其の十二
五つの風の刃が迫り、タロウは腕を掲げて耐える。衝撃はあるものの、痛みはない。こちらの抵抗力の方が上回っているようだ。精神力(MP)が最大値を記録しているタロウには、魔術はほとんど効かない。ただし、目眩ましにはなる。
「ハアッ!」
鋭い槍の一撃が胸を叩く。やはり衝撃は来るものの、痛みはない。タロウにとって、この世界に来てからはずっとこんな感じだ。だからこそ最初はゲームの中だと勘違いをしていた。自分を庇って、あいつが死ぬまでは。
「こいつ、化け物か?!」
タロウに傷ひとつ無いのを見たガーディアンの一人が、恐れを含んだ声をあげる。無理もないことだ。タロウだって、もとの世界で槍に刺されて無傷な人間を見たなら、マジックだと思うだろう。
「恐れるな、攻撃を続けろ!」
グスタフはそういうが、他のガーディアンは動揺を隠しきれない。萎縮してしまっている。横目でコウイチとゴーシュを確認すると、二人ともそれほどダメージを受けた様子はない。コウイチが少しかすり傷があるぐらいだ。
「大丈夫か、二人とも」
「こんぐらいなら、倒れりゃしねえな」
「某は魔術師でござるから、魔術は対して効かぬでござるな」
後ろを見ても、魔術が抜けてはいかなかったらしい。目を丸くした四人が口をパクパクさせている。
「え、まじ?オレらあんなのにケンカ売ってたの?」
「さすが旦那がた!そいつらぶちのめしちまってくだせえよ!」
「あたし達の命かかってんだ、負けんじゃないよ!」
言いたい放題である。
「さて、こっちから反撃といきますかね」
「まあ、最初の一撃は譲ったんだから、こっちの番だよな」
「二人とも、顔が凶悪犯みたいになってるでござるよ」
「怯むな!我らには悲願がある!それを達成せずして死んでいったものたちに立つ瀬があるものか!」
「あんたが辛い思いしてきたってのは十分わかった。けどよ、だからってそのためにガキ一人殺して国を混乱に陥れようってのはいただけねえな」
「貴様らのようなものに何がわかる!貴様らのような苦労などしたことの無い子供に!」
「子供だから苦労してないって訳じゃないだろ。まあ俺には当てはまらないんだけどね」
「ソナタらの国が非常におかしな事になっているのは理解できたでござるが、だからといって殺されてやるわけにもいかぬのでござるよ」
「貴様らにわかるものか!我らの悲しみが!怒りが!ここまで追い詰められても、がああっ」
言い募る途中でタロウがグスタフの顔面を殴り飛ばす。
「うるせえ。言葉でいってもどうにもならなかったから、こうやって武器持ち出してきてんだろ。だったらゴタゴタ言ってねえでそれでかかってこい」
苛つきが口をついて出ていく。
「え、誰でござるか?コウイチでも乗り移ってるのでござるか?」
「いやあ。俺でもあそこまで脳筋じゃねえわ」
好き勝手言ってくれる。それには返事をせずに、まっすぐグスタフを睨み付けた。
「どうしたんですか、お仲間がいないと戦うこともできないんですか?勝てる相手じゃなきゃあ戦いたくなんてないですよね、子供を狙ってくるぐらいですし」
前世ではやり過ぎて孤立するはめになったが、口の悪さは健在である。案の定、グスタフは逆上して襲いかかってくる。
「貴様あああああああっ!」
槍をつき出す、弾かれる。石突きで殴る、けろりとしている。もう何度も何度も繰り返していた。得体の知れない感情が、ただ体に染み付いた槍術を使わせる。もう一度槍を首にむかって打つ。渾身の一撃。だが。
「もういいか?つまんねえよ」
ガシリと槍を掴まれる。押しても、引いてもビクリともしない。その目は、本当につまらないものを見る目だ。大鷹たちの嘲る視線とは違う、道端の石ころを見るような目。
「何故だ、何故、何故」
研鑽を積んで強くなってからは鈍くなっていた本能が、危機を知らせる。勝てない、逃げろと。 医者にかかれず死んでいった姉が脳裏に浮かぶ。
「うああああっ」
槍から手を離し、加減など一切していない拳を放つ。確かに当たったはずなのに、まるで堪えた様子はない。恐怖が募る。
「この、いのししふぜいがあああ」
殴る、殴る、殴る。顔に思いきり当たっているはずなのに、まるで砂の詰まった袋を殴っているかのような感触だ。焦る。自分の今までの努力が無駄なのではないかという気がしてくる。食べるものが買えなくて、死んでいった同族の子供たちを思い出す。
「ふざけるな、お前の、お前のようなものにっ!」
殴り付ける拳が自壊を始める。相手が固すぎて、こちらの拳が裂けているのだ。それでも、殴り続ける。ガーディアンに選ばれ、国の治安を任され、尊敬を受ける立場になった輝かしい日々。そして、自分の半分ほどの年の若造が隊長となり、ろくでもないことに付き合わされる日々。
「決めたんだ、だから、俺が、俺らが、国をつくって、誰も苦しまない様にって、そしたら、みんな幸せに!」
言葉が先走る。感情だけが支配して、力任せに殴り続ける。どうすればいいのか解らなかった。奇跡の皇子を、エールドを殺せば、彼の力に頼りきっていた王族は瓦解する。奇跡的な治癒の力を金に換えていたやつらは、信用と金づるを失って、争いあうようになる。そうしたら、自分達が民達をまとめて、理想の国を作るのだ。
「その理想は立派だよ。けど、あんたはやり方を間違えたんだ」
ナニかを住まわせた瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「もう終わりにしよう。誰かが死んで、その分のなにかを受け取って俺らは生きてる。誰もが幸福な人生を求める。なにも失わないで、間違わないで、総てが欠けること無くそろった世界を夢見る。けれど、死人は生き返らないし、受けた屈辱も無くならないし、いつだって恐怖はつきまとう。人は間違う生き物だなんておためごかしはもう飽きた。人は失ってようやく、間違ったことを知る。ずっとそうして生きてきて、これからもそうやって生きていく。俺たちにできるのは、多分そうやって、もがきながら生きることだけだ。生きて。生きて。生きて。そうしてほんのちょっとどこかの誰かの役に立つ、それだけだ」
何を言っているのかわからないが、ひとつだけわかることがある。この男も、私も。苦しみながら生きている。
これほどの力がありながら、これだけの力を持ちながら。恐らく、自分が知らないだけで、皆そうなのだ。程度の差はあれど、生きている。生きて苦しみ、悲しみ、怒り、笑い、同じように生きている。ならば。ならば自分のすべきだったことは。
「ちょっと八つ当たり気味で悪いけど。一発だけ殴らせろ」
固く握られた拳が迫り来る。
それを呆然と見つめて。鋭い衝撃が、グスタフを襲った。
地面に倒れ伏すグスタフ。ガーディアン逹が息をのむ音だけが響く。もはや戦意は完全に失われていた。
「その力があれば、私は間違わずにすんだのか?」
どこか遠くを見るように、力無くグスタフが尋ね、力無くタロウが首を振る。
「どんな力を持っていても、使い方を知らなければより酷い結果をもたらすだけだ」
「ははっ!はははははは!」
グスタフが倒れ伏したまま痙攣するような声をあげる。
「だが、それでも。それでも私が諦めるわけにはいかないのだ!やつらに思い知らせるためには、もうそれしかない!『荒ぶる暴風、嵐の宰、その御手をもちて我が敵を永遠に葬らん』!」
詠唱と共に起こった風に無理矢理のって、浮き上がった身体で翼を強く羽ばたかせる。一気にタロウの横をすり抜け天井ギリギリまで浮上し、その鋭い蹴爪で皇子を狙う。
「逃げろ!」
コウイチが叫ぶが、皇子は目を見開いてグスタフを見つめ動かない。
「頭を下げろ!」
どこか遠くから響いてきた声に、全員がとっさに姿勢を低くする。その頭上を鉄製の槍が通りすぎていき、その破壊力を保ったままグスタフを貫き、壁へと縫い付けた。ズガンという音が遅れて聞こえる。
「おいおい、里にもこんなバカ力を持ったヤツはいねえぞ」
腕をさすりながらゾッとしたようにコウイチがこぼす。
「間に合ったか。皇子!ご無事ですか?」
巨大な大鷹、グルドが文字通り飛んでくる。皇子の側でくるりと宙返りをして人獣の形へと戻る。
「グルド!彼を解放してやってくれ!」
安堵のためか潤んだ瞳をグルドに向け、エールド皇子が懇願する。
「は?しかし、ヤツはあなたを弑しようとしていたのでは…」
「命令だ!早くしろ!」
「は、はっ!」
素早くグスタフを槍ごと壁から外し、横向きに寝かせる。その体毛は赤に染まり、意識はないのかピクリともしない。
「『慈悲深き治癒の神、我らを守りたもうし尊き御方、この憐れなものの魂を、今ひとときこの世にひき留めん』」
詠唱が完成するのと同じくして、グルドが槍を引き抜いた。白い光がグスタフを包み、まばゆく輝く。
「間に合った…」
少年は濃い疲労の色を浮かべ、満足そうに呟く。装備は穴が開いたままだが、その腹部は体毛に包まれ、呼吸をしている様子が見てとれた。
「お優しいにも程があります、皇子。貴重な治癒の力を、このような反逆者へとおつかいになるなど」
「彼は私の国の民です。たとえ反逆者であっても、正当な裁きを受けさせるべきです」
毅然として言い放った皇子に、軽く目を細めてグルドがうなずく。
「わかりました。そのように計らいましょう」
「た、隊長。どうしてここに?」
「勘だ。それより貴様ら、覚悟は良いだろうな…。厳しい沙汰が下ること、よく肝に命じておけ」
「隊長、家族はかんけいありません。どうか!」
「罰はオレらだけに!」
口々に自分一人の罪だと主張してくるガーディアン逹。その様子を見て、皇子が口を開く。
「グルド、どうにかなりませんか?」
「反逆罪は死罪、よくても終身刑が科されます。やつらがやったことはそれだけ重い罪となります。法をねじ曲げれば、それを守って暮らす民逹に申し開きができません」
「そんな。彼らは国のために…」
「最大限力は尽くします。今はそれだけしかお約束できません。どうか、ご理解ください」
唇を噛み締め、うつむく皇子。それを見て、残りのガーディアンに指示を出す。
「お前ら!そこの反逆者と、誘拐犯を鉱都まで運べ!それから、そちらの蛇ども」
「なんだ、鳥頭」
不機嫌そうにゴーシュが答える。
「皇子を助けようとしてくれたこと、時間を稼いだこと、良くやった。悪いが鉱都まで一緒に来てもらおうか」
「かまわねえけどよ」
「どこまでも傲慢な鳥共でござるな。お前らがちゃんとしていればこのようなことにもならなかったでござろうに」
「減らず口を叩かず、さっさとついてこい」
「へいへい」
「わかったよ」
「やれやれ、でござる」
「あたしらはどうなるんだい!」
「貴様らの処遇は鉱都と話し合って決める。大人しくしておけ」
その後もぎゃあぎゃあと騒いだ三人組のおかげで魔獣に襲われつつも、無事鉱都へとたどり着いた一行であった。




