夜を待つ木馬
寒い日の続く最近、わたしはとても退屈していた。
そういう時に思い出すのは、昔住んでた家のことや、今はない昔通ってた病院のこと。
でもわたしはまだ幼かった頃の話だから、それがどこにあったか覚えていない。
でも一つだけ覚えてるのは好きだった遊園地の名前。
朝食を食べながら唐突に、その遊園地に行こうと決めた。
その遊園地は低い山の上に建っていて、駅から遊園地までをつなぐオモチャみたいな電車で入口へ向かった。
乗ってる時からやけに人が少ないと思っていたけれど、駅で降りたのはわたしだけだった。
暇つぶしで何往復もするおじいさんが、折り返しの表示された車内で気持ち良さそうに寝ていた。
入口はとても広かった。
わたしは一人、有人券売機でチケットを買って中へ入った。
売り場の若いアルバイトは、訝しそうにジロジロとわたしを見ていた。
長い階段を下ればいよいよ乗り物が見えてくる。
わたしは愕然とした。
そこには誰もいなかったから。
何からも隔絶された世界で一人取り残されてしまったような、そんな不思議な心地がした。
全ての乗り物が止まっている。
係員は小屋の中にいるのかあたりはおかしなほど静まり返っていた。
道端に荷物のように置かれた、砂ぼこりだらけの子供用の乗り物が、ひび割れた音で案内を続けている。
冬の昼間の、コートを脱ぐ程の暖かさなのに、背筋が凍るような怖さがあった。
遊園地の中央には回転木馬があった。
わたしは手始めにそれに乗ることにした。
乗った瞬間驚いた。
なんて冷たいんだろう!持ち手もお尻も…。
よく考えれば冬の外気に触れている金属なんて、皆そんなものだ。
でもわたしには、回転木馬の持ち手が冷たい記憶は無かった。
そもそも、こんなにすいている記憶もない。
わたしは、たくさんの子供たちが乗った後の回転木馬しか知らない。
おそらく、今日初めてこれに乗ったのはわたしだ。
きっと誰の体温もそこには残っていなかったから、この木馬は冷たいのだろう。
いくら日差しがあっても、ここは庇の中。
人の温もり以外、この木馬は温まる術を知らないのだ。
係員に聞いてみた。
「ここはもう、ずっとこんなに人がいないのですか?」
「はい、日中は。でも夜になればイルミネーション目当てのお客様がいらっしゃいますよ」
わたしは夜を待つことにした。
点灯式は夕方五時過ぎだという。
昼の十二時から入ったわたしはそんなに待たずに済んだ。
それまでわたしは広い遊園地を散歩して回った。
空中ブランコやバイキング、動く展望台など、様々な乗り物に乗った。でもその全てがわたししかおらず、とても寂しい気分になった。
ゲームセンターを内包したアーケードは、悲しいほど機会音に溢れていた。
わたしのブーツの音だけが響く。
一昔前のプリクラ機のくもった声。
塗装のはげたエアホッケー。
UFOキャッチャーは電飾の一部が切れたままだった。
アーケード横にあるステージのあせた青色も、わたしをいっそう切なくさせた。
ジェットコースターはニ年ほど前から休止していた。
もうきっと再開されることはないのだろう。
青空に映える薄紅のレールが何故だか悲しく見えた。
山の夜は早い。
空が茜になったかと思えば、山の向こうにすっと日が沈んで一瞬で真っ暗になる。
冬の五時はもう十分すぎるほど暗かった。
人は驚くほど増えた。
皆わいわいと点灯式を待った。
一度全ての明かりが落とされ、一斉に数多の電飾がついた。
その瞬間、初めてわたしは遊園地の始まりを見た気がした。
イルミネーションを見て周る人たちの流れができはじめた。
アーケードに響く無数の靴音、シャッター音。
乗り物までの道には笑い声。
動き出した乗り物。
光と音に彩られ、やっと遊園地は眠りから覚めたのだ。
帰る前に観覧車からそこら一帯を眺めた。
東と北には住宅地、西には山。南には湖が広がっている。
そしてその真ん中に、世界の違うような煌めき。
わたしの脳裏には、とある神様のための湯屋が浮かんでいた。
まさしくあの世界。
もはやここは何かを超越した場所のように思われた。
これからここは忙しくも楽しい夜を迎えてゆく。
あの凍える木馬はきっと、この夜を待っていたに違いない。
閲覧ありがとうございました。
この作品は関東圏に実在する遊園地をモデルとしています。
私が訪問した時は長期休みでもない普通の平日の昼間でしたので、人が少ないのはそういった面もあるかもしれません。
子供向けのショーや様々なイベントを開催しており、休みの日にはまだまだ人はたくさん来るようです。
決してその遊園地を悪く書いているわけではございません。ご理解下さいませ。
皆様の心の故郷に、まだ活気がありますように。