第三話
1
ラファエル氏の豪邸で現場検証をした翌日、僕は学校をサボることにした。真面目に授業を受ける気分じゃないし、ロミオさんがシンデレラさんの持ちかけた依頼をどう解決するかが気になる。
アルカディアの東の外れ。田舎と呼べる地域にある家から、学校ではなくロミオ探偵事務所へと向かった。
事務所を遠目で見ると、無人のお化け屋敷と言ったところか。レンガ造りが今のアルカディアで流行りだが、鼠色のレンガ色はこの場所にとって不気味さを醸し出す素材にしかならない。
入口の扉をきぃと開いて、二階へと螺旋階段を昇っていく。
二階にある事務所の扉を開く前に、部屋の電気が点いているのがガラス越しに見てとれる。寝室ではなく、ロミオさんはこの部屋で資料でも見漁っているのだろう。
昨日帰り際、グレンさんに許可を貰って資料を何冊もこの事務所へと運んだ。思春期の中学生の睡眠時間を奪っただけではなく、物を運ばせるという労働を行わせた罪をどう償わせようか?
「おはようございまーす」
元気な声で挨拶。扉を開けている最中、鼻にツンと匂いが襲ってきた。この匂いは……コーヒー?
窓際で一人、上等な純白カップを手に持ち、香りを楽しんでいる男が居た。そのカップは、昨日ラファエル邸で見たカップにそっくりだった。今のアルカディアで流行っているカップなのかな?
「コーヒー嫌いだとか言って、思いっきりコーヒー飲んでるじゃないですか。それも高そうなコーヒーカップで」
「たまには酒以外を飲むのも、私の知性を磨くのに役立つんじゃないかと思ってね」
「カフェインを摂って頭良くなるんですか?それじゃ、僕も飲もうかな」
「君の場合は無理だろうね」
「どうして?」
「まだまだ坊やだからさ」
「おっさんに言われたくないですね」
業務用デスクの上にあった白いナフキンを僕にぶつけようとしたらしいが、そんな軽いものが当たっても僕が痛がるわけもなく。というか、僕に届く前に、木目の板で作られた床にゆらりゆらりと落ちて行った。
観念しつつも、僕に対して何かお見舞いしないと気が済まないという気持ちの表れか、口を尖らせて話をしてきた。
「学校をサボってまで事件の解明を行いたいかね?」
「そうですね。昨日はあまり睡眠時間取れませんでしたし、今日の授業は受ける必要が無かったので」
「自分に甘くするもんじゃないぞ。そういうところから、堕落というのは始まるものだ」
「肝に銘じておきます」
中身のない言葉とは、今僕が口から発したそのものだった。
昨日僕が汗水流して運び込んだ魔法学に関する資料。事件に関する鍵はこの中にある。
恐らくロミオさんは、僕が来るまでに全て読み終えただろう。徹夜で仕事をしていたに違いない。
彼が全て読み終えているとしたら、僕が見た所で特に意味はない。けれど、自分で探るという行為をしなければ、僕は一生成長することができない。
僕もこの資料を全て読み切る決心をして、床に山積みとなっている天辺の本に手を出した。
ふと顔を見上げた。壁に掛けてある時計の針は十二時を指そうとしていた。
ここに来て資料を読み漁り始めてからもう3時間近くが経つ。その間ロミオさんは、いつも通りソファで横になってぐうすか寝ていた。徹夜だから当然だろうけど。
いびきをかいて寝ている男は置いとこう。資料を読んでわかったことがある。
ラファエル=ノーム氏は、魔法学の研究者だった。アルカディアの中で一位もしくは二位とされるほどの金持ちだということは知っていたけれど、まさか研究者だとは思わなかった。
彼は自然から発生する力を利用した魔法だけではなく、機械も使った魔法というのを研究していたらしい。
だが、機械を使っても超えられない壁にぶつかったそうだ。
最終的に彼が得たいと思っていたのは、永遠の命。その魔法を、誰に対して与えようと思っていたのか想像することは容易い。
愛する者であるシンデレラさんか、自身に魔法を掛けようとしたのだろう。
魔法を使えば、莫大なエネルギーが発生し、永遠の命を人にもたらす。誰かがその魔法のことを知り、ラファエル氏を襲った。
というのが筋書だと思われる。
ここで、覚えておかなければならないことがある。
魔法を完成させるために、集めなければならないものがあるということ。
黄金の剣、白金の盾、最後に必要なのは、壁画に描かれていた聖杯だ。
全てを揃えた後に呪文を唱えると儀式は完成する。その方程式を導きだした後にラファエル氏が殺されたとすると、犯人はそのアイテムを全て揃えようと動くはず。
それじゃ、ここで黙っているわけにはいかない。
僕はソファで眠るロミオさんの体を揺さぶり、必死に起こそうとした。
すると彼は、眠気眼のまま僕をちらりと見た。
「なんだね小さき名探偵。私はまだ睡眠が足りていないぞ」
「寝ている場合じゃないでしょロミオさん!全てのアイテムが揃った時、犯人が目的とする魔法が完成してしまうんでしょ!」
「それは私も知っている。もうグレン君に電報を出したから、問題はないはずだ」
「え、もうですか?」
「君が熱心に書物を読んでいる間に、私は外に出ていたんだよ。集中力があることはいいんだが、周りが見えなくては必要な時に困るぞ。例えば、女性を口説く時とか」
「ロミオさんはそれでいつも必要なものが見えてないじゃないですか」
「見えてる見えてる。女性の谷間は素晴らしい」
聞くんじゃなかった……。
「わかったわかった。そんなに君が書物だけでは暇だと言うのであれば、現場に行こうじゃないか」
え、現場?
2
「どれだけ頭が良くても、どれだけ観察力があっても、現場に出向かなければ意味はないのだよ。わかるね?」
「そう言いながら、思いっきりパフェがっついてるじゃないですか」
貴婦人や小さなお子様が多く見られる。
かわいいメイドさんがパフェを持ってきてくれるカフェテリアで、おっさんと子供がパフェを食べている光景は異質。自分でもそう思う。だって恥ずかしいもん。周りの視線が痛い。
「甘いものを食べないと、脳が活性化しない。私にとってこれは必需品なのだ」
「お酒とどっちが必要なんです?」
「お酒の方が大事」
ただのアルコール中毒じゃないんですかね?
そして、パフェを食べつつも視線は常に熱い。パフェを運んでいるかわいいお姉さんをガン見している。メイド服がかわいさの威力を3倍以上に引き出しているのは僕も認める。けれど、目が飛び出るんじゃないかってくらいメイド店員さんを見ていたら、流石に不審者に間違われそうなんですが。
「事件に関して興味深い記事を見つけてきたぞ。先日、ラファエル氏の邸宅近隣に居た警備員が数人殺害された時のものだ。殺されずに生き残った者も居たらしい。その話が、ここに記載されている」
メイドの話を延々とするのかと思いきや、新聞記事の切り抜きを僕に渡した。
記事によると、その事件が起きたのはラファエル氏の事件が発生する前とされている。
警備員達は発狂するような表情で殺されており、外傷は一切無かったと言う。うち一人は跡形もなく灰にされていた。辺りが燃焼した形跡はゼロ。
生き延びた警備員が一人だけ居たが、彼は同じ言葉をずっと繰り返しているという。
その言葉は、“トラウマが襲ってくる”。
「レオン君。君はどう思う?ラファエル氏近隣の富豪たちは警備員を付ける家が多い。ラファエル氏の家が襲撃される前に、警備員は見てはいけない人物を見てしまったんだろう。生き残った警備員が教えてくれたワード。“トラウマ”だ。一体これは、何の魔法だろうな?」
「それに、灰にされた警備員が居るって。どういうことでしょう?」
「この事件。ちょっとやそっとじゃ解決させてくれそうにないな」
「パフェ食べながら言っても説得力ないですよ」
「食べてることより、見ることに集中している。メイド服はいいなぁ」
いつもならツッコミを入れているところだけれど、僕はこの記事を見てからますます疑問になったことがある。
これもまた、ロミオさんに聞いていいのかどうかはわからないけれども。
「犯人は、ジュリエットさんについてどれくらい知っているんでしょうね?」
そもそも僕は前に記載した通り、ジュリエットさんについて何も知らない。ロミオさんがあまり話したがらないように見えたから、僕も口を噤んでいた。
僕が知りたそうにしているのをロミオさんは察しているだろう。
彼は最後の一口を食べ終えると、パフェの入っていたグラスを脇にどけて、優しい笑みを浮かべこう言った。
「知りたいのかね?私にとって、ジュリエットというのがどういう存在か」
「は、はい」
「正直だな。う~ん、どこから話をした方がいいかな?」
未だかつてないくらい、優しい笑みだ。ジュリエットさんという女性が、ロミオさんにとって余程大事な人なんだろう。
「私にとってジュリエットは、私という人間が今ここに居るために必要な存在だ。彼女が居なければ探偵業なんてやっていなかっただろう。そもそも、生きていなかったかもしれない。そして、この事件に携わろうと思わなかっただろう」
「事件に、関係があるんですか?」
「事件とはまったく関係ない。私がこのアルカディアで探偵を行うのはね、魔法に関する事件に関わりたいと思っていたからだ。勉強だけでは追いつかない知識というものは、実践を経て力となる場合が多い。私は、魔法についての勉強も行っていたのだ。これも全て、ジュリエットのためだ」
「ジュリエットさんは、今どこに居るんです?」
「彼女は遥か彼方に居るからね。いや、正確にはとても身近にいるのだが」
さっぱり意味のわからない言葉だ。まるでなぞなぞの解を問われているかのよう。
「この話はまた今度してあげよう。今は、剣の場所をしっかりと把握する方が先だ」
「黄金の剣の場所、ロミオさんは知っているんですか?」
「剣の場所は知らないが、“剣のあった場所”なら知っているぞ」
ニコニコ笑みを浮かべてそう言った。まるで、おもちゃで遊ぶ無垢な子供の様。
またまた、遠回りな台詞を。もう少しわかりやすくできないんですかね。
パフェを堪能した後、ロミオさんと僕は、ラファエル氏の豪邸近くにある、これまた別の豪邸に訪れた。
例の警備員が襲われたという事件現場の家。
警察がしっかりと厳重警備しているし、盗まれているとは考えにくいんだけれど。
「ロミオさんは、警備員の人が襲われた時点で、剣は盗まれていたって考えているんですか?それなら、新聞にもその詳細が書かれているはずです」
「可能性は全て拾わなければならない。レオン君はこう考えなかったのかね?警備員らは犯人を見てしまったがために殺されたのではなく、剣を守ろうとして戦ったが殺されたと。姿を見たからといって、トラウマというワードを何度も口から吐かせるほど精神的ダメージを与えたりしないだろう?グレン君が一連の事件として関連性を持たせて僕らに話をしたのも、この家で何かがあったからだろう。家主は海外に出ているため、その家主までが殺されたという事件ではないが」
豪邸に入ると、ラファエル氏の家よりも質素な気がした。それでも、一般庶民とは掛け離れた生活をしていたんだと思う。
高級邸宅ご自慢の広々としたリビング。奥様も大喜びな、高級調理器具が一式装備されたキッチン。いやー、素晴らしいお家ですねぇ。
家の紹介もほどほどに、家の中を捜索することにした。
なが~い食卓用テーブルが置いてあるリビングから、二つ奥の扉を入ると、そこは分厚い本が並ぶ書斎だった。
図書室と呼べる広さがあるこの部屋には、いくつもの本棚が立ち並んでいる。その部屋の一番奥に、誰もが目につくものがそこにある。
「レオン君。あれが例の剣だ」
ロミオさんが指差す先にあるのは、光り輝く黄金の剣。その眩しさに、思わず手で視界を塞ぎたくなる。
あれ、でもおかしい。さっきロミオさんは、剣が盗まれたって話をほのめかしていたはず。どこをどう見たって、あれは黄金の剣だ。
僕が両腕を組んで唸っていると、部屋にイケメンが入ってきた。入ってきたイケメンに、ロミオさんは左手の人差し指と中指でピースして、挨拶代わりとした。
「やぁグレン君。仕事熱心だな」
「そちらは何か収穫有りか?」
「まだない。だが、一つだけわかったことがある」
黄金に輝く剣が飾ってある壁の前に立つと、ロミオさんは一度肩を上下に揺らした。
「一体、何故警察は気付かなかったのかな?」
「どういう意味だ?」
グレンさんがロミオさんの隣に立った。
剣を眺めるが、特に変わった所は無さそうなのだが。
「魔法を掛けて動かなくしているつもりだろうが、こうして見れば一目瞭然じゃないか」
ロミオさんは剣に触ろうとした。グレンさんが止めようとするが、ロミオさんの手の方が早かった。剣を掴もうとした手は剣を掴む、はずだった。
掴もうとしたロミオさんの手は、ずぶっと剣の中に埋まってしまったのだ。
グレンさんも僕も、目が点になった。
「おいロミオ。これはどういうことだ?」
「どうもこうも、こういうことさ」
何度も剣を掴もうとする動作をするが、ロミオさんの手に剣が握られることは一度もなかった。これはもしかして……。
「これは実体がそこにあるかのように見せる、ホログラム技術ですね」
「その通りだレオン君。これは魔法ではなく、機械で成せる技。警察はここに保護魔法を掛けてから一切手を触れることは無かった。それはそうだろう。保護魔法を掛けた後に、触ろうとする人が居るわけない。そもそも保護魔法はしっかり掛かっていなかった。何故なら、ここに剣は無いからね。犯人は本物を持ち去り、警察はこの中身のない黄金の剣を守ろうとして無駄な時間を使うところだった。だが、その無駄な時間をこの私が取り戻したのだ。感謝してもらいたいね」
グレンさんが、保護魔法を解除する特別な呪文を唱える。それは魔方陣が出てくるような大それたものではなく、言葉で呪文を解く簡単なものだ。
剣の柄の部分に手を押し当てると、グレンさんは指先で何かを摘んだ。それを僕に、掲げるようにして見せた。
「これに騙されていたとは。警察も魔法ばかりに頼っている場合ではないな」
手に持っているのは丸い豆カメラみたいなもの。その機械から発せられる光で、あたかも剣があるかのように3次元映像を壁に描いていたのだ。
魔法も機械も、不思議なものであることに変わりはない。ロミオさんは以前そう言っていた。
「この剣の持ち主は現在、誰だと思う?」と、グレンさんが尋ねる。
「犯人が巧妙なのは行動でわかる。指紋も痕跡も一切残さない。全て不要なものは消し去ってから現場を去る。つまり、現場に残っているものは、我々が犯人を逮捕するに足らないものか、もしくは犯人が我々を罠に掛けようとしているかだろう」
「俺達を罠に嵌めようと?」
「この小さな機械で既に罠に掛けられていたじゃないか。まだまだこれからも犯人は我々に手を打ってくるだろう。こちらから次の手を早急に打つ必要がある」
ロミオさんは、書斎にあった木の椅子に座って、眉間に人差し指を当てた。
集中して何かを考えているようで、目はずっと閉じたままだ。
数秒した後にすぐ立ち上がり、ロミオさんは書斎を出た。僕もその後を追って部屋を出る。
「グレン君。一つ聞きたい事がある」
「何だ?」
「生き延びた警備員と話がしたい。早急に」
3
グレンさんの力を借りて、警察が普段使っている馬車を利用させてもらった。歩くよりも随分と快適だ。
僕は初めて魔学市立病院へと訪れた。厳重な警備の元、何らかの事件に遭った患者を守るF棟に僕とロミオさんは入った。
持ち物検査をした後に、金属類は全て渡さなければならなかった。
ここまで厳しい管理をする病院に来るのは初めてだった。
「ここはね、事件にあった人たちを守るための病院でもあるんだよ。犯人が逮捕されず居るまま、被害にあった人がまた犯人に襲われないようにするためだ。グレン君の話だと、このF棟に警備をしていた男性が居るはずだ」
何もかも真っ白な建物の中。自分の黒いズボンと、ロミオさんのシルクハットと燕尾服がやたらと目立つ。僕の場合肌も髪も白いから、芸術家の人に油絵の具で今の僕らを描いて貰うと、僕の目が宙に浮いているように見えるかもしれない。
病院で働いている警備員の人達は、普通の警備服を着ている。上は青色、下のズボンは黒。
通路の奥まで歩くと、待ち構えていた警備員さんはポケットから銀色に光る鍵を取り出し、僕ら二人を鉄格子で隔離された部屋へ鍵を開けて入れてくれた。
その先はいくつもの部屋があり、何人ものナース服を着た女性が行き交っていた。手にはカルテを持ち、人によっては何故か銀色の盾を腕に装備している人も居た。なんで?
「ここの病院は、普通の病院とはまったく違う。ナース服を着た女性が美人だということに変わりはないけどな」
ロミオさんも相変わらずだった。
609号室と部屋の扉に筆記体で書かれた部屋。
部屋の前には、警察の男の人が立っていた。
その男に、「グレン君の知り合いだ」とロミオさんが言うと、屈強な腕っぷしを持つ警官は、のっしのっしと扉の前から身を退いた。
ロミオさんは二回扉をノックし、ドアノブを回した。
部屋に入ると、相変わらずの白色が広がる。
ベッドも椅子も、全て白一色の不思議な世界だ。
「ようこそロミオ」
ベッドで仰向けになっている男は、突然言葉を発した。
「どうして私の名を?」
「来ると知っていたからさ。いや、教えてもらったという方が正しいかもしれない」
ロミオさんは、ベッドのすぐ脇に置いてあるパイプ椅子を引きずって、横になっている男性の近くに置いた。彼が、黄金の剣の主から雇われていた被害者。
ゆっくり腰かけると、ロミオさんは優しい笑みを浮かべた。
「大変な目に遭いましたね」
「あぁ、まったく困ったもんだよ」
問いかけに対し答える男性は、白い病院服を着ている。普通の人間にしては、肌がとても白く思える。その男性の頭皮は薄く、髭はここ最近まったく剃っていないようで、口の周りで乱雑に生えている。
ぱくぱくと、魚が息をするように男性は話を続ける。
「名探偵がどうして来ることを知っていたか、知りたいか?」
「まるでなぞなぞだな。よし、解いてみようじゃないか」
「それよりも聞いてくれよ。警察はまったく俺の言葉を信用してくれないんだ」
「警察はありとあらゆる可能性を考慮して動かねばならないが、現実的な側面を優先してしまう傾向もある。仕方がないことだ」
「そこの坊や」
ロミオさんと話をしていたというのに、突然僕に話を振ってきた。
天井を見ているだけの彼には、僕の姿が見えないはずだけれど。
「警察の捜査はどこまで進んだかね?犯人の見当は付いているのか?」
言葉を口から発しようとした瞬間、ロミオさんは左手の手のひらを僕に向けた。
要するに、“喋るな”ということだろう。
思わず吐き出しそうになった言葉を飲み込み、そのまま静寂を保っていると、ベッドで仰向けのまま動かない彼は、思い出したかのように話を始めた。
「俺が警備をしていたあの日、突然怪しい奴らが雇い主の家を襲おうとしたんだ。俺達は何もできなかった。そいつらに銃を構えると、突然ワープしたように辺りの風景が変わったんだ。それまで、雑草が生い茂る場所に居たって言うのに。場所が変わると、そこは俺の見知った場所だった。前に付き合っていた彼女の家だったんだよ。そして、彼女が包丁を持って俺を追いかけてくるんだ。あいつは死んだはずなのに。何度も何度も何度も何度も俺を殺そうと追いかけてくる。わかるか?トラウマが襲ってくるんだよ」
トラウマ。心的外傷を指す言葉だ。
男性は顔を天井に向けたままだ。なのに、僕の頭の中で喋っているんじゃないかと錯覚するくらい大きな声で話し続けた。何かに怯えているのか、それとも犯人によって精神をおかしくされたのか区別がつかない。
「君は犯人の姿がどんなものだったかわかるかね?人数は?」
「暗闇でよくわからなかった。わかったのは、俺の友人が灰にされたってことだけだ。そしてもう一つわかるのは、その魔法を使ったのが女だってことだ」
「どうして女性だとわかったんだ?暗闇で人数もわからなかったというのに」
「女装の趣味がなけりゃ、あんなガラスの靴なんて履いてないだろう。ハイヒール履いた男が居るか?」
「足元は見えたのか?」
「魔法を放つ瞬間、その靴が光を発したんだよ。足元が白く光った。見えたのは白いドレスの裾と、透明なガラスの靴だ。どこかのお姫様を連想させる格好だった」
この話を聞いたロミオさんは、瞬き一つせずに思考を巡らせていた。
数秒経つと、止まっていた時が動き出すように、数回ぱちぱちと瞬きをし、椅子から立ち上がった。
「貴重な話をありがとう。いい情報を貰ったよ。行こうレオン君。そろそろ時間だ」
情報を得た、という割には面持ちが暗い。
同じ話を聞いた僕にはさっぱりだと言うのに、恐らくロミオさんは一の情報から十の情報を得たに違いない。
部屋から出ようとするロミオさんを急きとめるかのように、被害者は声を発した。
「最後にもう一度聞こうかヒーロー。俺がどうしてお前が来ることを知っていたと?」
「それは、君自身が知っている答えだ」
答えになってないんじゃ……。
相変わらず遠回りな言葉を口に出す。少しは直球ストレートで話をする気にならないのかな。変化球ばかりの投手より、目にも留まらぬ速さでボールを真っ直ぐ投げる投手の方が僕は好きだよ。
「行こう、レオン君」
部屋の扉を閉じると、男性は不気味に高笑いを始めた。その声は、扉が閉っているというのに、ずっと僕の頭の中で響き続けた。
部屋の前に立っていた警察がドアの鍵を閉めると、僕とロミオさんは元来た真っ白な通路を歩いていく。
「さっきの話で、僕は何かヒントを得たようには思えないんですが」
「事件の全容は私も答えられない。だが、パズルのピースはしっかりと集まっている。全体像を表わすのも時間の問題だろう」
「被害者の方が話をしていた、ロミオさんがここに来ることを知っているのはどうしてかっていう問いですけれど、何故遠回りな答えの返し方をしたんですか?」
質問を投げかけると、ロミオさんは歩みを止めた。
右手の人差し指を立て、講義を行なう先生となって話を始めた。
「さて問題だレオン君。私は黄金の剣の家でこう言った。犯人は証拠を残さない。残すとするならば、我々を罠に嵌めるためだと」
「そう言っていましたね」
「では、何故彼は生きている?」
「え?それは、トラウマが植えつけられるくらいのダメージを負ったから、特に殺す必要もないと考えたのでは?」
やれやれと肩を落とした。あれ、僕何か変なこと言っちゃったかな?
「物事を考える時に、自分だけの視点だけでは解を導き出せない。第三者の視点に立つんだ」
「は、はい」
返事はするものの、そう言われたって易々とできるものじゃないと思うんだけど……。
「君が犯人だとして、ほぼ全員殺したというのに、一人だけ生き残るのはリスクがあると思わないか?もしも後々回復して姿を見られていたとすれば、警察の有益な情報となる。だったら、他の者と同じく灰にしてしまえばいい。なのに、唯一彼は生き残った。言葉を言い変えよう。“敢えて生かした”んだよ」
わざわざ生かすことの方が、犯人にとってデメリットが生じるんじゃないだろうか。
……いや違う。犯人は全てデメリットではなくメリットしか残さない。つまり、敢えて生かすことに、犯人が有利になる点があるんだ。
「被害者である彼はこう言ったね。名探偵が来ることをどうして知っているかを知りたいか、と。まるでゲームのような問いかけ。精神が病んでいるというのに、君へ警察の捜査状況まで聞いてきた。どう考えてもおかしいと思わないか?」
「ロミオさん、もしかして彼が生かされている理由って……」
ロミオさんは気付いていた。だから僕に喋らないように言葉を制した。
被害者である彼は精神を病んでいるんじゃない。精神を“操られている”。
彼が生かされているのは、犯人が情報を集めるのに使うから。
「黄金の剣が盗まれたのはいつだったかね?」
「新聞記事によれば、ラファエル氏が襲われる前です」
「私たちの話が新聞記事にされた日数は何日前だ?」
「4日前ですね」
「であれば、私の事をヒーローなんて呼び方は普通しないだろう。ここは病院だが、普通の病棟とは違いって遊び道具どころか新聞記事さえ見せてもらえない場所だ。なのに、私のことをヒーローと呼ぶようになるには、銀行強盗を捕まえた事件のことを知らなければならない。しかし彼は、私をヒーローと呼んだ」
被害者の彼がロミオさんを“ヒーロー”と呼んだ瞬間に、違和感を覚えなければならなかった。
こういう観察力が足りないから、僕はまだまだ捜査の戦力に数えられないんだろうなぁ……。悔しい。
「彼の精神は乗っ取られている。話をした内容は嘘にしろ真実にしろ、犯人が私に知って欲しい情報に違いない。だが安心したまえ。どちらにしろ、私に情報を流すのは命取りになることを犯人にわからせてやるさ」
普段ならば自信たっぷりな顔をするのに、なんとなく元気が無さそうな物言いだった。
「何か、まだ気になることでもあるんですか?」
「気になるというより、気分が悪い、かな」
被害者と話をしている時、瞬きをしないことがあった。あれはロミオさんが何かを思考している時に見る特徴の一つだ。
その頃の話といえば、他の警備員が灰にされた話や、トラウマが襲ってくるという話。
ここで一つ、一本の糸が引っかかるような気がした。
話として挙がるべきものが一つ欠けているように感じたのだ。
「警備員を襲った人物が誰か、ロミオさんは知っているんじゃないですか?」
通路のど真ん中で話し込んでしまったが、僕が問いかけるとロミオさんは再び歩き始めた。僕も早歩きで彼の歩みに付いていこうとする。
そして、僕の方を見ずにこう言った。
「灰かぶり姫だ」
「はい?」
言葉の意味を飲み込めない僕は、ロミオさんにそう尋ねた。すると彼は、一つの童話のタイトルを挙げた。
「レオン君は知っているかね?“シンデレラ”という物語を」