其の十六
石像に打ち込んだ拳は、いとも容易く跳ね返される。むしろこちらの拳が痛むほどだ。久しぶりの痛みに、タロウはちょっとだけ目を細めた。いつ以来だろうか。この世界に生まれてからは、病気も怪我もしたことはなかった。それゆえに、高位の魔獣に襲われて怪我をしたのは。
「ざっと四年ぶりか」
セラを亡くしてから、タロウは盾を求めた。もう失いたくはなかったから。自分ではなく、他人を守るために。
「よっ、と」
無言で振り下ろされる拳に手を当てて、衝撃を殺して回転しながらしのぐ。自分の腕を自分で破壊するほど愚かではないようだ。腕同士がぶつかり合わないようにタロウに攻撃を加えてくる。
「おらあっ!」
再び、殴る。痛い。相手を見るが、ヒビどころか剥離すらしていない。いくつかは防ぎきれずにタロウを打ちのめし、その度に久しぶりの痛みを、生きているという感触をタロウに伝えた。
「ふ、ぐうっ」
戦いの最中だというのに、タロウの意識はどこかまばらに散らばっている。殴っても、すぐに壊れない相手。自分以外の者の心配をしなくてもいい空間。里には、幼い弟妹がいた。どこにいても誰かがタロウのそばにいた。王の息子だから。助けてもらえるから。他にはどんな理由があっただろうか。けれど、一人だけ。
「マツユキは、アホみたいに付きまとってきたな」
なぜか里から離れる時には必ずと言って良いほどマツユキがついてきた。タロウより弱いくせに、魔獣を運ぶのを手伝ったり、何かとくっついてきていた。ユキナガの兄の子であるマツユキは、王都の戦乱に巻き込まれて亡くなったらしい。成人してからも、里ではふらふらと仕事もせずに子供たちと遊んでばかりいた。兄であるユキミチは子供だけ守備範囲内だったのだろう。タロウがマツユキよりでかくなってからは弟や妹たちに付きまとうようになった。
ブン、と迫る拳にそっと手を当てて後ろへと飛んで、自ら怪物から距離をとる。攻めあぐねていた。どうしてもこちらの攻撃が通じない。
そうして考えている間にも、容赦ない記憶がタロウを攻め立てた。子供の頃から一人だったような気がする。誰も、前世の自分を知らない世界。優しくされるのも、冷たくあしらわれるのも、同じようにどこか他人事のように感じていた。
そんなタロウをセラが初めてこちらの住人にして見せたのだ。自らの死をもって。その時の記憶はいまだに曖昧で、森都から来ていた医者はショックが大きすぎて記憶を封じてしまったのだろうと前世の医者のようなことをいった。
「走馬灯見てるのか?俺」
何度も何度もタロウに向かって振り下ろされる拳を見るうちに、自嘲の呟きがタロウから漏れる。もしかしたらそうかもしれない。前世で轢かれるときは見えなかったのだが。
何せ一瞬だった。衝撃がきた、と思ったら、次に意識がはっきりと思い出せるのは共通語の勉強が始まって、ユリに抱えられている場面だった。混乱はすぐに収まり、あっさりとこちらの記憶とあちらの記憶が入り交じって、タロウを形成した。
それからは、狩りの仕方をならい、母の手伝いをして。そうして、再びひとりぼっちになった。
「生まれ変わってもたいして変わらなかったな」
苦い思いが込み上げる。自分がダメなのは境遇のせいだと、社会のせいだと息巻いて電子の海へと飛び込んだ。しかし。
「痛えよ」
避け損なった石像の拳が、タロウの肩を打つ。そこが熱をもってジンジンとした痛みを伝えてきた。このまま、なぶられるように死ぬのかもしれない。それも仕方ないだろう。今まで、タロウだって魔獣や怪物を蹴散らしてきた。今度は、たぶん。
「俺の番ってことかね」
ブオンと繰り出された拳を両の手で挟んで食い止める。すると、違う腕がタロウに向かって振り下ろされた。ぐいっと身を捻ってやると、捕まえていた腕にそいつが当たり、ほんの少しだけ石像の腕にヒビが入る。
「…」
すぐに引かれた腕に、タロウは一撃をいれようとして踏みとどまる。次の拳がタロウを狙って振り下ろされたからだ。
「っう!」
両腕を交差させて防ぐが、勢いに押されて後ろへと下がった。と、足に壁の感触があるのに気づく。後ろは壁だ。もう下がれない。
「ぐ、あっ」
次々と打ち込まれる拳に、防ぐことしかできない。ダメージは微量だが、このまま続けば腕が持たなくなるだろう。そして、頭にこれが打ち込まれれば。
「ふざけんなよ。くそっ」
このまま死ねば、楽だろう。強敵にあって、奮闘したけれど負けて死にました。別に悪いことじゃない。水球世界では死は地球よりも身近だ。誰に対しても言い訳がたつ。
『太郎さま』
けれども。そうしたら、あいつの死はどうなるのだろう。俺を庇って魔獣に殺された、あいつの死は?
…無駄死にだ。こんな屑みたいな自分を助けたばっかりに、死んだ。
『人殺し!』
そう叫んだ、あいつの娘の言葉がよみがえる。その通り。このまま死ねば、タロウは本当にセラを殺した人殺しのままだ。何も成せず、何者にもなれず。
「嫌だな。それは、なんか嫌だ」
前世のニート時代のまま。あるはずのなかった未来を手にいれて。それでも、自分は屑のままか。それは、耐えがたかった。どうしても、受け入れがたかった。
「考えれば、死ぬのはいつだってできるしな」
ならば。今死ぬ必要はない。交差した腕を解いて、打ち込まれる拳をガッチリとつかんだ。ぎりぎりと、力を込めていく。何かを感じたのか、石像が腕を引き抜こうとするが、力ずくで押さえ込む。
「よう。石でも、痛みはあるのかね?」
不思議と腹がすわった。もう、負ける気がしない。ぎちぎちと音をたてながら指を石像に食い込ませ、バキリ、と石像の一部が割れて床へと転がった。壊れた部分から石像の拳だったものがすり抜けていく。
「…」
無言のまま、石像が再びタロウに拳を振り下ろし。
「…っ!」
腰だめに構えていたタロウの拳と打ち合って、石像の拳が砕け散る。
続く拳もタロウの拳が粉砕し、それが三度繰り返された。
「…」
タロウの前にたたずむ石像は、もう一本の腕しか残されていない。その腕を、ゆっくりと天井へと掲げた。真下にいるタロウも、後ろへと拳を引いていく。
ヒュオッと風を切る音と共に、最後の拳が石像からタロウへと向かう。それに答えるように、タロウも拳を握りしめ。
「うおおおおおっ!」
真正面から激突するように腕を捻り、腰を捻って渾身の力で迎え撃つ。骨まで衝撃が伝わって、互いの拳が静止した。
やがて。ぴきり。と石像の拳に亀裂が入る。ビキビキビキ、と拳を伝わって、腕へと延び、バキリと腕が肩から落ちた。それが床へと届く前に、石像があちこち剥落を始める。バラバラと床へと落ちていくそれは、はじめと同様、なんの感情も表には出していなかった。
「終わり、か?」
単なる石の山へと変化したそれが、徐々に透明な光の帯となってぐるりと部屋を回り込み、やがてひとつの扉を形成する。魔法陣が刻まれたそれは、羽を広げた孔雀が中心に描かれていた。
「さて、これであいつらがいると良いんだけどな」
全員恐らく無事だろう。なんの確証も無いが、タロウはそう思って荷物を拾い、扉を開く。踏み出した足が宙をかいて。
「へっ?」
前のめりになったタロウは、膝をしたたかに打ち付けた。傾斜のきつい扉の先は、どうみても。
「滑り台!?」
鈍く銀色に輝く、果ての見えない滑り台だった。
「ちょっ、うそ!待って…」
どこかを掴もうとして、手すりも何もないことに気づく。ただ、緩く湾曲した板が足元にあるだけだ。スローモーションのようにゆっくりとタロウは顔から着地を決めて。
「ぎゃあああああああ!」
巨大な滑り台を滑り落ちていった。
次は、会議回になります。




