エピローグ
宿の中はいつもどおり繁盛している。よく晴れた朝、シンディは掃除をし、朝食の用意をし、宿泊客たちのために最高の時間が過ごせるよう準備をしていく。
「ただいま、シンディ」
「おかえりなさい、ゴロッサ」
山頂で魔獣の動きを見張る夫は数日に一度しか帰ってこないが、二人の中は良好だ。よく友人たちには変わり者と言われる夫だが、シンディの話を辛抱強く聞いてくれる良き夫である。
「ご飯は食べる?」
「温かいスープはある?」
「もちろん。部屋まで持っていくわ」
「いや、君だって忙しいだろう。自分で注ぐよ」
「そう、じゃあ、お願いね」
「ああ。それにしてもタロウ君たちあっさりと旅立ってしまったね」
「ええ、若いうちはあんなものよ。また来てくれるって言ってたから、楽しみにしてるわ」
シンディとゴロッサとの間には子供はいない。恵まれなかったのもあるし、忙しくてなかなか時間をとれなかったことも原因なのだろう。けれど、その事を後悔はしていなかったし、今の仕事に満足を覚えているのも嘘じゃない。けれど、時々寂しくなることはあった。
「そうだ、シンディ。今年の夏、旅行にいかないかい?」
ひょっこりともどって来た夫がそんなことを言い出す。
「え?でも、宿はどうなるの?」
「君のお姉さんがそこは大丈夫だって請け負ってくれたよ」
シンディの姉は鉱都で大きな旅館を経営している。雇っている人も多く、忙しいときには人を寄越してもらうこともあった。
「でも、いいのかしら」
「うん、これまで二人とも仕事のことばかりで、二人だけの時間を作ることがあまりできていないって相談したら、旅行がいいんじゃないかってね」
「姉さんが?そうね、そういうのもいいかもしれないわ」
ゴロッサと旅行。知識豊富な夫は楽しい旅行にしてくれるに違いない。想像の翼は広がって、心が踊る。
「よかった。断られたらどうしようかと思っていたよ」
「私が?」
「君は仕事をとても楽しそうにしているから、離れたがらないんじゃないかと思ってね」
「あなたと旅行に行くのも同じくらい楽しみだわ」
「うん、私も楽しみにしているよ」
今度こそ自室に引っ込む夫。シンディは、早く起きてくる客のために朝食の準備を始めた。
花束を持って帰ってきたセージの表情を見て、ローズマリーは何かただ事ではないことが起きているのを感じ取った。
「あなた、何か起きたのですね?」
はっとしてローズマリーを見つめるセージ。
「よくわかったね。表に出さないように気を付けていたつもりなんだけど」
苦く笑うが、強ばった表情はそのままだ。
「私はあなたの奥さんを短い間でもやって来たんです。すぐにわかるわ。どこか遠いところで商談があるの?」
「いや。まだはっきりとはしないんだが、貴族たちがこぞって霊薬を買い集めているようだ。王族の方々に何かあったか、大きな戦いの前触れかもしれない。だから君たちは遠いところ、ジュゴン大陸の方に渡って避難していてほしい。学都か神都なら治安もいいし知り合いもいるから、そのどちらかに」
ローズマリーは手を組み合わせて心配そうにセージを見つめ、やがてこくりと首肯する。
「でも、避難させるのはミントだけです。私は残ります」
「だめだ。ミントにも寂しい思いをさせたくはないし、君の安全を考えれば残すことはできない」
「いいえ。あなたがなんと言おうと残ります。大変なときに何もできないのは悔しいもの」
折れないローズマリーに戸惑うセージ。いつもは柳のように柔軟な思考でセージを助ける妻が、一度決めたら絶対に譲らないことを知っている。だからといってこのままでは何かに巻き込まれる可能性がある。
「マリー」
説得するための言葉を探すが、仕事でならよく回る口も今だけはまるで役に立たない。ローズマリーは再び口を開く。
「私は、あなたのパートナーだわ。そうでしょう?西神の御前であなたと助け合って生きていくことを誓ったの。だから、お願い。わがままを聞いてちょうだい」
彼女は震えつつも、けっして目をそらさない。ローズマリーがいてくれれば心強いだろう。しかし、危険にさらすことになるかもしれない。迷いを見抜かれたのだろう、ローズマリーがそっと身を寄せてくる。こうなれば勝ち目はない。いつだって辛いときには二人でこうやって寄り添いあった。言葉よりも雄弁に、すべてが触れあったところから流れ込んでくる。
「わかった。僕の敗けだよ。けれど、そうなるとミントを一人で行かせることになるな」
「商会からいくらか補助金を出して、お友だちと一緒に留学するということにすればいいんじゃないかしら」
「そうだな。さっそく学校の方に掛け合ってこよう」
名残惜しげに妻から離れ、あっというまに支度を整える。
「気を付けてね。私は奥様方に話をつけてくるわ」
「ああ。なるべくぼかして伝えてくれ」
「わかりました。いってらっしゃい」
「いってくる」
慌ただしく外へと出ていく。王都の美しい黄色の尖塔に、季節外れの雪が積もり始めていた。
小国家群から海都へと延びる大街道に三人の人影があった。そのいずれもが獣人族だが、種族はバラバラだ。その中の一人、猫族の女性の声が広い草原地帯を渡っていく。
「あー、やだやだ。あの鷹族のいけすかないやつと来たら、『新皇帝陛下の即位につき恩赦が下った。本来貴様らには死刑が下る予定だったが拐われた皇子からの嘆願、ならびに皇帝陛下の温情により解放する運びとなった。お二人に感謝して死ぬまで忘れるな』だとさ!」
その一歩後ろを歩く狐人族の獣人も賛同して声をあげる。
「まったくだよ。しかもあいつら、オレらに戒めまでかけやがって」
戒律の神の加護を得た僧侶に、悪事をしないという約束ごとを一方的に押し付けられる魔法が戒めである。
「ま、いいじゃねえかヴェムノー。命は助かったんだしよ。あの鷲のおっさんたちなんか減刑してもらって竜の監獄行きだろ?あんなところにゃ行きたくはねえしな」
竜宮の一角にある世界的な犯罪者の監獄であり、空にあって脱獄不可能とも言われる竜の監獄にはさまざまな噂がついてまわる。精神を破壊されるだの、全く別人のような姿になって帰ってくるなど恐ろしい話ばかりだ。
「イルド!あんたのスキルでどうにかなんないのかい?」
「そうだぜイルド。あんたのスキルでいつもみたいにこうちょちょっとさ」
顔を輝かしてイルドを見つめてくる二人に、肩をすくめてみせる。
「残念だが、こいつは無理だな。諦めて普通に迷宮に潜った方が良さそうだぜ」
本当に階級の高い坊さんに当たったらしかった。何度も仕掛けてはいるが、いっこうに手応えがない。
「まったく。あんたときたら、あんな猪一人相手できないんだから」
「待ってくれよ、メイリーン。それならあんただってあっさり捕まってたじゃねえか」
「うるさいよ!しょうがないだろう、山んなかに虎人族が潜んでるなんて思わないだろう?」
森や茂みは大型の虎人族や豹人族の一番得意とする狩り場だ。本格的に隠れられれば猫人族のメイリーンにその姿を見つけるのは難しい。
「最悪の状況だったよな。あいつらマジ怖い」
襲われたときを思い出したのかブルリと身震いをするヴェムノー。
「こっちだってまったく通じないとは思わなかったんだよ。防具もつけてない相手に負けるとはなあ…」
「やれやれ、仕方ないね。鍛え直して今度こそあのすました虎の女に魔術をくらわせてやるよ!」
「おっ、姐さんやる気だねえ。そんならオレも頑張っちゃおうかな」
楽しげに話す二人を見て、こっそりと微笑むイルド。この二人とは物心ついたときからの腐れ縁だ。王都の片隅のスラム街で、ひっそりと身を寄せあって暮らしてきた。冒険者になってからはあちこちの迷宮に挑んで自信もついたが、ある迷宮に挑んであっさりと敗北してからすっかり落ちぶれて今までの稼ぎを潰して飲んだくれる日々だった。
「そろそろ俺らも変わるときかね」
小さく二人に聞こえないように呟いて、跳び跳ねるように歩く二人のあとを追った。
こいつらとの冒険の旅は、それなりに気に入っている。
「早く来な!置いてくよ!」
「へいへい」
メイリーンの声に励まされるようにイルドは走って仲間のもとへと駆けていく。頭上に輝く太陽が、これからの旅路を祝福しているかのようだった。
鉱都のこじんまりとした酒場でバルドール・ルクレツィアは琥珀色の液体をグイっと喉に流し込む。同席するフォンドルが見咎め、ペースを落とすように小言を言い始める。いつもの風景だな、とドップラーは自分のグラスに注がれたいかにも体に悪そうな色合いの液体を口に含んだ。
「うるっせえ!あたしが酒をどんな飲み方しようがてめえにはこれっぽちも関係ねえだろうが!」
「いや、あると言えばあるし、ないような気がしなくもないような」
「なんだい。言いたいことがあるならはっきりいいな」
凄みながら手近にあった麦酒のジョッキを持ち上げてグイーっと飲み干すルクレツィア。
「それ俺の麦酒!」
フォンドルが悲鳴を上げている。若造だった頃から一切変わりないやり取りの応酬。てこ入れをしたことで少しは進展するかと思ったが、中年にもなってこいつらはまったく進歩しやがらない。ルクレツィアから竜鱗を使う相手がやっと来たと聞いたから、フォンドルの野郎にどうやら獣人にお熱のようだと教えてやったのに、まるで動かない。それどころか幸せになるならそれで良いとか言い始める始末だ。
「マスター、もう一杯」
グラスに新しい酒を注いでもらいながら、横目に二人を確認する。
「はい、どうぞ。しかし、あの二人も変わりませんね。百年は同じようなやり取りを繰り返していらっしゃる。さっさとくっついてしまえばいいのに」
「まったくだ。もう俺も協力するネタが尽きたよ」
うまいはずの酒の味も鈍くなってきている。
「大体、なんであの男に入れ込んでいるんだ?」
切り替わった話題に耳をすます。
「あん?あー、タローか。あいつはな、特別なんだよ」
「特別?惚れてんのか?」
「バーカ、ちげえよ。あいつが来たのは五才の時が初めてだったか。はじめはなんか偉そうなおっさんたちと一緒に来た。あたしはいつもどおりの仕事をした。次に来たのはあいつが八才の時。人間族の女と来た。籠手を作ってくれってな。こんどもあたしはいつもどおり最高の仕事をした。その次は二年後。あいつが十二才の時だ。あいつは一人で来て、こんどはこうのたまった。大切な人を守れる盾をくださいってな。そん時にゃ、もういっぱしの戦士の顔つきをしてた。あたしはどんな盾が欲しいかを聞いて、大盾をつくりあげた。そしてこんど。あいつは十六才になって、迷宮に耐えられる鎧が欲しいって言った。いままで自分の防具なんか要らねえっていってたやつがだ。だからあたしは、手持ちの最高の素材を使って、この世界で一番迷宮のために特化した鎧を作った。全部あたしの仕事だったからだ。そして、“バルドール”としての仕事だからだ」
「でもよ、なんでそこまでするんだ?竜鱗はめったに手に入らない素材だ。あいつのためにそこまでする理由は?」
それはドップラーも聞いてみたかった。普通のやつより根性はありそうだったが、特になにかを感じない。キヨタカのように体から見えない闘志のようなものがあふれているわけでもない。
「強いて言えば、女の勘だ」
「は?」
よくわからない。男である身の限界か。
「先代はあたしにこう言った。お前は苦労することになる、と」
「女の身でバルドールを継いだからか?」
「あたしも最初はそう思った。けど違った」
ドップラーはその時のことを思い出す。先代のバルドール・ヴォルト。“万能の”バルドールと呼ばれた男だ。ルクレツィアの後ろ楯になるよう頼んできたあの男に、自分もまったく同じ質問をした。
「『お前は女だ、男の力で最適な鍛冶ができるようにされた技術を継いでも、まったく同じものは作れない。だから、お前はたったひとり、女の力で最適な、最高の鍛冶の方法を一から産み出さなきゃならない』先代はあたしにそういったのさ。そしてその技術を磨いてきた経験が、あいつに最高の防具を作れって言ったんだ」
「とんでもない人だな…」
感心したようにうなずくフォンドル。
「おう。いまでも先代にはまったく勝てる気がしねえ。けど、負ける気はしねえ」
「お前のそういうところ、嫌いじゃないな」
「あ?なにかいったか?まあいい。もう一軒行くぞ!」
「待って。引きずるなって!」
ルクレツィアとともに店から消えていくフォンドル。すでに出来上がっているルクレツィアにはよく聞こえなかったようだ。明日になったら今日話したことも半分くらい忘れているに違いない。
「ようやく静かに酒が飲めるぜ」
「賑やかで楽しかったのですけどね」
にっこりと笑って返事を返してくれるマスター。
「どうです、ドップラー。あなたも若い人たちに影響されているのでは?」
「あん?なんのこった」
急にはね上がった動悸を押し隠しながらなんとか平静を装う。
「ほら、あなたも長いこと冒険者だったでしょう。ですから再び旅に出たくなったんじゃないかと思って」
「まさか。俺はのんびり酒でも飲みながらここに居るのが一番良い」
「そうなのですか。私はあなたの旅の話を聞くのが楽しみですから、嬉しいことです。あまりここから動けませんからね」
精霊族であるマスター、ドリアードのメムニムは、本体のある鉱都からは出られない。三強種族、竜族、海族、精霊族の中で唯一精霊族だけが移動する手段が限られている。
「そりゃあ、よかった」
複雑な気持ちで、杯を干す。自分を鉱都に繋ぎ止めるものは、たぶん。そこで思考を止める。ふと窓の方を見ると、春の訪れを告げる辛夷の花が咲いていた。
【Nameメイリーン Lv20 Age23 skil:虚幻 水の神の加護 HP20/20 MP 30/30 STR15 INT25 AGL18 LUC20】
【Nameヴェムノー Lv20 Age21 skil:歪曲 眠りの神の加護 HP35/35 MP 30/30 STR20 INT20 AGL15 LUC5】
【Nameイルド Lv20 Age25 skil:解呪 土の神の加護 HP45/45 MP 10/10 STR30 INT20 AGL10 LUC5】




