其の二
神具を起動し、タロウはミリアンから治療を受けていた。足の氷を魔力ストーブで溶かし、ゆっくりとぬるま湯で温めていく。
「師匠、森都におられたんですね。助かりました、ありがとうございます」
「良いのよ。弟子を助けるのは師匠の特権なんだから。温まったみたいね」
ミリアンが薬の塗られた湿布を足に当てて包帯を巻き付けていく。
「それにしても本当に頑丈よね。三日月鼬を体に張り付けて保温するとか普通できないわよ?顎の力強いのよね、あいつら」
「いや、まったく痛くなかったから大丈夫だろうと思って。師匠だって星熊って呼んでたやつを一撃だったじゃないですか。ところでここは迷宮の中なんですよね?出入り口がわからないんですが」
まわりを見渡しても変わらず雪ばかりで、ミリアンが近づいてきたことも気づかなかった。
「ええ、そうよ。怪物は中位程度だけれど、入った瞬間に転移罠があったし、中は雪ばっかりで気温も低いから高位に分類してもいいかもしれないわね」
「それで師匠、どうやったら帰れるかわかります?」
「あなた私を誰だと思ってるの?このミリアン・グレイフィールド様に任せなさい!」
そう言って魔術を詠唱し始める。
「『我が友、良き隣人、あまねく所に遍在する雷神の小さき分身達よ。我らの進む道を照らしたまえ』」
空がにわかに黒く染まり、雲の中で放電が始まる。嫌な予感を覚えたタロウは耳を塞ぎ、目を閉じて雪の中に身を伏せた。ゴロゴロゴロと空が唸り、毛皮が逆立つ。独特の臭いが鼻に届き、ドゴン!と音がして光が辺りを覆い尽くした。
「よし、あっちね」
「力業過ぎませんか、師匠」
ミリアンの指した方角には落雷によって辺り一面雪ごと消し飛び、むき出しになった地面の先に揺らめく庭の様子が映っていた。
「ミリアン様!タロウ!良かった、無事で」
「私に任せなさいって言ったでしょう」
「心配かけてごめん、メル。暖かいな」
陽炎を再び潜って帰ってきたタロウとミリアンにメルが抱きついて無事を喜ぶ。迷宮から出て春の陽気に包まれて、その暖かさに息をつく。
「ミリアン様、観測の結果定型迷宮のようだと判断されましたので扉を設置します。中の様子についてもお伺いしたいのですが…」
緑色の布地に杖が描かれた紋章をつけたエルフの一人が話しかけてきた。
「わかったわ。けれど、こっちの弟子は治療が必要だから私だけでいい?」
弟子と紹介されたタロウを見て驚愕するエルフ。
「お弟子さんでしたか。私は森都のギルドで働いているハルエルと申します」
タロウも名前を告げて挨拶する。
「ミリアン様、病院でタロウさんの精密検査をしておいた方がよいのでは?」
「そうね。一応やっときましょうか。後遺症とか残ったら嫌だしね」
「え、大丈夫だと思うんですが…」
「そうしようよタロー。冒険者なら体が資本でしょう?」
「ううん。まあいっか。それじゃあ案内してもらってもいい?」
タロウがメルに聞くと、ハルエルがそれには及びませんと言って担架を持ち出してくる。
「見たところ足を負傷されているようですし、こちらの担架にお乗りください」
「ありがとうございます」
地球の担架と役割は同じだが、構造はまるで違う。魔術具がいくつも組合わさり、マットレスの部分が地面から一メートルほど浮いている。傷病者用の物でも一番高価な物で、振動を最低限に減らした高価な魔術具である。使うのにも大量の魔力(MP)と高度な制御技術がいるため森都の外には片手で数えられるほどしか普及していない。
「さて、迷宮をさっさと可視化しちゃいましょう」
「あ、師匠。俺もそれ見たいです」
「そうね。滅多に見れないから見ておくといいわ」
「では、始めます」
揺らめく陽炎の周りにエルフ達が集まり、手に持った魔法陣を広げていく。エルフ達にも魔法陣を使う方法を研究しているものがいるのだろう。立体構造をした魔法陣が魔力を得て展開していく。
「Aの魔法陣、充填率50パーセントを越えました!」
「Bの魔法陣も同じです!」
「Cも同調率は正常です」
「Dは少し遅れていますが誤差の範囲内です!」
「E問題ありません」
「F順調に迷宮の魔力を押さえ込んでます」
「そのまま続けろ!」
魔法陣の色が目まぐるしく変わっていく。青、赤、黄、白、黒。それらが交わり、離れ、打ち消しあってまた生ずる。魔法陣は次第に五角形の紋様を浮かび上がらせ、グルグルとまわりはじめる。
「ぐうっ」
Fといっていたエルフが見えない力に押されるようにして跪く。
「もう少しだ!耐えろ!」
ハルエルが励まし、魔法陣は空に向かって伸びていく。光が収まっていき、明滅を何度か繰り返した後、そこには重厚な扉が出来上がっていた。
「ああー、疲れた」
「まったく。これほど魔力持ってかれるとはな」
「新しい迷宮が森都にでてくるのなんて久しぶりだよな」
無事成功して気が緩んだのだろう。座り込んで喋りはじめるエルフ達。
「お疲れさまです。こちらに軽食を用意してありますのでどうぞ」
音もなく現れたジークがエルフ達を労って誘導していく。
「それでは、タロウさん。病院までお運びしますね」
「あ、ハルエルさん私が送っていくからいいよ。ハルさんも休んでて」
「ですが…」
「俺もメルの方が気安いですし。どうぞ休んでてください」
彼も緊張していたのだろう、ホッと息をついてお願いしますとだけいって部下達の後を追っていった。
タロウの乗った担架をメルが押しながら、玄関を出て、塔の方に向かって歩き始めた。
「驚いたよ。タローったら目を離した隙に迷宮に消えちゃってるんだもん」
「俺もビックリした。まさか新しい迷宮に出くわすとは思ってなくてさ」
人のよく出入りする迷宮は消えたりしないが、まったく人の入らない迷宮などは消失することがある。そして、人の多いところに新しく迷宮ができる。
「職員さんも言ってたけど、森都で新しく発見されたのは百二十年ぶりなんだって」
「俺はその珍しい現象に巻き込まれた幸運な男ってことかな」
「そうだね、普通の人なら死んでるだろうけどタロウは強いもんね。そういえば初めて会ったときも珍しい魔獣と戦ってたよね」
メルは懐かしそうに昔の話を始める。
「そうだな。誰に聞いてもあの魔獣が何て名前なのかすらわからなかったからなあ。逃がしたのは惜しかった」
「私を護衛してた人が加勢しにいったら逃げちゃったんだよね」
メルの方は森都から十王の里の方へ薬師として移動しており、偶然タロウが戦っているところを目撃したのであった。
そうやって話をしている間に白石樹を使って建てられた二階建てほどの建物に着く。
「ついた。ここが森都で一番有名な、万能薬だよ」
「万能薬ってすごいな」
「万能になろうとしてるって言うのが正しいかな。迷宮からも近いから、怪我をした人がよく運ばれてくるんだよ。あと、遠くの大陸から治療に来た人とかはあっちの烏木でできた流星の方に行ってる」
パナセーアのすぐ横には迷宮の塔とギルドらしき建物があり、それより向こう側には烏木で作られた黒い建物があった。
「なんかちょっと不吉なような…」
「?」
メルが首をかしげて見つめてくる。それに何でもないと返して、パナセーアの中へと入っていった。
「どうしたんですか!」
入るなり真っ白いシスター服のようなものを着たエルフの女性が走ってくる。タロウは自分の状態を見直す。ボロボロになった浴衣に、辛うじて局所を隠している下着。足に巻いた包帯がなければ露出狂にしかみえない。毛布は下に敷きっぱなしだ。
「え、あ、えっと」
「新しい迷宮に迷いこんじゃって、足が凍傷になりかかってるんです。それの治療と精密検査をお願いしたいんですが」
今さらうろたえるタロウを無視してメルが的確に必要な話を進める。ミリアンもハルエルもなにも言わなかったのでタロウは自分の状態に気づいていなかった。
「ああ、ギルドの人たちが慌ただしかったから何事かと思ったら…。大丈夫です、私が見ますよ」
大怪我をしているわけではないと知って胸を撫で下ろしたエルフの女性がそう言って、メルが女性にタロウを担架ごと引き渡した。
「それじゃあ、お願いします。タロー、後で着替えとか必要なもの持ってくるからね。それとコウイチさんとゴーシュさんにも伝えておくから」
「ああ、助かるよ。ありがとな」
「ううん。私がもっと早く行ってれば巻き込まれなかったかもしれないから。無事でいてくれてありがとう」
弱々しく笑ってメルがタロウの手を取る。しおらしい様子をみせるメルに少し照れながら、師匠を最初に呼んでくれたことに礼を言ってタロウは診察室へと運ばれていった。
「それにしても災難でしたね、タロウさん」
ナーセリアと名乗ったエルフの女性は医者であるらしい。タロウを手際よく着替えさせ、足に巻いた包帯を取って新しいものに変えていく。
「まあ、結構昔から変わったことに遭いやすい体質というか」
思い出すのは前世の事だ。いつもとは違う道を通ってコンビニにいけば、ちょうど似たような体型の万引き犯とすれ違って間違われたり、ただ歩いていただけなのに派出所に連れていかれたり。思い出して涙が出そうになった。
この世界に来てからも時々(ときどき)、おかしなことには巻き込まれている。
「まあ。それではタロウさんはもしかしたら神様のご加護を受けていらっしゃるのかしら?そういった方は不思議なことが起きやすいんだそうですよ」
おっとりと微笑んでナーセリアが放った言葉に、タロウはそういうこともあるかもしれないと思った。なにせ、神様の力を借りて魔術が使われる世界だし、すでにこの世界の神様は間接的に水球に住むもの達に力を貸しているのだ。魔術しかり、ステータスという魔法も、迷宮という普通では存在しえないものまでも。
「さ、巻き終わりました。それではタロウさんこちらの板の上に手をのせてくださいね」
「はい」
ポンポンとタロウの足に軽く触れて、ナーセリアは将棋盤とCDと時計の針が組合わさったような魔術具を取り出す。
「これは?」
「これは拍節機と呼ばれるもので、体内の魔力が正常に流動しているか、異常な何らかの影響を受けていないかを確かめるものなの。大丈夫、痛くはないわ」
安心させるために微笑んだナーセリアに促されて盤の両側についた取っ手を握る。じんわりと手のひらが温かくなって、円盤が回りだし、針が左右に揺れ動く。
「特に問題はなさそうね。乱れてもいないし色も変わらないわ」
「そうですか。良かった」
大丈夫だとは思っていても、専門家の御墨付きに安堵する。
「それでは、全治するまで三日間。ベッドでおとなしくしていてね」
「ありがとうございます」
部屋をナーセリアに教えてもらい、白で統一された廊下を歩いていく。教えられた部屋にはベッド、小さなチェストと服をかけるハンガーポールがあるだけだ。窓からは烏木で作られた外の人専用の病院、ミーティアが見える。その窓にちらりと人影が見え、こちらを向く。それなりに距離があるはずなのに、その少女は真っ黒な瞳ではっきりとタロウを見つめて、ふいっと踵を返して奥へと引っ込んでしまった。
「魚人族かな」
目を一色で塗りつぶしたような瞳は海族特有のものだ。あまり大きくはなかったから魚人族だろう。タロウは欠伸をしてベッドに潜り込む。緊張していた神経はあっさりと睡魔の誘惑に負けて、タロウを夢の中へと誘っていった。




