルフの調合したものである。長い時を生きるせいか製紙などの日用品等の身近なものや、時間をかけて体を治すような薬や治療法を得意としている種族。身体的にそれほど強くないためか彼らの医術は体への負担が少なく、幼子や老人にも応用がきく。
「まあそれでもちょっと困った性格してんだけどな」
妖精族は寿命も長く情に篤い。その特性が他の近しい種族とのトラブルを生むこともある。
体全体から泡が出なくなったところで湯船から上がる。最後に水分を拭き取れば終わり。いつもよりも簡単に毛皮の手入れが済んでしまった。太郎は交代しようと他の二人に声をかけにテントへと入っていった。
一方その頃。女性陣は警戒しながらおしゃべりをすると言う離れ業をこなしていた。メイノはぼんやりとした視線を周囲に向け、コウイチは時おり空気の臭いを嗅いでいる。
「コウちゃんは、好きな人とかいるのー?」
唐突に始まる恋話。娯楽も少なく、集落ごとの交流も年に数えるほどの獣人族にはさほど珍しくない話題である。もっとも、狩人に選ばれるほどの力を持つ二人は他の女達よりかは色々な伝も面識もある。さしあたってこれは、強いメスは伴侶を自由に選ぶことができるという獣人族の決まりの内、女同士が争うのを避けるための知恵。
「いねえな。しばらくは自由にやりたいんで、結婚する気はねえよ」
あっさりいってのけるコウイチに、驚くメイノ。
「え!コウちゃんモテるでしょー。強いし、きれーだし、可愛いよねー」
その話題に触れたくないのか、一つ二つ頭を振ると尋ね返す。
「相手が誰でも、しばらくは結婚しねえよ。そういうお前は、誰か居んのか?」
「うん。ユリトキ」
「うえっ?マジ?あいつのどこがいいんだよ」
顔をしかめて本気で理解できないと腕を組んで悩み始めるコウイチ。
「えへへー、ユリトキはねー幼馴染みなの。昔は私の方が力強くって助けてあげてたんだよ?けどいつからかおっきくなって、あんな大きい剣もって私と一緒に戦えるようになったの。かっこいいよねえー」
うっとりと手を組んではしゃぐメイノ。その意見に同意はできなかったが人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られて死んでしまうというし、牛人族のメイノに蹴られたりすれば重症を負うこと間違いない。本人達が幸せならそれでよかろう。自らを説得して今もっとも最適であろう答えを返す。
「幸せになれよ」
「ありがとー、コウちゃん」
それからコウイチは望んでもいないのに昔のユリトキについて詳しくなった。
「すげぇな、あの石鹸。あっという間に毛皮が洗われちまった」
「石鹸とは言いがたいが、なかなか快適でござった」
エルフ特性の入浴剤は野郎共にもおきに召したようだ。
「そのうち里の方でも売り出されるんじゃねえの?結構いいできだったしな」
そんな話をしながら夕食の準備をする。火を起こして拾ってきた枯れ木に移して鍋を火にかける。荷車から材料を取りだし、鍋にいれた湯に固形スープを溶かして乾燥野菜と干し肉、調味料を加えて味を整えたら水で洗った盾に練った小麦粉を薄く伸ばして貼り付け、火で炙って焼いていく。
「いいにおいー」
「やっぱ温かい食事がうまいよなあ」
乾パンや乾燥パスタ、干し飯など旅の常食は出来合いの物も多いが、その場で簡単に作れるものならこうして作ることもある。魔獣を引き寄せる危険もあるが、なるべく旨いものを食べたいのも人情であるし、このメンバーならそれほどの危険もなかった。
「焼けたか?一枚目もらうぜ」
ユリトキが盾に貼り付けたパンをかっさらう。タロウは他の焼けた二つをはがし、メイノとコウイチに渡し、次のパン種を焼いていく。その間にゴーシュがスープを器に注いでいく。
「手慣れてるねー、二人とも」
手伝おうとして出遅れたメイノが感心したように呟く。
「いや、狩りの時は一番年下だから任されることもあるしな」
間違っても一人で野営することが多いから食べられる程度の飯の作り方を覚えたとは言わないでおく。
「某は姉上をよく手伝っていたでござるからなあ」
「姉さんがいるのか、オレんとこと同じだな」
「ユリトキのうちは姉さん二人に妹一人だもんね」
「お前んちは兄ちゃんばっかだよな」
「私んちもそうだな」
「俺は弟と妹が二人いるな」
自警団として活動したり、森都の護衛に行くもの以外は普段他の集落と合同で狩りをする機会は限られているため、狩人に選ばれるほどの猛者であってもこういった話すらなかなか知られていなかったりする。
「姉上は忙しい方なので、料理を某が作ることも多いのでござるよ」
「オレの家は親父が作ってるな。かーちゃん達は看護婦やってるからよ」
「わたしのところはお兄ちゃんが作ってくれるよ。コウイチは?」
「家は近所のおばちゃん達が世話焼いてくれてな。差し入れとか余ったおかずとかもらって食ってる。」
そのうちに夕飯の準備がととのった。
「よし、残りも焼けた。いただきます」
「「いただきます」」
塩と旨味の利いたごった煮スープと焼きたての平べったいパン。贅沢ではないが旅の空で食べるには十分な、充実した食事であった。