其の二
明けて翌日。
ユキナガのもとには客が来ていた。十王が一人、虎人族のキヨタカである。
突然の来訪に、大慌てで馳せ参じた一族の顔役がずらりと並ぶ大広間の中、弟にたたき起こされた太郎も眠気をこらえて参列した。
「よう、相変わらず元気そうじゃねえか、若造!べっぴんの嫁さんとガキに囲まれて、うらやましい限りだな、おい」
豪放磊落、といえば聞こえはいいが、どう見ても毛皮の腰巻きと筋骨隆々の上半身と手斧を提げた山賊そのものの格好をしている。獣人族のなかでは珍しく還暦を越えてなお王の座にあり、その肉体に衰えを感じさせない。古老たちを除けば、ユキナガを若造呼ばわりできるまさしく生ける伝説である。
「お久しぶりです、キヨタカどのもご健勝そうで何より。そちらはお変わりありませんか」
父もどこか楽しそうにキヨタカを迎える。
「それがよ、息子もようやく跡を次ぐ気になったらしくてな。先日嫁と孫つれて帰ってきたぜ」
ごきげんである。こちらに着いたときにはすでに出来上がっていたが、そういった理由であった。
「えっ、キヨマサ兄ちゃん帰ってきたんですか!」
「おう、タロウか、そうなんだよ、それがもうしっかりもんの嫁とよう、孫がよう、一緒でよう、」
酔っぱらいの細切れの話を要約すると、こういうことだった。数年前大喧嘩して出ていった一人息子が、嫁と孫をつれて帰ってきて、頭を下げて謝ってきた。いわく親父の苦労をわかってなかった、自分が甘かった、一から鍛え直すからここにおいてくれ、と。
「おや、とすると今回キヨタカどのがこちらに見えたのは、もしや…」
「そうだ!オレはあいつに次の王を譲る!あいつは甘さがあったが、旅に出たことでその甘さも抜けて、一人前の男だ。オレもそろそろいい歳だ、きっぱり譲って楽隠居と決め込むさ!」
その場に集まった一族のものが慶事の訪れに沸き立つ。ここ十数年、王の代替わりはどの獣人族でもなかった。久しぶりの祭、宴の席が設けられる。
「おお!それはめでたや!早速森都に使いを出して、準備に取りかからねば!」
「女たちに準備するよう伝えろ!継承式だ!」
浮かれて踊り出しそうな勢いの男衆。太郎も次郎もまわりの雰囲気にあてられ、心が浮き立つのを感じた。
「して、キヨタカどの。日取りはいつに?」
「一月後だ。ついては、タロウを狩人にお借りしたい」
狩人。普通の意味とは別に、祭などの祭事ではある特別な役割を果たすことになる。継承式には格一族より高い品質の魔獣の毛皮や骨を磨いて作られたアクセサリー、調度品等が贈られる。まして、もっとも重要な役割を持つのが狩人だ。その一族から優れた戦士を送り出し、通常では狩ることの難しい獲物を捕って、祖霊に捧げる。その武勇を示すため、数人で行われるのが通例だ。
「もちろん構いませんよ。こき使ってやってください」
あっさり承諾して見せる父。
「ありがたい。こいつは足は遅いが、間違いなく獣人族のなかでは上から数えたほうがはええ強さだからな」
太郎のやることは決まった。幼い頃遊んでもらった兄のような存在に、何かしらできるとしたらそれしかない。普段怠けてばかりいるものの、狩りならば自信はあった。
「獲物は、何になさるおつもりで?」
「それが、まだ迷っていてなあ」
真顔になり、黙り込んでしまう大人たち。
「幸運兎はどうです?」
「仮にも武勇で鳴らしたキヨタカどのの息子の継承式。縁起が良く、尚且つ獰猛な魔獣を選ぶのがよいのでは?」
「石亀はどうか?」
「あれはあまり見映えが良くない」
色々候補は出るが、いまいちこれといったものがない。
「いっそのこと、あのいけすかねえ竜のやつらから鱗のひとつでもぶんどって来るのはどうだ?」
とんでもない案が出てきた。
「死んじゃいますって!」
「いや、お前ならできる。あいつらからちょっとひっぺがしてくるだけでいいからよ」
「無理です。あいつらに攻撃通りませんから!」
「いいと思うんだけどなあ」
竜族は水球において最強種族といっていい。こちらが全力で殴っても自分の手が削れるだけだ。というよりまず当たらないだろう。高速で飛行する鋼鉄の船に喧嘩を売るようなものである。このままでは儚く散ってしまいそうなので、太郎からも案を出す。
「あの、季節柄、虹鮭が遡上してくるのでそれはどうですか?」
海洋資源は海族により厳しい制限がなされているが、河川での釣りは秋から冬にかけて漁が解禁される。金鮎、銀鮒等数多あるなかでも美味とされる虹鮭は、文字通り虹色に輝く鱗を持つ二メートルほどの鮭である。
「おう、それはいいなあ!」
味を想像したのか、ペロリと牙をなめてみせるキヨタカ。
「うむ。それならば充分祝祭の獲物足りうるのう」
どうやら竜狩りはまぬがれたようである。
「では、それでいきましょう」
こうして、キヨタカは祝い事に沸く猪族に熱気を残して他の獣人族の元へと向かった。
三日後。狩人のメンバー五人が集められた。猪人族からはタロウ。虎人族からはコウイチ、蛇人族からゴウシュ、牛人族からメイノ、狼人族からユリトキ。十王族の選りすぐりのうち半数が狩人、残りの五人が森都の迷宮にて贈り物を探すことになった。迷宮組は先に出発している。
「あ、タロー!よかった、まだいた。よかったらこれ持っていって。お風呂の代わりになるから」
そういって里に薬師として来ているエルフのメルが包みを渡してくる。中を覗くと、固形石鹸のようなものが入っていた。
「どうするんだ、これ?」
使い方がわからない。
「あのね、獣人族のみんなは泥使って汚れを落とすでしょ?でも旅の間もそうするのは大変だから、これをお風呂にいれて、その中に浸かればあら不思議!あっというまに汚れが落ちるのです」
「へえ、便利そうだな。浴槽持っていく手間を除けば」旅の途中で警戒しながら風呂を引きずる武装した一行。不審者である。
「ふっふっふ、この私がそんな手抜かりをすると思うかね?そんなのはこれがあれば解決!ドワーフ謹製の折り畳み式お風呂!サイズ調整は自動、魔力を込めるだけで水もお湯も使い放題!通常ならひとつ金貨十枚のところを、今ならなんとたったの金貨五枚!お買い得ですよお客さん!」
ドワーフ謹製の魔術道具。それが金貨五枚。それだけあれば、都市で一番いい宿に一月滞在できるが、魔術道具は最低でも一つで金貨百枚はする。
「どっから盗んできた?」
「ちょ、真顔やめて!怖い!盗んでないよ、竜さんが森都に胃薬買いに来たときに、交換してもらったの!いくつかあるから安く譲ってあげるよ!」
「竜族が胃薬?」
「なんかね、新都のほうで売り出された美味しいさくさくするお菓子食べ過ぎて、胃が荒れちゃったんだって。そのお菓子持ってきてくれたらよかったのにねえ」
竜族が胃もたれ。そのお菓子は本当に大丈夫なものなのか。疑問が顔に出ていたらしく、のほほんとした説明をするメル。
「良く来るんだよ、角が欠けたとか、鬣がパサパサで気にくわないとかで」
威厳なんてものはないらしい。親しみやすすぎると言うか、庶民臭いと言うか。
「そうか、まあいいや。なら一つくれ」
「毎度ありー」
あっさりその金額が出せてしまうあたり、タロウもそれなりに魔獣を狩った蓄えがあるのであった。
「それじゃあ、そろったことだし出発するかねえ」革鎧に細身のシミターを装備した虎人族の女性がそう告げる。
「おいおい、狩人にあんたみたいなちびっこい猫が選ばれてんのかよ。虎人族は人手不足らしいな」
金属の胸当てとゴツいブーツを履き、背中に大剣を背負った狼族の男が言い放つ。この世界の犬猫は仲が悪い。どうしてこの組み合わせにした、と思いつつも仲裁に入るタロウ。
「まあまあ。ほら、陽動にすばしっこいやつがいると楽だろう?見た感じ力押しって感じじゃないし、適材適所ってやつだよ」
コウイチはタロウをみてフッと笑い、
「おう、猪のにーちゃんはわかってるみたいじゃねーの。それに引き換えあんたはそんなデッカイ得物抱えて何をする気なんだ?魚とるのに剣ふり回したってしょうがねえだろ?」
挑発してみせる。
「なんだとおっ!」
激昂するユリトキ。正直その場にいる皆が思っていたであろうことである。他の者、牛人族の力自慢メイノは槍と運搬するための荷車を引いているし、蛇人族のゴーシュは網を抱えている。タロウも幅広の盾を掬うための道具にするつもりであった。
「なに、狩りをしている間の警戒をユリトキどのにしてもらえばいいのでござる」
「そうだねー、頼りにしてるよー、ユリトキー」
それぞれからフォローが入る。
「お、おう!任せとけ!なにが来たって一刀の元に切り伏せてやるよ!」
それなりに扱い方がわかったところで、出発と相成った。
近くの川といっても、往復二週間はかかる。川までの道は整備されては繁殖力の強い雑草に覆われ、毎年焼こうが掘り返そうが一向に踏み固められた土肌を見せることなく、腰上までのびのびと青い葉を繁らせている。
食料はそこらにいる襲いかかってくる魔獣を調理すればいいし、水もメルからもらった魔術具で心配する必要はない。故に、ある程度のコミュニケーションをとって連携をとれるようにしておくことが今大事なことであった。うまい具合に前方をコウイチとメイノの女性組、後衛にタロウ、ゴーシュ、ユリトキの男三人が歩く配置になった。獣人族はみな五感に優れるので警戒は常に全員で行っているようなものである。
「ユリトキってあれだろ?暴れ牛を一人で倒したって言う狼族の…、」
「ああ、そういうあんたは火炎蛇倒したタロウってやつだろ?オレはこの通り得物は剣だ。あんたは盾以外持ってないように見えるんだが…」
タロウは間節を保護するプロテクターと、籠手、盾しか身に付けていない。おもむろに籠手を掲げてみせる。
「俺はこれさ。もしくは盾で押さえ込むのがほとんどだな」
感心したようにうなずくユリトキ。
「格闘家ってやつか。あんたの体格なら盾役もいけるな。そっちのゴーシュ、つったか。あんたはなにが得意なんだ?」
「見ての通りでござる」
「いや、わかんねえよ」
派手な色と模様の着流しにだらり帯、鳳の刺繍が入った打掛を羽織り、網を背負った蛇男。打ち刀をはいているが、侍には見えない。
「侍か?」
たぶん違うと思いつつも聞いてみる。
「魔術師でござる!」
どや顔で胸を張る涼しげな美貌の蛇人族。
「ないわー」
「あり得ねえな」
「何ででござるか!蛇人族は魔術に優れているのはご存じでござろう?!」
確かに一部の獣人族は魔術に優れ人間の形をとっている者も珍しくないが、こんないかれた格好はしていない。もっとおとなしい格好が常である。と。
「犬くせえな」
「犬だねー」
「犬でござるなあ」
「十五、六匹ってとこだな」
「肩慣らしにはちょうどいいじゃねえの」
風にのって、野犬の群れの匂いが届く。風上から近づいてくるとは、どうやらなめられているらしかった。背の高い草にかくれて、円を描いて囲んでくる野犬の群れ。ジリジリとした緊張が高まる。タロウたちは背中合わせに円陣を組み、それぞれ少しだけ距離をとった。
お互いに最適の配置となった瞬間。牙を剥いた野犬の群れが一斉に襲いかかる。ブオン、と大剣がうなれば数頭がまとめて肉塊と化し、噛みつこうとした拳に頭を砕かれ、まばたきの間に急所を貫かれて安らかなる死を迎え、網に切り裂かれて地上に落ち、槍に貫かれて息絶えた。
たった一度の攻防で野犬の群れは死骸の山へと成り果てる。十王族のなかでも選りすぐりの戦士足る彼らには、野犬程度では戦闘にすらなりえなかった。
「…。その網どうなってんの…?」
「仕様でござる」
ちょうど夕暮れ時であったので、そのまま夜営することにした。