プロローグ
弥生の半ば。森都は春の真っ只中、咲き誇る薄紅の桃の花と、風に舞い散る桜の花びらが郷愁を感じさせた。森都の春、竜が花見に来るほどの美しさを誇り、見目麗しいエルフたちによるもてなしは地上の楽園とも言われている。
その暖かい森都の一角で、タロウは吹雪の中にいた。
「前が見えない!ここどこだよ!っていうか寒いんですけど!」
ことの始まりは、森都についたときにまで遡る。
「ようやく着いたな」
前方に山と山に囲まれた細い谷があり、その細い道は大樹によって塞がれている。地上高く物見が建てられ、エルフの門番が誰何の声をかけてきた。
「止まれ!そこの者、何用あって我らエルフの住まう森都へとやって来たのか!」
不可侵条約が結ばれるまではその見目麗しさから奴隷へと落とされることの多かったため、ここともう一つの森都への入り口には検問所がしかれている。
「こちらは冒険者だ。鉱都にて登録を済ませてある。こちらの魔術師の防具を作るためにこちらへと伺った。お通し願いたい」
はっきりとした答えを返し、待つことしばし。物見の上で魔術詠唱を行っていた深い赤のローブをまとった審官が頷く。
「そちらの言葉に嘘がないことは証明された!冒険者ならば森都のギルドにて報告すれば、仕事を得ることも可能だ。今は人手が足りないので依頼を受けてくれると助かる!では通られよ!」
そういってエルフは奥に引っ込み、谷を閉ざしていた木々がスウッと消えていく。エルフ得意の魔術を使った幻だ。
「何度見てもすげえな」
「コウイチは来たことがあるのか?」
「ああ、何度かな。里まで薬師を護衛したことがある」
「某も何度か来ているでござるよ。魔術師にとっては一番いいものが揃っている都市でござるな」
タロウは里に来ていたエルフともそれほど話したことはなかった。怪我をしなかったのもあるし、何となく話しかける気にならなかったのもある。
「タロウは来たことないのか?」
「んー、来たこともないし正直メルぐらいとしか話さなかったなあ」
メルだけは怪しげな商品や新発売の製品を持ってタロウのところに来ていたのでよく話しをしていた。
「あ、と師匠もまだいるのかな?」
「師匠?」
「昔、魔術を教えてもらってたんだよ。加護を授からなくてやめちゃったんだけど」
彼女には色々なことを学んだ。酒はほどほどにすべきだとか、魔獣にもちゃんと恐怖の感情があるのだとか。
「懐かしいなあ」
「ふむ。某もお会いしてみたいでござるな。魔術は人によってその使い方が千差万別ゆえ」
「でも、神出鬼没な人だったから森都にいるかどうかはちょっと…」
「あ?その人から習ってたんだよな?」
「うん、個人的に」
「ユキナガどのが雇ったわけではないので?」
「なんか、草原をふらついてたときに昼ご飯を分けてあげたらお前を一流の魔術師にしてやるって言ってせっかくだから習ってた」
「それヤバイやつなんじゃねえか?」
「タロウ、某時々お主はとんでもない大物ではないかと思うことがあるでござるよ…」
「いや、ちゃんと強かったから!魔術は凄かったし!」
必死に弁明するが、二人とも残念そうなものを見る目で見てくる。タロウは説得を諦め、森都への旅路を楽しむことにした。
足元には水仙や鈴蘭が無造作に花をつけ、頭上には桃や桜が道沿いにならび、その花弁が谷底を流れる川を彩る。言葉はなく、タロウ達はめいめいに春の絶景を楽しんでいた。歩くこと数時間ほどで森都の都、妖精郷へとたどり着く。
「いらっしゃい、ようこそ妖精郷へ。もし宿がお決まりでないのなら、是非我が霞荘へとお越しください」
美しいエルフの青年が、客引きをしてくる。見れば、その後ろにはずらりと並んだエルフの列。
「ちょっと、宣伝はすんだでしょうジョシュア。私と変わってちょうだい」
「いいや、ルルー、まだ返事をいただいていない。私のターンだよ」
「相変わらずか…」
行儀よく並んでいるエルフたちを目の前にしてタロウが固まっていると後ろからコウイチのため息が聞こえてくる。
「なんというか、妖精族であることがよくわかるでござるな」
エルフは排他的でプライドが高く高慢ちき。そんな前世の常識はあっさりと吹き飛ばされるほどのこのフレンドリーさ。森都からはあまりでないくせに好奇心には勝てない妖精族の特性が存分に発揮されていた。このまま外に出れば大抵痛い目に会うので、森都の外にいるエルフは擦れてしまい地球におけるイメージ通りである。
「あれ?タローじゃん。どうしたの、森都くるなんて珍しいね!」
名前を呼ぶ声に振り替えると、メルの姿があった。その姿をみとめた他のエルフ達は口々に文句を言いながら散っていく。
「なんだ、お嬢のとこの客か」
「お嬢の友達なら仕方ないよね」
「あー、新しいお客さん来ないかなー」
お嬢、とはいったいどういうことか。
タロウの元へ、メルがトタタッと足取り軽やかに駆けてくる。
「タロー、森都にくるなんて。どしたの?」
エルフにしては小柄なメルがタロウのそばに並ぶと子供みたいに見える。身長は百三十センチくらいか。
「ああ、冒険者になったんだ。それで、こっちの仲間の魔術師の防具をここで作ってもらおうと思って」
ゴーシュを指し示す。
「そっかー、なるほど。それなら家においでよ」
「さっきのエルフたちも言ってたけど、宿屋経営してるのか?」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんがやってるの」
「それじゃあ世話になろうかな。二人もそれでいいかな?」
「おう。かまわねえよ」
「異存はないでござる」
「やった。それじゃあ三名様ご案内ー」
メルが先にたって道案内をする。森都のあちこちに樹齢数百年を越えるような大樹が立ち並び、遠くには天高くそびえる塔が見える。
「あのおっきな塔が森都の迷宮だよ。あれはずっと上まで続いていて、竜さんたちによると雲の上まであるんだって」
「そりゃあすげえな」
「あ、入るには入り口のところにあるギルドに申請してからじゃないと入れないよ」
ピサの斜塔をもっと太くしたような塔が延々と上の方に延びている。灰色がかった塔は、寒々しく見えた。
「さっ、ついたよ」
案内された宿は、高級そうな旅館だった。門があり、その先に広い玄関がある。三和土で靴を脱ぎ、置いてあるスリッパに履き替えた。
「ただいまー」
「お嬢さん、正面からお入りになってはダメだとあれほど…」
少し固そうな表情をしたエルフがたしなめ、こちらに気づいて姿勢を正す。
「失礼いたしましたお客様。三名様でしょうか、お部屋はどのようになさいますか?」
「ジーク、タロー達は友達だから一番いい部屋をお願いね」
「かしこまりましてございます。それではタロウ様、皆さま、お部屋へとご案内いたします」
手入れされた庭を通って、外回廊を歩き、奥向きの離れへと案内された。
「メル、お前スゴい金持ちだったんだな…」
一人ずつ別の離れへと案内されて、タロウは戦く。荷物をといたら合流するように決めてはあるが、場合によっては宿を変えないと手持ちの金が吹っ飛びかねない。
「そんなことないよ。ただちょっと古いだけ。千五百年ぐらい?」
「千五百年ですか」
日本だったら重要文化財か国宝に指定されているだろう。老舗どころの話ではなかった。
「それで、お値段なんだけど…」
「あ、それね。ちょうど冒険者の人たちに頼もうって思ってたことがあるんだけど、それタローたちに頼めないかなって」
「ああ、そんなに難しくないことなら大丈夫だと思うけど」
「ほんと?よかった。あのね、入浴剤の材料がなくなっちゃったの。それを迷宮からとってきてもらいたいなって」
あれから入浴剤は飛ぶように売れたので、色々な香りつきのものを販売し始めたそうだ。そしてその内のひとつ、七種と呼ばれる草を採ってきて欲しいとのことだった。
「これから相談するから、行けそうになったら呼ぶよ」
「わかった。ありがとねタロー」
嬉しそうに笑ってメルは部屋を出ていった。タロウも、いったん方針を決定するために二人の部屋へと向かう。
「お、タロウ。良いとこに来たな。これから蒸留酒巡りするけどお前もどうだ?」
部屋へと向かう途中の廊下で、すでに旅館の浴衣に着替えたコウイチが酒屋巡りをしようと誘ってくる。
「いや、俺は遠慮しとく。ゴーシュは?」
「あいつなら里から来ていた蛇人族のやつらにつれていかれたぞ」
「え、なんかやらかしてたのか、あいつ」
「いや、そんな感じじゃなかったな。なんかむっちゃ歓迎されてたぞ」
「そうなのか」
ゴーシュがいないのなら今決めることもないだろう。
「それなら、今日はゆっくり過ごすってことでいいかな」
「だな。んじゃ行ってくるわ」
「飲みすぎるなよ」
それには返事をせずに、ヒラヒラと手を振ってコウイチは外へと出ていった。
「さて、暇になったな」
浴衣に着替え、暖かな陽気につられて庭へと降りる。色鮮やかな花々が咲き、目と鼻を楽しませてくれる。花の間を飛び回る蝶も風流である。
「ん?」
飛んでいた蝶が、陽炎のように揺らめいてふっと消える。よく見ると、なにか薄いカーテンのようなものが見えた。近づいて、よく見ようと目を凝らした瞬間。
「ダメ!それに近づいちゃ!」
とメルの声がして、タロウは吹雪の中に放り出された。浴衣一枚の姿で。
「さあさ、ゴーシュ殿。まずは一杯」
「う、うむ」
杯に注がれた酒をなめながら、ゴーシュはまわりをうかがう。上座にはスミ姫の弟、レンが座っている。
「さて、ゴーシュ殿。ここでお会いできてよかった。こちらの媒体をお返しいたします」
布に丁寧に包まれた日本刀型の媒体がゴーシュに差し出される。おずおずと受けとるが、いったいどうなっているのか。無表情を装いながら、内心はあの事がどのように処理されたのかわからずに心臓が鳴りっぱなしだ。その疑問に答えるかのように取り巻きの一人が話し出す。
「いや、姫を襲った不届きものを、魔術も無しに撃退されるとはさすがゴーシュ殿」
「まっこと。悲鳴を聞き付けて我らが急行したときには、ゴーシュ殿は滝に逃げた不届きものを追いかけていらっしゃったのですから、狩人と言うのはこれほどすさまじいものかと私感動いたしました!」
そういうことになっているらしい。悲鳴をあげたのはゴーシュであって姫ではないが、恐らく姫がごまかすために嘘をついてくれたのだろう。ありがたい。
「いや、その場で仕留められず某の鍛練不足でござる」
「いやはや、謙遜までなさるとは…」
「ええ、これこそ誇り高き狩人の一員というもの!」
声がでかい。どうやらすでにかなりの酒をきこしめしておられるようだ。話もなんだかループし始めているような気がする。
「ほら、皆さん。そろそろゴーシュ殿がお困りです。お開きにいたしましょう」
「む、そうですな。それではゴーシュ殿お達者で」
「ご健勝そうで何より。御武運をお祈りしております」
なんとか解放されてゴーシュは座敷から退室する。
「ふう」
「ゴーシュ殿」
「?!なんでございましょうか、レン様」
びくっと体をすくめて、声をかけてきた相手に向き直る。
「少し耳をお貸しくださいませ」
手招きをする彼に屈んで耳を近づける。
「姉上からの伝言です。『帰ってきたらば二度と逃さぬ』だそうです」
「…」
「ゴーシュ殿は不届きものを逃がしたことを悔やんで武者修行の旅に出られたと言うことになっておりますので、どうぞご安心ください」
胸にじんわりと込み上げてくるものがある。ゴーシュは唇を噛み締めてやり過ごし、伝言を頼んだ。
「姫に、御厚情心より感謝申し上げるとお伝え願えますか?」
「たしかに承りました」
それを聞いて、体を離そうとするとぐいっと引き寄せられ。
「でも私は帰ってきてくださっても構いませんからね?」
と耳に唇をつけて話される。
「!?」
なにかを聞き返すよりも早く、悪戯に成功したような艶のある微笑みを見せて戻っていくレン。呆然とするゴーシュが一人廊下に取り残された。
「もしやこれがモテキ、というやつでござるか…?」
林立する蒸留酒の瓶の中に、赤毛の虎人族が寝転んでいる。
「うめー。これまじうめー」
エルフの従業員たちがヒソヒソと遠巻きにしてしゃべっている。
「おい、誰か止めてこいよ」
「無理。あいつらから酒奪うとか自殺行為だから」
「お代はいただいてるからな。つぶれるまで待とう」
飲んでいるペースを見る限り、当分酔いつぶれそうにはなかった。




