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三匹迷宮物語  作者: 九十
誘い
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其の一

 水球みきゅうと呼ばれる七割を水で満たされた惑星の、わずか三割ほど残る大地に、人々は十二の都市を築いていた。

 その大陸の片割れ、エルフの住まう森都より北西に二十㎞ほど離れた森に、神童と呼ばれた猪人族の男がいた。名前は太郎。十王が統治する獣人族の内、猪人族の族長をつとめる獣王が一人、猪王・ユキナガの長子である。


「兄上ええっ!昼間からそのように寝そべってゴロゴロと、見苦しいことこの上なし!いずれ猪人族の頂点たる王の座につくものとして、恥ずかしいとは思われませんのか!」

 今日もいつも通りの次郎の兄をしかる声がこだまする。太郎より二つ下のこの弟は、とにかく生真面目な質であった。しかし実質的には三十ほど年の離れた弟の怒声ぐらいでは、長年のニート生活で養われた太郎の魂を矯正きょうせいすることは極めて困難な事業である。かてて加えて、


「あっはっは、ジロウよ、はぐれ狼(ロンリーウルフ)狂い熊(マッドベア)すらもかすり傷一つつけることのできないこの兄が、王にふさわしくないとでも?父上でさえてこずる火炎蛇(ファイアスネーク)を一人で倒したこのオレが!」

 手にいれた力に酔い、調子に乗っていた。



「まったく。それはもう二年も前の話でしょう。今の兄上は狩りもせず、己を鍛えるでもなく、おなごをはべらせてダラダラと毎日を過ごされるだけ。誇り高き戦士であるはずの猪人族の風上にもおけませぬ」

 心底軽蔑しきった目で見つめられようと、太郎は歯牙しがにもかけない。

「おなごったって、全部猪頭じゃなんにも面白くねえっての。人間の女の子がオレは好きなんだよ」

 その返答に、ますます険しい顔をする次郎。

「またそのような世迷い言を。兄上は猪人族の次期王なのですぞ、伴侶はんりょは猪人族からめとるのが当然。人の娘では獣王の妻の激務には耐えられますまい。それに、獣人と結婚するような物好きはそうそうおりますまいに」


 この水球世界において、人間族とそれ以外の種族とでは、もって生まれた身体能力に大きな差がある。平たく言えば人間族はもっとも弱い種族に分類される。

竜族>精霊族>海族>獣人族>妖精族>人間族といった具合である。もっともこれは素の能力であり、魔術や魔道具などを考慮するなら、

竜族>精霊族>海族>獣人族=妖精族=人間族となる。総数は逆となり人間族が最多、竜族が数千頭ほどとされている。寿命においては平均してとられたデータがないため判然としない。


 こういった事情から、人を正式な伴侶とするものはおらず、人の方でも交流はしても生涯のパートナーとして自分と異なる種族を選ぶものはごく少数であった。故に、地球にいた頃の記憶と常識を引きずったままの太郎にとっては承服しかねることが多々あった。


 地球でいう哺乳動物が直立歩行している姿、人と変わらぬ知性と頑健な体を持つ獣人族。その性格は好戦的で、強いものが一族を治める王となり他の十王と共同統治する。主に魔獣との戦いで生計をたて、森都しんとへの警備員の派遣、道中の治安維持を条件に森都から薬師や医者、植物製品の提供をうける。

 森都にある迷宮ダンジョンには水球世界に存在するすべての植物が揃うとまで言われており、豊富な野菜や果物が新鮮なまま届けられる。動物性タンパク質は魔獣の肉で十分に補われており、貿易都市である海都かいとを経由して様々な調味料、道具も手に入るため、衣食住においては地球にいた頃よりも贅沢であるといってもよかった。


 いくつかの不満があるとすれば、獣人族の顔はすべて人を除く哺乳類やハ虫類、両生類の頭であること、娯楽が少ないこと、移動手段が徒歩であることぐらいであった。

 狩りで生計をたてることができるので、農耕牧畜の技術はそれほど発達せず、魔獣をならすのは難しいため移動は自らの足にたのむしかなかった。



「そうだ、毛の生えていない顔がお好みでしたら、エルフの娘はどうです。魔術を使えるものがいれば狩りは楽になりますよ」

「あいつらはからだ薄いから好みじゃない」

 きっぱりと言い切る太郎。エルフは男女ともに美しく、少しとがった耳が特徴である。華奢ながらも魔術に優れるため侮ればひどい目にうこともある。肉食を好まぬゆえにかスレンダーな体つきである。

「では王都にいかれては?あそこには人間が大勢住んでおりますからひとりぐらい物好きもおるやも知れませぬ」

「遠いから行きたくない。それにオレ好みの女の子じゃなきゃ嫌だね」

 それを聞いて処置なしとばかりに首を振り、次郎は部屋を出ていった。



「やれやれ、あいつはまだ若いのにどうしてああジジくさいんだか」

 小言から解放されて一息つく。太郎がこの世界に転生して、十数年の月日が経過していた。当初は前世のようにひどい生き方はするまいと努力をしたが、慣れてしまえば元来のなまけぐせが顔を出した。

「ステータス」

 この世で幼児から老人まで使うことのできるもっとも簡単な魔法を唱える。



【Nameタロウ(三膳太郎) Lv15 Age16 skil:経験累積 HP99/99 MP 99/99 STR30 INT20 AGL5 LUC1】



 この世界においてこの数値は異常であった。ステータスは基本的に自分のものしか視ることができないが、学都や古都のダンジョンより産出される魔術具、魔法具等によりステータスを映し出すことができる。獣人族の中でも王の直系にあたる太郎にはその高価な魔道具を使って成長方針が定められることになっていた。ところが、である。


【Nameタロウ Lv10 Age5 HP99/99 MP99/99 STR5 INT10 AGL1 LUC1】


 太郎が五才になり、文字を覚え、ようやくステータスを認識できるようになったと思われる頃に行われたステータスの確認でこの数値を叩き出した。



毎年行われるステータスの測定は、現在王である父ユキナガが


【Nameユキナガ Lv20 Age40 HP60/60 MP30/30 STR25 INT30 AGL20 LUC30】


いとこで一般的な能力を持つマツユキが


【Nameマツユキ Lv10 Age16 HP15/15 MP10/10 STR15 INT10 AGL15 LUC10】


である。


 生命力(HP)や精神力(MP)の数値を他の能力値が上回ることはないため、理屈上太郎は全てをきわめ、獣人族史上初の海族や竜族と対抗することのできる切り札として一身に猪人族の期待を受けた。神童と呼ばれたゆえんである。


 太郎は、この数値になったのは間違いなく優秀な遺伝子による素体の強さと、スキル:経験累積のせいだろうと思っている。skilをじっと見つめると詳細が表示される。


〔経験累積:全ての経験が反映される〕


 この(全ての経験)には恐らく前世も含まれるのだろう。こちらの世界では経験することのできない科学技術の諸々が、この数値の原因だと思われる。

 はじめてステータスを写し出すとき、その原理を聞いて見えているものがそのまま写し出されるのなら、前世の名前がくっついているこれはまずいのではないかと思った。

 しかし実際にはスキルと前世の名前が表示されることはなく、魔道具が万能では無いことが判明。何故自分にしか見えないのか疑問ではあったが、都合がいいので深く考えないことにした。



 大いに喜んだ父や優秀な一族のものに鍛え上げられる日々が幕を開けたが、そのほとんどはあまり役に立たなかった。何故か敏捷の値が伸びず、また相手の攻撃が通らないのでを避ける必要がなく、獣人族の得意とする獲物に走りより一気に皆で攻撃を加えるような狩りは太郎に向かなかった。そのかわり、一人で魔獣に向かって勝利を納めることが増えていく。



 そして。当然のことながら太郎は孤立した。英雄譚なら勝者は賛辞と栄光を手にするが、日々の生活においては共同作業のできない役立たずであった。太郎はやる気を失い、ここ一年ほどは怠惰たいだな生活を送っていた。





「太郎さま、お風呂の準備がととのいました」

 障子の向こうで、懇意こんいにしている娘の声が響く。

「おう、わかった。すぐにいく」

 そう返事をして、支度をする。障子しょうじ。木造家屋。そう、ステータスなどよりよほど重大な疑問があった。水球、日本語、着物。いくつかの相違点を除けば、この世界は驚くほど太郎にとって都合がよかった。種族ごとの独特な文字や言葉はあれど、共通言語は日本語、文化も獣人族のものは日本に近いものがある。道具にしても、消耗品は似かよっていたし、上下水道も完備されている。機械工業は発達していないのに、そういったものがある。ということは。




「知識チートも内政(NAISEI)もできねえじゃん」

時おり召喚される勇者様によって、それらは近代日本より輸入済みのようであった。




 気を取り直して風呂に入ることにする。部屋を出て湯殿へ向かう。戸を開けると先程声をかけてきた娘、おようが待っていた。

「なんだ、先に入っていてもよかったのに」

「いいえ、若様のために用意したのですから、若さまに真っ先に入ってもらいませんと」

 帯を解き、着物を脱いで洗い場に入る。

「ついでだ、おまえも一緒にどうだ?」

 誘いをかけると、うれしそうにうなずくお葉。

「まあ、若様からお誘いいただけるなんて光栄ですわ。明日は雨かしら」

 気心の知れた中のお葉は太郎の趣向を知っているので、そんな冗談を返してくる。

「背中がかゆいんだよ。洗うの手伝ってくれ」

「はい、おっしゃる通りに」

 まるで子供扱いである。前世を含めればこちらが年上であるというのに、彼女にはつい甘えてしまう。


 さっさと湯をかぶり全身を濡らしていく。次に、数種類の薬草を混ぜこんだ泥を顔も含めて全体に塗り込んでいく。地球と環境が似ているせいか、毛皮は良く手入れをしないとあっという間に寄生虫などの温床になってしまい病気にかかりやすくなるので、獣人族にはきれい好きなものが多い。

「太郎さま、背中に塗りますね」

「頼む」

 お葉は優しい手つきで背中に泥を刷り込むように塗っていく。それが終わると、今度は太郎がお葉の背中に塗ってやる。


「終わったぞ」

「ありがとうございます」

 塗り終わると、しばし時間をおく。薬効が効いてくるまでそのままだ。全身泥パックみたいなものだろうと太郎は思っている。

 ゆったりと横になって、時が過ぎるのを待つ。

「太郎さま、あなたは本当に変わったかたです。他のかたなら、横に若い娘がいるなら襲おうとしたっておかしくはありませんのに」

 相手が普通の人間なら太郎もそうしただろう。しかし、妙齢の女性が猪の被り物をして全身毛皮を着ていたら、もとの世界のどんな男も躊躇ちゅちょするに違いなかった。太郎が返事にきゅうしているとなにやら勝手に納得したのか、少し寂しそうな口調で話し出す。


「皆にそうですものね、太郎さまは。一族の女たちは太郎さまが強くていらっしゃることも、優しいかたであることも、存じておりますわ」

 男のほとんどが体を張って狩りをしているためか、獣人族の女たちは雄にたいして従順である。また一夫多妻制をとっているため、男たちの妻探しは現代よりも過酷であった。太郎は強い母と妹の記憶があるせいか、よく女たちの手伝いを進んでした。



「ご存じですか、一族の娘はよく太郎さまの話をしているのですよ」

「どうせあまりよくない噂話なんだろう?」

前世の嫌な記憶がよみがえる。

「とんでもない。皆、太郎さまの武勇を聞いてあなたの妻になれたらと噂しているのです」

初耳であった。どうやら、もてているらしい。

「やれ太郎さまに転びそうなところを助けてもらった、怪我しているからと抱えて家まで運んでくださったのと、皆で自慢しあっておりますよ。それも、美醜に関係なく優しくしてくださったと」

心当たりはあった。つい前世の感覚で女性には甘くなるし、そもそも美醜に関しては見分けがつかない。


「そろそろ時間だ。泥を流そう」

 うやむやにしてしまおうと勢いよく湯をかぶり、丁寧に泥を落としていく。

「お背中流しますわ」

 お葉が背中を流してくれる。太郎も同じようにしてやった。熱めの湯に全身を沈めていく。背中合わせにお葉も湯船に浸かる。

「太郎さま、」

しばらくそうしていたが、やがて逡巡しゅんじゅんするようにお葉が呼び掛けてくる。

「なんだ」

心地よい夢うつつの気分で、太郎はお葉を見ずに返事する。

「私が太郎さまのお子が欲しいといったら、どうなさいます?」


 おぼれそうになった。咳き込みたいのを我慢して、逃れる術を考える。お葉はいい娘だ。よく気がつくし、料理は上手いし、太郎に見分けはつかないが、一族の中では美しいと評判である。そして何より結婚してくれとも嫁になりたいともいわず、子供が欲しい、である。獣人族の交渉は、女性の許しがなければ行えない。どれだけ強い雄であっても、無理に迫れば全ての女性から絶縁状を突きつけられ、たとえ殺されても文句は言えなかった。このような好条件、この先恐らくあるまい。所帯をこの娘と持っても、包容力のある女性だからきっとうまくいくだろう。なにより年上のおっとりした性格は太郎の好みであった。覚悟を決めて太郎は振り向き、


「お葉、」

「はい、なんでしょう」

その猪の頭を見て、

湯中ゆあたりしたようだ、先に上がる」

そういって今度も太郎は逃げ出した。










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