第七話
1
ロミオとジュリエット。その物語は、悲しき恋の物語だったはずだ。奇しくも、この物語と同じく、ロミオさんとジュリエットさんは恋をしている。
僕は、現実に居るロミオさんとジュリエットさんがどんな恋をしていたのかを知らない。
その本のタイトルを聞いた途端、二人がとても悲しい結末を辿ったのではないかと、考えたくない考えが頭の中を駆け巡る。
「君はまだ私とジュリエットがどんな関係だったか知らなかったね。そりゃもう、君に話すことはできないくらい濃密な時間を過ごしたものだよ。子供にはまだ早い」
冗談を受け流すのは簡単だけど、受け止めるには重い。
ロミオさんはワインだけでは飽き足らず、ウイスキーまで用意し、別のグラスに注ぐと、流調に話を始めた。
「ここで話をしないのも勿体無い。折角だから話をしてあげようじゃないか。君と出会った頃の懐かしいお話も聞いたことだしね」
ウイスキーの入ったグラスをくるくると揺らしながら、僕の知らない過去の物語を話始めた。
「アルカディアから遠く数千里は離れた場所にある、ムーという街で私は育った。幼少期から大学時代にかけては、今の私のように頭脳明晰ではなかった。私がシンデレラと出会ったのは高校時代のことだ。その頃の私はとても不真面目で、まともな勉強なんて一切しなかった。シンデレラと付き合って数年。彼女に相応しい男ができた。アルカディア一の富豪、ラファエル氏だ。彼はアルカディアの中でも魔法学、機械学の世界に貢献する男であり、私よりもとても魅力ある男だった。私がシンデレラと別れたのは、ラファエル氏の方がシンデレラにとってお似合いだと思ったのさ。私はシンデレラと比べて資産のある家に生まれていない。まさに、ラファエル氏はシンデレラを迎える王子なのではないかと思ったよ。それからシンデレラとはしばらく会うことがなかった。世間に出た私は、早速探偵の仕事を始めた。でも、推理力も仁徳も無かった私には、今のように事件を解決する能力も無ければ、それ以前に仕事が無かった。そんなある日に出会ったんだよ。ジュリエットに」
楽しそうに喋るロミオさん。こんなに楽しげに喋る彼を見るのは、いつぶりだろうか。よっぽどジュリエットさんのことが好きなんだね。
「ジュリエットは、シンデレラ同様お金持ちの家の生まれだった。そんな彼女と出会うきっかけになったのは、とある事件と遭遇したからなんだよ」
「ロミオさんが惚れ込むほどの女性ですから、後世に残るような事件だったんでしょうね」
「そんな大それた事件じゃないよ。ネコ探しだ」
「はえ?」
思わず口を開けたままぽかんとした表情を浮かべてしまった。ロミオさんがネコ探し?探偵としての仕事としてはありかもしれないけれど、つい最近やっと屋根の修理を請け負う様になった男が、昔から動物を探すような仕事をしていただなんて到底思えない。もしかして、ジュリエットさんが美人だったから?
「初めて彼女を見たのは、プロヴァンスという街に事務所を置いていた時。事務所付近をうろうろしながら、仕事を探していた。すると、裏路地へとネコを追っていく、純白のワンピースを着た赤髪の女性を見掛けたんだ。私は目を奪われ、その女性を追いかけはじめた」
先ほどの眠気はとっくに吹き飛び、ロミオさんの語りが頭の中で、僕の記憶のように形となって流れ始める。
2
路地をどんどん進んでいくと、十字路に差し掛かった。そこで、おろおろとしているジュリエットが居たんだ。
「どうしたんですか?」
どうしたもこうしたも、その一部始終を見ておきながらこの台詞を言うのは実に白々しいというものだが、いかんせん他に言葉が見つからなかった。
「私の子猫がこの路地に迷い込んでしまいまして……困ったものです」
「よければ、お手伝い致しましょうか?私は探偵ですから、子猫の捜索も請け負いますよ。御代は要りませんから」
「探すのをお手伝いしていただけるのですか?なんとお優しい方なのでしょうか」
私がそれまでに出会ってきた女性の中で、一番穢れの無い聖女のような人物だと思う。女性好きな私ですら、二の句を告げられなくなったことは、この一時しかないだろう。
それから、私とジュリエットは子猫を探して歩き回った。
日も暮れそうになった頃、流石にこれ以上捜索を続けるのは困難だと判断し、今日の捜索は打ち切ろうと提案をした。だが彼女は、自分一人になっても探し続けると言った。こんなに美しい女性を、夜の街に放っておくわけにはいかない。内心諦め半分だったが、私は彼女と共に子猫を探し続けることにした。
三日月が美しく見える夜空の下、公園を探していると、幸運にも子猫を発見した。
円形の遊具の下で、丸まってすやすやと眠っていたのだ。
子猫を見つけると彼女は、何度も私にお礼を言った。
「本当にありがとうございます。このご恩は、決して忘れません」
「いいんですよ。良かったですね、見つかって」
「はい!」
私は、子猫をひざに乗せてベンチに座っている彼女を、ずっと見つめていられる気がした。それまでの私の中にある女性達への価値観としては、美しさやかわいらしさを目で嗜むのがモットーだったが、彼女に対してはそれだけでは済まない感情を抱いた。ぱっちりした紫色の目。透き通るような白い肌。彼女の赤髪は、ただ美しいだけではない。艶やかさとしなやかさを兼ね備え、ついついその髪質を肌で感じたくなるような……。
え?何言っているんですかって?君ねぇ。君だってあの赤頭巾に同じ感情を抱いたことがあるんじゃないかね?そんなことは無いって。冗談だろう。
ま、君の話は今度またゆっくり聞いてあげるよ。私はジュリエットとその子猫捜索を機に、定期的に会って出掛けるようになった。
彼女はいつも白い色のドレスを着ていた。結婚式で着るような大層なものではないぞ。あくまで外出時に着る為のドレスだ。
ドレスを着るだけで大層なことだって?そりゃ、彼女の家はプロヴァンス一の富豪だったからねぇ。どうして私は金持ちと巡り合う機会が多いのか。私にも少しはその金運が巡ってくるといいんだがね。お金は天下の回りものと言うが、私の手元に回ってくるのはごく僅か。悲しいね、現実は……。
おっとっと、少し脱線してしまったな。
話を戻すと、私とジュリエットはなんやかんやでデートを重ねるうちに恋人の仲に発展したんだよ。どんな告白の仕方をしたかとか、どんなデートをしたかなんて聞くなよ?人の恋路には知らない方がいいこともある。君が男として心折られないためにもね。
私はジュリエットに対して、全世界の女性が羨むようなことを沢山してあげたわけだ。私も若かったもんでねぇ。
「ロミオさん。今日はどこに行きましょうか」
「美しい夕日を見に、街の外れにある丘にでも行こうか」
「まぁ!とても素敵じゃないですか。是非とも観に行きましょう」
ジュリエットに、街の中で一番美しく夕日が見える丘に連れて行ってやろうとデートコースを考えた日があった。
だけど、その日一つの事件が起きたんだ。
「大変だ!人が倒れているぞ!」
街中を歩いていると、広場で血を流している人が見えた。
警察を呼ぶ声が響いている中、やじ馬たちに吞まれないように、避けて歩こうとした。だが、ジュリエットは私と繋いだ手をぱっと放して、その渦中へと飛び込んで行った。
私は慌てて追いかけた。彼女は一体何をするかと思いきや、地面に仰向けになって倒れている女性の額に、優しく手を当てた。すると、女性の目がぱちっと開き、何事もなかったかのように起きあがったのだ。
「もう大丈夫ですよ」
「わ、私は一体……」
「どうやら、貧血で倒れていたみたいですね。良かったです。命に別状が無くて」
貧血で倒れていたなんていう生易しいものではなかったはずだ。だが、彼女が少しばかり手を当てただけで立ち上がったので、彼女の言葉を鵜呑みにしそうだった。
なんだ、あの人は少し貧血で倒れ込んでしまっただけか。
だが、そんなもんじゃない。後頭部を強打して大量の出血。普通は死んでしまうはずだ。
広場で大勢の人が見ている中、彼女はまさに神の所業とも呼べる行いを見せたのだ。驚きの声を挙げる中に、私も居た。彼女に、世にも不思議な力が備わっていることを知らなかったからだ。
倒れていた女性は本当に体調が良くなったらしく、ジュリエットに対して何度も頭を下げると、手を振って別れた。
周りの民衆たちは、彼女のことを女神だと言い始めるものも居た。厄介事が起きても困るので、私はジュリエットの手を半ば強引に引っ張って、群がる民衆を掻き分けて逃げた。
広場から4、5分くらい歩いた所で、漸く誰も見なくなった。あのまま彼女を置いておくと、誰かに連れされれそうなほど民衆のみなさんは盛り上がっていた。
逃げるように歩いていた僕に対して、ジュリエットはとても申し訳なさそうに謝る。
「ごめんなさい。折角のデートだったのに……」
「いいんだよ。気にしちゃいないから」
「もう一つ謝らなければなりませんね」
繋いでいた手を、広場の時にようにぱっと払われてしまう。その時、彼女との心の距離が遠くへ離れてしまうような不安に駆られた。
「私、魔法を使うことができるんです」
彼女の告白を聞いて、私は何も言えなくなった。
十数年前というのは、今とはとても環境が違う。魔法は悪魔の力だと恐れられる地域もあれば、神から授けられし人の世を変える賜物だと言う人も居た。私はどちらの意見に対して賛成も反対もしていなかったが、彼女の告白はとても衝撃的だった。
可愛らしくも美しい女性だと思っていたが、まさか魔力まで秘めているとは考えちゃいなかったよ。
「人によっては、魔法を使う人を嫌っているって話を聞きます。もしかして、ロミオさんも魔法嫌いですか?」
「そ、そんなことはないさ。魔法最高じゃないか!」
「本当です?」
「本当だよ。ジュリエットの使える魔法は、一体どんな魔法なんだい?」
「私が使える魔法は治癒能力です。傷を治したり、体力を回復させることができます。代わりに、私の体力は減ってしまうんですけどね」
てへっと笑う彼女を、その場でどれだけ抱きしめたいと思ったか!
……なんだねレオン君。その冷たい目は。
まぁいい。つまりだね、彼女は治癒魔法を扱える女性だったということだ。
魔法を使えるという告白を聞いてから、私たち二人は夕日の見える丘へと向かった。
夕日の見える丘は私達二人だけで、人生でこんなにも美しい夕日は見たことがないと感じた。
丘に腰掛けるジュリエットは、もじもじとしながら、私の顔色を窺っていた。
「どうしたんだね?」
気になった私がそう尋ねると、はっとして下を俯いた。かわいいんだよこれが。穢れなき乙女とはまさに彼女のことだ。
何、褒めすぎだって?褒めすぎでも足りないんだよ。君にも彼女の美貌を見せてあげたいくらいだ。
おっと、また話が脱線してしまったじゃないか。いちいち話にツッコミを入れるのは止めたまえ。
「ちょっと、気になったことがあって……」
と、かわいらしく頬を染めながら聞いてくる美人を頭で描いて御覧なさい。ほら、胸の鼓動が高鳴ってくるのがわかるだろう?当時の私はまさしくその波打つ鼓動を直に感じていたわけだよ。
「私のこと、嫌いにならないですよね」
少しばかり涙目になってそう言ったんだ。私は無論、すぐに顔を横に振ったよ。
「そんなことあるわけないじゃないか」
「魔法を使っている所を見られてから、ロミオさんあまり話をしてくれないから……。やっぱり、魔法を使う女性は嫌いなのかなって」
「さっきも言った通りだ。私は魔法好きでね。昔から魔法を使う人に憧れを抱いていたくらいだ。あれは確か中学二年生の頃。授業中突然魔法を使えるようになった学生の話を、頭の中で描いていたことがある。主人公は言うまでもなく私。いやはや、中学二年生というのはどうしてこうも想像力が働くものかね」
冗談を笑って聞いてくれた。心底ほっとしたよ。彼女が悲しそうにしたり、寂しそうにしているのを見るだけで、胸が苦しくなる。
「ロミオさんに、知っておいて欲しいことがあるんです。私が魔法を使えるようになったのは幼稚園の頃。この力を使って、一人の男の子を……殺しそうになってしまった」
「と、唐突な話だな。君は治癒能力を持っているだけじゃないのかい?」
「治す力を反転させれば、人を殺める力にもなりうる。だから私は、あまり人と関わらないようにしてきた。でも、ロミオさんと一緒に居ると、人を避けたり会話をしないなんてことができなくなっちゃったの。不思議だよね。もしかしてロミオさんも、魔法使いなんじゃないの?」
「魔法を掛けられたのは私の方だ。君しか、見られなくなってしまったのだから」
そう言って、街で一番美しい夕日の下、彼女と初めての口づけを交わした。
……なんだその笑いを堪えている表情は。人の素敵な想い出を笑うつもりかね?やれやれ、これだから近頃の子供は……。
いいかね。これから重要な話に分かっていくから、心して聞くがいい。
夕日を見るデートをした翌日、街は大変な大騒ぎになっていた。
この世に女神が舞い降りたと、新聞ですら有名になっていたんだ。
現在のアルカディアでは、魔法も機械も発達しており、生活や仕事では欠かせない存在となっている。だが、当時のプロヴァンスという街では違う。治癒魔法を見ただけで驚く人達ばかりなんだ。
私はジュリエットのことが心配になった。
事件の捜査を放りだして、私はジュリエットの居る屋敷へと向かった。
屋敷の面積は実に広い。野球場3つ分はある敷地を、番犬や執事に見つからぬよう隠密行動を取った。
ジュリエットの部屋を見つけると、私ははしごを使って、こっそりと忍び込んだ。
「まぁ!ロミオさん!」
「静かに!物音を立ててはいけないよ」
人差し指を私が立てると、彼女は両手で自分の口を塞いだ。
「街が大変な騒ぎになっている。君が心配になって、居てもたってもいられず来てしまったよ」
「ロミオさん……」
暫くお互いの瞳を見つめ合っていたが、その時間は長く続かなかった。どんどんとノックをする音と共に、ジュリエットの母親と思わしき女性の声が聞こえてきた。
ここで私が見つかると、恐らく母上は気を良くしないだろうと思った。私はベッドの下に潜り込んで、やり過ごすことにした。
部屋に人が入ってくるなり、ヒステリックな声が私の耳に刺さるように聞こえてきた。
「ジュリエット!今誰かと話をしていませんでしたか!」
「母上。一体何を言っているのですか?誰も居ないのに、どうして誰かとお話しするんです?」
「もしかして、街の噂を聞きつけて誰かがあなたの部屋へと入ってきたのかと思ったわ。これからは誰とも会わずに、しばらくこの部屋に籠って居なさい。街の人間は、貴女を狙おうとするに違いありません」
「大丈夫ですよ母上。素敵な騎士様が街にはいらっしゃいますから、何事も起きることはありません」
「悠長なことを言っている場合ではありません!いいですか、私の言いつけをきっちりと守るんですよ!」
ベッドの下に潜っていたので、母上の顔や服装は拝むことができなかったが、美人なんだろうという予想はしていた。娘があれだけ美人なのだから、きっと世に名前を轟かせることができるレベルでお美しいんだろうと思った。
母上が部屋から去ると、ジュリエットがかわいらしい小さな顔をひょこっと覗かせた。
「もう大丈夫ですよ、ロミオさん」
「やれやれ、君と外でデートできなくなってしまったな」
ベッドの下からずるずると這い出ていく。立ち上がると、少しばかり凝った首を右へ左へと傾けた。
「それじゃ、行きましょうか。騎士様」
「行くって、どこへ?」
「お出かけしましょう。家に居ても退屈ですし」
「さっき母上から外出禁止令を出されたばかりだろう?外に出るのはまずいんじゃ……」
「さっきも言ったじゃないですか。騎士様がお守りしてくださるのでしょう?」
そう言って、ぐっと顔を近づけてきた。
うん、かわいい。
陥落した私は、ジュリエットをこっそりと屋敷から連れ出した。
楽しげな話に聞こえるが、私はこの時に時間を戻せるのならば、彼女を屋敷に留めておくように歴史を変えたい。
昨日と同じ広場に行けば、ジュリエットことを崇拝する謎の集団に囲まれかねない。
なるべく人気のない場所へと散歩していた。
私が思いついたのは、普段決して誰も来ない美術館だった。ジュリエットは喜んで賛成してくれた。
教会のような建物の中に飾られた幾つもの絵画。その絵画をゆったりと見ているつもりだった。
誰も居ないはずの教会で、不気味な声が聞こえてくる。
「ついに……ついに見つけたぞ」
声はするけれど、姿は見えない。
誰か居るのかと叫んでみると、入口から一人の人間がゆっくりと歩いてくる。
ピエロの仮面を被り、黒いマントを羽織った謎の人物。私は、そっとジュリエットを背に隠した。
「昨日、私は奇跡を目の当たりにした。人を治癒する力を持った女神を。この世には、理屈では説明できない存在がある。まさに彼女は、理屈を超えた神様からの贈り物なんだよ」
「彼女のファンなら、事務所を通してから話をしてもらいたいね」
「そうか。ならば、事務所を通そう」
次の瞬間、奴は私の目の前に立っていた。
猛烈に腹部が熱くなるのを感じた。次に襲ってきたのは、立っていられなくなる程の激痛だった。
ジュリエットが私の名を必死に叫んでいるが、段々と意識が遠退いていく。
「さぁ、その力を示すんだ女神。そして、“時の力”を俺に授けよ」
ジュリエットが私の体を抱きしめてくれるのを感じる。そして、腹部の激痛が段々と安らいでいく。
「貴様は知らないだろう。この女神は、治癒能力だけではないことを」
奴は私とジュリエットの額に手を当て、知らない言語を淡々と話し始めた。すると、ジュリエットは段々苦痛の表情を浮かべ、嗚咽を漏らし始める。
「この男の体を触媒とし、女神の力を私の物とする」
私は何も抵抗することができなかった。魔法を使うことなんてできないし、奴は一体どんな言葉を話して、今何をしようとしているのかもわからないのだから。
体の力がどんどんと抜けていく。このまま、私は死ぬのだと思った。だが、突然奴はもがき苦しみ始めたのだ。
「め、女神よ……一体何をした!」
突然男は倒れ始める。だが、私とジュリエットの額から手は放さなかった。
「ロミオさんは、絶対に死なせない!」
「無駄だぞ。この儀式が始まると、その男は必ず死ぬのだ。魂を通じ、私の体へと女神の力を吸収する」
この時の私は、既に意識朦朧としていて、詳細な顛末はわからない。
後に調べてわかったのだが、ジュリエットは奴の儀式を弾こうとしていたんだ。奴の手が額から離れる前後の記憶は薄らとある。
しかし、その儀式を完全に止めることはできなかった。私の魂は、奴の所為で持って行かれそうになったのだから。それを留めるために、ジュリエットは自らの魂を犠牲にした。
そして、彼女は……消えてしまった。
3
「奴の正体は未だに判明していない。私が意識を取り戻した時には、病院に居た。プロヴァンスを離れたのは退院してからで、それ以後あの街には行っていない。私はあらゆる街を回って、魔法について勉強をした。勉強をしている間に分かったんだがね。自分が驚異的な記憶力を持ち始めたんだよ。そして、私の右目が青く光り始めたのもその頃からだ」
「ロミオさんの力は、その事件から得たものだって言うんですか?」
「生まれた時から持ち合わせている力ではなかった。ジュリエットが命を賭けて私を守ってくれた。それだけではなく、彼女が持つ魔法の力から、知力と腕力を授かったんだ。前にも言ったかもしれないが、彼女が居なければ今の私という存在はなかった。ただの探偵で終わっていたよ。皮肉な話だがね」
今やアルカディアでヒーローと呼ばれるようになったロミオさんに、こんな過去があるだなんて知らなかった。
僕は彼と会った時、既に今の能力を全て持っていた。右目にモノクルを付けているのには、何の理由があるのかと思ったら、目の色を隠すためだったんだ。
話を聞かないとわからないものだね。
「魔法の勉強をしているうちに、アルカディアという街を知った。アルカディアは、どの街よりも魔法と科学の技術が進んでいた。私は知りたかったんだ。あの時の儀式の正体を」
「それで、この街に来たんですね。ロミオさんにこういうのは申し訳ないかもしれないですが、その事件が無ければ、僕とロミオさんは出会っていなかったんですね……」
僕とロミオさんが出会わない。そう考えると、ちょっぴり寂しくなった。
もし僕がロミオさんと出会っていなかったら。
あのホテルの事件の時、二人の人間を殺してしまっていたかもしれない。いや、それだけじゃなく、アルカディアで犯罪者を見境なく殺す殺人鬼と自分が成り果てていたかもしれない。
今の自分が居るのは、ロミオさんのお陰だ。
「最愛の人を失ったわけだが、最高の相棒と出会えることができた。これもね、ジュリエットが引き合わせてくれた運命だと思っているよ。それと、アルカディアの地を私が離れないのには、まだ理由がある。あの儀式について調べていくと、興味深い記事を発見したんだ」
今まで散々飲んでいたウイスキーのボトル。ついに5本目に手を出した。
「儀式をまた別の形で行うことができれば、ジュリエットを取り戻せるかもしれないんだ」
「本当なんですか?」
「それが本当かは、まだまだ勉強が必要だ」
「もしそれが成功したら、ロミオさんの能力はどうなるんですか?」
「さぁね。順当にいけば、恐らく力を失うだろう。そうなれば、君に何かを教えることもできなくなるだろう。そうならないうちに、君は大いに勉強しなければならないな」
もし本当にジュリエットさんが戻ってくるのならば、その儀式を成功させて欲しい。じゃないと、ロミオさんが可哀相だ。
僕の最愛の両親は戻ってこないけれど、ロミオさんにはまだ希望がある。ならば、その希望を現実にするために、僕は頑張ろう。
「話過ぎてしまったね。明日も事件の捜査をする。もう寝たまえ」
「そうですね。すぐ寝るには、沢山の話を聞き過ぎちゃった気がしますけど」
とか言って、僕は布団に入るや否や、すぐに爆睡してしまったらしい。
起きて時計を見ると、時刻はお昼の12時を指そうとしていた。もうお昼だ。
今日は久しぶりの快晴。曇り空が多いアルカディアで晴れの空を見ると、なんだか心が躍る。
気持ちいい目覚めの後、寝間着から服を着替えて、いつもの白いワイシャツ。黒いズボンを履いた。
顔を洗って歯を磨き、事務所に向かった。
てっきり、ロミオさんはまたソファで爆睡していると思った。
部屋が酒瓶で散らかり放題なのはいつも通りだった。でも、ロミオさんの姿が見えない。
一階にでも居るのかなぁと思い、部屋を片付けようとした。すると、ロミオさんのデスクに、一枚の置手紙があった。
『プロデューサーの所へ行く』
どうして僕を誘ってくれなかったのか。
もしかして、起こそうとしても起きなかったからだろうか。
折角だから、起こしてくれればよかったのに。
アルカディア中央刑務所に着くと、何か起きたのかわからないけれど、囚人たちが騒々しかった。
入口に居る警備の人にロミオさんの話をすると、何も言わず通してくれた。ロミオさんの名前は強い。
プロデューサーの居た部屋へと進んでいくと、ロミオさんとグレンさんが居た。
「遅かったな寝坊助」
「ロミオさん。折角プロデューサーと会うんだったら、僕も起こしてくれればよかったのに」
「爆睡しているから、敢えて寝かせておいたんだよ。寝る子は育つからね」
「いいんですよそういうのは。それで、どうしてこんなに刑務所内が盛り上がっているんですか?」
ロミオさんは肩をすくめた。そして、右手をとある部屋へと向けた。
「残念だがレオン君。もうプロデューサーと会うことができなくなってしまった」
「どういうこ……」
僕は絶句した。
囚人たちの部屋は、真っ白な壁に囲まれている。その壁が破壊され、真っ暗な闇がぽっかりと口を開けている。円形の道が果てしなく続いているようで、その先に何が待ち受けているのかわからない。
そして一番驚いたのは、部屋の床がべっとりと血で染まっていることだ。
「ロミオさん。一体これは……」
「今朝、事務所にグレン君が来たんだ。何事かと思って話を聞くと、刑務所で一悶着あったと言うんだ。ここに来て、君のように言葉を失ったよ」
グレンさんは、白い手袋を嵌め、手帳にボールペンでメモ取っていた。
「ここの警備員を増やしたが、全ての警備員が何かの幻影に怯えているんだ」
「幻影……。ロミオさん、もしかして」
「赤頭巾が動いたんだろう。彼女が警備員を攻撃し、もう一人がプロデューサーを殺した。証拠を残さないために」
ふと違和感を覚えた。どうしてプロデューサーが情報を知っていると、犯人は知っていたのか。もしもプロデューサーが情報を握っている事を知っていたのなら、僕らに話をする前に殺したはずだ。それとも、犯人は僕らを監視していたんだろうか。
「レオン君が考えていることは、どちらも考えうることだ。もしも後者だとしたら……」
ロミオさんはその場に居る警察官全てを見回してこう言った。
「我々を監視している“瞳”が、どこかに潜んでいたかもしれない」