其の一
冬の船旅は、意外にも快適であった。前世と違って脂肪より筋肉の方が多いせいだろうか、それほど寒さを感じない。タロウは飽きもせずに毎日甲板に立ち、潮風を浴びながら海の水平線や、陸の砂浜や崖を眺めて過ごしていた。
「毎日毎日よくやるねえ、タロウ。また魚でも捕るかい?」
潮の匂いは苦手だとか言っていた割にはこうしてタロウに話しかけるために甲版に出てくるコウイチ。船の上でできることは限られているから、飽きっぽいところのあるらしいコウイチはあちこちをさ迷うように動き回っていた。
「いや、あんまり動きたくはないから勘弁してくれ」
厄介な神様の加護のおかげで、船に乗るまではまた一つ階級が下がっていたが、船でゴロゴロしている内に今度は一つ上がっていた。陸では魔獣に警戒しなくてはならなかったが、船の上なら安全だ。なにせ、海にいる限り最強といっていい海族の操る船なのだから。
「おおうい、なんか前に蛇人族が溺れてるぞお!」
船を牽いている海族のうちのトド型の海獣族、ゴウマフが船上で働く魚型の海族、魚人のツナへと大声で叫ぶ。
「どれどれ、やや!本当だ。おいカンパチ、浮き輪を投げてやれ」
「あん?ありゃあ魔獣じゃねえのか?」
「いいやあ、匂いは蛇人族だあ」
蛇人族など一部の獣人族や海族は、大昔に魔獣と間違われて迫害されてきた歴史がある。そのため海や川の人が住めない環境下で生きる術を産み出したり、手っ取り早く人に化ける方法を編み出した。
「何でこのくそ寒いのに、裸で寒中水泳なんかやってんだよ?」
「裸で人前に出る変態だろうと、見殺しは寝覚めが悪いよ。助けてやろうぜ」
蛇の本性を表した姿で、なにも着ていない蛇人族と魔獣を見分けるのは難しかった。
「助かったでござる」
青ざめてガタガタ震えていた蛇人族の男は、毛布にくるまれて調理場の火で暖をとっていた。
「ほら、飲みな」
暖めたスープを川獺の獣人が差し出す。ゴーシュは重ねて礼を言った。
「ミンミさん、さっき海難事故にあった蛇人族が担ぎ込まれたって聞いたけど。良かったらこれを使って…」
エルフ謹製の生姜湯の元をもって来たタロウと目があった。
「…」
「…」
「おう、ありがとうよ。そこに置いといてくんな」
「あ、やっぱり持ってなかった。ごめん」
「え?いやおまえその手に持ってるのは…」
「いやあ、タロウ殿!久しぶりでござる!某でござるよ!ゴーシュでござる!」
「いやごめんなさい俺そんな名前じゃないし。すいません放してください服をつかむな!」
「タロウ殿おおお!ここでお会いしたのも何かのご縁!服を貸してくだされええええ!あと金も」
タロウは仕方なく裸の変態を保護した。
「で、なんで全裸で泳いでたの?答え次第じゃもう一回海に放り込むからな」
タロウの服を借りて文明人へと戻ったゴーシュは、ことのあらましを説明する。
「うむ。あの怪物との戦闘で、実は某も神のご加護を得たのであるが、そのせいで貞操を狙われたのでとるものもとらずに逃げてきたのである」
「なるほどねえ、そりゃあ災難だったな」
部屋へと戻る途中コウイチとも合流した。万が一こいつが犯罪を犯していた場合、狩人の名誉を守るため処分を検討することになるからである。
「うむ、相手が身分ある人のため、反撃するわけにもいかず、魔術媒体は預けてあったため持ってこれなかったのである」
「良かったな、助かって」
コウイチは何故かゴーシュに大分同情的だ。
「あれほど恐ろしい思いをしたのは久しぶりでござった…」
よく見ればゴーシュは少しやつれているようだ。今の話に嘘っぽさはなかったが、タロウは念をいれておくことにした。
「やましいことがないならゴーシュ、誓いをたててくれるか?」
「何に対してでござるか?」
「今の話が本当かどうか、おまえが罪を犯して逃げて来たわけではないということを」
「承知した。『火の主、偉大なる生命の灯火、御名にかけて我が罪人でないことをここに証立てる。偽りあらば汝の火に我をくべられよ』」
この世界の契約と約束は、神の名のもとに行われる。普通は正義や審判の神に誓いをたて、その真偽を保証してもらうのであるが、ゴーシュが行ったのはそれよりも危険性の高いものだ。通常は身の潔白を証明するのに審判の神に判断してもらい、正しければ刃先を上に向けた剣が現れ、偽りならば刃先が下を向いた剣が現れる。
しかし加護のあるものがその神に誓いをたてるとき、それが偽りや破られた場合には加護を失い、酷いときには命すら失う。
「大丈夫みてえだな。燃えなかったし」
「コウイチ、お主残念がってはおらぬか?」
ゴーシュは犯罪者ではなかったようだ。全裸で泳いではいたが。
「それにしてもそなた等はどうしてこの船に?」
一連のやり取りのあと、至極もっともな問いが発せられる。
「ああ、寒いから温泉に行こうと思ってな」
コウイチは寒がりなのか、大分着込んでいる。狩りの時と比べて横幅が倍になっていた。
「俺はほら、盾がベコベコになったから、直してもらおうと思ってさ。ついでに鎧も作る予定なんだ」
単眼鬼との戦いで、それなりに消耗していた物を修復に出したり新しいものを揃える予定であった。ドワーフの職人は世界中から注文が集まるほどの実力を持っているし、鉱都の迷宮からは多種多様な鉱物が産出される。
「タロウ、お主に鎧は必要あるまいよ」
冗談めかしてゴーシュが言う通り、普段魔獣との狩りでタロウに鎧はいらない。むしろ邪魔なのでつけない。だが、階級が不安定に上がったり下がったりする現状、老衰によって下がるとされているステータスの値が突然下がることも考えられた。
「ああ、しばらく旅に出て、迷宮を探索しようと思うんだ。冒険者ってのに憧れてたんだよな、実は」
内情を話してしまうのは弱味を見せるようで気がすすまなかった。
「迷宮でござるか。良いでござるな、確かにタロウほどの能力があれば迷宮探索でも食っていけるやも知れぬな。そういうことなら、某も些少ながら手をお貸しいたそう。借りた分の働きはして見せるでござるよ」
目的のものがものである以上、ありがた迷惑である。未知の物を探さなくてはいけないのだから、その情報料や移動経費などで、稼ぎは食事と宿代に足りるぐらいしか残らないであろう。タロウの沈黙を否定と取ったのか、ゴーシュが居心地悪そうに、撤回する。
「やはり、邪魔でござるか。タロウならもっと若いおなごと組んで探索も容易でござるしな…」
うなだれるゴーシュに、タロウはますます言葉に詰まる。話すべきか、それとも。
「『我、並ぶもの無き美の司の名において、真実を語り、また友とするものタロウとゴーシュの秘密を固く守ることをここに宣言する』」
突如としてコウイチが誓いをたて、またその内容に二人を驚かせた。
「さて、俺は誓いをたてたぜ。二人ともそろそろ感づいていやがるだろうが、俺は転生者だ。日本のな。このままじゃらちが明かねえ、お互いに誓いをたてて腹あ割ろうじゃねえか、なあ?」
先に譲歩したコウイチにならって、タロウとゴーシュも覚悟を決める。
「『我、慈悲深き愛の主の名において、タロウとコウイチ、二人に偽りを述べず、また友情を裏切る真似をせぬと誓う』」
「『我見初めし怠惰の神よ、御名によって我が友ゴーシュとコウイチの秘密を守り、真を話すと宣誓する』」
宣言が終わると同時に、光輝く青い茨の輪が三人のまわりにそれぞれ出現する。するするとその輪は締まっていき、手首には青いアザが残った。
「さて、有意義な話し合いといこうじゃねえか」
にやりと口端をつり上げたコウイチが皮切りに、前世と今世の話が交わった。それぞれの死、新たな生、世界が違うことによる常識の違いや自らの変化に対する戸惑い。
「それでまあ、俺は前世と性別が違ってるせいで苦労してな、種族が変わっちまったからまだそこまで拒否感はなかったんだがよ」
そこまでいって言葉に詰まるコウイチ。
「無理に言わなくてもいいんじゃないか?なんとなくわかるし」
「いや、こっからが大事なんだ。怪物を狩りで倒したあと、美の神の加護を得てな。それで、見合い話が断りきれないくらい来ちまって。とりあえずでいいから婚約者だけでも決めろって言われて見合いさせられそうになったんだよ」
たしかにあの頃と比べるとコウイチの毛皮は赤みと艶が増しているように感じられる。まあ、人だったら肌のキメが整っている、といったところか。
「それは大変だったでござるな。某も愛の神の加護を得てしまって、里の姫巫女に求愛を受け、襲われたので逃げて来たでござる」
「ん?蛇人族の現巫女って、女性じゃなかったか?」
「姫はまだ十二才でござる。某ロリコンではござらん」
「それはきついな。前の世界じゃ間違いなくアウトだし」
獣人族は基本的に早婚であるが、それでも十六才ぐらいからやっと大人としてみられる傾向にあり、また階級が十以上の女性の方が圧倒的に産後の生存率が高いため、それらを基準にしている。
「姫は同年代の中で階級は飛び抜けて高いが、だからといってごり押しされても困るでござるし」
「まあな。いくら権力で自由にできるからって、十代はちょっと無理だわ。タロウは?」
「ああ。その、経験値がマイナスになる呪いを受けて…」
そこまで言ったところで手首の輪が絞まり始める。
「いってえ!じりじりくる。ゆっくり絞まってくる!」
「おいタロウ、嘘ついてんじゃねえ!」
「嘘?あ、もしかして呪いがまずいのか。訂正します、神様の加護を受けた結果、経験値がマイナスになりました!」
「止まった?でござる。ということは本当でござるか。いったいどんな加護を受ければそんなことになるので?」
心底不思議そうに聞いてくるゴーシュ。それとは対照的に首をかしげるコウイチ。
「まて、経験値ってなんだ?」
「え?経験値は経験値だけど…」
「ゲームで出てくるステータスというやつでござるな。ただしこの世界のステータスにはリクエストしても出てこないのでござるが」
「あ、やっぱり?探してもどこにも載ってないし、出てこないんだよな」
「何いってんだお前ら。ゲームじゃあるまいしそんなもんがあるわけないだろ?」
コウイチの発言に顔を見合わせるタロウとゴーシュ。ステータスが見れること自体がゲームじみているのだ。今さらだろうに、と思うがもしや…。
「念のため聞くが、ステータスという言葉自体は知っているのでござるな?」
「ああ、地位とか身分のことだろ?」
「ステータスって唱えてたよな?あれでいったい何が見えてるんだ?」
その言葉に戸惑っていたゴーシュがあっ、と声をあげる。
「そうか!人によって見えている表示が違うのでござるな?それでこの魔法にも説明がつくでござるよ!」
「いきなりどうしたんだよ。俺にもわかるように説明してくれ」
先程からおいてけぼりであったコウイチが苛立ったように説明を求めた。
「その前に、おのおの見えているステータスの表示を簡単にでいいから教えてくださらんか?たぶんそれですべてが解決するのでござる」
そこでそれぞれがステータスを表示し、口頭で伝える。
「俺のはシンプルなもんだな。名前、年齢、階級、スキル、加護、以上だ」
「少っ。俺は名前、階級、年齢、スキル、加護、あとはお馴染みのHPとかMPが六種類」
「やはりでござるか。某のステータスは名前、年齢、階級、スキル、加護、同じく六種類の能力値に身長、体重、状態、魔術行使可能数、魔力変換率とさらにあるでござるよ」
ようやく理解が追いついた二人は呆然としている。タロウの疑問通り、本当に見えているものが違うのだ。しかしそうなると…。
「親父や従兄のステータス見せてもらったけど、俺とおんなじだったぞ?」
「俺んとこも似たようなもんだったぜ?」
魔術具を使って見せてもらったステータスは、同じ形式で表示されていた。
「おそらく、だからこそ、このステータスというものは魔法に分類されるのでござる。魔法には大勢の魔術師と大量の魔力と触媒が必要とされるのでござるが、このステータスという魔法は自身の魔力すら使わずに発動するのでござる。つまり、魔法は常に発動していて、その結果だけを我々は享受しているのでござるよ。だから魔術具では完全に再現されないし、写し出されて個人の目に届くまでに再変換されて最適化されてしまうのでござる」
長い。タロウは必死になりながらゴーシュの説明についていく。
「つまり一からプログラミングされて、個人用に魔改造されたブラウザーを通して情報を見ているってことでいいのか?」
「うむ。そして表示されないものはリクエストしても初めから無いものか、あるいはその条件が満たされていないためにアクセスすることができぬのであろう」
「なるほどなあ。俺は非現実的だとは思ってたけど、そこまで考えてはなかったよ」
「某の推測であって、完全ではないのでござるがな」
ふと静かなコウイチが気になって目を向けると、こっくりこっくりと船をこいでいる。
「寝ているでござるな…」
世界の謎には興味がないらしかった。




