第八話
1
キャメロンさんが僕たちを監視できるなら、犯人にできないという道理はない。
この床の血は、僕らを地獄へ誘うカーペットなんだろうか。
「しかしだねレオン君。一つ気になることを思いつかないかい?」
「え、何ですか」
「どうして犯人は、わざわざまた私達に情報を残していったんだろうね」
「証拠になるようなものは残さない。それが犯人じゃないですか」
「この状況こそ、犯人が何かを伝えるメッセージだとは思わないかね?」
プロデューサーが殺され、辺りが血の海。警備員は精神を崩壊させられ、話もろくに聞けない状態。これじゃ、いつもみたいに手がかりなんて……。
いつも……みたいじゃない部分あるじゃん!
「ロミオさん!プロデューサーはどうして灰にならなかったんですか?」
「一番重要な所だ。いつも相手を灰燼に帰すことばかり行っていたのに、どうして今回は血の池地獄を選んだんだろうね。むぅ、これは不思議だぞ」
わざとらしく、手を顎に当てて考える素ぶりを見せる。
すると、これまたわざとらしく、手の平をぽんと叩いて、閃いたと言わんばかりの顔。
「なるほど、わからん」
「嘘でしょ!」
期待させておいて、3秒という貴重な時間を失った。
どうしてこういう無駄なところに力を入れるんだろうねロミオさんは。
僕が以前、別の事件で真犯人を聞き出そうとしたことがあった。
本当に無駄なことだと思うけれど、ロミオさんは僕に犯人を当てさせるために、常々ロミオさんが好む女性の話を延々と聞かされた。お陰で僕はろくな推理ができなかったという過去がある。
決して僕の頭が悪いからじゃあない。ロミオさんが悪いっ!
「私のジョークは、クライマックス前の心を解すためのものだと思ってくれ。最後のステージへ上がるために、この暗い道を辿って行こうじゃないか」
この穴は途中でいくつも分岐しているらしく、警察は犯人がどこの穴から逃げ出したのかわからないらしい。
迷宮のような道のりを、僕ら二人で辿って犯人の足取りを追えるのだろうか?
普通なら止めましょうよと提案するところだが、僕の上司が行くと言ったら付いていくしかない。
僕が止める前に、警察であるグレンさんが止めるべき場面だと思う。けれど、グレンさんは「こいつが無茶な話をし始めるのはいつものこと」と思っているのか、涼しげな顔で僕らの話をずっと聞いていた。
「レオン君。私はここに来た時からずっとひっかかっていることがあるんだ。それは実に不思議な話だ。どうしていつも灰にしてしまうのに、血の海を作り上げたのか。これはどうにも怪しい」
「とか言って、実はもう全部見抜けているんでしょう?」
「うん、わかっている」
なら言ってくださいよ!
「いつもは体を灰にする。今回は全て血にしてしまった。いや、本当に全て血と化したのかな?」
「よくわかりません」
「まだわからなくていい。そのうち自ずとわかるからね。さぁ、この穴を潜りぬけて、事件の終焉を見届けようじゃないか」
グレンさんからペンライトを二本受け取ると、僕とロミオさんは暗い穴の中を進み始めた。
警察はこの穴を辿って行くのは危険と判断して、内部からではなく外部からの捜査を今も進めているらしい。
警察が危険だと判断した場所を、一般市民が通るのはどうだろ?
それに、その内一人は中学一年生だよ?
ヴァンパイアだけどさ……。
「まったく、どうして警察ではなく我々が行かないといけないんだろうね。こんなわけのわからない場所を冒険しないといけないだなんて。なぁレオン君」
ぐちぐちと文句を言っているけれど、どうせ僕が着く前にグレンさんへ全て話を付けていたに違いない。そうじゃなければ、グレンさんが犯人の抜け道を僕らに通らせてくれるはずがないからだ。特に止める気もなさそうだったし、彼は全部話を聞いた上でペンライトを渡したんだろう。
「外に居る警察は、数多もの出口と思わしき穴を捜索しているそうだ。私達と警察、一体どちらが犯人の抜け出した道を見つけ出すだろうかね」
「どうですかねぇ。というか、ここ幽霊でも出てきそうなくらい不気味なんですが」
「あまり声を上げるなよ。彼らに見られているから」
「変なこと言わないでください!」
僕が大声を出しているせいか、それとも向こうで警察が捜査をしているせいか、時折誰かの喋り声が聞こえるような気がする。
真っ暗で薄気味悪い穴を、しゃがみながらゆっくりと進んでいく。
こんなに大きくて長い穴。犯人はどうやってこの抜け道を作り上げたのだろう。
ずっと抜け道という表現を使ってはいるけれど、正確にはプロデューサーを殺すための侵入口か。
犯人は外壁のどこか、もしくは地下を通じてプロデューサーの部屋までピンポイントで掘り進み、彼を血まみれにした後に、元来た道を戻って行った。
警備員に気づかれずに、プロデューサーを殺すことができるんだろうか?
その場所に行くまでに、どのような手法を使って掘ったのか、ずっとその問いが頭の中から抜けていってくれない。
「そんなに疑問に思う事ではないだろう。あれだけプロデューサーはシンデレラや赤頭巾について知っていたんだ。対面しても、特に不思議だとは思わない。むしろ、自分を助けに来たんじゃないかと思ったかもね。脱出した後私を狙おうとしたかもしれないが、その前にあの世に旅立ってしまった。なんとも不幸な話じゃないか。折角意気投合し始めていたのに」
「壁を掘った手段はわかるんですか?人が這うくらいの高さを掘り進めるのも困難だというのに、ロミオさんの身長だと腰を少し折れば歩けてしまうくらい大きな穴を開けるなんて事、できるんでしょうか?」
「犯人は、魔法に関して詳しい人物だ。そして、プロデューサーを殺した犯人は言うまでもなくシンデレラではない。シンデレラが殺すと言うなら、ここまでのことはしないだろう。赤頭巾が一緒に居たのは間違いないとは思うがね。警備員達を混乱させている間に、プロデューサーを殺害したと見て間違いない。さて、次の通路はどちらになるだろうね?」
暗い道を歩くこと約5分。ロミオさんは勘で歩いているのか、何か確証を持って歩いているのかわからないが、いくつもの枝分かれしていた道のりを止まることなく右へ左へ真っ直ぐへと歩んでいた。
だが、この分かれ道に辿りついた途端、突然どちらに行くか迷いだした。
「君は無意識か意識してかはわからないが、血の跡を特に見ないで歩いていたらしいね。ヴァンパイアだと言うのに、血が嫌いなのかね?」
「え、血の跡なんてありました?僕はロミオさんの後ろをくっつくようにして歩いていましたから、まったく気づきませんでした……」
「ヴァンパイアと言えば血を好む生き物だというのに、君は本当に変わっているな」
「よく言われます。それで、その血の跡がここで途絶えちゃったんですか?」
「あぁ。だが、私に準備不足ということは決してない」
ロミオさんはポケットから、方位を示すコンパスを取り出した。その形はまるで懐中時計のように丸く、ズボンのベルトにチェーンが括り付けてあった。
方位を確認すると、ロミオさんは迷わず左へと進み始めた。
「どうして方位で歩く方向を決めるんです?」
「こっちの方角には、ラファエル邸があるんだよ」
「もしかして、犯人はプロデューサーを殺した後、ラファエル邸に向かったっていうんですか?」
「考えられる事ではあるな」
「それじゃ、犯人は聖杯を手に入れたんじゃ……。僕らがどこにあるか突き止める前に、手に入れてしまったんじゃないですか!?」
「そう焦るもんじゃないぞレオン君。犯人が全てを手に入れ儀式を始めようとしているんだとしても、我々が今から行けば間に合うだろう。あの儀式は、幾分時間を使うものだし。それと、役者が揃わないうちには、何もしないはずだ。そうじゃなければ、あんな痕跡の残し方はしなかっただろう。まだまだ我々は、犯人の掌で踊ってやる必要がありそうだ」
また5分くらい歩いた。やっと視線の先に明るい光が見え、僕とロミオさんはペンライトの電源をオフにした。
出口を出ると、辺りに警察はまったく見えなかった。
「どうして警察というのは、肝心な時に現れないし一緒に居ないんだろうねぇ。これじゃ、我々だけで突撃するしかないじゃないか」
「警察が来るのを待っていたら、日が暮れそうですしね」
「お昼ご飯は残念ながら抜きらしいよ。ほら見たまえ。あそこは、黄金の剣があった家だ」
確かにここは、一度来た場所。ラファエル邸での捜査に始まり、続いては黄金の剣の場所を発見した、豪邸が密集している住宅地だ。
「ここに来て不思議なことに、また足元に血痕が残されている。やれやれ、犯人は遊ぶのが好きらしい」
足元を見ると、ぽたぽたと血が落ちた跡が残っている。
僕らはその跡を追って、一軒の家に辿りついた。そこは、黄金の剣が保管されていたとされる豪邸だった。
警察が四六時中見張りを行っているはずなのに、今は幽霊屋敷のように、誰も見当たらなかった。
「血の招待状とは気味が悪いものだ。さて、そろそろ犯人が現れる頃かな」
ロミオさんはためらわず家の中へと入って行った。
黄金の剣があった部屋の扉だけが、不気味なことに開いたままだった。
「さぁ、行くぞレオン君」
意を決して中に入ると、そこに居たのは……。
「よぉ。会いたかったぜ、ヴァンパイア坊主」
2
家の中で待っていたのは、僕が倒さなければならない人物。赤頭巾だった。
童話みたいに可愛らしいならまだしも、マッチを使って相手に幻影を見せる魔法を使うだなんて、凶悪極まりない。この幻影で、何人もの人たちが犠牲になった。倒して、必ず警察に突き出してやる。
「そんなに怖い顔をしないでください……」
可愛らしい声を出して、今更僕を誘惑するだなんてハレンチだ!
ドスの利いた低い声ではなく、誘惑専用ボイスで僕を攪乱するだなんて……。
「喜んでいるんじゃないレオン君。そりゃ、愛しの赤頭巾に誘惑されちゃたまらないだろうが、ここは事件解決のために恋心を捨てろ」
「恋なんてしてません!」
ええい。こんな女性に恋なんてしてたまるか!
赤頭巾がマッチの棒をする前に倒せば、また幻覚を見せられることはない。
先手必勝。同じ手をくらわないためにも、僕は赤頭巾から藁の籠を取り上げようと動く。
だけど彼女は、素早くポケットからマッチ棒を取り出して、さっと火を付け始めた。
「さぁ、お前の中の“トラウマ”を見せてやる」
僕はぱっと目を閉じた。
「成程。この火を見るのがそんなに怖いか。だったら、そこでくたばりやがれ!」
僕は目を瞑ったまま、赤頭巾の前で動かなかった。籠の中からナイフを取り出し、僕の喉元を掻っ切るには十分近い距離だ。でも僕は、まったく動かなかった。
それは、後ろに魔法が効かない男が居るから。
「私にその魔法は、もう通じないことを忘れたかね?」
「魔法は通じなくても、ナイフはお前の体を引き裂いてやるさ!」
「レオン君!今だ!」
僕が目を開けると、ロミオさんはマッチ棒を手で弾き、振り下ろそうとするナイフを間一髪で避ける。
ロミオさんが攻撃を避けたのを確認すると、僕は赤頭巾の鳩尾に痛烈な一撃を加えた。
渾身の拳は実に効き目があったらしく、赤頭巾はナイフを床に落とし、そのまま動かなくなった。
「こうして捕まえてみると、呆気ないものですね」
「いやいや、呆気ないなんてことはないぞ。実に危なかったじゃないか。部屋に入るや否や、ろくに打ち合わせもしていないのに戦闘を始めるとは。実に危険な賭けだった。そもそも私は、彼女がここに居ると思っていなかったし」
本当なんだろうか?
「そうですか?僕は前の経験から、スピード勝負を仕掛けた方がいいと思ったんですけどね。どうせあの幻影は、ロミオさんには見えないようですし」
「そういう時だけ、非常に頭が良くなるな」
「普段から生かせればいいんですけどねぇ。さ、ロミオさん。早速警察へ……」
一瞬背中に氷を当てられたように、背筋がピンとなった。何が僕をそうさせているのかわからない。ロミオさんも、いつになく険しい表情を浮かべている。
この部屋の入口へ一歩一歩ゆっくりと、床を踏みしめながら歩いてくる男が居る。
その男は白いシルクハットを被り、白い仮面を付けていた。そのお面は、目元と口元がくっきりと三日月型に切り抜かれており、不気味な笑みを浮かべているように見える。
白いスーツを着て、水色のネクタイをしっかり結んでいる。一見手品師にも見える彼の服装だが、シルクハットから鳩を出すような陽気さを、彼からは感じ取ることができない。
まるでこの格好は、ロミオさんを模しているかのようだった。
「初めまして名探偵。一緒にゲームをしようじゃないか」
「知らない人とゲームをするなと両親に言われていてね。君の名前は?」
「私の名は特にないが、君と私はこのゲームに参加するプレイヤーだ。プレイヤーとでも呼んでくれたまえ」
声色の高さが、この人物の腹の内にある恐ろしい考えを彷彿とさせる。
悪い人って低い声にドスを聞かせて喋ったりするけれど、こういう飄々とした顔をしている人ほど、心の内ではどんな恐ろしいことを考えているのか想像もつかない。
「プレイヤーだなんて特徴のない名前だな。もっと捻ったらどうだ?」
「今はそれで構わない。なんせ、このゲームの勝利者にはとてつもない報酬が与えられる。この犯罪蔓延る街、アルカディアだ」
勝てばアルカディアって……そんな馬鹿な。
国盗りゲームをしているんじゃないんだから。
「プレイヤーはただの参加者ではなく、この街を収める王となる。王と呼ばれるのは、特徴がないか?」
「私はこの街を収める気はないぞ」
「でも、この街に現れたのには理由があるだろう。未来を見通すかのような洞察力と、天才的な推理力を兼ね備えた名探偵。偶然街に来て、気まぐれに探偵業を営んでいるということはあるまい」
ぴくっと、ロミオさんの眉毛が動いた。
こいつ、一体何を知っているんだ?
「俺はお前のことがとても興味深くて追っていた。この特徴のない私に生きる意味を与えてくれた。感謝している。お前が居なければ、私はただの殺人鬼止まり。しかしどうだ。お前を倒せば、アルカディアで一躍有名になれる。天才名探偵ヒーローを殺した男ってな」
その男は、何か犯罪を行うことに生き甲斐を見出しているのではない。ロミオさんと対戦することこそが、一番の望みだったとでも言うのか。
「よかったなレオン君。これが人に感謝されるってことだ」
とても感謝されているようには思えませんが?
「俺は名探偵がこの街に来た理由を知っている。一人の女のためだろう?」
笑顔だった名探偵も、一瞬の翳りを見せた。それは、一人の女性の話題が出たからだろう。
昨日話をしてくれた、ジュリエットさんに纏わる話。
それをどうしてこの男が知っているんだろうか?
「その女を助けるために、お前はどうするつもりだ?ラファエル邸で儀式の内容を確認してお前はわかったはずだ。念願の魔術。蘇生の法を知ったのだから」
黄金の剣、白金の盾、聖杯の3つを手に入れ儀式を行う。そうすれば、永遠の命を手に入れることができる。儀式書にはそう書いてあったはずだ。
3つのアイテムは、まだ他にも使い道があったって言うの?
「儀式で生まれる力は、如何様にも反転させることができる。その力を使って、自分の愛する女を蘇らせる気だろう。そこのヴァンパイア。お前はそのために使われているだけにすぎないんだぞ?そんな奴の下に居ていいのか?」
「あなたと一緒に居るよりは、絶対に平和だと思いますけどね」
お腹を抱えて、心底楽しそうな高笑いをした。奴は一しきり笑うと、突然冷静になって僕を指差した。
「そこのヴァンパイアも、ただこの男と一緒に居るわけじゃあるまい。虎視眈々と、両親を殺した仇を探し、その牙を突きたてる日を楽しみにしているんだろう?」
「なんでそれを知っているんですか?」
無意識に、拳へ力を込めた。力が入ることによって、僕の瞳が真っ赤に変色する。それを奴は、手を叩いて楽しそうに見ていた。
「瞳が赤くなる。それは、ヴァンパイアが好戦的になる印。まぁ落ち着けよ坊や。まだまだ試合はこれからだぞ?」
「あなたは、一体何者なんですか?どうして僕のことを知っているんです?」
「質問ばかりじゃつまらないな。君の行おうとしている行為の方がよっぽど興味深い。復讐。あぁ、なんと甘美な行為だろうか。目的を達するまでそれ以外は考えることなく生きる。そしてその目標が達成すると全てが無となる。無駄なく美しい構図だ。嫌いじゃない」
僕はギリギリと歯ぎしりをした。
奴から、僕がかつて味わった恐怖と入り混じる狂喜が、この男から伝わってくる。
こいつは、人を殺して楽しむような奴だと。
「折角だ。君に朗報を伝えてあげようじゃないか。私は、君の両親を殺した人物を知っているぞ。その見返りとして、私に協力しないか?」
「断る」
僕は即答した。こんな奴と一緒に居て、いいことなんてあるわけがない。
この男が望んているのは、アルカディアの破滅。ただ、それだけだ。
「ちょっとやそっとの餌じゃ食いつかなさそうだなぁ。いやはや、残念だ。それじゃ、何故私が犯人を知っているか教えてやろうか?答えは簡単だ。私が、君の両親を殺したからだ」
その言葉を聞いた刹那、僕は彼の首から上と胴体を引き剥がそうと首元に掴みかかった。
彼が僕の手を触ると、溶けるような熱さを感じて、正気に戻ることができた。
「レオン君!」
一歩後ずさりすると、奴は足をばたばたさせて、心から憎みたくなる高笑いを始めた。
「見たか名探偵。これがヴァンパイアの本性だ。人とヴァンパイアは相容れぬ存在ではないか?ヴァンパイア避けの聖水を塗っておいて良かった。神様は、犯罪者だろうと平等に守るんだな」
「レオン君!感情を抑えるんだ。こいつの戯言に付き合う必要はない」
「いや、もっと感情を剥き出しにしろ。それがお前の本性だ!」
ひたすら煽ってくるプレイヤー。僕を止めようとするロミオさん。感情を抑えたくても、このふざけた男に対する殺意が抑えられそうにない。
「その手で、私の首を絞めたいか?いいぞ、もっとやれ。お前の望み通りにすればいい」
「レオン!」
プレイヤーの首を掴み、僕は捻じ曲げようとした。だが、ロミオさんが僕の名を呼ぶと、自然と殺意が引いていく。その代わりに、目から涙がどんどんと零れてくる。
奴は僕から離れると、やれやれと首を振った。
「まだまだお子様だな。おい名探偵。小僧のしつけはしっかりしておくんだな」
「もう逃げるつもりか?」
「逃げるなんてことはしないさ」
プレイヤーが赤頭巾を抱え、部屋から出て行こうとした。僕は震えたまま、床に両手をついて動くことができなくなった。
「ここで俺に喧嘩を売ると、痛い目に遭うぞ?」
「私を素通りした方が、痛い目に遭うぞ?」
プレイヤーは僕とロミオさんに聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、言語とは思えない何かを早口でロミオさんに向かって言い放った。
一通り言い終ると、プレイヤーは首を傾げた。
「“魂の瞳”にはこの魔術が効かないと見える」
「不思議と、最近人の精神を翻弄する話を良く聞くものでね。対策はばっちりだ」
大きく高笑いすると、プレイヤーはとんとんとロミオさんの肩をぽんぽんと叩いた。
「このアルカディアを舞台とした盛大なるゲーム。楽しんでいこうじゃないか名探偵。俺達が出会う機会は、すぐ目の前にあるさ」
3
プレイヤーは右肩に赤頭巾を乗せ、ロミオさんの横を素通りしていった。
どうして……どうして力ずくで奴を止めようとしない?
僕の両親を殺した、恐ろしき犯罪者を。
「赤頭巾の身柄を拘束できなかっただけだ。こちらの痛手には決してならない。気にするな少年」
「なんで……なんで奴を止めなかったんですか?」
「君は、知らぬ間に奴の術を受けていた。私が全力を出してあいつを止めたところで、根本的な事件の解決はできない。シンデレラがどこに居るかもまだわからないんだ。逮捕するには時期尚早というものだ」
僕の体がいつも通り動くのならば、意地でも奴を止めた。
不甲斐ないと思う気持ちより、悔しさが上回っている。僕がこの街に居るのは、あいつをこの手で殺すためだった。でも、あいつは悠々と逃げおおせた。そんなの許せるわけがない。そんなの……。
「まぁいいじゃないか。君は私が守って欲しい一番のことをしっかりと守った。それが、私にとっては何よりも嬉しいことだ」
「僕、ロミオさんに言われたこと守らなかったです」
ようやく体が自由に動けるようになった。今更動けた所で、僕には何もできない。
「復讐を忘れると誓ったのに、両親の話を聞いただけであんなに……」
「君がお父さんとお母さん想いだから。ああいう言葉を聞いて黙っていられないのは仕方がない。そう我慢しなくていい」
そう言うと、ロミオさんはそっと僕の背中をぽんぽんと叩いてくれた。すると、彼の顔と僕の父の顔が一瞬合わさった様に見え、思わず涙が一筋頬を伝い始めた。
涙を流している自分が恥ずかしくなって、腕でごしごしと涙を拭う。すると、ロミオさんは、優しく頭を撫でてくれた。その優しさが、父を思い出させる。どんな人にも優しく、お母さんと一緒に僕を大切にしてくれた父を……。
「私は君の父の代わりにはなってやれない。だが、一緒に居ることはできる。これからも」
その時の僕に、恥ずかしさなんてなかった。
思いっきりロミオさんに抱きついて泣いた。辺りも気にせず泣きわめいた。
ロミオさんは、僕が泣きやむまでずっと背中を擦ってくれた。それが、どれだけ僕の心を癒してくれただろう。
「君のお陰で、また重要な情報を手に入れることができた。やっぱり、君は一番の助手だよ。君の想いは、私が必ず晴らす。あいつを私の手で逮捕してやる。約束するよ」
僕がゆっくり頷くと、ロミオさんは優しく微笑んだ。
「ゆっくり休みたいところではあるが、そろそろここから動かねばならない。あいつを逮捕するまで、我々が安堵することは難しそうだ」
ロミオさんは両腕を組んで僕に話始めた。
「プレイヤーが我々の素性をほとんど知っていると言っても過言ではないだろう。彼がどういった経緯で知り得たかよりも、彼がこれから起こす行動を全て潰していくことが先決だ。我々と彼を結ぶ一点の場所。今から私たちは、そこへと向かう」
そんなに歩くことなく、目的の場所へと辿りついた。高級邸宅。一度来た場所。僕とロミオさん。そして、殺人鬼とシンデレラさん達全てを結ぶ一点の場所。それが、ラファエル邸だった。
「何事も、始まりが肝心だと言うだろう?ここの場所に、実は終わりの始まりのためのパーツは揃っていたんだ」
ラファエル氏の邸宅に、警備員も警察も居なかった。先ほどの黄金の家と同じく、人の気配がまったくない。
これもまた、プレイヤーのせいだろうか。
「ロミオ君は今まで疑問だったことがまだあるだろう?私がどうして熱心に聖杯を探さないのか。そして、ろくに君との話で聖杯の話をしないのか。答えは簡単」
ラファエル氏の部屋に着くと、ロミオさんはぽんと両手を合わせた。
「では、本番を始めよう」
流調に講義を行なう大学の教授みたいに。ぺらぺらと話を始めた。
「最初に来たとき、この部屋の物は何も盗まれていないという話をしたね。そうさ、盗まれては困るんだ。大切なものはここに全てある。警察が魔法を使い、殺害現場を全て保護し、移動できないようにする。その期限は一週間。まだその期限に達していないこの部屋から移動したのは、我々が必要だと思った文献のみ。それは警察に許可を得て移動しているものだから、拘束魔法は発動しない。今まで、拘束魔法が発動したという報告は受けていないし、無理やり誰かが拘束魔法を外そうとした形跡もない。つまり、この場所にあるものは一切移動していないんだ。あの王子もね」
ベッドにずっと横たわり眠りについているラファエル氏。
彼自身の研究が、彼へこの様な事件をもたらすとは、まったく思っていなかっただろう。
ロミオさんは、僕らが最初に見た壁画を指差した。
「壁画に記されているのは、左側に立っている男が持っている剣と盾。そして、右側には女が聖杯を持ち立っている。今まで盗まれたのは剣と盾だった。レオン君はこう思っただろう。剣と盾が盗まれたのであれば、最後に盗まれるのは聖杯だと。残念ながらそれは違う。もう、聖杯は犯人の手に渡っていたも同然なんだ。何故なら、儀式はここで完成するからだ」
壁画に掛かれている絵に重要な物がここに在る。ということは、この部屋に聖杯が?
僕は壁画を改めて見て、思わず息を飲んだ。
現在のラファエル氏は、呪文さえ解くことができれば生き返る可能性がある。
未だに姿を見せないシンデレラさん。
剣と盾を手に入れたプレイヤー。
そして最後に行うことと言えば……。
「それじゃ、ここの壁画に描かれているのは……」
「ヒントではなく、答えそのものだったんだよ」